日本地理学会発表要旨集
2025年日本地理学会春季学術大会
セッションID: 435
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松下竜一「環境権」思想の再考
*中島 弘二
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抄録

1970年代から1980年代初めにかけて,福岡県豊前市の海岸に建設が計画された九州電力豊前火力発電所の建設をめぐって,大分県中津市在住の作家松下竜一とその仲間によって激しい反対運動が展開された.本発表では,松下の著作と「環境権訴訟を進める会」の機関紙「草の根通信」の記事等の検討を通じて,松下らの「環境権」思想の意義を検討するとともに,同時代の水俣や沖縄における環境運動との接点についても検討を加えたい。

 九州電力が豊前火力発電所建設計画を発表した翌年の1972年4月には福岡・大分両県の地区労を主体とする「豊前火力誘致反対共闘会議」が組織され,6月には松下らが呼びかけ人となり第1回「周防灘開発問題研究集会」が開催された.また,同年7月には松下ら中津市在住の市民によって「中津の自然を守る会」が発足するなど1972年夏頃には豊前火力発電所反対の機運は豊前平野に一気に広まった.松下らは公害映画の地域上映会や市議会議員への陳情,一般市民に向けた家庭訪問やビラの配布,公害学習教室などの活動を展開した.しかし1973年2月には福岡県・豊前市が「豊前火力建設に伴う環境保全協定」を九州電力と調印するなど,発電所建設の手続きは着々と進められていった.そうした中で松下らの反対運動は「中津の自然を守る会」からも切り離され孤立し,多くの市民を巻き込むことはできなかった.そうした中で1973年8月「環境権訴訟をすすめる会」が「豊前火力発電所建設差止請求訴訟」を提訴し,環境権闘争の裁判が始まった.また,1974年6月からは豊前火力発電所着工阻止闘争が始まり,海岸や発電所正門前での座り込み、抗議集会、漁民による海上での阻止行動など非暴力直接行動も展開された.しかしながら,1979年8月福岡地裁小倉支部では上記訴訟に対し「審査の資格なし」として「却下」の判決が下され,控訴,上告と高裁,最高裁まで争われたが,いずれも敗訴となり,1982年1月に「環境権訴訟をすすめる会」も解散した.

環境権は,一般的には日本国憲法25条(生存権)と13条(幸福追求権)に基づいた法的概念と理解されているが,松下らの環境権はそうした法的権利の枠をこえるものであった.以下,その要点を3点にまとめた.

(1)「生活知」を通した環境の認識

 松下にとっての環境権とは潮干狩りや海水浴などの非産業的な自然との関わり(マイナーサブシステンス)を通じて構成されるものであり,そこに住む万人が共有する権利.

(2)「ナマ身の証言」の重要性 

「人は、あくまでもナマ身の存在なのだ」という事実に基づいて 松下らは法廷で弁護士に頼ることなく,自らの言葉(ときには方言)で,自らの生活に根差す心情そのものを表明し,科学や法律による<立証>を鋭く批判した.

(3)民主主義の問題                  

 漁協の代表者や組織による決定に対し,1人の農家のおじいさんの疑問にこたえることこそが民主主義であるとして,「衰弱した形式民主主義」への批判を展開した.

 松下らの環境権思想は,環境を産業基盤や経済的資源に還元する生産力主義に対する批判や,産業化されない環境の価値や意義への着目,人々と環境との日常的な関わりを「生存」や「生活」の次元において捉え直す視点,制度化・体系化された民主主義への批判と一人一人の経験へのまなざしなど,水俣病事件や金武湾闘争など同時代の他地域の環境運動とも一定の共通点を有していると考えられる.

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