アジア経済
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書評
書評:中屋信彦著『中国国有企業の政治経済学――改革と持続――』
名古屋大学出版会 2022年 iv + 360ページ
丁 可
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2023 年 64 巻 4 号 p. 56-59

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国有企業は,中国における経済成長の重要な担い手である。同時に,国有企業は中国の経済体制を論じる際に,最も物議をかもしている存在でもある。中国国内では,2010年代以降,「国進民退」(国有企業の拡張が民間企業の後退をもたらす)の有無をめぐる議論が長期にわたって進められてきた。海外では,中国における国家資本主義の象徴として国有企業が批判を浴びており,国有企業への優遇は米中対立の争点のひとつにもなっていた。高度成長に焦点を当ててきた中国経済研究の世界でも,民間企業に比べ活力に欠けており,外資よりはグローバリゼーションへの貢献度が低い,という印象が持たれているため,国有企業そのものを研究の対象とする専門書は,意外に少なかった。この意味で,政治経済学的アプローチにより30年間,国有企業一筋で中国研究を進めてきた中屋氏により執筆された本書は,待望された貴重な一冊であるといえる。

本書は8章から構成されている。序章では,本書の分析概念や対象期間,主要観点等を提示している。本書を貫くのは「党国家資本」というキー概念である。ここでは,「党国家資本」は「共産党が領導し,政府が所有支配する疑似的に「産業資本」化した国有企業」として定義される(3ページ)。また,分析の対象期間は「『党国家資本』の『産業資本』的性格が急速に形成され,全面開花していた」(5ページ)1992年から2015年までの約四半世紀に限定されている。著者は,本書において党国家資本という概念を用いて,「国家の保護や独占,非効率」といった旧来型の国有企業論とは異なる論点を提示しようとしている。

第1章では,まず出資支配ベースの国有企業概念を採用することを説明している。続いてさまざまな統計資料をもとに,①国有企業の資産規模や生産規模・営業規模は巨大な存在になっており,2015年現在,中国経済に強い影響力を保持していること,②国有企業の絶対的な規模は,1978年の改革開放から現在に至るまで拡大を遂げ続けてきたこと,③民間企業の成長や外資系企業の大量受け入れにより,中国経済における国有企業の存在感が相対化されていること,という3点を明らかにしている。ここでは,日本の大手企業との比較も展開されており,非金融主要国有企業は,東証上場企業の2倍以上の資本規模を抱えていること,利益額では東証上場企業を上回るが,利益率では及ばないこと(20~22ページ),国有企業の鉱工業部門に占めるシェアは,資産ベースで六大企業集団の製造業に占めるシェアを上回っていること(41~43ページ),といった興味深い事実が示されている。

第2章では,日本の中国研究を中心に,中国の市場移行と国有企業改革に関する文献のサーベイを行っている。それによると,1990年代には楽観的な資本主義移行論が展開されていたが,2000年代末には中国異質論が台頭し,そして2010年代に入ると,「国家資本主義」論が幅広い支持を集めるようになった,と紹介されている。そこで,著者は中国共産党が国有企業の影響力を維持するという基本方針を一貫して掲げているにもかかわらず,学術界において国有企業に関する「議論を旋回させた」のは,国有企業改革の3つの側面,すなわち①株式会社化,②払下げ,③経営の合理化に関して錯覚があったため,と指摘している。西側資本主義諸国の経験に照らし合わせれば,この3点は,いずれも資本主義への体制移行につながるはずである。しかし,実際の国有企業改革において,これらはむしろ中国の体制を「国家資本支配」という真逆の方向へと導いていった,と論じている(66ページ図2-1)。

第3章から第5章は,上記3つのポイントがいかにして中国の体制移行を国家資本支配という方向へ向かわせたのかについて,詳細な分析を行っている。

第3章は,国有企業の株式会社化について取り上げている。株式会社化の進捗状況や大手上場企業の国有企業率,国有企業の資金調達規模等を統計資料で確認した上で,鞍山鋼鉄集団における株式会社化の実態を綿密に検討した。これらを踏まえて,中国における国有企業の株式会社化改革は,通常の赤字国有企業の私有化よりも,株式会社本来の資金調達機能を活用しながら,社会的遊休資金を国有資本に結合し,国有企業の資金力を強化するところに目的があった,と指摘している。

