アジア経済
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Print ISSN : 0002-2942
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紹介:植田浩史・三嶋恒平編著『中国の日系企業―蘇州と国際産業集積―』
慶応義塾大学出版会 2021年 437ページ
丁 可
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2022 年 63 巻 2 号 p. 95-96

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本書は,慶応大学の研究チームによる15年間の蘇州日系企業調査の集大成である。同チームは,長い間,日本において産業集積や中小企業について調査研究を展開していた。そして日本企業の経営の国際化に伴って,次第に研究のフィールドを中国へ広げていった。本書において,著者らは日本の産業研究や中小企業研究の方法論に加えて,最新のグローバルバリューチェーン(Global Value Chain: GVC)研究の問題意識も共有しながら,蘇州に進出する日系サプライヤの動向を丹念に分析した。

評者は,これまで中国における産業高度化のプロセスをGVCの枠組みで追跡し続けてきた。このようなバックグラウンドから,本書について以下三つの特徴を指摘しておきたい。

本書の最大の特徴は,生産者が主導する(Producer-driven)GVCにおける国際分業の在り方やガバナンスの実態の解明に成功している点である。これまでのGVC研究では,もっぱら購買者主導(Buyer-driven)のケースに焦点が当てられてきた(注1)。アップルのようなファブレス型ハイテク企業やウォルマートのような小売業者と,途上国の一次サプライヤの取引関係が検討され,理論化が進められた。

しかし,本書で取り上げた自動車産業の事例が示唆するように,生産者主導のGVCを研究する上では,少なくとも二つの新しい視点を取り入れる必要がある。一つは,多国籍企業が創設した現地工場と本社の関係である。現地工場の可能性が本社のGVC戦略や,本社による支援とコントロールの在り方等に大きく左右されている点は,本書の第4章や第6章で明確に指摘されている。今一つは,GVCにおける二次サプライヤ以下のアクターの動向である。第5章や第7章の分析が示唆したように,こうした「深層の調達」(422ページ)の実態にまで踏み込んではじめて,生産者主導のGVCへの本格的な理解につながる。

本書の第二の特徴は,GVCに参加する各種アクターの地域特性に大きな関心を示している点である。第4章と第5章が詳細に分析しているように,日本と中国の完成車メーカーが主導する自動車のGVCでは,品質,コスト,納期,サプライヤ能力への依存といった面において,根本的な違いがみられる。一方で,日本と欧米の一次サプライヤの戦略も大きく異なる。欧米の部品メーカーが中国完成車メーカーのサプライチェーンに積極的に参入していることは,先行研究でよく指摘される。それに対して,蘇州の日系部品メーカーはあくまで日系の完成車メーカーを中心に取引を展開しており,中国企業との取引は極めて限定的である(第4章)。GVC研究は,これまで各国の共通点の解明に注力してきた。しかし,本書が示唆するように,国別の違いに着目する研究は,GVC理解を深める上で大きな学問的意味があり,地域研究者による積極的な貢献が期待できる分野でもある。

第三に,本書はGVC再編の方向性を考える上でも,有益なヒントを提供している。米中対立の激化と新型コロナウイルスの大流行を契機に,サプライチェーンの安全性への関心が高まりつつある。GVC再編の必要性が唱えられ,世界の工場である中国の地位低下に関する予測も出されている。こうした見方に対して,本書は日系企業の経営現場の視点から,GVC再編問題の複雑さを示している。

まず,販売市場が多種多様である。蘇州の日系中小企業のなかには,サプライチェーンのリスクに敏感である「日本供給型」もあれば,完全に中国市場を狙った「開拓型」や「創業型」もある。さらに,製造拠点の設置の有無をパートナー企業と相談しながら決める必要がある「パートナー型」も存在する(第6章)。これらの企業の生産移転の可能性について一概に論じるのが難しいことは,明白である。次に,日系企業をめぐる取引関係にも,多様なケースが見受けられる。不安定な取引関係が続き,取引相手を容易に変更できるケースもあれば, 開発の段階から綿密な調整を行い,長期安定的な取引関係を形成したケースもみられる(第4章,第5章)。後者のケースでは,中国から移転していくハードルが高いことが予想される。

本書の白眉は,日系自動車部品メーカーの取引関係を詳細に分析した第4章と,日系中小企業経営の類型化を試みた第6章である。437ページに上る大著を読了する時間のない方は,この2章だけでもまず目をとおしていただきたい。

(注1)  本書では,生産者主導という用語にこそ触れていないものの,そこで検討された自動車産業は,まさに生産者主導GVCの典型事例である。なお,正確にいうと,GVC研究の前身であるグローバルコモディティチェーン(Global Commodity Chain: GCC)研究では,生産者と購買者主導の違いに着目しながら,議論が展開されていた。しかし,GCCという概念がGVCにアップグレードされた後,両者の違いにはほとんど関心が払われなくなった。

 
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