2022 年 63 巻 3 号 p. 77-81
本書は,いまだ研究の蓄積の乏しい独裁体制の一類型すなわち「個人支配」体制について,その崩壊の成否と様式を定める一般的な理論的枠組みを提示し,比較事例分析を通じてその妥当性の検証を試みる野心的な著作である。評者の理解では,この問いに対し,幅広い二次文献の渉猟によって,個人支配体制の崩壊様式を,軍の離反に基づく「上からの崩壊」と社会勢力の蜂起による「下からの崩壊」,および,それらの混合として理論化するものである。独裁体制の政治過程に興味をもつ評者にとって,とくに各事例における軍部統制のあり方の差異は興味深く感じた。しかし他方で,理論的,方法論的にみた場合,評者が疑問を感じる部分もあったというのが正直なところである。本書評では,まず全体の議論を概観した後,方法に関する疑問点を指摘することにしたい。
まず,本書の目次は以下のとおりである。
第Ⅰ部 政治体制と体制変動の理論
第1章 個人支配体制とは何か
第2章 体制変動の分析視覚
第3章 個人支配体制の分析枠組み
第Ⅱ部 個人支配体制の体制変動に関する事例比較
第4章 競争的権威主義型個人支配体制―反対派の政治参加を認めた独裁者―
第5章 疑似競争的権威主義型個人支配体制―反対派と協定した独裁者―
第6章 一党制型個人支配体制―反対派の政治参加を認めない独裁者―
第7章 無党制型個人支配体制―サウジアラビアを事例として―
終 章 独裁が揺らぐとき
序章では本書全体を貫く視点の提示がなされる。その際,重視されるのは軍部と社会に対するクライアンテリズムである。クライアンテリズムとは,「垂直的な関係性にあるアクター間において,上位者が下位者に政治的見返りを期待して便宜供与を図り,下位者がそれに答えるという現象の束」であると定義される(6~7ページ)。
第Ⅰ部は,理論編である。第1章では,個人支配体制の定義の問題が扱われる。具体的には,ゲデスとライト,そしてフランツ(GWF)の研究の分類を踏襲し,個人支配体制を特定する。その際,筆者の提示する個人支配体制の定義とは,「支配者の独裁と専制が両立し,その背景に支配者を頂点とした一元的なクライアンテリズムネットワークの体系化が存在する体制である」(26ページ)。より具体的には,GWFのデータセットをもとに,憲法やその他の法制度によって国家元首への権力の集中がなされているか,選挙などの政治的手続きによって国家元首が失脚しないとともに,反対勢力が多数派を占めないような制度設計がなされているかなどの規準で判定される。これらの両方を兼ね備えた体制が,本書が分析対象とする「制度化された」個人支配体制とされる(31ページ)。
第2章では,体制変動一般の分析枠組みが考察される。個人支配体制の誕生について概観した後,体制の持続においてクライアンテリズムが鍵となること,社会に対するクライアンテリズムの形状については,政党および政党システムのあり方がその代理変数とされる(47ページ)。その上で,本稿のアクターとしては軍部・政党エリート・社会が想定され,先行研究が整理された後(52~63ページ),社会経済構造の変動によるパトロン=クライアント関係の変化についてレビューがなされる(63~65ページ)。
次の第3章は,第Ⅰ部の鍵となる章であり,きわめて複雑な内容をもつ。そのため,評者にも適切な紹介ができている自信がない。興味をもたれた方は,ぜひ本書を読んでほしいが,その内容はおおむね以下のようなものである。まず,体制移行が発生するのは,支配者による懐柔戦略によって形成されてきたクライアンテリズムのネットワークに,経済危機による「実効性の危機」と,権力者の後継争いにともなって生じる「老朽化の危機」の2種類の危機によってである。ここで,体制の危機の発生は,個人支配体制にとり,自力では避けることができない現象である。そして,危機を迎える前後で支配者がどのような懐柔戦略を採っていたか(すなわち,どのようなパトロン=クライアントネットワークを構築していたのか)によって,いかなるアクターが体制移行のゲームに参加するかが決まる。もちろん,体制が維持されることもある(79ページ)。
ここで,体制維持のための懐柔対象となるのは,「軍」および「社会」である。
第3章第2節では,軍部への懐柔戦略として「パトロネージ」と「ポークバレル」があるという前提から出発する。そして,前者のパトロネージには,軍部全体に対し制度化された便益供与を行う「不偏的」なパトロネージと,軍内の特定のグループに対してのみ便益供与を行う「限定的」なパトロネージの2種類があるとする。ここで,限定的なパトロネージは軍内に不満をもつ派閥を生む可能性がある。また後者の,軍部全体に対して経済的かつ集合的な便益付与を図るポークバレルは,その供与の度合いが「高い」か「低い」に分類できる。
