アジア経済
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書評
書評:金子芳樹・山田満・吉野文雄編著『「一帯一路」時代のASEAN――中国傾斜のなかで分裂・分断に向かうのか――』
明石書店 2020年 288 ページ
永田 伸吾
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2021 年 62 巻 2 号 p. 86-89

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Ⅰ 本書の目的と構成

東南アジア諸国連合(Association of Southeast Asian Nations:ASEAN)は,2019年6月の第34回首脳会議で,独自のインド太平洋構想である「インド太平洋に関するASEANアウトルック」(ASEAN Outlook on the Indo-Pacific: AOIP)を採択した。この背景には米中競争の激化にともない,地域秩序形成におけるASEANの「中心性」が喪失の危機にさらされているという認識があった。

本書は,このような時代状況下でのASEANの現状と展望について,中国の一大勢力圏構想である「一帯一路」を切り口に考察した,「21世紀アジア研究会」の最新研究成果である。各分野の研究者から構成される同研究会は,2005年・2011年・2014年にそれぞれの時代状況下でのASEANの現状と展望についての研究成果を上梓してきた。とくに2014年に上梓の『「米中対峙」時代のASEAN』[黒柳 2014](以下,前書)では,敵対関係だけではとらえられない複雑な米中関係を「米中対峙」と概念化することで,そのような時代状況下でのASEAN(諸国)の対外政策と2015年末のASEAN共同体設立に向けた域内の動きを包括的に分析した。

前書[黒柳 2014]において,米中競争は,「パワー・トランジション」や「ツキュディデスの罠」の文脈から,あくまでも長期の歴史的トレンドとして位置付けられていた。しかし,その後,2013年秋に習近平国家主席が発表した「シルクロード経済ベルト(一帯)」と「21世紀海上シルクロード(一路)」が「一帯一路」構想として収斂することで,国際秩序の現状変更を試みる中国の中心的対外政策となり,対するドナルド・トランプ(Donald Trump)政権の米国も「自由で開かれたインド太平洋」戦略を採用したことで,インド太平洋を舞台にした米中競争は眼前の現象となった。また,前書[黒柳 2014]では多国間制度としてのASEANへの期待もうかがえたが,その後の中国の加盟国への影響力増大にともない,ASEANの分裂・分断が現実的なシナリオとして懸念されるようになった。

以上のような「一帯一路」に象徴される中国の台頭と米中競争の激化がASEANの「中心性」への疑義を呈しているとの見解は,アミタブ・アチャリア(Amitav Acharya)なども示している[Acharya 2017]。そして本書も「一帯一路」を視角として,多国間制度としてのASEANの中国への対応や,ASEAN各国の対中政策を分析する。そのため,本書は以下のようにⅡ部11章から構成される。

  •  第Ⅰ部   「米中対峙」の新展開とASEAN(イシュー編)
  •   第1章   米中対峙と中国――ASEAN関係――多国間枠組みによるバランシング(浅野亮)
  •   第2章   米中対峙下におけるアジア太平洋の多国間制度(福田保)
  •   第3章   「一帯一路」時代の日本外交――リベラルなASEANの守り(平川幸子)
  •   第4章   シャープ・パワー概念とASEAN(黒柳米司)
  •   第5章   アジアにおける非伝統的安全保障協力――ASEAN主導の「平和」の制度化:テロ対策を事例にして(山田満)
  •   第6章   一帯一路と東南アジア経済(吉野文雄)
  •  第Ⅱ部   ASEAN諸国と「一帯一路」(各国編)
  •   第7章   ドナーとしての中国の台頭とそのインパクト――カンボジアとラオスの事例(稲田十一)
  •   第8章   米中対立の中のベトナム――安全と発展の最適解の摸索(小笠原高雪)
  •   第9章   ポスト軍事政権期の中緬関係――「一帯一路」はミャンマーに経済成長をもたらすか(工藤年博)
  •   第10章   マレーシアの中国傾斜と政権交代――「一帯一路」をめぐるジレンマとその克服(金子芳樹)
  •   第11章   自立した外交を目指して――東ティモールの対中外交とその意味(井上浩子)

