アジア経済
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書評
書評:宮脇聡史著『フィリピン・カトリック教会の政治関与――国民を監督する「公共宗教」――』
大阪大学出版会 2019年 ⅳ+345ページ
木場 紗綾
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2020 年 61 巻 4 号 p. 68-72

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Ⅰ 本書のアプローチ

本書は,1986年の民主化政変に大きな役割を果たしたことで知られるフィリピンのカトリック教会の「社会関与」と「政治関与」の様態を,全世界のカトリック教会の変化の文脈を踏まえつつ,フィリピン地域研究の枠組みのなかで説明した研究である。フィリピン政治において,教会はどのような役割を果たしてきたのか。その起源はどこにあるのか。それが,本書を貫く問いである。本書を一読すれば,フィリピンのカトリック教会は「政治に関わるべきかどうか」ではなく「政治にどう関わるべきか」を常に探求してきたことがうかがえる。

カトリック教会による組織的な政治関与は,西欧,非西欧を問わず世界中にみられる。国民の間から「教会が社会改革に影響を果たしてほしい」との期待と,「教会は政治に干渉すべきではない」との声が同時多発的に上がるのも,決して近現代にのみ,あるいは,フィリピンのみにみられる事象ではないだろう。そして,「教会には政治的影響力があるが,それには限界もある」というような,表層的な理解もはびこっている。

カトリック教会と政治というのは,非常に間口の広い研究テーマといえよう。宗教人類学,宗教社会学,そして地域研究などの分野は,すでに豊かな先行研究が蓄積されてきた。依拠できる資料も豊富である。公開されている文書,教会指導者らの社会人口統計学的なデータ,そして民間調査機関が実施する宗教に対する国民意識調査,世論調査など,オープンソースだけでもかなりの量になる。そうしたデータを使って,量的調査や国際比較を行うことも可能である。問いの立て方は無数にあり,その気になればいくらでも調査が可能であるようにみえる。だからこそ,どのような問いを立て,どこを研究範囲として,どうアプローチすればよいのかを見極めることは難しいものと思われる。

本書は,研究対象をフィリピンのカトリック教会に絞り,教会を指導してきた司教層の議論の変遷を,膨大な量の一次資料からあぶりだすものである。教会の制度的枠組み,聖職者の社会的位置,政治・社会関与の土台となってきた「教会刷新ビジョン」の形成過程など,フィリピンのカトリック教会の基本的な特徴が公文書に基づいて説明される。また,植民地時代,第二次世界大戦後,1970~1980年代の民主化運動,そして1986年政変後の民主主義の定着期,といった時代区分に沿って,それぞれの時代における教会の政治的な動きも描かれる。同時に,周辺環境としての同時代のバチカンおよび世界のカトリック教会の動きもあわせて説明されている。

本書のハイライトは次の2点にあるといえよう。第1に,1970年代以降のフィリピンの社会変動を経て,1986年の民主化以降の時期に,司教層を中心に教会が政治関与と動員努力を深めていった過程と特徴を,公文書を中心とした言説分析によって分析する部分(第5章)である。第2に,「国民と教会の同時的刷新」という方針をもとに政治関与を深化させてきた教会の姿勢が,民主化後のフィリピン社会から俯瞰的にみればどのように評価されうるのかを描いた部分(第6章)である。

Ⅱ 本書の貢献

先行研究と比較した本書の最大の特徴は,「政治関与」を広く「政治・社会関与」としてとらえ,社会運動や政治過程における教会のプレゼンスを包括的に見直そうと試みている点にある。

フィリピンにおいては,教会にかぎらず,さまざまなアクターの社会関与と政治関与の線引きや定義づけをすることが困難である。

評者は数年前,首都圏パサイ市のカトリック教会の敷地内の集会所を訪れた。その一室では,小教区単位で有権者への啓発や投開票会場の監視を行うParish Pastoral Council for Responsible Voting(責任ある投票のための教区司祭評議会:PPCRV)という団体のボランティアである信徒らが,来たる投票日に向けてどのように買収(vote buying)を防止するかを話し合っていた。そしてその隣のホールでは,近隣の国立病院の医師と看護師による男児への一斉割礼手術が実施されていた。フィリピンにおいて10歳前後の男児の割礼は広く行われるが,そこには必ずしも宗教的意味合いはないはずである。教会の修道女らは,選挙監視の活動が行われている部屋と割礼手術が行われている部屋を交互にみやりながら,「教会は人々のために場所や機会を提供する」と述べた。