「不偏的なパトロネージ」「高い程度のポークバレル」の場合,「包括的統制」とよばれ,軍全体が特権的地位にあり,パトロネージに偏りがないため,体制離反を望むような反体制派が生まれにくい。また,「限定的なパトロネージ」「高い程度のポークバレル」の場合には「選択統制」とよばれ,軍内の特定の集団に権力が集中するため,それに与れない軍内派閥との派閥対立が存在するが,軍全体としてはポークバレルに与れるため,現状の変革を望まず,軍内の反対派主導による体制離反が起きる可能性は低い。さらに,「不偏的なパトロネージ」「低いポークバレル」の場合には「分割統制」とされ,ポークバレルの度合いが低いため,軍部全体として体制への不満が存在する可能性はあるが,強い反体制派が育ちにくいため,軍部が体制離反を起こす可能性は低い。選択統制と分割統制が採られている軍部はそれぞれ前者が意思,後者が能力の面で積極的に支配者を見捨てることは困難であるが,外部アクターと連携することでそれを達成する可能性はあるとされる(79~81ページ)。最後に,「限定的なパトロネージ」「低いポークバレル」は,「非統制」とよばれ,理論上存在しないという。
続く第3節においては,政党による社会の懐柔戦略と,政党エリートの懐柔戦略が理論的に分析される。ここで,「社会に対するパトロン=クライアントネットワークの捕捉範囲は政党システムによって説明可能である。独裁体制において,政党システムは支配者が社会に対して築いたパトロン=クライアントネットワークの広さを表す。言い換えれば,その広さは野党の有無で決まる」(82ページ)。「ただし,政党によるパトロン=クライアントネットワークの広さはそのネットワークが社会に対してどの程度浸透しているかと同義ではない。ネットワークが広く張り巡らされていてもその浸透が限定的な可能性もある。ゆえに,社会に対するパトロン=クライアントネットワークの深さをも捉える必要がある。その深さは,効果的なブローカーチェーンをパトロン=クライアントネットワークに包摂できているかに基づく。ブローカー(仲介者)とは,懐柔資源を分配するための地域や組織に関する情報を上位者に提供するとともに,末端クライアントの行動の監視を行う者」であるとされる(82ページ)。有効なブローカーが存在する体制では,「彼らが自集団における支配者への支持をまとめ上げ,それを政治社会に反映させることによって体制維持に寄与し,その機能が低下すると体制の安定性は揺らぐこととなる」(83ページ)。さらに,このような「ブローカーチェーンの有効性を分析するにあたり,社会経済構造に着目した研究を援用する。すなわち,経済成長および近代化が伝統的なパトロン=クライアント関係を低減させる」(83ページ)。
以上の議論に基づき,第3章第4節では3つの理論仮説が提示される。
仮説1は以下のようなものである。すなわち,政治エリート(軍部と政党エリート)は,自組織に張り巡らされたパトロン=クライアントネットワークが機能不全に陥ると反体制化する。そのとき,懐柔資源を受けられないアクターは準忠誠化し,ほかに反対勢力として一体性があるアクターが存在する場合,そのアクターにバンドワゴンする(86ページ)。
仮説2は,社会に対する政党を通じたパトロン=クライアントネットワークの様態(政党システムおよびブローカーの有効性)は体制崩壊の型式を規定する(88ページ)。
仮説3は,野党を認める体制において,選挙は社会へのパトロン=クライアントネットワークをモニタリングする効果があるため,社会からの突き上げを予防する,というものである(89ページ)。
第Ⅱ部は,第Ⅰ部で展開された仮説を事例に基づき検証する。第4章において,競争的権威主義型個人支配体制としてフィリピンとインドネシアが分析される。具体的には,フィリピンの場合には軍部の反対派と社会における反体制派が連携して,上と下から(256ページ表終-1)体制崩壊が起きたが,インドネシアでは政党エリートが主導する上からの体制移行が成し遂げられた。この2事例の差異を説明するにあたって筆者が持ち出すのが,①軍部の統制構造,②政権党によるブローカーチェーンの有効性,③反対勢力の連携の違いであった(132~133ページ)。すなわち①フィリピンの場合には軍部に対して偏ったパトロネージ構造が存在したため,軍部全体に対する資源配分が低下すると,軍内の反対派がクーデタを起こした。他方,インドネシアでは最初から最後まで分割統制が採られていたため,移行のゲームにおいて他の勢力にバンドワゴンするしかなかった。②フィリピンの場合には地方のパトロン=クライアント関係が強く,政権党による強固なブローカーチェーンを築くことができなかった。他方,インドネシアのゴルカルの場合は,社会の広い組織を包摂していた。③反対勢力の連携の違いが上下の崩壊の型式に影響を与えた。具体的には,フィリピンでは野党間が協力できたが,インドネシアではそれができなかった。これは背景にある宗教勢力が政治に対してどのような態度をとっているかに起因した。