このように,本書は11人の執筆者による共同研究の成果である。前書[黒柳 2014]は9名の執筆者による共同研究であったが,そのうち7人(浅野・黒柳・山田・吉野・稲田・小笠原・金子)は本書の執筆者でもある。以下,第Ⅰ部と第Ⅱ部に分けて概要を述べた後,本書の意義と課題について論評する。なお,紙幅の都合から各章については必要に応じて論評する。

Ⅱ 本書の概要

1. 第Ⅰ部の概要

第Ⅰ部は,米中競争下での多国間制度としてのASEANをめぐる多面的考察である。

第1章は,著者が「多国間枠組みを使ったソフト・バランシング」(21ページ)と定義するインスティテューショナル・バランシング(institutional balancing:IB)の概念を用い,「米中対峙」下におけるASEANと米中との関係を分析する。ここでは,ASEANによる中国の「一帯一路」および「周辺外交」に対するIBに加え,「一帯一路」と米国の「自由で開かれたインド太平洋」戦略との間のIBについても考察する。また分析に際し,中国研究者の論文を積極的に引用していることも本章の特徴である。

第2章は,2000年代後半以後,インド太平洋には,米中による「レジーム・シフティング」や「競争的レジーム」創設の動きがみられた結果,ASEANによる多国間制度は相対化されたことを指摘する。また,米中競争の激化は,ASEANに等距離外交を促す一方でその地域秩序形成における主導性を低下させた。そのような現状を踏まえ,本章は,ASEANは大国間競争を緩和するファシリテーターとなり,事務総長がその役割を担うことを提言する。

第3章は,東南アジアにおけるリベラルな秩序を支えてきた日本が,近年の中国の台頭にどのように対応したかを活写する。「一帯一路」については「質の高いインフラ」という言説で対抗し,ASEANとは日ASEAN防衛協力の強化を模索している。他方で,安倍政権が米国と一線を画し,「一帯一路」への間接的協力など日中関係の改善に指導力を発揮したことを評価する。そのうえで,リベラルな価値を守るために,日本が言論による外交を錬磨し続ける必要性を提言する。

第4章は,2017年以降,中ロの対外影響力を説明する際に用いられる「シャープ・パワー」の概念を切り口に,米中競争におけるASEANの危機について論じる。ここでは,中国のASEANに対するシャープ・パワーの行使が奏功した主要因として,多国間制度を重視しないトランプ政権の誕生を挙げる。また,ASEAN自体の機能低下に加え,ASEANを必ずしも重要視しない「問題国家インドネシア」の存在も,中国によるシャープ・パワーの増幅要因として指摘する。

第5章は,安全保障の主体を個人に求める「人間の安全保障」と,国家も主体に含める「非伝統的安全保障」との概念の違いを明らかにしたうえで,ASEANと中国が「非伝統的安全保障」に重きを置いていることを明らかにする。そして,両者のテロ対策を分析しつつ,ともに内政不干渉の原則から,テロ対策におけるASEAN主導の「平和」の制度化における民主主義国家との対外共通認識と国内対応の実際とのズレの存在を指摘する。

第6章は,「一帯一路」以前から,ASEAN諸国において中国への経済的依存が進んでいる現状を各種統計から明らかにする。そして,「対外労務協力」と「対外工事請け合い」からなる「対外経済合作」が中国の経済的影響力の増大に寄与していることを指摘する。さらに東南アジアの人口の約5パーセント(3000万人)を占める華人の存在や,既存の中国-ASEAN間の制度的関係にも注目する。