教会が社会にどこまで,どう関わるべきか,その選択がこのように,地域ごとにかなり属人的に行われているというのは,フィリピンにかぎらず,どの国にもみられる現象であろう。しかし,少なくともフィリピンのカトリック教会は,「社会にどう関わるべきか」という問いに積極的に向き合い,対外的な説明を試みてきたようにみえる。

この国では,国家と社会が絶えず交錯し,公私の境目が曖昧で,フォーマルとインフォーマルのグレーゾーンが広く,NGO活動と政治活動とが地続きである。そのようななか,外からみると曖昧にしかみえないカトリック教会を客観的にみつめ,一次資料を丹念に読み込みながら,印象論ではなく事実を忠実に描き出した本書の貢献は大きい。

Ⅲ 何が教会の政治関与を促すのか

すでに述べたように,本書の特徴は,フィリピンのカトリック教会の「政治関与」を広く「政治・社会関与」ととらえた点にある。フィリピンにおいては70年代以降,草の根の住民運動やNGOの活動が,教会の傘下で,あるいは教会活動とオーバーラップするような形で発展,併存してきた。そのため,フィリピン地域研究の文脈においては,こうした活動も「政治関与」の一部として理解するのが自然である。

ただ,本書の最大の課題は,主題でありタイトルにもなっている「政治関与」の定義が最後まで曖昧であり,かつ「政治関与」を促すメカニズムが実証的に解き明かされていないことであろう。本書を一読して評者が抱いた疑問は,結局のところ,フィリピンのカトリック教会の政治・社会関与は何によって引き起こされているのか,という点であった。著者は本書の冒頭で「なぜ近年カトリック教会が組織的に政治関与を強めているのか,そのことがもたらす政治社会的な意味は何か,といった問題に対して,十分な解明がなされているとは言いにくい」(13ページ)との問題意識を掲げつつも,この問いへの回答を避けているようにみえる。

本書は1980年代以降の20年を研究範囲とし,①バチカンおよび全世界のカトリック教会の動向,②フィリピンのカトリック教会の動態,③フィリピンにおける政治社会変動のダイナミズムの3点を並行して描いている。それらは,ストーリーとしては理解できるのだが,それらの因果関係が明確に解き明かされることはない。

もちろん,因果関係を証明することが本書の目的ではないのだろう。しかし,要諦はどこにあるのか。カトリック司教協議会(Catholic Bishops’ Conference of the Philippines:CBCP),あるいは司教らの政治関与を促す根本的な要素は何か。もう一歩踏み込んで議論してほしい。

小さな仮説は随所に示されているようにみえる。第2章では,CBCP司教層の出自や,司教と名士サークル,ビジネス界の連携について記述されており,それがあたかも司教らのエリート的あるいは中間層的な態度の遠因であるかのような印象を与える。しかし,本書は断定を避ける。

社会学あるいは政治学においては,個人あるいは特定のグループの「政治参加」を規定する要因に関する分析が世界中で試みられてきた。それらの研究において典型的に挙げられる独立変数には,出自世帯の収入や教育程度やエスニシティといった社会・人口統計学的な要素(socio-demographics),政治的有効性感覚やそもそもの政治への関心といった意欲(motivation),政治的価値観(political value),親戚に政治家がいるかどうか,新聞購読の有無,インターネットの使用頻度などの政治に触れる機会(opportunity structure),過去の政治行動(pastbehavior)などがある(注1)。質的研究にそこまで求めるべきではないのだが,せめて本書の仮説がどこに収斂していくのかを知りたいとの思いを禁じ得ない。

たとえば,本書では2001年に市民らがエストラダ大統領に辞任を迫った「EDSA2」と呼ばれる街頭集会に対するシン枢機卿およびCBCPの露骨な介入ぶりと,その「中間層的」な政治行動が,フィリピンのカトリック教会の特徴を表す事例として描かれている。これらは,司教ら自身が「中間層」であるという出自ゆえに起こったものなのか。あるいは,1986年の民主化運動を導いたという教会の自負(自負は,政治的有効性感覚の一部としてとらえることも可能であろう)から来ているのか。または,1972年の第2バチカン公会議以降の革新と並行して自国をゆすぶった民主化運動の嵐を経験してきたのだから,この程度の政治関与は当然であるとの「過去の政治行動」に由来しているのか。鍵となる主体は,CBCPのリーダーシップに位置する司教らなのか,枢機卿なのか。本書はこれらすべての要素を「ありうる仮説」として示唆しているのだが,結論は明確ではない。

