日本地理学会発表要旨集
2025年日本地理学会春季学術大会
セッションID: 439
会議情報

関帝廟再建にみる1970年代以降の横浜華僑社会の変容
-マルチスケールでの分析から-
*嵇 宸
著者情報
会議録・要旨集 フリー

詳細
抄録

Ⅰ はじめに

 1949年の中華人民共和国成立とそれに続く東西冷戦の開始から,1990年代の冷戦終結に至るまで,日本のみならず(Han 2014),東南アジアやアメリカなど世界各地の華僑社会において(王 2010),中国共産党を支持する「大陸派華僑」と中国国民党を支持する「台湾派華僑」の間に激しい対立と沈静化の過程が見られた。しかし,世界の他の華人社会と異なり,横浜の華僑社会では対立が単に風化しただけでなく,関帝廟再建をシンボルとして両派華僑内でイデオロギーを超えた対話が実現し,教育,イベントや商業など多様な分野で協力が展開されるようになった。海外華僑社会において関帝廟は,単なる宗教空間にとどまらず,集会や議事,更に教育や医療に関わる重要な機能を果たす場として知られている(内田 1949)。横浜関帝廟は長い歴史の中で幾度も破壊と再建を繰り返してきたが,1986年の再建は特に注目に値し,両派間の和解を直接的に促進する契機となった。この点については山下(2021)などの研究や横浜関帝廟管理委員会発行の記念誌(「関帝廟と横浜華僑」編集委員会 2014)でも言及されている。

 一方,これらの既存研究には議論の余地が残されている。第一に,多くの研究は横浜関帝廟再建そのものに焦点を当てた一方で,再建の前後における国際的及び地域的な背景,更に関連する具体的出来事への考察が十分とは言えない。第二に,既存研究の多くが再建の過程の説明を主題とするが,関与した主体のアイデンティティやその変容に関する分析が不足している。

 以上を踏まえ,本研究では,関帝廟再建過程における複数の主体のアイデンティティ変容に注目し,1970年代以降に発生した一連の出来事を統合的に考察し,多スケール的な視点から他の海外華僑社会と比較して,横浜華僑社会の和解を可能にした独特な背景と根本的な原因を解明していく。

Ⅱ 研究方法

 本研究は,参与観察,半構造インタビュー,資料収集を主な方法とした。具体的には,横浜中華街で開催される「関帝誕」などのイベントに参加し,両派華僑間の交流の実態を観察した。また,『自由新聞』や『華僑新報』など台湾派華僑の新聞,『華僑報』など大陸派華僑の新聞を収集した。更に,関帝廟再建に関与した大陸派華僑総会,台湾派華僑総会,そして中立的立場を取る華僑を含む10数名への半構造インタビューを実施した。これらをもとに,再建過程における主体の動態を詳細に分析した。

Ⅲ 考察と展望

 第一に,横浜華僑社会における和解は,台湾海峡両岸からのトランスナショナルな影響力の変化と関り,華僑総会正常化運動や商業の発展などローカルな出来事に基づき変容した,マルチスケールかつ連続的な過程であった。これらは一朝一夕に実現したものではなく,1970年代半ばから2000年代初頭にかけての長期的なプロセスであった。第二に,こうした結果は,寧ろ華僑コミュニティがホスト社会に統合し続けていることの反映である。歴史的背景や個人的経験に基づく反対意見や多様なアイデンティが両派から見られたが,地域的利害を考慮した上で,最終的に和解が選択された。第三に,関帝廟が宗教的空間であると同時に華僑社会の公共的空間として機能している。関帝廟は,複数の主体が要求を表明し,相互に交渉するプラットフォームを提供し,和解プロセスの重要な場となった。また,両派間の関係に対する世代間の認識の違いも注目すべき点である。特に,両派の交流を促進する若い世代の華僑に焦点を当てた研究が今後の重要な課題となる。

著者関連情報
© 2025 公益社団法人 日本地理学会
前の記事 次の記事
feedback
Top