2. 第Ⅱ部の概要

第Ⅱ部では,ASEAN加盟国のうち,CLMV(カンボジア・ラオス・ミャンマー・ベトナム)諸国とマレーシアに加え,加盟申請中の東ティモールの対中関係を分析する。

第7章は,カンボジアとラオスを事例に分析する。まず,各種指標から,両国が着実な経済発展を実現しつつも,政治的には民主化から後退している現状を明らかにする。また,「一帯一路」の問題点として指摘される「債務の罠」にラオスが陥る可能性を検討する。それらを踏まえ,中国の援助が両国の経済発展とその権威主義的政治体制を支えている現状を明らかにする。著者の前書[黒柳 2014]掲載論文を踏まえた分析も本章の特徴である。

第8章は,米中競争下でのベトナムの立ち位置を分析する。中国と南シナ海領有権問題を抱えるベトナムは,米国との安全保障協力を深めている。他方で,ベトナムは対中関係を「戦略的パートナーシップ」と位置づけているのに対し,対米関係の位置づけは格下の「包括的パートナーシップ」である。また,「一帯一路」に対しては「総論賛成・各論反対」,「インド太平洋」概念については「総論黙殺・各論賛成」など,ベトナムが米中の狭間で,政治・経済・安全保障面での最適解を模索している様相を明らかにする。

第9章は,2011年の民政移行後のミャンマーの対中経済関係を分析する。軍事政権期に資源収奪的であった中国の経済協力は,民政移行後は穏健なものに変化した。また,中国の「一帯一路」構想においてチャウピュー港の開発は安全保障面でも重視されていたものの,「債務の罠」を恐れるミャンマーは計画の縮小を求めている。他方で,ロヒンギャ問題で国際的に孤立したミャンマーに中国は手を差し伸べることで,同国の対中依存傾向が続いている現状を明らかにする。

第10章は,ナジブ・ラザク(Najib Razak)政権で過度の対中傾斜を強めたマレーシアが,マハティール・モハマド(Mahathir Mohamad)の15年ぶり7度目の首相就任によって,対中傾斜を軌道修正しつつ「一帯一路」から利益を享受することを選択した過程を分析する。ここでは,ナジブ政権下での対中傾斜の諸要因を分析した後,マハティールが国益に沿った形で戦略的・主体的な対中関係を選んだことを明らかにする。

第11章は,ASEANに加盟申請中の東ティモールの対中外交について,1999年8月の住民投票による独立決定以降の約20年を3期に分けて分析する。ここでは3期をとおし同国が対中関係を深化させてきたことに加え,隣国のインドネシアやオーストラリアとの関係も明らかにする。それらを踏まえ,同国の対中関係は依存ではなく,あくまでも主権国家としての地位確立のためのプロセスであったと結論する。本章は小国外交の事例研究でもある。

Ⅲ 本書の意義と課題

総論として,「一帯一路」自体が包括的な対外構想であることに加え,ASEAN諸国が「一路」上の最初の沿線国群に相当することから,本書の「一帯一路」を視角とした東南アジア情勢の包括的分析には十分な妥当性があるといえる。とくに,「一帯一路」が中国と沿線国との2国間関係を原則としている以上,多国間制度としてのASEANと各加盟国の対中政策の齟齬についての分析も不可欠であるが,本書はⅡ部構成にすることでその課題にも応えている。さらに,現状分析を目的としていることから,学術的含意のみならず政策的含意にも留意した論文を収録していることも本書の特徴である。以下,本書の意義をⅠ部とⅡ部に分けて述べた後,若干の課題について論及する。

第Ⅰ部については,とくに第1章と第2章が,理論的・実証的に米中競争下での多国間制度としてのASEANが直面する課題を明らかにしたことは,学術的・政策的にもASEANの地域秩序形成への現実的な関与のあり方を検討するうえで重要な示唆を与える。また前書では,日・ASEAN関係に関する論文が収録されなかったことが課題として残されたが[黒柳 2014, 9],これについては,第3章で政策提言も含めた論文を収録したことで克服している。

