1.はじめに
本報告では,地理学の政策への関わりについて,報告者の研究実践にふれながら考察する。ここでいう政策は,国家,地方公共団体,民間企業,市民団体などによる目標や行動計画の策定を広くとらえる概念である。政策への研究者の関わりは,しばしば,個々の施策や事業の立案への協力としてなされる。しかし,報告者の主要な関心事はそれではなく,地域・社会の現在と未来に意思とアイデアをもって介入する,という政策の基本的な働きに対して,地理学がいかなる知見を提供できるかである。この問いについて,本報告では,梶田(2021)などの整理を参考にしつつ,地理学が得意としてきた都市・地域の分析と(日本では)工学中心で進んできた計画論の双方を視野に入れ,前者から後者へといかに架橋するかという点に焦点を当てて検討する。
2.新しい都市づくり
都市計画の制度構築は,高度な知識と発想力が求められる政策の一つである。規定の都市計画法にもとづく計画策定のレベルでは,人口や産業に関する将来フレームを設定し,そこへ向けた都市の変化を導くべく,土地利用規制や市街地開発事業などを組み合わせる方法が工夫されてきた。近年では,単線的な都市発展の経路を措定せず,プレイスメイキングやエリアリノベーションのように,小さな実践の積み上げと連鎖が持続可能で個性のある都市を生むという,幅広い都市づくりの考え方が支持を得ている。武者(2020)が「工学的アーバニズム」から「人文学的アーバニズム」への転換と述べたように,すでに都市化が進んだ地域では,予測困難な変化に柔軟に対応できることが重要な意味をもつ。
それでは,多様な主体が共時的・共発的に関わる新しい都市づくりの実践に対して,学術はいかに関わることができるのか。具体的な都市の中に模範とすべき実例を見出し,その因果連鎖を事後的に明らかにする研究に関しては,詳細な地域調査を得意とする地理学の分析学的アプローチの射程内にあり,蓄積も多い。対照的に,持続可能で個性ある都市をつくるという,未来に向けた集合的な営為への学術的な支援は,未確立の部分が多い領域だと思われる。しかし,政策は本来,定まった答えのない課題に応えるための方法を探し出す営為である。新しい都市づくりも,それが当事者たる主体を確認しながら進む政策的な実践のかたちをとるとき,地理学が関わる余地は十分にあるのではないだろうか。
3.中川運河での研究実践
報告者は,ヨーロッパをフィールドとする都市・ランドスケープの研究から理論的・実践的知見を得ながら,上述の疑問に対する答えを見出そうとしてきた。たとえば,欧州ランドスケープ条約(2000年)は,ランドスケープの質目標の設定にもとづく保護,マネジメント,計画の方針決定をランドスケープ政策と定義している。ランドスケープ特性評価など,質目標を導出するための基礎となる知識基盤の構築には,多くの地理学者が関与しているし,ランドスケープの防衛を目的とする社会運動を専門家として支援する,アクティビスト的な働きをする地理学者もいる(竹中2021)。
ヨーロッパでの研究から得た知見をいかして報告者が取り組む名古屋・中川運河再生に関わる研究実践では,大きく2つの試みを行っている。一つは,先に述べたランドスケープ特性評価の方法論を参考にしつつ,インフラの共同利用などの社会経済的観点を組み入れた「空間コード研究」の方法論を工夫したことである(竹中編著2016)。もう一つは,関係行政が工学系専門家の協力を得て策定した中川運河再生計画(2012年決定,2023年更新)を基礎としつつ,計画実施プロセスへの産学民の参加を活性化する方法を提案することである。中長期的な将来目標とロードマップを示す行政計画の中には,フォローアップの不十分なものが少なくない。その種の計画が実効性を発揮するには,強い関心をもって参画できる当事者の存在を可視化し,ときに地域・社会の変化を応じた軌道修正をはかりながら,合意形成を進めるための方法論が必要である。その一つの試みとして,当日の報告では,権限・責任を有する行政の委員会と参加・熟議を旨とするプラットフォームのやり取りから報告者が考えていることを紹介する。
【文献】
梶田 真 2021. 政策論としての地理学の可能性.竹中克行編著『人文地理学のパースペクティブ』221-238. ミネルヴァ書房.
竹中克行2021. ランドスケープの価値づけ―欧州ランドスケープ条約に関わる政策実践を中心に.経済地理学年報67-4: 255-274.
竹中克行編著 2016. 『空間コードから共創する中川運河―「らしさ」のある地域づくり』鹿島出版会.
武者忠彦 2020. 人文学的アーバニズムとしての中心市街地再生.経済地理学年報66-4: 337-351.