Ⅰ.はじめに
グリーンランドにおける氷床コアの酸素同位体比変動曲線は,晩氷期以降に急激な温暖化と寒冷化が繰り返し生じ,後氷期における温暖な気候環境になったことを記録している1)。これまで最終氷期最盛期以降については花粉分析や木材化石,大型植物化石など多くの植物化石を用いた研究が行われ,日本各地で資料が蓄積されてきた。近年は放射性炭素年代測定や火山灰編年法の普及や高精度化によって,詳細な時系列に沿った古植生データが各地で報告される。これら古植生データの蓄積と比較が進むにつれ,古植生の水平分布が高精度に復元できるようなった。しかしながら,日本列島は標高3,000~2,000m級の山脈が南北に貫き,起伏に富んだ地形を作り出している。過去の植生をより詳細に把握するためには,従来の研究のような植生の水平分布だけでなく,各地における植生の垂直分布も詳細に復元する必要がある。近年では長野県中部高地でLGM以降の植生の垂直分布の復元が進められている4)。本発表では東日本における花粉分析や大型植物化石・木材化石などの既存の古植生データを整理し,晩氷期における植生の水平分布を紹介する。また,長野県広原湿原の花粉化石データを基にして,中部高地のLGM以降における植生の垂直分布の復元例,さらに種分布モデルと植物化石データを用いたLGMにおける森林限界の研究例について紹介したい。
Ⅱ.東日本の晩氷期における植生の水平分布
晩氷期前半における花粉分析,大型植物化石・木材化石6)によれば,東日本では,LGMの寒冷な気候環境下で分布範囲を広げた亜寒帯・亜高山帯針葉樹林が依然として優占していたと考えられる。標高1,000m以上の駒止湿原や尾瀬ヶ原では亜高山帯針葉樹だけでなく,より暖地に分布する落葉広葉樹の花粉化石が産出する。山岳部の花粉分析結果には,山麓部に広がる森林帯からの上昇・下降気流によって容易に花粉が運搬され,とくに森林植生が乏しい亜高山帯や偽高山帯ではこれらの花粉が著しく産出する。したがって,駒止湿原や尾瀬ヶ原の花粉組成には,低標高域の植生からの影響を強く反映していると考えられ,晩氷期前期における高標高域は高山帯であった可能性が高い。 晩氷期後半になると標高1,000m 以上では亜高山帯針葉樹の花粉化石が優占し,標高1,000m 以下ではカバノキ属の花粉化石が多産する。したがって,晩氷期後半の低標高域では,針広混交林が広がった。東北地方北部の八郎潟や春子谷地では冷温帯性落葉広葉樹が比較的に早い時期から増加を開始している。しがって,LGMにおいて落葉広葉樹のレフュージアが存在し,これらの小集団を核にして拡大した可能性が高い。
Ⅲ.長野県中部高地におけるLGM以降の垂直分布
長野県中部高地にある広原湿原の花粉分析に基づき,高木花粉の年間堆積量の変動から過去3万年間における植生の垂直分布を復元した。約30~20 ka cal BPの広原湿原の周辺では,樹木が生育しない非森林域の高山帯に位置していたと考えられる。この時期の中部高地における植生の垂直分布を推測すると,森林限界は少なくとも標高1,000~1,400mまで低下していたと推測できる。 約20~17 ka cal BPになると,晩氷期における温暖化の開始しに伴って,森林限界の高度は約20~17 ka cal BPから徐々に上昇を始めたことを示す。約17~13 ka cal BPには,森林限界は標高1,400m以上に達し,針広混交林が覆ったと推測される。約13~11 ka cal BPには,森林限界の高度が標高1,400m以下へと,一時的に低下したことを示している。これは北大西洋地域のヤンガー・ドリアス期に相当する再寒冷化イベントが原因と考えられる。その後,約11 ka cal BP以降には落葉広葉樹の花粉化石が多産することから,広原湿原周辺では落葉広葉樹林が覆ったと考えられる。
Ⅳ.LGMの東日本における森林限界の推定
植物化石データには地域的な制約があり,より広範囲の植生を復元するには化石データと分布モデルを併用とその活用が,今後の植生史研究における大きな課題の一つである。そこで,著者らは高山帯~亜高山帯上部に分布するコケスギランに着目し,日本およびユーラシア大陸東縁を範囲として,最大エントロピー法による種分布モデルを作成している。さらに,種分布モデルと古気候データ用いて,LGMにおけるコケスギランの分布範囲を推測するとともに,植物化石データと比較して東日本における森林限界の高度を推定している。その結果,LGMの森林限界は中部地方で標高1,000m以高,東北地方南部で標高600m以高,東北地方北部で標高300m以高に位置していた。北海道では寒帯とツンドラ帯と移行域として,標高0mに近い低地に森林限界が存在していた。