アジア経済
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書 評
書評:長縄宣博著 『イスラームのロシア――帝国・宗教・公共圏1905-1917――』
名古屋大学出版会2017年 ⅸ+ 326ページ+ 101ページ
塩崎 悠輝
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2018 年 59 巻 4 号 p. 96-99

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はじめに

本書は, 20世紀初頭の帝政ロシアにおいて,ムスリムが公共圏をつくりだして国家との交渉を行ってきた諸々の事例に関する歴史研究である。本書の著者は,研究の目的を「帝政ロシア末期の多宗教公認体制の下で,宗教共同体のあり方を決める権威が国家から公共圏へと部分的に移行した事態」(9ページ)をとらえることであるとしている。具体的な研究対象とされているのは,「帝政最後の十年間にヴォルガ・ウラル地域のムスリム社会に生じた変容」(7ページ)である。同地域のタタール人ムスリムによるタタール語の新聞や雑誌,パンフレット類,そしてロシア語による公的報告書や議事録,法令といった公文書が主な一次史料として用いられている。タタール語の一次史料は,主にモスクの指導者であるムッラー,宗務協議会(ムスリム行政を担う宗務管理局の現地機関)の議長であるムフティー,その他のムスリム知識人によって記されている。これらの一次史料をあわせて精査することで,帝政の論理とムスリムの論理が折衝される過程を描いている。

公共圏とは,ハーバーマスによって提唱された開かれた討議のための空間である。元々,18世紀以降の西ヨーロッパにおいて市民社会が形成されるのにともなって,世論を形成しうる様々な場が現れてきたことにより成立したとされている[Habermas 1989]。ムスリム社会における公共圏の研究は,近年活発に蓄積されてきており,いずれの研究も,近現代では世界各地のムスリム社会が公共圏とは無関係ではありえなかったことを示している[Eickelman and Anderson 1999; Reetz 2006]。それは,植民地統治下であれ,独立したムスリム国家であれ,ムスリムの社会集団が公権力とのあいだで利害を調整することを必要としていたからであり,そのために世論を形成する必要があったからである。

公共圏は,現実の社会においては,ハーバーマスが提唱した市民的公共圏の理念型そのままではありえない。現実の社会においては,それぞれの社会に適合した討議の場が設けられ,それぞれの社会において,メディアや公共機関(学校や宗教施設など)はそのあり方を異にしている。公共圏として設けられる討議の場や,公共の問題として討議されるべき事柄も,宗教によって設定されることは非常に多い。そして,多宗教社会においては,討議の空間も,討議されるべき公共の事柄も,宗教コミュニティによって異なる。公共圏において流通しうる言説は,必ずしも西ヨーロッパ的な市民的教養とはかぎらず,宗教が歴史的に蓄積してきた言説の資源に基づいていることもある。

著者も述べるように,公共圏において宗教はアイデンティティという意識には還元できない(10ページ)。学校や自治体についての利害は宗教に基づいて主張されるが,経済的利害の問題であるからといって宗教の問題でないとはいえない。イスラームを含め,宗教は人々が公共の場における権益を追求する動機となる。それは,本書で取り上げられたタタール語一次史料でも頻繁にみられるように,教義上の義務であるとされる場合もある。

本書の著者は,帝政ロシアの統治体制が多宗教を公認し,権利と義務を担う集団として,宗教コミュニティを代表する組織を統治構造に組み込んでいたととらえている。この統治体制を,著者は「宗派国家」と呼ぶ。類似の統治体制は,キリスト教徒やユダヤ教徒といった複数の宗教コミュニティ(ミッレト)の自治を認めたオスマン帝国(ミッレト制)やハプスブルグ帝国にもみられた。著者は,宗派国家である帝政ロシアの公権力と各宗教コミュニティの協議の場に公共圏を見出している。著者は,ムスリム社会におけるそれを「ムスリム公共圏」と呼ぶ。具体的には,ヴォルガ・ウラル地域のムスリム社会におけるマハッラ(ムスリムの地域共同体,ムスリム行政における「教区」),宗務協議会,地方自治体,タタール語の新聞や雑誌,そしてムスリムも組み込まれた国民軍,などがムスリム公共圏の空間とみなされ,そこでの討議の言説が研究対象となっている。

本書は,まず序章で先行研究と研究の方法について論じた後,第1章「帝政末期ヴォルガ・ウラル地域のムスリム社会」で帝政ロシア末期のムスリム行政とムスリム公共圏の概要を描いている。それ以降は,3部で構成されている。