第5章では,疑似競争的権威主義型個人支配体制として,ニカラグアとパラグアイが対象とされる。ニカラグアは反体制勢力による革命によって下からの体制移行が達成された事例であり,パラグアイでは軍部主導による上からの体制崩壊が起きたとされ,この2つの体制崩壊の型式を説明するのが課題となる。2事例を説明するのは,①統治エリートの位置づけと軍部の統制構造の組み合わせ,および,②経済政策に伴うパトロン=クライアントネットワークの変動である。①について言えば,ニカラグアの軍部には包括的統制が採られていたため軍部は最後まで親体制派であった。他方で,パラグアイでは政党と軍が一体化しており,「老朽化の危機」に伴い統治エリートの一部が反体制化し,選択統制によって醸成された反体制派の軍部が移行の主導権を握った(169ページ)。第2に,両事例では体制の安定をもたらした経済成長の権力構造への影響が異なった。すなわち,パラグアイでは伝統的なパトロン=クライアント関係を維持したが,ニカラグアではブローカーチェーンの有効性を弱体化させる結果を招くこととなった(170ページ)。
第6章は,一党制型個人支配体制として,ルーマニア,スペイン,北朝鮮,モハンマド・レザー・シャーのイランが分析の対象とされる。これらの体制においては,政権党が広く社会に対して懐柔を担うことになるため,社会には広範なパトロン=クライアントネットワークが構築され,社会勢力は体制内に包摂されることが予想される。そのため,社会勢力による体制崩壊への圧力は弱まり,体制変動が起きないか,起きたとすればそれは下からであるはずであると予想される。しかしながら,本章で分析するルーマニア,スペイン,北朝鮮,イランでは体制の危機に直面した結果,ルーマニアとイランでは大衆が中心となる革命による下からの体制崩壊,スペインでは政治主導による上からの体制移行が発生した,他方,北朝鮮は体制を維持している。
このような体制の危機に対する各事例の移行の成否と型式の差異は何によって,どのようにもたらされたのか(181ページ)。4事例からは,①軍部への統制構造,②政党に包摂する組織,③社会経済構造の変化の差異が体制崩壊の成否と型式を分かつことが明らかになった,とされる。すなわち,体制の危機に際して上記の3点にひとつでも欠損があった場合,体制は崩壊する(227ページ)。第1に,軍部の統制構造に関して包括的統制が採られることは体制維持の大前提となる。ただし,それを行っていたとしても社会に強い反体制派が誕生し,民衆の力が結集すると軍部は兵舎に帰る選択を迫られる。第2に,体制維持のためには政党が包摂する組織は社会における主要勢力である必要がある。第3に,経済成長や経済政策による伝統的なパトロン=クライアントネットワークの変化は従来のパトロンの政治的権力を減退させ,支配者による一元的なパトロン=クライアントネットワークが社会の末端にまで伸びることを妨げた。北朝鮮では劇的な経済成長が起きていないためこれがなかった(226ページ)。
第7章は政党が存在しない無党制型個人支配体制としてサウジアラビアが分析され,これはパトロン=クライアンテリズムの重要性を示す理論的追試だと主張される。
終章は,理論的に事例を要約し,第3章で挙げた3つの仮説は部分的に妥当であると述べている。
評者の見るところ,本書のすぐれた点は以下の2点である。第1点目は,幅広い文献調査によって,一貫した個人支配体制の崩壊の理論を提示しようとしている点であり,これは先行研究には見られなかったものである。第2点目は,とくに軍部への統制のさまざまなあり方を,多くの事例に基づき明らかにしている点であり,比較政治学の知への大きな貢献である。
他方で,本書が野心的であるがゆえに,理論的・方法的にいくつか大きな疑問が生じたのも事実である。
