アジア経済
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書評
書評:水野広祐著『民主化と労使関係――インドネシアのムシャワラー労使紛争処理と行動主義の源流――』
京都大学学術出版会 2020年 539ページ
宮本 謙介
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2021 年 62 巻 3 号 p. 106-109

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本書は,インドネシアの植民地期からスハルト体制崩壊後の民主化・改革期までの労使関係史・労働運動史を,「合議=ムシャワラー」・「全員一致=ムファカット」,労使紛争処理,行動主義などをキーワードにして,長期のパースペクティブで概観したものである。とくに,民主化後の労使関係と労使紛争処理の分析に重点が置かれている。著者によれば本書の主要な目的は,「労使関係や労使紛争処理過程の実際がスハルト期から民主化・改革後の今日にどのように変化したのか,『合議』『全員一致』『法の支配』,労働者保護と労働三権の確立,法の執行,さらに労働運動や経営者の動きに注目しながら明らかにしようとするものである」(9~10ページ)という。

具体的な分析課題として「序章」で以下のような10項目を提起している。①改革民主化後インドネシアの労使紛争処理制度は法の支配に基づくのか,「合議」「全員一致」に基づくのか。②改革民主化後の新労使紛争処理制度は国家介入型か,労使による問題解決型か。③民主化をもたらした外部要因と内部要因はどのようなものであろうか。④民主化以前の労働運動や企業の対応は民主化後の労使関係をどう規定したのであろうか。⑤民主化は労働三権を保障したか。⑥労働者保護制度の特質は何か。⑦集団的労働関係法の特質は何か。⑧インドネシアの労使関係安定化の道はあるか。⑨インドネシアの労働運動は弱体か。⑩労働運動の行動主義,あるいはラディカリズムはどこから生まれているか。

つぎに本書の章別構成を示しておく。

  • 序章 「合議」と「全員一致」原則の現実と行方

    第1章 植民地期の労働問題と労働法

    第2章 独立後スカルノ期の労働法制と労使紛争処理

    第3章 スハルト政権下の労働法制と労使紛争処理

    第4章 改革期の労働政策と労使組織

    第5章 改革期初期の労使紛争処理事例――激烈な紛争と大量解雇

    第6章 安定的労使関係の創出事例

    第7章 2003年労働力に関する法律第13号

    第8章 インドネシアの労使紛争処理制度改革――2004年労使紛争処理に関する法律第2号を中心に

    第9章 労使関係裁判所制度下の労使紛争処理

    第10章 グルブック・パブリク「工場捜査」労働攻勢とアウトソーシングおよび有期労働契約問題

    第11章 労働運動の発展と労使紛争処理制度

    終章 ムシャワラー・ムファカットと行動主義

以下ではまず,本書のキーワードである「合議」(ムシャワラー)・「全員一致」(ムファカット),労使紛争処理,行動主義などの記述に注目しながら本書の要点を整理し,最後に評者のコメントを付したい。

序章では問題関心と先行研究を整理し,上述の具体的な10項目の分析課題を提示している。

第1~3章が民主化・改革期以前の歴史的考察である。植民地期(第1章)のオランダ政庁は労使紛争処理を制度化する構想はあったものの,労働運動の高揚(1910~1920年代)に直面して抑圧的姿勢を取って実現せず,一連の労働契約法も経営者保護的な性格が強かった。一方で労組による組織的運動とともに未組織の自然発生的ストも常にみられ,労働者の行動主義は植民地期にも一貫して存在した。独立後のスカルノ期(第2章)では,労使紛争処理制度や労使関係に政府の介入が深まり,「法の支配」というよりも関係者の徹底した議論や根回しによって解決を図る「合議」が制度化した。1950年代の政党色の強い労働運動に対しては,軍による労使関係への積極的介入も特徴的であった(とくに「指導民主制期」)。スハルト期(第3章)に入ると,左派系の労組が徹底的に押さえ込まれ,政府(労働力大臣)によるパンチャシラ労使関係の指導下で,労働問題への軍の関与が合法化された。それまでの労働紛争調整委員会中心の紛争処理から労使間の「合議」「全員一致」を強調して,労働力大臣が強権的に介入する紛争処理へと変質した。行政も官製労組も労働運動を徹底的に封じ込めようとしたが,それでも国際的な批判を背景にして1980年代末以降は「最低賃金」違反に対するストが非合法でも容認され,労働運動は高揚した。

