日本地理学会発表要旨集
2025年日本地理学会春季学術大会
セッションID: 432
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野生動物と人の関係における交雑問題とは
—広島県における特別天然記念物オオサンショウウの事例から—
*中原 愛
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抄録

Ⅰはじめに 

 生物多様性の損失が世界規模で進行する中、生態系の保全において、外来種およびそれらとの交雑が引き起こす生態系への影響が重大な課題として認識されつつある。日本では、「特定外来生物による生態系等に係る被害の防止に関する法律(外来生物法)」が2005年6月1日に施行され、農作物や人間社会に対して深刻な被害を及ぼす種を特定外来生物に指定し、防除が進められてきた。同法は2014年6月の改訂により、特定外来生物との交雑により新たに生じた交雑個体についても特定外来生物に指定することを可能とした。

 外来種および交雑問題への関心が高まる中、2024年7月には、チュウゴクオオサンショウウオ並びにニホンオオサンショウウオとの交雑個体が特定外来生物に指定された。特別天然記念物として文化財的価値が広く認知されていた本種が外来生物として指定されたことは、社会的にも大きな注目を集めた。

 「自然の地理学」の研究において、浅野・中島(2013)の指摘のように、人が自然と関わる時は個人の価値観や認識だけでなく社会が作った自然認識に従って働き方が行われる。外来種や交雑種の問題は、なにをもって外来・交雑・在来の線を引くか、その線は生物学的根拠のみを根拠として隔離・排除され、あるものは保護されるのか、その正当性はいかに定められるのかなど社会集団の価値観によって自然が意味づけられるであり、現在進行形で認識が定められつつある事象である。そこで、本研究では,広島県でのオオサンショウウオの保護および交雑種対策を事例として取り上げ、どのような関係者による、どのようなやり取りの上で、在来の二ホンオオサンショウウオの「望ましい」生息環境・存在の仕方が提示され、保護や防除の対応に至ったのかを明らかにする。

Ⅱ特別天然記念物オオサンショウウオの交雑問題 

 オオサンショウウオ科の生物は中国と日本に分布し、日本在来種のニホンオオサンショウウオ(Andrias japonicus)は1952年に「特別天然記念物」に指定された。戦後、食用として消費されていた事もあるが指定後は禁止されたために、1970年頃に中国からオオサンショウウオが輸入された。現在特定外来生物に指定されている交雑は、その時輸入されたチュウゴクオオサンショウウオ(Andrias davidianus)が飼育放棄や逸走を経て河川に定着したと考えられている。中国産の個体や交雑個体は行動が活発で成長速度が速く、繁殖面でニホンオオサンショウウオより優位性を持つため、交雑化が進行している。2005年に京都大学の松井氏によって初めて本種の交雑問題が発表されて指摘されて以降、日本各地で交雑個体が発見されている。広島県では2022年に初めて交雑個体が発見された。

Ⅲ広島県内のステイクホルダーの価値観

 本種の保護および防除に関する行政的対応について広島県においては、県の自然環境課と文化財課に加え、各市町村の文化財課が行政手続きの窓口となっている。また、研究および保全活動においては、広島市安佐動物公園、広島大学オオサンショウウオ保全対策プロジェクト研究センター、およびオオサンショウウオ生態保全教育文化研究所が関与している。

 2022年に交雑個体が発見され2024年に特定外来生物に指定される間、現場の研究者間では様々な葛藤が生まれていた。交雑を「雑種強勢」と生物の進化の現象として捉えるのか、万一在来種が絶滅した時に備えて可能な限り在来種の遺伝に近い交雑個体を残すべきなのか、交雑個体の殺処分方法や倫理性についてなど聞き取り調査からわかった関係者のオオサンショウウオへ向ける想いや価値観を整理し考察する。

Ⅳおわりに:保護と防除

 交雑問題は生物学の研究者の発見から始まり、文化財保護法や生物多様性基本法などの枠組みの中で、在来種の種の存続を守るという意味での「生物多様性の保全」を「正しい」こととしてきた。そのため、チュウゴクオオサンショウウオと交雑個体は特定外来生物に指定され、法に基づいた処理がなされることになった。その運用について愛護団体など異なる立場が表明されることが予想されるが、両生類の動物福祉に関する議論は未発展な状況である。本報告では広島県の事例のみを取り上げたが、府県による実施の仕方の差異も生じている。また、今回は交雑問題に限った議論を取り上げたが、人間と野生生物の関係を論じる視点は生物学的な生物多様性のみで判断されるものではなく、時にはより複雑な価値観のすり合わせが必要になる場合もある。人間と人間以外の生物との共存のためには、共存をめぐる価値がいかに生まれるのか、それがいかに正当性を獲得するのかについての研究や議論を深めていく必要がある。

淺野敏久・中島弘二(2013):自然の社会地理, ネイチャー・アンド・ソサエティ研究第5巻,p13~26

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