アジア経済
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書評
書評:竹田敏之著『現代アラビア語の発展とアラブ文化の新時代――湾岸諸国・エジプトからモーリタニアまで――』
ナカニシヤ出版 2019年 v+366ページ
渡邊 祥子
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2020 年 61 巻 3 号 p. 114-118

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本書は,アラブ世界をアラビア語が話され,書かれ,運用されている言語空間と理解したうえで,近現代においてアラビア語がどのように定義され,時代の影響をこうむりつつ,標準化の努力や新語創造などの革新を経験してきたかについて,アラビア語文法学や言語社会学の観点から分析した研究書である。著者はアラビア語文法やアラビア語学習に関する著書も多数あるアラビア語学の専門家であるが,本書の射程は言語学のみならず,アラブ・ナショナリズム研究,フォークロアも含む中東・北アフリカの地域文化研究,メディア論,教育論など多岐にわたっている。

アラビア語は,今日も用いられている現代語でありつつ,アラブ諸国間で国境を越えた標準化の努力がなされ,エジプト方言,シリア方言などの各国方言が国語(ラング・ナシオナル)に昇格することがなかった事実により,一国家・一言語原則による国語モデルが当てはまらないという特徴をもっている(5~6ページ)。加えて,スペイン語世界などと比べて強い民族意識(汎アラブ・ナショナリズム)に裏打ちされてきた点でも,特異な言語である(4ページ)。本書が関心をもつのは,この独自性が形成された歴史的過程である。おそらく本書を手に取る読者には,言語としてのアラビア語に関心のある者と,アラブ世界の社会や文化に関心のある者とが含まれるであろう。評者の関心は後者である。以下では,本書の内容を紹介したのち(I),おもにアラブ・ナショナリズム史,言語社会学の観点からの本書の意義について論じる(II)。

Ⅰ 本書の内容

冒頭の序章と第1章で著者は,アラブ世界論を,アラブの共同体(ウンマ)が前近代から連綿と存在するとするウンマ形成論,アラビア語を話す者がアラブ人であると規定した1940年代以降の近代的な文化的アラブ性論,アラビア語を公用語や国語とする国々(=アラブ諸国)の総和がアラブ世界であると定義する総和論に分類,整理する。そのうえで,それぞれの議論が,アラブ世界を定義する最大の要素としてのアラビア語に言及しつつ,「アラビア語とは何か」という重要な問いに対しては,本質主義的な理解しか示してこなかったことを指摘する。

他方,言語学研究の文脈では,アメリカの言語学者チャールズ・ファーガソン(1921~1998年)の提案した高変種(文語)/低変種(口語)の区別とダイグロシア(二言語変種併用)論が1960年代以降定着し,各地域のアラビア語方言(口語)への関心が深まってきたことが述べられる。しかしながら,ダイグロシア論の弊害として,欧米研究者が用いる「近代標準アラビア語」(Modern Standard Arabic)の概念は,標準語であり,現代語であり,かつ文語であるような言語を指すものであり,話される言語も含むアラブの共通語としての「フスハー」(標準語)という,重要な土着の概念が看過されている。そこで著者は,口語も含む,アラブ世界で標準化された現代語を示すものとして「現代標準語」の概念を提唱し,その成立を通時的に明らかにすることを本書の課題として設定する。この「現代標準語」は,表題にもなっている「現代アラビア語」の一部である。

著者はアラビア語の現代標準語の成立史を整理し,その発展を議論するために,以下のような時代区分を導入する。(1)「ナフダ期」と呼ばれるアラブ文芸復興期(19~20世紀初頭),(2)オスマン朝の崩壊とアラブ諸国の国家的独立期(1920年代),(3)1945年のアラブ連盟成立を含むアラブ・ナショナリズムの形成期(1940年代),(4)ナセル主義に代表されるアラブ統一の試行期(1950~1960年代),(5)アラブ統一路線の衰退と国家主義,イスラーム復興主義の台頭期(1970年代以降)。本書の特徴は,このような政治社会的な趨勢と,現代アラビア語の言語学上の発展とが,緊密に関連付けられつつ議論される点である。