第4章は,1990年代から2000年代にかけて進められた国有企業の民間への払下げについて取り上げている。払下げを理論面から支えた「瞰制高地」(後述)支配の構想を検討した上で,鉄鋼業の事例を中心に払下げと集約の実態を詳細に描写している。最後に,払下げは「国有企業の公共分野への限定を意味するもの」ではなく,むしろ「非重要産業を積極的に民間に開放すると同時に,国有企業を戦略拠点に集約して強化する」ものだったと論じている(160ページ)。

第5章は,国有企業の合理化改革の問題を取り上げている。計画経済期における国家の「工廠」としての国有企業がいかにして,産業資本的な性格を持つ国家資本に変容したかについて,①「国家資本の萌芽(1978~92年秋),②「国家資本」化改造(1992年秋~96年),③「資本」的性格の開花(1997~2003年)という三段階に分けて,著名な邯鄲鋼鉄の合理化経験等を踏まえて,詳しく検討している。最後に国有企業は,「国家目標を追求すると同時に,それなりに利益を追求する「国家」性と「資本」性を兼ね備えた存在に変容し」た(218ページ)と結論づけている。

第6章と終章とも,中国共産党と国有企業の関係に焦点を当てている。第6章は,①国有企業の主要幹部人事を党の人事部門が掌握していること,②党組織が国有企業の内部に設置されていること,③党本位のガバナンスが広範に観察されること,という3点に着目しながら,湖南省や泉州市といった地域レベルの国有資産委員会での具体的な人事案件の検討も踏まえて,国有企業は「究極的には,党によって領導される「党国家資本」である」(226ページ)ことを明らかにしている。

終章では,党国家資本の問題点と国有企業改革の方向性について論じている。国有企業幹部の独断専行と汚職の問題,営利性と公益性をめぐるバランスの混乱,という2つの問題点を指摘した後,2015年の「国有企業改革の深化についての指導意見」を中心に,国有企業改革の構想や方向性,その後の実際の展開等を紹介している。

本書の最大の貢献は,国有企業の本質が党国家資本であり,党国家資本化した国有企業が中国の市場移行プロセスにおいて積極的な役割を果たしていたことを論破したことである(注1)

党国家資本主義の視点から中国の政治経済体制を論じる研究はいくつかみられるが,そのほとんどは批判的な立場から議論を展開している[余 2022; Pearson, Rithmire and Tsai 2021]。これらの研究に対して,本書は国有企業の問題点にこそ触れているものの,むしろその党国家資本としての存在合理性の説明に議論の重点を置いている。たとえば,序章において著者は,「国有企業の『党国家資本化』によって国有企業の影響力が担保されることで,中国共産党が躊躇なく私営企業の成長を許容し,外資を大量に誘致して経済を発展させる選択肢を得た」(6ページ),国有企業の党国家資本化は「中国共産党にとって経済発展と体制維持を両立させる上での不可欠な前提であった」(6ページ)と述べている。終章のほうでも,党国家資本に改造された国有企業を「まさに奇策ともいえる発明物」(305ページ)や,「市場経済の「社会主義」性を担保する重要な支柱」(306ページ)として,高く評価している。

このような国有企業の党国家資本としての存在合理性に着目した研究は,2つの意味で重要であると,評者は考えている。第一に,旧ソ連や東欧諸国と比べて,中国がなぜ市場経済への移行を比較的スムーズに進められたかについての膨大な研究蓄積に対して,新たな解釈を加えた,ということである。この課題に関して,これまで経済改革が漸進的だったかどうか[張・易 2010],あるいは中ソにおける経済組織の構造的な違い[Qian and Xu 1993]など,経済的な視点から原因の究明が試みられていた。しかし,こうしたアプローチでは,その後,中国において完全なる自由市場経済への移行が進まなかった理由をうまく説明できない。この点を理解するためには,やはり本書のように,党国家資本としての国有企業の性格に着目しながら,中国の政治経済体制の本質に迫っていくことが必要であった。

