日本地理学会発表要旨集
2025年日本地理学会春季学術大会
セッションID: 607
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20世紀半ばの日本における野菜種子産地の全国的動向
*清水 克志
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抄録

Ⅰ はじめに

 近代日本の農業において,野菜産地の形成は重要な要素の一つであり,地理学においても多くの研究が蓄積されてきた.しかしながら,野菜生産の前提となる不可欠な条件である野菜種子の供給に関する研究の蓄積は乏しい現状にある.報告者はこれまで,当該期の種苗業者の史料の収集と分析を進め,いくつかの成果を発表してきた(清水2009,清水2014).

 ところで,終戦から間もない1950年前後に日本の野菜種子の生産機構に関する研究をまとめた石橋(1953)は,近代の日本では,①商業的な野菜生産が発達し,その派生需要として野菜採種業も長足の進歩を遂げたこと,②野菜種子の需要量の増加にともない,採種業の機構が高度な採種技術を持つ種子生産者と種子増殖農家に分化したことの2点を指摘している.そのうえで石橋は『世界農林業センサス1950 市町村別統計表』(以下,『センサス』)をもとに,千葉,福岡,愛知の3県の野菜種子産地を取り上げ,採種機構が産地によって異なることを指摘している.石橋の成果は,野菜種子産地に関する同時代的な分析として貴重であるが,3つの事例地域に限定されている点,採種品目への言及が少ない点が惜しまれる.

 以上を踏まえ本報告では,1950年の『センサス』を主たる分析対象とし,野菜品目ごとの違いにも留意しながら,20世紀半ば日本における野菜種子産地の全国的動向を把握することを目的とする.

Ⅱ 分析対象

 『センサス』における野菜採種に関するデータは,1950年には野菜12品目の採種農家数と採種面積が掲載されているが,1960年には,「野菜類」に一括され,それ以降は野菜採種に関する項目がなくなっている.実際に1950年には約7,600haあった野菜の採種面積は1960年には約1,800haとなり,10年間で4分の1以下に激減している.このことは,1950年代以前は日本国内での野菜採種業がさかんであったが,1960年代以降は固定種から交配種への移行の進展や採種地の海外への移動などにより,国内での野菜採種量が著しく減少したことを反映しているとみられる.当時の野菜採種業の特性として,副業的性格が強く生産規模が狭小である点が挙げられるが,『センサス』の統計単位がいわゆる昭和の大合併以前の旧町村となっていることは,小規模に散在する傾向が強い野菜採種業の分析には有効といえる.

Ⅲ 分析結果の概要

 ここでは,1950年における野菜品目ごとの採種地域の分布の概要を把握するために,旧町村別ではなく郡市(北海道は支庁)別の集計結果について例示する.ダイコンの採種面積(約3,000ha)は12品目中最大で,野菜類全体の4割近くを占める.採種面積が大きい郡市は福岡(三井・浮羽・朝倉),千葉(香取・印旛),愛知(東春日井・丹羽・渥美)の3県への集中が顕著で,それ以外では北海道(十勝),宮崎(北諸県・西諸県・小林市)などが特筆される.またゴボウの採種面積は全国で約210haであるが,採種面積が大きい郡市は北海道(空知),千葉(香取・山武・千葉市),茨城(東茨城・稲敷)への集中が顕著で,それ以外では愛媛(越智),埼玉(北足立),長野(下水内)などがある.

 これに対して,カブの採種面積は全国で約540haであるが,採種面積が大きい郡市は北海道(空知・石狩),福岡(三井・浮羽・朝倉・三潴)などに加え,新潟(西蒲原・佐渡・北蒲原)や長崎(南高来),埼玉(南埼玉・北葛飾)など3県以外の各地にも散在的である.

 当日の発表では,上述の郡市別の分布傾向を把握したうえで,詳細な町村別の分布を提示する予定である.

〔主要参考文献〕

・石橋俊治 1953. 蔬菜採種機構の研究. 農業技術研究所報告9: 21-70.

・清水克志 2009. 近代日本における野菜種子流通の展開とその特質.  歴史地理学 51-5:1-22.

・清水克志 2014. 浦戸諸島におけるハクサイ採種業の展開. 平岡昭利 ほか編『離島研究Ⅴ』153-168. 海青社.

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