第4章以下がスハルト体制崩壊後改革期(1998年5月~)の労働政策と労使関係を扱っている。まず,第4章では民主化期の労働政策の改革,それに伴う労働組合の結成・再編の動向が事例を交えて解説され,第5章と第6章では改革期初期の労使紛争処理の事例が紹介されている。第5章の2000年5月に始まる紛争事例(ジャカルタD社)では,2000年労働組合法(団結権の承認)が保証する法的システムが充分機能せず,会社は労組の存在を認めず,労働力調停官の調停内容(「合議」の質)も貧弱であった。これに対して第6章の2003年の事例(ボゴール県F社)では,会社内で協調的競争関係にあった2つの労組が大多数の組合員の結束と交渉参加を図り,労組と会社の意思疎通のルール化を実現させ,労使合意を生んだ。「法の支配」に基づく労使関係が困難でも安定的労使関係が成立した事例である。

改革期に成立した労働法では,「2000年労働組合に関する法律第21号」,「2003年労働力に関する法律第13号」,「2004年労使紛争処理に関する法律第2号」(労使関係訴訟法)がいわばインドネシアの労働3法であり,第7章が2003年法,第8章が2004年法の解説である。2003年法では解雇やストライキに関する規定,アウトソーシング・有期契約労働制度等が盛り込まれ,「柔軟な雇用」や労働者派遣制度の導入などの問題が,その後の争議の争点となった。2004年法ではそれまでの労働紛争調整委員会(行政機関)が廃止され,労働関係裁判所が設置されて(2007年に制度開始),簡便で迅速,公正で安価な紛争処理を目指すこととなった。しかし,ストライキ禁止規定がないことや政府職員による強制調停制度が維持されたことなどの問題点も残った。

第9章と第10章は,労働関係裁判所が設置されて以降の労使紛争処理事例の分析である。第9章の事例分析からは,労使関係裁判所がストライキの合法性を狭くとらえ,紛争の焦点を解雇の是非や解雇一時金等の給付額に集中させており,これでは旧制度と大差ないことが示される。第10章では,2003年労働法で成立したアウトソーシング・有期労働契約に対する労働者側の対抗運動を取り上げる。2012年からブカシ県やカラワン県の工業団地で広がった労働者の企業に対する大規模な直接行動は,グルブック・パブリク(工場捜査)と呼ばれた。背景には,労働局や労働関係裁判所に対する労働者側の不信感があり,直接行動は警察への届け出だけで実施された。結局,労働関係裁判所の判断も解雇問題に集中し,アウトソーシング・有期労働契約などに関する労働者保護の観点は希薄であった。

第11章では民主化・改革後の労働運動の概要と労働監督制度・労使関係裁判所の現状(2010年代)が概観される。2007年発足の労使関係裁判所は,解雇問題と解雇一時金に議論を集中させる旧制度の労使紛争調整委員会と変わりがなく,一方2010年代に入って高揚した組合運動は国民皆医療保険,アウトソーシング,有期労働契約,最低賃金など,労働者の狭い利害を超えて社会問題に取り組む運動が進展したと評価される。

終章では,序章で示された10項目の個別課題に対応して,本書の結論がまとめられている。紙幅の制約もあるので,ここでは本書の成果としてとくに重要と思われる論点に絞って結論を要約しておきたい(番号は上述の課題番号に対応)。

①民主化後の労使紛争処理制度に関しては,「法の支配」の場である労使関係裁判所の判断が,法理によってではなくムシャワラーのロジックに則っていた。今日のインドネシアの労使紛争処理制度とそれを取り巻く環境は,「法の支配」を貫徹できる状況にはない。②新制度下での政府の労使紛争処理への関与は以前の制度に比べて相当低下したが,国家介入型から労使決定型への変化が認められる韓国などとは相当異なった結果であった。③ILOの指導下で2000年労働組合法が成立したという点で民主化の外的要因は明らかだが,法律の執行を促す労働運動が労働法・労使関係の民主化の内実を与えてきたという点では内部要因も重要である。⑤民主化後に労働三権を保障する法律や労使関係裁判所は実現したが,その執行性は不十分であり,その不十分さを組合の行動主義と労使のパワーバランスに基づく合議が補った。⑧民主化後の労使関係が安定した紛争事例では,労使双方が強固な闘争的姿勢にありながら結果的に労使関係が安定する「闘争的安定」の状態であった。2010年代にみられた労働者の直接行動などは,多くの暴力を伴った「合議」「全員一致」のプロセスであり,「闘争的安定」に結果した。⑩インドネシアの歴史と社会に根差した行動主義に裏打ちされた「闘争的均衡」のプロセスこそが歴史的なムシャワラー・ムファカットであり,このムシャワラー・ムファカットこそが労働者の闘いの手段であった。

