アジア経済
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書評
書評:山田七絵著『現代中国の農村発展と資源管理――村による集団所有と経営――』
東京大学出版会 2020年 ⅴ+204+2ページ
加治佐 敬
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2020 年 61 巻 3 号 p. 105-108

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Ⅰ 問題の所在と書評の視座

アジア農業の特徴のひとつは,その極小ともいえる経営面積の零細性である。国土としては広大である中国でもこの点に関しては例外ではなく,むしろどの国よりも深刻とさえいえる。順調な経済発展を遂げ,農村と都市の間の所得格差が深刻化している中国にとってこの問題は重要だ。非農業部門に対して農業の比較劣位化が進む際に起こる「農業調整問題」が顕在化するなかで,農家の所得上昇のためには,経営面積の大規模化と大型機械化により労働生産性を上昇させるという戦略が問題解決の主要な手段のひとつだからである。その一方で,現実問題としては,農地というきわめて特殊な財が市場で活発に取引されることは難しいと思われており,結果,大規模化が容易に進まず,食糧の一大消費国である中国で農業生産が停滞することが心配されている。

このような懸念が喧伝されている中国において,しかし,現実には2000年代初め頃より大規模化が進み始めているようだ。Huang and Ding[2015]によると低下傾向にあった平均耕作地面積は2003年の0.57ヘクタールを底に上昇に転じ,2013年には0.78ヘクタールに上昇している。さらに評者の参加した同著者による最近のセミナー報告によると,2015年には約1ヘクタールにまで上昇している(注1)

中国の農業が土地市場という点において大きな変革をみせているようだ。中国ではいったいどのようなメカニズムで大規模化が開始されているのだろうか。より具体的には,どのような制度のもとで,どのようなインセンティブを受け,その結果どのように個人が,村が,企業が行動し,今日の流れを作っているのであろうか。そのメカニズムは中国固有のもので,農地の大規模化を目指す他の国がまねできないものなのであろうか,それとも示唆に富むものであろうか。私たちの目の前で起きている変化に興味は尽きない。

本書は,著者の地道な現地調査に基づき,上記の疑問にさまざまな角度から光を当ててくれる示唆に富んだ研究成果である。本書の目的をまず明確にしておこう。中国は「三農問題」(農業生産性の低迷,農村と都市の社会資本格差,農村住民と都市住民の所得格差)の深刻化を背景に,2004年頃から「『税費改革』と呼ばれる農民負担の削減を行い,農業・農村保護政策へと大きく転換し,大量の公的資金が農村に投入されるようになった」(2ページ)。また多くの市場志向的な制度改革も実行され,そのなかで村による村の資源管理のあり方も変容を遂げてきた。本書の目的は「村による資源管理システムに着目し,ポスト税費改革期の農村発展のなかで果たしている役割を評価すること」(3~4ページ)とある。評者は,中国の専門家ではないが村共同体に興味があるので,この本に対しては「経済発展における共同体・国家・市場の役割分担」という視座から評価を試みたい。

Ⅱ 本書の概要

第1章は,中国の現代の村の特徴を整理する。そこでは,歴史的背景や制度的な特徴に加え,それらを踏まえたうえで村共同体の資源管理における機能と強み,さらには資源管理の成否を決める基準や条件が解説される。

第2章は,「三農問題」を背景に,政府が農業・農村保護政策へ転換する過程を概観し,そのもとで実施された各種の保護的介入(公共投資の増加や参加型開発の推進)や制度改革(土地,社会保障,集落の再整備に係る制度)が解説される。

第3章は,社会経済構造が大きく異なる北部と南部(華北平原と長江デルタ)の2地域で村による資源管理のあり方を比較し,それぞれの地域に適した管理方法が選択されている様子とその背後にある要因が明らかにされる。

第4章は,中国において社会主義の根幹として変えることのできない制度,すなわち土地の所有者は(個人ではなく)村であるという集団所有制が,最近の市場経済化と個人営農の進展に伴ってその制度的矛盾が顕在化してきた背景,そしてその矛盾に対処するために導入されてきた制度改革が解説される。著者は諸制度のなかでも「土地株式合作制」に注目し,事例が紹介され,その評価としては終章で指摘されるように,今後長期的に定着していく組織であろうと位置づけられる。ちなみに「土地株式合作制」とは,個々の農家の「農地の収益権を株式化して合作社や企業等に出資する」[池上 2015]制度で,「農地転用の正式なルート(国家徴用:転用する農地をいったん国有地とする手続きのこと)を迂回する手段として,1990年代初頭に広東省で考案され,その後各地に普及した組織である」[伊藤 2015]。

第5章は,近年の農地の流動化の進展を受け,その受け皿として発展してきている大規模営農の集団である「農民専業合作社」を取り上げ,その新しい営農形態の普及のなかで,村とその他の経済主体がどのような役割を果たしているのかを明らかにしている。ちなみに,前出の「土地株式合作社」と「農業専業合作社」は中国を専門としない読者にとっては紛らわしい名前だが,本書の説明から評者が理解した範囲では,「土地株式合作社」が農地の貸し出し側であるのに対して,「農業専業合作社」は,受け手側,すなわち土地を使い営農を行う集団組織である。他の受け手としては,個人農家や企業がある。