続く第2章では,オスマン帝国における言語状況と,帝国崩壊とアラブ諸国の独立によってもたらされた変化が通時的に概観される。多言語帝国であったオスマン帝国には,国民共通の言語という意味での「国語」は存在せず,さらにアラビア語はアラブ人一般にとっての民族語ではなく,イスラームの教養語であった。オスマン帝国の崩壊後,旧帝国域内が個々の国民国家として再編成されていく過程で,共和政トルコはトルコ語を国語とする国民国家の道を歩んでいき,その他の地域では,アラビア語を公用語ないし国語として採用する国々が生まれた。しかしながら,アラブ諸国においてはトルコ共和国の採用した一国家・一言語原則の代わりに,国境を越えたアラブ意識の再定義と伝播がみられた。

第3章からは,いよいよ現代アラビア語の言語学的な発展の分析に入る。第3章は,アラビア語文法学の現代化を,「イウラーブ」(語末母音の変化)にまつわる論争を中心に論じる。イウラーブは,アラビア語の文章の意味を決定付ける要素として,前近代のアラビア語文法学のなかで非常に重要な部分を占めてきた。しかしながら,近代に入るとこのような古典的な文法学はアラブ知識人の批判を受けるようになり,廃止論も現れた。文法学者たちや,カイロのアラビア語アカデミー(後述)の努力により,イウラーブは再定義され,文末の母音の読み方(文末スクーン)も,簡略化されていくことになった。これらの背景には,文法理論上の解釈よりも,大衆の教育を通じたリテラシー向上が20世紀以降のアラブ諸国の優先的課題となったことがあった。

第4章は,エジプトを事例に,大衆にとって読み書き可能な「国語」としてのアラビア語がどのようにして形成されたのかを,同国のアラビア語文法改革の分析を通じて解明する。エジプトの文法学者イブラーヒーム・ムスタファー(1888~1962年)は,1937年の著作『文法学の復活』を通じ,形式より意味や機能を重視した新しい文法学を提唱した。1938年にはアラビア語文法の簡略化に関する文部省委員会が設置され,大衆に普及可能な標準語(フスハー)の構築が目指された。一部の知識人のみに独占されていたアラビア語文法学を一般に開かれたものとすべく,新たな方法論に基づく教科書や国定文法の制定が行われた。

第5章は,アラビア語の現代正書法の成立過程を取り上げつつ,国境を越えたアラブ世界共通の現代標準語の形成を,カイロのアラビア語アカデミーやアラブ連盟の役割に注目しながら論じる。アラビア語アカデミーは,1932年にエジプトに設立された,アラビア語の標準化に関する機関であるが,この機関の決定や議論の影響力はエジプト一国のみならず,他のアラブ諸国にも及んでいた。エジプトが20世紀アラブ世界の重要な知の結節点となった背景には,1821年のブーラーク印刷所の設立以来,アラビア語活字文化の中心地としての同地の役割があった。1940年代のアラビア語アカデミーは,アラビア語の文字改革を公募によって議論するという大胆な試みを行った。エジプト国内外から多くの提案が集まり,そのなかには,アラビア文字を捨ててラテン文字化を行うべきであるという主張まで存在した。古典的な正書法における表記(とくにハムザ記号のそれ)の不統一の問題については,1960年のアラビア語アカデミーの指針によって定式化され,この方式が現在に至るまでアラブ世界で広く標準とされている。

続く第6章では,近代学術用語など,外部文化に由来する単語や表現がアラビア語においてどのように扱われてきたかを論じる。前近代のアラビア語の辞書編纂等においては,8世紀までの古典時代を純粋なアラビア語が用いられていた「例証の時代」とし,非アラブ人による新しい語彙が持ち込まれたこれ以降の時代と明確に区別するという強い規範意識が存在していた。ところが,近代以降では,より後世の著作もアラビア語辞書に登場することになった。専門用語のアラビア語訳については,アラビア語アカデミーが理論的整理と規則化を行った。

第7章以降は,著者のフィールドワークに基づく,現代アラビア語とアラブ世界の新しい発展の描写である。第7章では西アフリカのモーリタニアにおけるアラブ知識人が取り上げられている。アラビア半島からみれば最も遠いアラブ世界の一地域でありながら,モーリタニアのアラビア語(ハッサーニーヤ語)は,中世のアラビア半島からの移民を起源としており,標準語(フスハー)に最も近い方言とされる。モーリタニアの知識人の優れたアラビア語能力と学識に対して,サウジアラビアなどでも注目が集まっている。