第二に,本研究は米中対立における双方の認識のずれの根源を理解することにも役立つ。アメリカは,中国による民主主義や自由市場経済体制への移行を必然的な帰結とみなし,40年以上にわたって関与政策の効果に強い期待を寄せ続けていた。それに対して,著者が指摘しているように,中国は市場経済への移行後も,経済発展と体制維持の両立を図ろうとしており,国有企業の影響力を維持する方針を一度たりとも放棄することはなかった(64ページ)。この意味において,同床異夢の両国がいずれ袂を分かつことは,当初から決まっていた,といえる。

本書の第二の貢献は,瞰制高地支配という構想に着目し,それが中国における国有企業改革や政府と民間の関係を理解する上での重要な視点であることを明らかにしたことである。

瞰制高地は,本来,「戦略上の要衝となる高台のこと」(125ページ)を指す古い軍事用語である。中国共産党は,1993年の「社会主義市場経済体制を確立する上での若干の決定」において「国有セクターによる瞰制高地の制圧(国有経済控制国民経済命脈)」という構想を提起した。その後,付表4-1(161~164ページ)で入念にチェックされたように,歴代の党大会・中央委員会総会で,この概念が繰り返し強調されてきた。中国共産党は,国有セクターによる瞰制高地支配を進めることで,「伝統的な全方位一律の公有制支配を放棄して,国有企業を経済の支配拠点となる重要産業や業界大手に集約し,強化すべき国有企業を強化することによって,経済を活性化しながら,重要産業や業界大手の影響力を梃にした公有制支配を実現」しようとしていた(125ページ)。

瞰制高地支配という視点の導入は,中小国有企業払下げの背景の理解に資するだけでなく,今日の中国の経済体制をめぐる多くの謎を解く上でも,重要な鍵を提供していると考えられる。たとえば,2010年代以降,中国経済において国進民退があったかどうかについて,激しい論争が展開されていた。資産規模や投資額,利益率など多くの指標を用いて国有企業のプレンゼンスの変化が考察されていた。しかし,瞰制高地支配の視点からみれば,この議論自体,つまり国有企業の国民経済に占める比率が高まったかどうかは,あまり意味をなさないことがわかる。なぜなら,比率の問題よりも,国有セクターによって中国経済の戦略的部門が支配されているかどうかこそ,瞰制高地支配の構想のエッセンスだからである。

中国政府によるデジタルプラットフォーマー規制も,瞰制高地支配の視点を取り入れれば,理解がしやすくなる。近年,デジタルエコノミーの台頭に伴って,アリババが運営するタオバオのような電子商取引サイトや,テンセントが提供するWeChatのようなソーシャルメディアは,中国経済を支える重要インフラに変身を遂げている。これらのプラットフォームを主体とするインターネット産業の成長は,もっぱら民間企業によってけん引されてきた。しかし,瞰制高地支配の構想からすれば,こうした新興産業が長い間,国有セクターの影響下に置かれてこなかったのも実情である。この角度から考えれば,2021年以降のプラットフォーマーへの厳しい締め付けや,2023年の中国政府によるアリババとテンセントの黄金株(拒否権付き株式)の取得は,いずれもインターネット産業における瞰制高地支配を実現するための手段だったことが明白である。

本書において,党国家資本化が国有企業の効率性の改善に貢献していることが強く主張されている点も特徴的である(4,67,165,211ページ)。たとえば第5章では,国有企業について「少なくとも『産業資本』的な存在として市場経済のなかで運動し,一定の利益を計上するという能力においては特に問題のない水準にある」,「国有企業の経営が民営企業や外資企業と比べて著しく非効率であると見なすのは通念に囚われた錯覚にすぎない。国有企業を旧来型の硬直的で非効率なイメージで把握すると分析を誤ることになる」(211ページ)といった強烈な主張が展開されている。

この論点を支持する図5-5(210ページ)をみると,確かに1998年以降,国有企業の売上高利益率,総資産,利益率,総資産回転率のいずれも,2008年の金融危機まで顕著な回復をみせていた。なかでも,売上高利益率は金融危機後も一定の水準を保っていた。鉱工業部門の売上高利益率についてみると,国有企業の数字は(民間企業を含む)業界全体とほぼ同水準で推移していた(214ページ図5-6)。