第Ⅰ部「宗派国家とムスリム社会」は3章からなっている。各章の主題は,第2章が宗務協議会制度の改革論,第3章がマハッラの財政と自治,第4章がムスリム聖職者の管理と任免権問題である。これらの主題について論じることをとおして,1905年(「国家秩序の改良に関する詔書」発布による「宗教の自由」の保障)以降のロシアでいかにしてムスリム公共圏が形成されていったのかを描いている。宗教の自由は,ロシア帝国においてイスラームを公的な問題とすることを正当化する,とムスリム社会では受け止められた。この発想は,ムスリム社会が公権力との協議をとおして,イスラームの宗教行為や権益への承認,公的な援助を要求することを促した。イスラームが公的な問題になるとき,必ず,そもそも「誰が正しいイスラームについて語る権威があるのか」(11~12ページ)という問題が問われることになる。この問いをとおして,法学派やスーフィー教団の権威といったムスリム内部の基準ばかりでなく,国家が教義上の問題に介入することの是非もまた問われることになる。ムフティーやカーディー(イスラーム法廷の判事)といった公的役職を誰が任命するのか,何を任命の基準にするのか,という問題も起きる。同様の問題は,東南アジアやアフリカなどの植民地統治下にあった同時期のムスリム社会でもみられた。宗務協議会やマハッラは,ムスリムがこれらの問題を討議し,世論を形成する場となった。

第Ⅱ部「地方自治とムスリム社会」の2章(第5章・第6章)もまた,誰がイスラームの教義にかかわる決定をするのか,をめぐるムスリム社会内の討議が主題であり,2つのケースを扱っている。

第5章で扱っているケースは,イスラームの祭日を誰が決定するのかをめぐるカザン市の市会とタタール語新聞における論争である。古典的なイスラーム法学において,年2回のイードと呼ばれる祭日の日程をはじめとするヒジュラ暦の日付(カレンダー)を公布するのは統治者の責務である。植民地化によってムスリムの統治者がいなくなったムスリム社会では,誰が祭日を決定するのかについて論争が起きた。この問題をめぐり,ウラマーがいくつかの集団に分かれて対立するという事例が各地で起こった。祭日に関する問題は,とりわけインドネシアでは今日に至るまで複数の集団で見解の相違がみられる。

第6章で扱っているケースは,義務教育が普及していく過程で,マクタブ(モスクに付設された初等学校)と公立学校のいずれが公的支援を受けるべきかという論争,およびマクタブのカリキュラム改革をめぐる論争である。近代化に直面した世界各地のムスリム社会では,教育のあり方が共通して大きな課題となった。公教育が導入された社会では,カリキュラムも公的な問題となる。マクタブやマドラサのような伝統的イスラーム学習の場は,ウラマーの拠りどころであり,生計の手段でもあり,イスラーム学習を含むカリキュラムの改変や公権力の介入は,論争を引き起こすことになった。

第Ⅲ部「戦争とムスリム社会」は,宗派国家としての帝政ロシアで,戦争が,ムスリム公共圏が急拡大する契機となったことを2つの主題をとおして論じている。第7章の主題は,ロシア軍のムスリム兵士への対応,とくに従軍ムッラー(宗教指導者)の任命とムスリム聖職者の徴兵免除の問題である。また,第8章の主題は,銃後で募金活動などを通じて軍を支援する慈善協会組織の活動,そのなかでの女性の役割である。近代国家,とりわけ国民国家を志向する国家において,戦時体制の構築は,国民統合の絶好機となる。しかし,国民が動員され組織化される機会は,世論形成の空間が急速に活性化する機会ともなる。これは,公共圏が急拡大する契機ともなり,帝政ロシアの末期は,公共圏が急拡大し,結果としてムスリムの分離活動を含む国民の分断をもたらしたが,ともかくも,ムスリム公共圏もまた日露戦争から第一次世界大戦にかけて急拡大を続けた。

本書は,ロシア語の行政文書とタタール語の新聞・雑誌をあわせて依拠することで,帝政の論理とムスリムの論理が相対しながら,ムスリム公共圏を形成していった過程を見事に描き出している。ただし,本書では研究対象が限定されており,そのことによってムスリムにとっての公共圏と公的な言説への視点が限定されていることは留意されるべきであろう。すなわち,帝政ロシアの公権力とムスリム共同体が利害を調整する場が,本書の主な研究の対象とされているが,この空間は,ロシア革命直前の限られた政治状況の下で,限られた地域でのみ存在しえた。それが,ロシアのムスリム社会にあってロシア帝国の中核であるヨーロッパ・ロシア地域に含まれるヴォルガ・ウラル地域のタタール人社会である。本書では「ムスリム公共圏が存在したのは帝政最後の十年ほど」(303ページ)であったとされている。一方,カザフ草原とトルキスタンのムスリムは1907年に選挙権を剥奪されており,討議を通じた公権力との協議の機会は,タタール人ムスリムに比較すると限定的であった。本書の研究対象として,ヴォルガ・ウラル地域のタタール人ムスリム社会が研究対象として選ばれた理由は,おそらくは帝政ロシアにおいて最も公権力との調整の仕組みが発達していたムスリム社会であったからと考えられる。