第8章は,湾岸GCC諸国を取り上げ,この地域における方言と標準語の特異な関係を指摘する。湾岸諸国では近年,国民意識の醸成のための伝統文化やフォークロアへの関心が急速に高まっている。湾岸諸国の口語研究の特徴は,自分たちの言語こそがアラブの元祖であるという言語意識や,湾岸方言のアラビア語としての正統性や純粋性の主張と強く結びついていることである。湾岸諸国は,潤沢なオイルマネーを背景に,校訂,出版,事典編纂などの大型事業を積極的に行い,アラブ諸国から優れた学者を集めることで,アラビア語研究の新たな中心地となりつつある。

最後の第9章では,インターネット時代におけるアラビア語の変容を,アル=ジャズィーラなどで話されるメディア・アラビア語や,若者を中心に普及したネット口語などを取り上げながら論述している。メディア・アラビア語は,新しい社会・政治現象を描写するための新しい語彙が次々と追加されていくことを特徴としている。また,ネットの若者言葉においては,口語を取り入れた表記が流布し,共有されている。若者言葉から始まって,書き言葉へと「昇格」した単語もあることにみるように,こうした新語創造やソーシャル・メディアのアラビア語は,標準語と方言を行き来しつつ変容するアラビア語のダイナミックな発展を示唆している。

Ⅱ 本書の意義

本書の主要な功績は,第1に,アラブ世界論やアラブ・ナショナリズム論の重大な欠落を指摘し,新たな観点からこれを克服しようと試みたことである。アラブ文化に関する現地および欧語の先行研究は,アラブ人やアラブ世界の概念を定義付ける要素としてアラビア語の使用があることを主張してきた一方で,「アラビア語」とは何かという問いについては無関心であり続けた。著者の指摘するとおり,アラビア語にはクルアーンのアラビア語(古典,文語)も含まれれば,アラブ政治家の演説や汎アラブ・メディアのアラビア語のように標準化された書き言葉および口語もあり,アラブ世界の各地で人々が日常的に用いる方言(基本的には口語だが,書かれることもある)もある。言語学的にアラビア語の変種とされる言語のなかには,マルタ語のようにその使用者によってアラビア語とはみなされていないものもある。こうした状況のなかで,何をアラビア語と定義し,アラビア語の多様性に対してどのようなスタンスを取るのかは,論者によって大きく違う。

たとえば,本書でも指摘されているが,各地の人々の話し言葉であるアラビア語方言への学問的関心を最初にもったのは,言語研究を通じてアラブ世界をよりよく掌握することを目指した欧米の学者たちであった。現地の知識人のなかには,方言は標準語の堕落し通俗化した姿であって,独立した言語として研究したり,教育に用いたりするに値しないと考える者も多い。評者のフィールドから例を引くならば,2015年のアルジェリアでは,当時教育大臣であった社会学者のヌーリーヤ・ベンガブリート(1952年生まれ)が,初等公教育にアルジェリア方言を導入することを提唱したところ,この提言が植民地主義の再来であり,標準アラビア語(フスハー)の使用を基礎とするアラブ世界の学校教育を破壊し,イスラームの言語であるアラビア語を冒涜するものであるとして,保守主義者やイスラーム主義者らの激しいバッシングを受けた[Ouchikh 2015]。こうした保守主義者にとっては,アルジェリア方言は「アラビア語ではない」のである。このように,何がアラビア語かという問題は,イデオロギー論争と簡単に結びつきやすかった。本書はこの問題に,現代アラビア語学の深い知識を援用しつつ,言語社会学的なアプローチから取り組んだ点で,意欲的かつ堅実な学問的試みといえる。