本書に引用されている一次資料は,史実を客観的かつ雄弁に語り,フィリピンの政治社会の多面性を忠実に描きだす一方で,「なぜそうだったのか」をクリアカットに説明してはくれない。史料に沿って時代区分ごとに出来事を描き出す手法のためか,読者はバチカンおよび諸外国の動きとフィリピン国内の政治社会変動を見比べつつ,いったいどちらが先なのか後なのかという疑問を抱きながらページを繰ることになる。「卵が先か鶏が先か」がわからないままに時代が進み,出来事が延々と交錯しつづけているような印象を受ける。この分野に不案内な読者は,多少の読みにくさを感じるかもしれない。バチカン,世界,フィリピンの主要な出来事を概観できる年表などがあれば,より読者の助けになるようにも思われる。

Ⅳ 現代フィリピンにおける「公共」の発展的広がり

もう1つの課題は,副題にもなっている「公共宗教」の指し示す範囲,ひいては「公共」への理解が,ややステレオタイプではないかという点である。著者はこのように書く。

「そもそも『公共』という言葉は,特定の人たちの裏の意図を覆い隠して,善意で中立な装いですべての人々を代表するかのように濫用されやすい」(6ページ)。

この問題意識そのものが,カトリック教会が啓蒙的であり,その発想がしばしば,教会が寄り添うべき「民衆」の意識とかけ離れている,というステレオタイプに立脚してしまっているのではないか。

とくに気になるのは,2001年の「EDSA2」と,その3カ月後にエストラダ派の市民によって行われた「EDSA3」と呼ばれる街頭集会の描かれ方である。本書は著者が2006年に完成させた博士論文を土台にしているとはいえ,「EDSA3」以降のアロヨ政権の紆余曲折(2001~2010年),アキノ政権(2010~2016年),そしてドゥテルテ政権の発足(2016年)を経て成熟してきた市民社会の豊穣ぶりを過小評価しているのではないだろうか。

「EDSA3」から5年後の2006年には,マニラ首都圏のあるNGOが,従来,一枚岩であるかのようにみなされていた「貧しい民衆」のナラティブを書き換えようと,当時の参加者らの証言を収集するプロジェクトを実施し,彼らの多様性を描こうとした。2008年には,同プロジェクトに証言を寄せた首都圏のスラム住民自身が「当時はNGOに問われるままに私自身の物語を語ったが,実は,私たちは最底辺ではなかった。地方からやってきた,もっと貧しく,もっと別の政治的価値観を持つ人々もいた」として,集会に参加するためにセブからマニラにやってきて,交通費がないためにそのまま首都圏に残り,数カ月後,スラム住民らに看取られて亡くなった人々の存在を暴露した。

「EDSA2」と「EDSA3」を2つの対峙する物語と位置付ける見方は,少なくともアロヨ大統領の選挙不正が明るみに出て政治が流動化する2005年までのものであり,その後,これらのナラティブは重層的に塗り替えられてきた。貧富の格差どころか貧者の間の分断もが顕著であり,社会正義が達成されないままに,「公共宗教」であるカトリック教会が「民衆」にどう寄り添うべきかが幾度となく議論されてきたフィリピン社会の文脈のなかで,2つのEDSAの物語の「対峙」をこのように強調することは,すでに周回遅れの感がある。

教会を含むフィリピン市民社会は,さまざまなコンタクト・ゾーンを経験しながら,もっと柔軟に,「公共」を塗り替えてきたのではないだろうか。

本書に登場する民主活動家で,1974年に投獄された元司祭のエディシオ・デ・ラ・トーレ氏は,1993年のエッセイで次のように書いている。

「政治やエキュメニカル運動(注2)の世界では,『民衆』という言葉は,単に人間を意味する言葉としては使われない。それにはいろいろな意味がこめられ,また除外することもあり,『イデオロギー的に』使われている。(中略)保守であれ急進派であれ,政治家は誰の側に立つのかと問われれば,『民衆の側』に立つと答えるだろう」。