国有企業の「それなりの経営パフォーマンス」について,本書はおもに改革開放後,三段階にわたって展開されていた合理化改革とその結果としての国有企業の産業資本化に理由を求めている(第5章)。この点は,詳細な統計や鉄鋼業を中心とする膨大な資料によって裏づけられており,かなり説得力がある。しかし,国有企業が非効率であることは,近代経済学もしくは一般世論においてほぼ通説になっている。評者なりに指摘させていただくと,こうした通念を覆すには,今後,下記2つの面において,より一層立ち入った検討が求められるのでは,と考えている。

第一に,国有企業非効率論に対して,より積極的な批判を展開することである。国有企業の比較的良い経営パフォーマンスは,中国政府による参入規制や財政支援の結果にすぎない,とする批判がよくみられる。この点に関して,本書では「巨大化した国有企業の総体を,参入規制や財政支援だけで支え続けることは中国共産党といえども容易ではない」(166ページ)と述べるにとどまっている。しかし,国有企業に対する(銀行融資など広い意味の)財政支援や温情主義的な扱いは,すでにコルナイによって「ソフトな予算制約(Soft Budget Constraint)」という重要概念として提起されており,近代経済学の世界で絶大な影響力を保っている[Kornai 1986]。アプローチが異なるとはいえ,このようなキー概念との対話を進めることは,国有企業をめぐる議論の水準を高める上で重要な意味を持つ。また,参入規制と国有企業の経営パフォーマンスの関係についても,産業別,時期別に詳細な検討が加えられれば,より説得的な結論が導かれるだろう。

第二に,産業論的な視点を取り入れることによって,国有企業の効率性をより積極的に論じることである。前述したように,本書の議論では,瞰制高地支配という概念が多用されている。産業システムの視点からみると,瞰制高地に位置する国有企業と,それ以外の領域に位置する民間企業,外資系企業の間で,なんらかの分業と協業の関係が構築されているはずである。2010年代以降,中国の多くの産業セクターが高度化を成し遂げ,高い国際競争力を持つに至ったのは,これらのアクター間で形成された相互依存や棲み分けの関係によって支えられている部分が大きかった,といえよう。逆に,国有企業の効率性や革新性も,こうした産業システムの存在によって一層,高まったことが考えられる。このように,国有企業を瞰制高地とする中国独特の産業システムの実態が解明できれば,国有企業の効率性への理解がより深まることが期待できる。

総じていうと,本書は政治経済学的アプローチにより,中国の国有企業改革と市場移行に関する研究を大きく前進させた重要な成果であると評価できる。中国研究の専門家のみならず,中国独特の政治経済体制に関心があり,米中対立の行方を知りたい方々にも強く勧めたい一冊である。

(注1)  評者の知っている限り,本書の著者により執筆された中屋[2013]は,中国大陸の政治経済体制を党国家資本主義と称した最初の研究である。ただ,その後の研究において,著者はこの用語を「『党国家資本』に主導された経済」に修正している(序章注5)。なお,台湾の党国家資本主義については,陳ほか[1991]の先行研究がある。

文献リスト
  • 中屋信彦 2013.「体制移行の錯覚と中国の国家資本」『経済科学』60(4).
  • 陳師孟・林忠正・朱敬一・張清溪・施俊吉・劉錦添 1991.『解構党国資本主義-論台湾官営事業之民営化』自立晚報社.
  • 余英時 2022.『余英時評政治現実』INK印刻文学生活雑誌出版社.
  • 張維迎・易綱 2010.「中国漸進式改革的歴史視角」張維迎『市場的逻辑』上海人民出版社.
  • Kornai, J 1986. “The soft budget constraint.” Kyklos 39(1): 3-30.
  • Pearson M, M.Rithmire and K.S.Tsai 2021. “Party-state capitalism in China.” Current History 120 (827): 207-213.
  • Qian, Y and C. Xu 1993. “Why China’s economic reforms differ: the M-form hierarchy and entry/expansion of the non-state sector.” CEP Discussion Paper (154). Centre for Economic Performance, London School of Economics and Political Science, London, UK.
 
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