第Ⅱ部については,第8章が中越間の多面的関係を浮き彫りにしたことは,ベトナムを西側諸国による対中包囲網のパートナーと当然視することがナイーヴな見方であることを示唆している。とくに2020年以降,米中関係がイデオロギー対立の様相を強くするなかで,ベトナムが対中包囲網のパートナーとなりうるかは,多分に西側諸国のアプローチの仕方に掛かっているといえよう。第10章は,中立志向が強く,また1967年10月のインドネシアの対中国交断絶後,1974年にASEAN原加盟国のなかで最も早く対中国交樹立を果たしたマレーシアのしたたかな外交的伝統が健在であることをうかがわせる。第11章における東ティモールのバランス外交の分析は,ASEANが設立以来,域内諸国が域外大国から独立と安全を保つためにバランス外交を追求してきたことに鑑みれば,米中競争下でのASEANの域外関係のあり方を歴史的視点から再考するうえでも有益な示唆を与えよう。

他方で,本書にも気になる点がある。まず,本書は前書[黒柳 2014]の「米中対峙」概念を継承している。しかし,本書からは,米中関係のとらえ方について章ごとに揺らぎが見受けられる。前書出版から6年間で米中競争の性質が大きく変容した以上,米中関係についての新たな概念の提示が必要であったのではなかろうか。

つぎに,第Ⅰ部との関連でいえば,第2章はASEANが大国間競争を緩和するファシリテーターとなり事務総長がその役割を担うことを提言している。大国間競争下で,ASEANが地域秩序形成に関与し続ける現実的な選択肢といえるが,想定される課題への論及も必要であったかもしれない。たとえば,提言の実現にはさらなる事務局強化を伴うため,現在一律に定められている加盟国の拠出金制度の見直しが不可避となろう。また,さらなる事務局強化が,未だウェストファリア的主権観を色濃く反映したASEANの諸原則とどのように整合性を保つのかも課題であろう。加えて,第4章が指摘する「問題国家インドネシア」の文脈でいえば,事務局がジャカルタに設置されていることが,事務総長のファシリテーターとしての役割にどのような影響を与えるのかについても検討が必要であろう。

そして,第Ⅱ部との関連でいえば,シンガポールについての記述が少ないことも本書の気になる点である。そもそも「まえがき」で,第Ⅱ部でとりあげられた国々に加え「インドネシア,フィリピン,タイなどについても(中略)文末の索引などを通して参照されたい」(10ページ)と記述されているように,本書においてシンガポールは捨象された感すらある。しかし,シンガポールは米中競争の影響を最も受けているASEAN加盟国のひとつであることから,本書でも章を設けて詳細に分析してもらいたかった。

とはいえ,以上の課題は本書の価値を損ねるものではない。本書の出版後,新型コロナウイルス感染症のパンデミック(爆発的流行)や2021年1月のトランプの大統領退任など国際秩序の行方に影響を及ぼす新たな変化が生じた。しかし,パンデミックは「一帯一路」におけるインフラ整備事業の停滞を招いたものの,中国はマスクやワクチンを外交ツールとして「一帯一路」の沿線諸国に提供している。また,2021年1月に発足したジョー・バイデン(Joe Biden)政権もトランプ政権の対中強硬姿勢を基本的に継承していることから,米中競争は今後も国際政治の規定要因であり続けよう。そういった意味でも,東南アジア情勢を包括的に分析するうえで,本書の「一帯一路」時代という状況設定は依然有効であろう。数年のうちに,新たな変化を踏まえた「21世紀アジア研究会」による「定点観測」の研究成果が上梓されることを期待したい。

文献リスト
  • 黒柳米司編著 2014.『「米中対峙」時代のASEAN——共同体への深化と対外関与の拡大——』明石書店.
  • Acharya, Amitav 2017. “The Myth of ASEAN Centrality?” Contemporary Southeast Asia 39(2): 273-279.
 
© 2021 日本貿易振興機構アジア経済研究所
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