2022 年 63 巻 2 号 p. 78-82
本書が出版された2021年2月,折しもミャンマーはクーデターによる混乱に突入した。ミャンマーは今,多くの国民が望まない方向への体制転換に直面している。
クーデター前までのアウンサンスーチー政権の約5年間を除けば,ミャンマーでは長く国軍の強い関与のもとで政治が行われてきた。ただ,振り返ると,独立以来いくつかの政治体制の転換点があり,経済制度も変遷してきた。一方で,就業人口などからみて,この国の主要産業は依然として農業であり,今も過半数の国民が農村部に住む。つまり,ミャンマーの庶民の多くは,農業政策を通じて幾度かの政治経済的な転換を経験しながら,さまざまな体制下で農村の暮らしを紡いできたのだ。本書は,過去数十年の間に彼らの生活や生計がいかに変化したのか,あるいは変わらない社会の本質とは何かを論じるものである。
著者が序章で整理するように,政治と経済の2つの観点からみるときミャンマーの体制転換は少し入り組んでいる。両者の転換するタイミングが一致していないからだ。1948年の独立後しばらくは議会制民主主義の時期(独立後民政期)が続いたが,その後,ネーウィンが統治したビルマ式社会主義期(1962~1988)と1988年の民主化運動の鎮圧に始まった軍事政権期(1988~2011)は長く独裁政治が続き,ようやく2011年から民主化期と呼べる時代となった。一方,経済制度をみてみると,文字どおりビルマ式社会主義期に徹底された社会主義経済は,そもそも独立後民政期に志向されたものだという。また,世界経済との繋がりが一気に深まったのは民主化期であるが,市場経済化への転換が始まったのは軍事政権期であった。
独立後から現在まで,上に述べた4期が本書の実質的な射程範囲だが,タイトルに「1986-2019年」と記されているのは,著者の研究スタイルにおける現地主義のようなものが表れていると思う。1986年は著者がミャンマーでの本格的な農村調査を始めた年である。以降,著者は「200を超える村」を訪れ,「1万人を超える人びと」に聞き取り調査を重ねてきた。本書の根幹には1986~2019年の間に行われた現地調査で得られた一次データがあり,すべての主張はそこから導かれ,あるいは補強されている。質問票に沿った世帯調査のデータは分厚く繊細であるとともに,そこから脱線した会話や何気ない雑談から得た(と推測される)情報が随所に盛り込まれている。目的に応じて,ときには史料が読み解かれ,ときには理論的な考察が重ねられるのだが,常に現地で得たファクトが議論の要所を担っている。また,ミャンマー社会に長く深くかかわるなかで培われた現地感覚が主張の妥当性を下支えしている。過去に外国人の行動が制限される時期が長くあったミャンマーではあるが,近年,臨地調査に基づく農村研究の成果が多く発表されるようになった。しかし,現地主義を貫いて30年以上をカバーできる研究者はほかにいない。著者は希有な存在であり,本書は現時点の集大成である。
本書は序章と終章を含めて9つの章からなり,政治経済環境が移りゆくミャンマーでの農村社会の変化と不変を明らかにしていく。変化を捉える際のキーワードは「De-agrarianisation」(脱農化)であり,村落共同体の在り方に不変の個性が見出される。次節では評者からみた意義や特徴を書き添えながら章ごとに内容を紹介する。
ミャンマーの政治体制と経済制度の長期的展開をまとめた序章「ミャンマーの政治経済体制史と本書の構成」に続き,第Ⅰ章「体制転換と農業・農村政策」では,ミャンマーの農業・農村を規定する法制度と政策の史的変遷が述べられる。著者が「農業政策の三本柱」と名づけた,体制を超えて農村へ影響を与え続けてきた農地国有制度(土地政策)―供出制度(流通および価格政策)―計画栽培制度(生産政策)が軸に据えられる。ビルマ式社会主義期の農政の根幹とされた三本柱のルーツが意外にも独立後民政期にあることや,それが三位一体となって発揮した機能,影響範囲が徐々に狭まっていく過程などが明らかにされる。100年以上生き続けた1907年村落法から,三本柱を支えた1948年/1953年農地国有化法,民主化期に制定された現行法まで,関連する法令が総ざらいされ,ミャンマー語の重要タームの定義と解釈を通じて法的枠組みが整理される。一方で,著者の見聞から制度と実態とのすり合わせもなされる。なお,本章は民主化期を含めた通時的な総括に力点をおいているが,各時期の実相は,社会主義期の農政三本柱と農村のリアリティを説いた髙橋[1992]や軍政期の農村経済に焦点を当てた髙橋[2000]に詳しい。