第6章は,経済発展から取り残された西北部の内陸地域における村共同体による資源管理を分析する。この章では,経済機会が多い村と少ない村が比較されるが,どちらの村においても与えられた条件のもとで地域経済の振興や社会保障などの目標に取り組んでいることが明らかになる。

終章は,各章からの全体への含意をまとめ,序章で示された中国の村に対する悲観論に対し,村をより積極的に評価する著者の主張が展開される。そして,残された課題を指摘し終わる。

Ⅲ 主要コメント

以下,評者の視座でコメントを2点述べたい。

第1に,評者にとって一番興味深かった点は,農地の取引において村共同体と市場の間で中国的な役割分担が実現され,農地の流動化・大規模化に貢献しているという点である。人民公社解体後,農地の利用は計画(集団による計画営農)から市場(個人のインセンティブに基づく営農)へと移った。そのような状況下で,もし農家が各自の判断で自由に土地の貸借を行うことができるのであれば,個々の判断はバラバラになる可能性があり,全体的な大規模化,とくに連続した農地としての大規模化である団地化が起こるとは限らない。加えて,このような状況下で,非農業用地への転用期待などがあれば,それを見越した農家個人が容易に土地を貸し出さず,大型化はさらに難しくなる。

しかし,中国の場合,土地の所有権は村のままである。農地の活用は究極的には村が決める。さらに中国には農地の「割替」の経験がある。「割替」とは,平等主義に基づいて農家間の土地の再分配を定期的に行う制度である。一般的には「割替」のような制度のもとでは,特定の土地に対する個人的な執着は薄いと思われる。よって,村所有という制度と「割替」の経験のもとでは,個々の圃場が私有である場合に比べて,村が中心となり農地の集約を実行しやすいのは必然となろう。

現在の中国では,利用に関しては市場的で個々の農家の意思決定のもとにあるが,その一方で,個々の農家の上部を村共同体の原理が強力に覆っており,集団的な利用が可能となっているのだろう。それをスムーズに行いやすくしている制度が,土地の貸し出し側の制度としての「株式合作制」や借り手側の制度としての「農民専業合作社」といえよう。著者の村の機能に対する評価は終章の次の印象的な一言に要約されていると思われる。「中国の村は,動かしがたい集団所有制という前提を逆手にとって,私有制を採用している国々では乗り越えがたい問題にも迅速かつ柔軟に対処しているようにもみえる」(169ページ)。

本書のこのような指摘から,評者は,本書からの含意として,村の資源の効率的活用には市場と共同体の組み合わせによる管理という手法が有効な解のひとつになり得るのではないかという感想をもった。たとえば,日本にも灌漑において集団の意思を反映させる共同体的制度がある。ひとつの具体例が土地改良区である。ここでは,メンバーの3分の2の同意で土地改良の実施と料金の強制徴収が可能となるため,集団の意思として土地改良の工事を断行することはできる。しかしその効力の範囲は限られ,個々の農家の土地利用や貸借までもコントロールはできないので,土地の集積を直接的に促進させる制度としては機能しない(注2)。これに比べれば中国の制度はより強力だと思われる。

農地以外の資源の維持管理についても知見が蓄積されつつある。そのひとつに森林がある。森林管理のあり方に関しては,その管理主体としては,3つの形態,すなわち私有,国有,もしくは共同体のいずれが望ましいかという三者択一を前提とした議論であった。しかし,最近の事例研究では,市場と共同体のハイブリッドが良いのではないかという案が出てきている。具体的には,森全体に対しての盗伐の監視は共同体,個々の樹木の管理とそこからの利益は個人という組み合わせである[Otsuka, Takahashi and Pokharel 2015]。

集団所有による意思決定にはこのようなポテンシャルがある一方で,困難な課題もあるだろう。集団による決定を可能にすれば,その決定に反対する少数派の人たちをどう扱うかという問題は避けて通れない。本書で扱われた事例では,村のなかでの補償や分配は話し合いによって折り合いが付き,その点はあまり問題になっていないようだ。つまり,経済学でいうところの「補償原理」が補償の実現を含め実施され,うまく機能しているようである(注3)。どのようにしてそれが可能となっているのか,失敗例との比較も含めもっと掘り下げて議論してもよかったと思われる。

第2点目のコメントであるが,北部と南部では異なる制度選択のもとに資源が管理されている点が興味深い。北部では人工的制度である行政村が資源管理を主導する一方で,南部では村民小組(評者の理解では自然村に準ずる)による分散的管理がなされていた。本書によれば,その違いを生む最も大きな理由が,北部の調査村は移民村を起源とし規模が比較的大きく雑姓村が多い一方で,南部の調査村は宗族から構成される単姓村が多いという点のようだ。北部では,行政村が自然村的な共同体の空白を埋め,必要な役割を果たしているようだ。所与の社会経済構造のもとで,必要な制度が採用・活用され,資源を管理しているといえないだろうか。