本書の第2の貢献は,これまでアラブ世界の言語・文化状況に関して支配的であった理解の限界を指摘し,アラビア語世界の豊かさを示すとともに,理論的刷新を試みたことである。たとえば,湾岸諸国の言語文化を論じた第8章によれば,湾岸諸国をアラブ遊牧民のルーツとみなすこの地域の人々は,彼らの日常話している方言を,標準語から派生した低変種というよりは,それ自体が正統的なアラビア語であると認識している(218ページ)。方言と標準語のこのような関係は,ファーガソンによるダイグロシア論の限界を示しているとする本書の指摘には,強い説得力がある。さらに,第9章で議論されているとおり,メディア・アラビア語やネット口語,若者言葉はアラビア語に新たな語彙を生み出し,語形変化などにみられる「アラビア語らしさ」を参照基準とするアカデミアや一般発話者による精査を受けて変化しつつ,結果として書き言葉や標準語にも影響を与えている。口語と文語,方言と標準語を往復するこのようなダイナミズムを捉えうる,新たな言語社会学の必要性は,著者の示唆するとおりである。

また,本書では中心的に触れられていないが,アラブ世界の文化アイデンティティを定式化した議論のひとつに,カウミーヤ(アラブ民族主義,国境を越えたアラブ人意識)とワタニーヤ(エジプトやシリアなど,個々の国民国家に対する帰属意識)は対立的関係にあるというものがある[Haim 1962, 39; Sharabi 1966, 95-96]。この議論の元になったのは,1950年代から1960年代のイラクやシリアのバアス党などを中心とする,個々の国民国家の利益よりも,アラブの大義と統一を優先すべきだとする政治的言説である[Baram 1983, 191; Wien 2017, 132]。このような政治的言説を実際のアラブ世界のアイデンティティのあり方を反映したものと捉えてしまうと,前述のダイグロシア論と同様の単純化に陥ってしまうことになる。アラブ・ナショナリズム論にとっても,本書の指摘する,方言と標準語の必ずしもヒエラルキー的ではない関係は,非常に重要な研究の対象となるであろう。

本書の方法論は,言語社会学的であるとともに,地域研究的である。すなわち,現代アラビア語の形成史を,通時的,国境横断的に,言語を取り巻く社会的・政治的趨勢と関連付けつつ論じている。あえて単純化すれば,現代標準アラビア語の発展史と社会・政治的趨勢に関する本書の理解は,以下のとおりとなるであろう。

  • (時代の趨勢):(アラビア語発展の方向性)
  • 19世紀末からのアラブ文芸復興期:アラブ活字文化,校訂技術の発展
  • 20世紀初頭の国民国家形成期:アラビア語の「国語」化,大衆普及の試み
  • 1940年代のアラブ・ナショナリズム思想・機構の発展:国境を越えた現代標準語形成の試み
  • 1950~1960年代のナセル主義の台頭とアラブの政治的統一:現代標準語の精緻化のための,国境を越えた議論とコンセンサス形成
  • 1970年代以降のアラブ・ナショナリズムの衰退とイスラーム主義の台頭:国家主義への回帰,古典アラビア語への回帰傾向

このような図式的な整理は,たとえば第5章では議論の整理のために非常に役に立っている。第5章によれば,ハムザ記号の表記などの正書法は,1960年のカイロのアラビア語アカデミーの指針によって初めて統一,整理され,この方式がアラブ諸国全土に広がった。しかし,アラビア語アカデミーは1980年に至って,1960年指針とは内容の異なるエジプト独自の方式を採択した。この顛末について,著者は,1960年と1980年における時代背景の違いが作用していたと解釈する。すなわち,シリアとエジプトの連合からなるアラブ連合共和国(1958~1961年)にみられたような,アラブの政治的統一が現実のものであった時代と,アラブ・ナショナリズムが後退し,エジプトがイスラエルとの和平(1979年)など,独自の路線を歩むようになった時代との違いである(146ページ)。このような,政治社会的文脈の変化に基づくアラビア語学の発展の再解釈は,地域研究の方法として意欲的なものといえる。本書の採用する時代区分自体も,中東・北アフリカ地域の政治文化史に基づくものであり,アラブ・ナショナリズムの発展史を踏まえれば,広く受け入れられる標準的な時代区分と考えてよいだろう。ただひとつ問題を指摘すれば,こうした図式化は,アラビア語学のある時期の傾向が,同じ時代の一般的な趨勢に対応していることを示すものにとどまっており,なぜ時代とともに変化が生じていったのか,その因果関係は議論されていない。たとえば,上述のアラビア語正書法をめぐるアラブ・アカデミーの1960年指針と1980年指針の内容の相違について,アラブ世界に普及していた前者が放棄されエジプト独自の指針である後者が制定されたのは,エジプト内外のアラビア語文法学,言語学におけるどのような議論の結果であったのか,疑問に思う読者もいよう。