第Ⅱ章「国民経済の中の農業と農村」では,マクロな視点からミャンマーのDe-agrarianisation(以下,脱農化)が確認される。脱農化とはアフリカ開発論の文脈においてBryceson[1996]が提唱した概念で,人びとの経済活動や生活が農業・農村あるいは農民的様式から遠ざかる過程を指す。本章では,公式統計資料から農業と農村の発展史を明らかにし,現代ミャンマーにおいて両者が乖離していく様が示される。また,2014年に約30年振りに実施されたセンサスの結果からも,総人口に対する農村人口の割合や農林水産業就業人口の比率低下が読み取られ,独自の分析から,市場経済化による農村内外の非農業部門での雇用拡大と農業部門の相対的な所得低下が脱農化の背景にあると推論される。
最も多くの紙幅が費やされた第Ⅲ章「二つの村の社会経済史」は本書の中核である。本章の役割は,次章以降の舞台となる2つの村の社会経済史の詳述である。同国南部のズィーピンウェー村(以下,Z村)と,そこから507キロメートル北に位置するティンダウンジー村(以下,T村)は,下ミャンマーと上ミャンマーとで自然条件が大きく異なるが,いずれも稲作農業をおもな経済活動とする(していた)村である。著者は,1986~87年と1994年には悉皆の個別世帯調査を,戸数が倍以上に増えた2013~14年には標本無作為抽出で同様の調査を実施した。本章が扱う項目は網羅的であり,王朝期からの村の歴史に始まり,生態環境,生業構造,農地保有,農業技術,物価,教育などの詳細と推移が叙述される(本書に収まらない村や個人のサイドストーリーは髙橋[2018]にある)。前章でみたマクロレベルの脱農化が2つの村で確認されていく。軍政期から民主化期を経て農家世帯の割合は減少し,代わりに行商・露天商や工場賃労働,左官といった村内外の非農業部門で生計を立てる世帯が増加したことが示される。次章以降,各村の脱農化の過程と構造を解明するために,さらに踏み込んだ考察が続く。
ミャンマーは仏教の国といわれる。人びとは仏教を篤く信仰し,関連行事や祭りが頻繁に催される。T村は仏教を通じて劇的な変化を経験した。片田舎の小さなパヤー(仏像・仏塔)が全国的に注目される存在となったのである。第Ⅳ章「仏教による村おこし」では,「観光資源」となったT村のシュエテインドー・パヤーをめぐる村落発展の内実と経済効果が明らかにされる。資金の流れはつぶさに観察され,多額に上る喜捨の管理状況はもちろん,供物の売却業,祈祷代理人という特殊な稼業,ウズラ卵を頭上運搬する売り子,はては物乞いの収入までが分析対象となって,農業から離れて発展したT村経済の構造が表される。一見すると特殊な発展ケースにもみえるが,パヤー発展史のなかに見え隠れする軍政期の歪んだ市場経済化によって本事例と体制転換との関連が明確にされる。なお,ハッピーエンドで終わらない現在進行形の村落発展史は,清濁併せ持った仏教徒たちの物語としても興味深く読めた。
第Ⅴ章「移動する村人たち」は,職業に着目しつつ人口移動パターンを分析することで,Z村の脱農化の性格を明らかにする。近年の傾向のひとつとしてZ村を離れる農家世帯の増加が指摘されるが,農地の耕作は継続しながら居住地を町へ移すケースが多くを占めるという。一方,非農家世帯では,村での農外部門への就業や工場・商業施設への通勤の機会が増えたため,以前に比べ転出率が低下しているという。また,個人の移動の追跡から,農村間の移動が多かった社会主義期と比べて,近年は非農家世帯の若者が遠方の町へ働きに出るケースが増えたことが示される。しかしその一方で,著者が独自に算出した「離村率」の分析により,生家を離れても村にはとどまる子ども(若者)が増えていることが明らかにされる。Z村の脱農化は村住みのまま非農業部門に就業する「村に居ながら」の脱農化であり,そこに「大都市の近郊農村の21世紀型の発展形態」を見出す。村の世帯数の増加は,結婚した子どもが新世帯を構える「世帯分け」慣習で説明できる部分が大きいが,今も昔も世帯ごと村を出入りするケースが少なくないという。近年,目立っているというモンやチン民族などの農家が遠方から転入する事例も詳述される。世帯移動の活発さの背景として著者が指摘するミャンマー村落社会構造の開放性は,次章以降の議論との接点となる。