その意味でも,南部のある地域の失敗例が興味深い。そこでは,住民の意思とは無関係にその当時ブームとなっていた制度が政治的に上から導入されたが,農民小組の制度との齟齬からうまく機能しなかった(76ページ)。また,第5章や第6章の事例でも,それぞれの村が自ら制度選択を行っている場合には機能しているようである。本書全体からは,それぞれの地域において,共同体に合理的な選択をまかせる態度が重要だという含意が浮かんでくる。

ところで,本書では北部と南部の比較という枠組みで3章の分析が行われているが,村の設立の経緯や規模が違いを生む理由として焦点を当てられている。しかし,それ以外にも触れるべき重要な要因があるのではなかろうか。せっかく北部と南部を比較しているので,生態系の違い,すなわち畑作中心で個人主義的といわれている北部と稲作中心で共同体的といわれている南部という違いが共同体の構造に,ひいては制度選択にどう影響したのかの分析もあるとより議論が深まったのではないだろうか。

Ⅳ その他のコメント

以下3点コメントを述べたい。第1に,制度の重要性に関する著者の認識に対して。中国では主要な資源管理制度として「株式合作制」と二者間の委託があり,著者は「長期的には多くの地域でこの二つの類型に集約されていくであろう」(168ページ)としている。しかし,土地の貸出制度としての「土地株式合作社」は2017年で5.8パーセントと今のところかなりマイナーな存在のようだ。その変化も,2011年で5.6パーセント,2014年で6.7パーセントなので伸びてもいない(112ページ,表5-1)。主流は個人間の相対取引である。「土地株式合作社」は興味深い制度であり,それを分析すること自体を否定するつもりはないが,主流である二者間委託取引との比較を行えばもっと議論が深まったのではないか。

第2に,本書の事例研究が成功例の紹介という点である。失敗例との比較もあると(たとえば,主要コメントの2点目で触れたような失敗例),どのような条件でどのような制度の組み合わせがうまくいくのかがより明確になると思われる。

第3に,農地の受け入れ側として「農民専業合作社」の割合が伸びてきている点に関して。本書の説明によればこの組織は,多くの場合「村の有力者」をリーダーとし(115ページ)「労働力の組織化」(166ページ)を行う「協同組合と,いう組織の性質」(114ページ)をもち,生産に関しては,一般的な協同組合が行う販売・購入・農作業委託代行などのサービスの提供のみならず,この組織が直接営農を行う(115ページ)ことも含まれるようである。直接営農を行う場合,このような集団経営的な性質をもつ組織が,労働者の「ただ乗り」を抑制し順調に生産を伸ばしている要因は何であろうか。もちろん,かつての「人民公社」のような集団経営とは大きく異なるのであろうが,「農民専業合作社」という組織の構造が本書の解説だけからでは判然としなかった。関連して,農民専業合作社と個人の農家(とくに大規模専業農家)の違いも気になった。主要な組織の比較という視点があると議論が深まったと思われる。また,組織や制度の説明のみならず,そのもとで個々の農家がどう行動したかというミクロ的な分析があるとメカニズムの理解が深まったと思われる。

Ⅴ おわりに

本書において南部と北部,また異なる資源賦存の村を比較して明らかにされたことのひとつは,村共同体はそれぞれの状況に合わせて最適な制度の組み合わせを選択,採用し村の資源を活用しているということであろう。そして効率的な資源利用のみならず村独自の福利厚生サービスの提供を行うこと,つまり公平性の達成にも成功している。このような状況に対し,著者の中国の村に対する評価は「悲観論を超えて」と表現は控えめだが,実際は大きな可能性を見て取っているに違いない。

以上からの含意は,村や個人が組み合わせることができる制度の選択肢を増やせば(もしくは狭めるようなことをしなければ),それぞれの地域で自分たちにとって最適な市場と村共同体の制度の組み合わせが選ばれるのではないかという点であろう。ここに,国家の役割として制度の選択肢を広げるという点を見出すことが可能かもしれない。実際,著者が注目する「土地株式合作制」は地方で発生したものを政府が採用,全国化したものである。

本を読む際に著者の思惑を超えた深読みは避けるべきであろうが,本書にはこのように自らの考えを深めるヒントが事例のなかにちりばめられている。本書は,中国を専門とする研究者はもちろんのこと,制度,市場,資源管理,共同体といったトピックに関心のある研究者であれば,中国を専門としない読者にとっても得るものは大きいであろう。

(注1)  ここで使われている統計は,非農業就業人口を除いた調整済み農村人口における平均耕作地農地面積である。

(注2)  ただし,間接的効果はある。土地改良のひとつである圃場整備を通して,圃場の整形や標準化が進み,圃場の質に対する情報の非対称性が解消されることで土地の取引,ひいては大型化を促進する可能性がある[有本・中嶋 2010]。

(注3)  経済学の「補償原理」とは,政策介入による効率性改善が社会の総余剰を増加するのであれば,介入によって負の便益を被る人たちがいたとしても,(他の人たちの便益を下げることなく)負の便益を被る人たちを補償することが可能なので介入すべきという原則であるが,補償の実現は仮設的で,実際に補償をするかどうかは問題としない。

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© 2020 日本貿易振興機構アジア経済研究所
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