「われわれに必要なのはよりエキュメニカルな民衆理解である。つまり,部分的な路線の者も,単なる基本路線の者も,さらには意識的を持たない者までを含むようなものだ。(中略)西欧のリベラルな原則を借用したものではなく,民衆のアイデンティティや性のアイデンティティを考慮に入れれば,いま述べた必要性はもっと明確になるだろう。おそらく,そのような方向性をとることによって,アジアの多人種,多文化,多宗教という決まり文句を一歩超えることができるだろう」[デ・ラ・トーレ 1993]。

本書ではデ・ラ・トーレは「急進派」とされているが,同氏はエストラダ政権下で労働雇用技術教育技能教育庁(Technical Education and Skills Development Authority:TESDA)長官として閣僚入りした人物で,当時,農地改革大臣であった。故オラシオ・モラレスらと共にEDSA3の街頭集会をリードし,現在もさまざまなNGOに関わっている。

このように,教会での経験と,社会運動の経験と,そして政府での経験を有するような豊かな人材が市民社会に多数存在していることこそが,民主化以降のフィリピンの大きな特徴であり,魅力でもあるといえよう。

フィリピンにおいて「市民社会の上層部にいる教会やNGOの担い手は中間層であり,彼らは貧困層を理解できない」,「社会運動は,失敗から学ぶこともせず派閥争いばかりしている」といった言説が広く流布しているのは事実である。しかし,カトリック教会,そしてその内部にいる人々は,EDSA2以降の20年間,何も学んでこなかったのだろうか。

評者はそうは思わない。エストラダ政権,アロヨ政権,そしてアキノ政権で閣僚を経験し,政権交代後にふたたび「回転ドア」のように市民社会に戻ってきた人々は,たしかに変化を遂げているようにみえる。彼らは,「権威のある人々」の論理に触れ,「政権から締め出された」人々から恨みをぶつけられる体験をして,市民社会に復帰している。彼らの煩悶は公の文書には表れないが,彼らとフィールドを歩けば,さまざまな自嘲や自省の言葉が聞こえてくる。

同様のことが,教会関係者にもいえるのではないか。著者は本書のなかで,EDSA2を教会の「挫折」と表現している(第6章3節)。しかし,それをいちばん実感しているのは,内部にいる人々ではないのだろうか。本書に何度も「貧困地域での活動歴の長いイエズス会士で社会学者」として登場するキャロル神父は2001年のカトリック教会の「中間層的」な態度,寄り添うべきはずの大衆と乖離した意識を批判しているが,それはあくまでも,外側からの批判である。CBCPの内部にいる指導層の司教ら自身の自省や自己批判もあったはずではなかろうか。一次資料として収集するのは困難かもしれないが,そこに切り込むことが,地域研究の醍醐味ではないだろうか。フィリピノ語を講じ,フィールドワークを続ける著者には,今後そのような研究をぜひとも期待したい。

社会運動やNGOが絶えず分裂しているフィリピン社会において,CBCPやカトリック教会の内部にも多様性が生まれ続けていることは想像に難くない。分裂模様のその先を,ぜひ知りたいと思う。紆余曲折の社会運動を経た,教会を含むフィリピン市民社会には,無限の奥行きをもつ公共空間が広がっているように思われる。

(注1)  本書のテーマとは直接関係がないが,こうした方法論はたとえば,American Political Science Reviewに掲載されたAnoll[2018]Lindgren, Askarson and Persson[2019],あるいはGillham[2008]Lien[1994]といった論文で用いられている。

(注2)  キリスト教の教派を超えた結束を目指す運動,あるいは,より幅広く,キリスト教を含む諸宗教間の対話と協力を目指す運動。

文献リスト
  • デ・ラ・トーレ, エド 1993.「アジアの民衆運動」関西エキュメニカル・フォーラム実行委員会編訳『アジアのキリスト教の展望——都市農村宣教を中心として——』新教出版社.
  • Anoll, Allison P. 2018. “What Makes a Good Neighbor? Race, Place, and Norms of Political Participation.” American Political Science Review 112(3):494-508.
  • Gillham, Patrick F. 2008. “Participation in the Environmental Movement: Analysis of the European Union.” International Sociology 23(1):67-93.
  • Lien, Pei-te 1994. “Ethnicity and Political Participation: A Comparison between Asian and Mexican Americans.” Political Behavior 16(2):237-264.
  • Lindgren, Karl-Oskar, Sven Askarsson and Mikael Persson 2019. “Enhancing Electoral Equality: Can Education Compensate for Family Background Differences in Voting Participation?” American Political Science Review 113(1):108-122.
 
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