同時に留意するべきなのは,ロシア国内において,ムスリムが公的な問題を討議し,世論を形成する空間は,本書で論じられた場以外にも存在した,ということである。ロシア帝政末期のタタール人ムスリム社会に関する先行研究の多くは,タタール語の言説が流通する空間としてのスーフィー教団を重要な研究対象としている[Kefeli 2014; Kemper1998]。スーフィー教団やモスク,マドラサといった,ムスリムのみの討議の場では,イスラームの法学や神学に基づく言説が流通する。そこでは礼拝のような宗教行為も公的な事柄でありうるし,ロシア国外の問題であっても同じムスリムの問題であれば公的な問題でありうる。イスラームの言説は,その論理が法学書や神学書,スーフィズムの文献,あるいはファトワー(教義についての質問への回答)といった古典的な言説から借用されている場合が非常に多い。イスラームはその知の蓄積をとおして,現代に至るまでムスリム社会に影響を及ぼしている。それは,近代国家の公権力に働きかけるために新聞や雑誌というメディアや議会,地方自治体といった公的機関を用いていた場合でもなおみられることである。

本書はスーフィー教団のようなムスリムのみの言説の空間についてはまったく研究の対象としておらず,研究の対象をあくまで帝政の論理とムスリムの論理が摺り合わされる空間に限定している。ロシア人を中核とする帝政の公権力とムスリム社会には,それぞれ別々の公共圏があるともいえる。あるいは,帝政ロシアにおいては,帝政の論理とムスリムの論理が調整される場こそが(ロシア帝国にとっての)公共圏であるともいえる。ムスリム内部だけの討議では,公権力との調整がなされないから,それは公共圏ではないともいえる。本書の著者は,タタール人ムスリムもまたカザフ人やトルキスタン人,コーカサスのムスリムと同様に,スーフィー教団をはじめとする独自の言説の空間をもっていたことには十分に自覚的であり,それらについての先行研究を参照している。研究対象の限定は必要であり,本書は限定された研究対象について,非常に卓越した研究である。それでも,しいていえば,イスラームの知に基づいたタタール語やアラビア語,ペルシア語の言説がどのようにムスリム公共圏の言説に影響していたのかをあわせて考察することで,ムスリム公共圏が形成されていった動機や意図がより解明されうるのではないかとも考えられる。

本書の各章は,著者により諸外国で発表されてきた英語とロシア語の論文が改良されたものである。近年の主要な先行研究をふまえたうえで,この分野をさらに発展させる貢献となる研究である,という意味で,国際的な水準を満たす研究である。本書の貢献は,帝政ロシアにおけるムスリム行政の実態解明を進展させるものであるが,それにとどまらず,より広範な意義をもっている。ひとつには,ロシアを事例とした宗派国家におけるムスリム公共圏の研究への貢献であり,さらには現在の世界各地でみられる多宗教共存社会についての研究への貢献ともなる。宗派国家は,けして過去の遺物ではなく,イランやレバノンのような中東諸国,あるいは中国やタイといった東アジアでも多宗派を公認する体制は現存しており,そこでは独自のムスリム公共圏が形成されている。今日のロシアもまた多宗派を公認する体制であり,本書で論じられた主題は,現代のロシアにおけるムスリム社会と公権力の関係のあり方にも直結している。今後,多宗教が共存する社会のあり方について研究されるうえで,ムスリム公共圏研究のさらなる発展が求められると予想される。その際,ロシアを含む多宗教公認体制下でのムスリム公共圏の比較研究が重要であると考えられる。本書はそのための基礎となりうる重要な事例研究でもある。

文献リスト
  • Eickelman, D. F. and J. W. Anderson eds. 1999. New Media in the Muslim World: The Emerging Public Sphere. Bloomington: Indiana University Press.
  • Habermas, Jürgen 1989. The Structural Transformation of the Public Sphere: An Inquiry into a Category of Bourgeois Society. Translated by Thomas Burger, Cambridge: Polity Press.
  • Kefeli, Agnès Nilüfer 2014. Becoming Muslim in Imperial Russia: Conversion, Apostasy, and Literacy. Ithaca: Cornell University Press.
  • Kemper, Michael 1998. Sufis und Gelehrte in Tatarien und Baschkirien,1789-1889. Der Islamische Diskurs unter Russischer Herrschaft. Berlin: Klaus Schwarz Verlag.
  • Reetz, Dietrich 2006. Islam in the Public Sphere: Religious Groups in India 1900-1947. New Delhi: Oxford University Press.
 
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