本書後半はミャンマー農村の変わらない個性の究明へと論点が切り替わる。第Ⅵ章「比較ミャンマー村落社会論」は,日本やタイとの比較を通じてミャンマーの村落の本質に迫る。日泰村落社会論のレビューにより既往の学説を整理して導かれた2つの分析視角が用いられる。まず,組織形成や集団行動を累積的に捉える客観的アプローチにより,(日本の神社と異なり)ミャンマーの村ではナッ(精霊信仰のひとつ)が村の象徴とはならず,(日本の結と異なり)労働交換慣習は村の境界に縛られない二者関係からなることが明らかにされる。次に,人びとの主観へのアプローチを通じて,ミャンマーでは二者関係を中心におく間柄が村人の(しばしばとくに目的もない)頻繁な接触「頻会」によって強化され,累積し,物理的距離の近さを伴う「場の親族」を生み,村の圏域と認知されると論じる。ミャンマーの村では慶弔組合など生活面での互助組織が多く存在するものの,そういった集団や組織は目的の共有を「触媒」として累積した二者関係のなかで自在に生まれ,「触媒」が弱まると消えるものであり,日本村落の永続的な組織との異質性が強調される。
第Ⅶ章は,前章で得た知見を,章の見出しに掲げられた「ミャンマー村落は生活のコミュニティ」へと導いていく。歴史性や個性,関係性などの観点から対比的に定義づけた「共同体」と「コミュニティ」を分析枠組みとして,二者関係の束からなり個人の自由さや自律性を実現しているミャンマー村落のコミュニティ的性質が浮き彫りにされる。集団や組織は生活のためにあり,生産の共同性を欠くと説く。さらに日本村落などがもつ負の側面,「共同体の失敗」を回避するポテンシャルをそこに見出すと同時に,結果的に抑圧的な政治体制に耐える手段となった可能性に言及する。ところで,日緬村落比較の着想は「日本の村の専業農家」を生家とする著者の身の上と深い関係があるという。私的経験の記述が豊富な髙橋[2012]は本章の根底にある問題意識の理解を助けるだろう。
終章「ミャンマー農村社会経済の変化と定常」では,各章で解明した変化(脱農化)と定常(共同体の不在)が体制転換の観点から総合的に考察され,最後に両者の相互関与の見通しが述べられる。
本書の目的であった政治経済変動下のミャンマー農村社会の動態解明は,脱農化と村落共同体の観点から立体的な農村像を描き出すことによって達成された。提出された仮説はミャンマー地域研究を前進させるとともに,東南アジア農村研究の進展に貢献する。
本書は脱農化を通じてミャンマー農村の変化を明らかにしたと同時に,ミャンマー農村を脱農化論へ接合した。一般にアジア・アフリカの農村世帯における農外収入の拡大あるいは生計多様化は,農村の貧困状態をプッシュ要因にもつ,追いやられた変化と農外のより魅力的な機会をプル要因とする前進的な変化とに分けられ[Haggblade, Hazell, and Reardon 2007; Rubiyanto and Hirota 2021],アフリカの脱農化は前者の傾向が,東南アジアのそれは後者の傾向が強いとされる[天川 2004]。著者は,髙橋[2012]の段階ではミャンマーの脱農化をアフリカ型から東南アジア型への移行期と位置づけていたが,本書によって新たに明らかにされた変化には東南アジア型脱農化の特徴が色濃く出ているといえるだろう。また,脱農化の時期に関して,東北タイなどを事例に東南アジア農村では1990年代前半頃までに家計における農業収入と非農業収入とが逆転したとされるが[Rigg 2001; Grandstaff et al. 2008],国レベルの公式統計などから推測されるとおり,ミャンマー農村で脱農化が明確に観察されるのはもっと後になる。本書でもT村の供物販売店の出店履歴データで2000年代初めから部門をまたぐ変化を指摘する(173ページ)など,軍政期の後半での顕在化が示唆されている。本書は脱農化の萌芽期と初期段階の動態とプロセスを克明に描き出した研究といえる。
本書は脱農化という変化のなかにある,いわば定常的な側面をも見抜いている。それはミャンマーの脱農化の興味深い特徴である。離農と離村に注目して振り返ってみるとよくわかるだろう。特徴のひとつは,ミャンマー農村が「村に居ながらにして脱農化」(200ページ)している点である。若い世代の非農業部門での就業の増加は顕著であるにもかかわらず,村内での農外活動の活発化や工場等への通勤が在村を可能にしたため,村住みを続ける者が多く,非農家世帯の転出率も低下している(第Ⅲ章,第Ⅴ章)。また,大学を卒業した子弟たちですら村にとどまる者は少なくないという(第Ⅲ章)。そもそも総世帯数が漸増している両調査村は(脱農化の語感から日本人が想起するだろう)過疎状態とはほど遠いのだ。つまり,離農するが離村しない脱農化である。なお,在村での工場労働者が多数を占める状況は2010年頃のベトナム・メコンデルタでも報告されている[藤倉 2017]。