第1に,理論がきわめて複雑でわかりにくいだけでなく,事例を分析する際にそれまでに言及のなかった理論命題が現れるため,理論全体がアドホックであるように感じられた。たとえば,一党支配体制型の個人支配体制は社会を幅広く取り込んでいるために,下からの崩壊を招くという論理(181ページ)はどのような仮定・前提から導き出されるのであろうか。社会を幅広く取り込んでいるならば,むしろ下からの崩壊を招かないという議論がより自然であるように思われる。ほかにも,たとえばインドネシアのスハルトの事例から,多様な社会アクターをパトロン=クライアントネットワークに取り込むことの功罪が示唆された,とされる。すなわち,スハルトはゴルカルという社会に根差した職能集団をパトロン=クライアントネットワークとして利用し,インドネシアを支配したが,結果としてネットワークの複合性と自律性が高まり,体制の危機においてネットワーク内から移行の主導権を握る者が誕生してしまった,とされるからである(133ページ)。しかし,社会集団を体制に取り込み過ぎることによって政党アクターが自律的となり,体制の危機に際して大きな役割を果たすという議論は,理論編では論じられておらず,理論的に自明ではないように思われる。理論的命題の提示は,理論編において完結するように書かれていれば,読者が混乱するのを防げたのではないか。
つぎに,方法の問題がある。本書は冒頭で差異法を用いると述べている(10ページ)。差異法とは,ある異なる値をとる従属変数に対して,独立変数以外に従属変数に影響を与える変数がすべて同じ値を取っている場合に成立するリサーチ・デザインである。差異法において重要なことは,①事例の数(N)が,説明の数(K)を上回っていること(N>K)。②独立変数と従属変数の値が異なっていること。③独立変数と従属変数以外の他の変数が統制されていること。以上の3つの要件を満たしている必要がある。たとえば,久米[2013]は政治学の方法論のテキストである『原因を推論する―政治分析方法論のすすめ』において,以下のような差異法の事例を提示している(表1参照)。表1から,「福祉国家」が従属変数であり,「労働組合」が独立変数であり,2つの値が相互に異なっていることがわかる。ここから,②の「独立変数と従属変数の値が異なっている」という要件が満たされていることがわかる。そして,他の変数である「民主主義」と「経済発展」はともに,同じ値を取っている。ここから,③「他の変数が統制されている」という要件も満たされている。さらに,労働組合の強さという変数(K)によって福祉国家の程度を説明するために,2つの事例が用いられており,①のN<Kという前提も満たされていることがわかる。
では,本書のリサーチ・デザインは,以上の①②③を満たしているであろうか。
以下に示した表2は,第5章で扱われたニカラグアとパラグアイの事例に関する筆者自身のまとめを提示したものである。ここで従属変数は,体制の崩壊の型式であろう。つまり,軍による上からの崩壊か,社会による下からの崩壊が,従属変数となっている。差異法の論理より,まずなにが統制変数であるかに関しては言及されていない。ここで評者なりに解釈すれば,差異法である以上,同じ値を取っている変数が統制変数となると考えれば,「体制のサブタイプ」「野党の様態」「選挙」が統制変数ということになるだろう。
(出所)本書256 ページ表終-1
つぎに,従属変数に対してひとつだけ異なる値をとる変数が独立変数となるのであるが,ニカラグアとパラグアイでは,「危機の類型」「軍部への懐柔戦略」「政党による懐柔戦略」「ブローカーの有効性」「社会構造の変動」「主たる社会勢力」「移行ゲームへの態度」の7変数が異なっている。したがって,これらの変数のうちいずれが,移行の型式を決定した独立変数であるかは不明である。仮にこれらすべてが独立変数であるとすると,説明の数(K)は,7つあることになる。事例の数はニカラグアとパラグアイの2つであるから,説明の数が事例の数を大きく上回っている。すなわち,N<Kである。こうした場合,その研究設計は「不定」であると言われ,有効な因果推論は不可能となる(久米2013, 181-182)。
同じ問題は,本書が分析するフィリピンとインドネシアの組み合わせ,イラン・ルーマニア・スペイン・北朝鮮の組み合わせについても言える(北朝鮮の場合,従属変数も「維持」であり,それ以外の事例とは大きく異なっている)。以上の点から,本書は「差異法」をうまく適用しているとは言えない。
以上のような疑問はあるにせよ,本書は個人支配体制の簡潔な政治史をまとめている点で,きわめて大きなメリットがあるのも事実である。理論と方法に関するこれらの疑問点は,筆者の今後の研究で応答がなされるものと期待している。