以上が本文および結論の要約である。まず評価すべき本書の特徴は,19世紀の植民地期から現代(2010年代)までの長期のパースペクティブで,各時代の労働関連法と労働運動の特徴を詳細に記述しており,管見のかぎり日本だけでなく国際的にみてもほかに類例のないインドネシア労使関係史研究となっていることである。とくに重要な労働関係法はほとんど網羅されており,本書によってその詳細を知ることができる。また,歴史的にみても抑圧的な労働行政と厳しい職場環境にあって果敢に立ち上がる労働者の運動(合法・非合法,組織・未組織を問わず)を,歴史的に受け継がれてきた行動主義として評価しようとする著者の姿勢は一貫している。

以上のような積極的貢献とともに,評者からの疑問点としてさしあたり以下の3点を指摘しておきたい。

第1に,序章で述べられている先行研究の整理に関連して,本書出版前におけるインドネシア労働問題の体系的研究として評者が最も高く評価するHadizの著書について,著者はこれを悲観論とみていることである(12,14ページ)[宮本 1999]。しかしHadizの所論は1990年代までを対象とした研究であり,2000年代以降の労働運動の発展から翻ってHadizを批判的にみるのは正当な評価とはいえないように思われる。

第2に,労使紛争の事例分析が,本書では製造業の工場労働者の運動に限られていることである。評者が別の機会に1990年代インドネシアの労働運動を調べたところでは,運動は工場のブルーカラー層に限らず,高学歴のサービス業ホワイトカラー層(銀行,ホテル,学校,病院など)からインフォーマル・セクターの雑業的労働者(ミニバス,タクシーなど)にまで広範囲に拡大している[宮本 2001]。これは,1980年代後半以降の労働市場の変容に対応した労働力配置の変化に基づくものと考えられる。とくに労働力人口のなかで構成的比重を増している「新中間層」=ホワイトカラー労働者について本書はほとんど視野に入れていないようであるが,労働市場論を踏まえない労働運動論は,労働運動の評価としても十分とはいえないであろう。

第3に,著者が労使関係における「合議」(ムシャワラー)・「全員一致」(ムファカット)として高く評価する「闘争的均衡」(あるいは「闘争的安定」)についてである。これは本書全体の最終的な結論部分であり,最も重要な論点であろうと思われる。著者は労使関係が安定化した事例では「闘争的均衡」に結果しているとし,労使が力の均衡状態にあることを「ムシャワラー」・「ムファカット」と呼んでいる。労働者側が使用者に十分対抗できるほどの闘争力をもつことが労使関係を安定化させる「闘争的均衡」であるとすれば,それがなぜ「ムシャワラー」=「合議」なのであろうか。しかもそこには暴力を伴う「合議」「全員一致」まで含まれている。労働者・労組が強固な交渉力をもって経営側から要求を勝ち取ることを「合議」「全員一致」の行動と考えているようであるが,どの程度の運動とどの程度の交渉力をもてばそれを「闘争的均衡」と呼ぶのかも判然としない。労働者側が交渉力を強化することが「ムシャワラー」・「ムファカット」だとし,しかも暴力を伴う闘争力まで含むとすれば,それは「ムシャワラー」・「ムファカット」の本来の意味から逸脱することにならないだろうか。序章で示されている著者の「ムシャワラー」・「ムファカット」の理解は,従来の一般的なそれから出ていないようである。もし労使間の「ムシャワラー」・「ムファカット」を著者のようにとらえるのであれば,「ムシャワラー」・「ムファカット」の本来の概念を豊富化するための踏み込んだ分析と再定義が必要であろう。

以上のような疑問点はあるものの,本書はインドネシアのみならずアジアの労働問題研究にとっても貴重な貢献であり,関連分野の専門家によって是非参照されるべき業績であることは疑いない。

文献リスト
  • 宮本謙介 1999.「書評:Vedi R.Hadiz, Workers and the State in New Order Indonesia」『アジア経済』40(1):100-104.
  • 宮本謙介 2001.『開発と労働——スハルト体制期のインドネシア——』日本評論社.
 
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