もうひとつの特徴は,「農村部には農家が多いというのもまごうことなき事実」(52ページ)であり,さまざまな局面でのシェアを他産業に譲りつつあるが依然として農業が「ミャンマーの最重要産業」とされる点である。Z村では農家の世帯数こそ減っているが,住居を町に移しながら村での農業を継続する世帯が多くみられ(184ページ),遠方から転入してきた世帯が農業に参入している(193~195ページ)。T村はパヤー関連ビジネスに沸きながらも農家戸数は維持されており,タマネギ・ブームに乗って農家が一儲けした時期もある(122~123ページ)。つまり,離農が必ずしも農業の衰退を意味しているわけではないのである。こういった離農と離村の不一致は,世帯と個人の動態に踏み込んだ定点継続的研究だからこそ捕捉できたといえる。これらは脱農化の初期にみられる一過性の現象なのかもしれないし,現代ミャンマーあるいは東南アジアの社会経済特性が反映されているのかもしれない。いずれにせよ,現代アジアの脱農化の進展・停滞や特徴をめぐる議論[Rigg, Salamanca, and Thompson 2016; Rigg et al. 2018; Hisano, Akitsu, and McGreevy 2018]を豊富化させ,農村の「21世紀型の発展形態」(200ページ)を模索する際の手がかりとなるだろう。
本書における農業と農村社会にかかわる法的枠組みから人びとの生業と生活の細部の事実に至る網羅的な記述は,後続する研究者が確認できる基準点を更新したといえる。今後,繰り返し参照されるに違いない。また,本書でたびたび用いられる現地語に基づいた発想や考察は,オーソドックスな地域研究手法のさまざまな実例を提供している。たとえば,議論本筋に近いところでは村の人間関係を表すひとつの言葉「ヤッスェ・ヤッミョー」から村落論の鍵となる概念「場の親族」が導かれ(221~222ページ),補足的なところでは協同組合(タマワヤマ)に対する庶民の不信感を述べる際には皮肉を込めた言い換え「ターマヤーワ」((組合幹部の)息子と妻が太る)が添えられる(237ページ)。ちなみに,本書でも何度か登場する「ナーレーフム」(暗黙の了解,なあなあでやるといった意)(38ページなど)は,著者の先行研究[髙橋 1992]で取り上げられた後,ミャンマー社会の一面を端的に表す言葉としてミャンマー研究の初学者らにも広く認識されている。安易に真似のできる手法ではないが,無自覚の普遍化によって漏れ落ちる地域の個性があることを再認識させられる。
タイトルにある本書の対象期間「1986-2019」は,2020年から世界的影響を与え続けるコロナ禍とミャンマーを混迷に陥れた2021年2月のクーデターによって,図らずも歴史的な意味をもつ区切りとなった。最後に,本書が触れることのできなかった2020年以降の動きについて,メディアを通じた著者の発信も紹介しながら,本書内容と関連させて若干のコメントを加えておきたい。ミャンマー農村におけるコロナ禍は,少なくとも2020年の感染拡大初期段階においては経済危機としての意味合いが強かったようだ。著者がZ村やT村の人びとに村の様子をリモート取材したレポート,髙橋[2020]では,「脱農」に向かっていた村人たちがコロナ禍に直面して「帰農」する様子が報告され,頼みの綱として農業が健在であると語られている。評者も同じ頃,ミャンマーのある村で海外出稼ぎ組が大挙して戻ってきたと聞いた。過去にアジア通貨危機やリーマンショック時に東南アジアで都市から農村へ失業者が移動したように[Tomita, Lopez, and Kono 2018],農村も頼みの綱となっている。また,村人たちが自発的に帰村者の隔離や村の出入り管理を厳格に実行したという話も聞いた。村一丸となった行動をうまく想像できずにいたが,第Ⅵ章に引きつけると,未知のウイルスに対する皆の共通した思いが「触媒」として機能したと解釈できそうだ。クーデター後の体制と農村はどう向き合っていくのだろうか。髙橋[2021]は反クーデター運動の農村部への拡大の背景に脱農化の進展を示唆し,仮に国軍が農村部の鎮圧に成功したとしても農民の「日常的抵抗」が続くとした。クーデターは抗議運動を鼓舞するに十分な「触媒」を農村に与えたのは間違いないが,いつまで「触媒」が機能するのかは心許ない。「共同体の不在」ゆえの村の強さを再び圧政下にみることになるのだろうか。コロナ禍でもクーデターを経ても著者はミャンマーの村人らとの「頻会」を続けている。早くも本書の次を期待してしまう。