また,人々のアラビア語とアラブ性への認識を規定しているもうひとつの重要な要素である,アラブ的なものと非アラブ的なものとの区別と,両者の歴史的な関係について,本書はあまり積極的に言及していない。このことにより,たとえば第7章で取り上げられたモーリタニア知識人の評価などは,アラブ中心主義的な見方に偏ってしまっているように思える。すなわち,本書も述べている通り,モーリタニアの国民は白人を原義とする「ビーダーン」と黒人を意味する「ズヌージュ」からなり,アラビア語の一派であるハッサーニーヤ語を母語とするのは前者である。モーリタニアにおけるビーダーンとズヌージュの関係性は,この地域の歴史的な奴隷制とも関わっており,一般的に前者が社会的支配集団,後者が被支配集団という関係であった。1960年に独立したモーリタニア国家は,アフリカ性よりも,アラブ性とイスラーム性を国家と国民のアイデンティティとして打ち出した。このことは,非アラブや非ムスリムの国民のアイデンティティ探求運動との間に軋轢を生んできており,モーリタニアの政治的不安定の要因のひとつにもなっている。こうしたことを考慮するとき,モーリタニアという地域でアラブ性の概念がもっている社会的な機能――すなわち,歴史的な支配集団の既存権力を正当化し,アフリカ人に対する文化的優越性を主張する根拠となってきた機能――に無批判なまま,モーリタニア人のアラブ人らしさについて議論するのは危険である。本書は,レバノン人ジャーナリストによる1960年の新聞記事『新生モーリタニアの今と昔:ブラックアフリカの中の白いアラブ』(210ページ)を,アラブ世界の文化的中心をなす東アラブ人の,モーリタニアのアラブ人同胞に対する親近感を示すものとして取り上げている。しかし,そのタイトルから垣間見える人種認識のなかに,アラブ文化の内包する非アラブへの抑圧的な思考がみえないだろうか。

ほかにも,第1章でアラビア語とアラブ・ナショナリズムが結びついていった背景として,同時代のユダヤ教徒たちがヘブライ語を国語として再興,近代化したことに触発されたことが述べられている(38ページ)。しかし,現代ヘブライ語がアラブ世界に与えた具体的な影響については,それ以上は論じられていない。同様に,第9章のネット口語に関する議論においても,ラテン文字を使用したアラビア語表記について興味深い記述がある。2000年代初頭の一時期に広まったアラビーズィー(アラビア文字の入力が技術的に困難だったこの時期の事情による,ラテン文字と数字によるアラビア語入力)に対して,湾岸のネットユーザーたちが,「英語かぶれ」はやめてアラビア文字を使うべきと批判した,というものである(254ページ)。こうした事例を掘り下げて,アラブ人の非アラブへの認識について,そして,アラブにとって他者(イスラエル,ヨーロッパ,アフリカなど)とは誰であり,他者の否定として定義されたアラブ性やアラビア語らしさとは何なのか,さらに議論を深めることもできたのではないか。近代ナショナリズムの形成は,それまで重層的で可変的であったアイデンティティの在り方を硬直化させ,排他的にしてしまった側面がある。アラブ・ナショナリズムが非アラブ的だとして排除してきたものと,アラブ世界との歴史的なつながりを再考することは,近代イデオロギーとしてのアラブ・ナショナリズムの限界を見極める作業となっただろう。

とはいえ,アラブ・ナショナリズムをこのような形で再考することは,アラビア語学をその主題に据えた本書の射程を超えるだろう。アラビア語の近代化という領域において,詳細な事例分析と時代区分による意欲的な図式化を行った本書の示唆するものは,中東・北アフリカの近代ナショナリズムに関心をもつ者にとって非常に大きいといえる。

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