アジア経済
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書評
書評:中戸祐夫・森類臣編著『北朝鮮の対外関係――多角的な視角とその接近方法――』
晃洋書房 2022年 246ページ
廉 文成
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2024 年 65 巻 1 号 p. 70-73

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Ⅰ 本書の概要

本書は日韓の若手研究者らが各々のアプローチから朝鮮民主主義人民共和国(朝鮮)の対外関係について論じたものである。

日本の国際関係領域,とくに国際政治の領域における朝鮮研究では,国際の平和と安全に対する脅威としての朝鮮という位置づけから,安全保障と関連する議論が展開される傾向が強い。日本の防衛省によると,朝鮮は2022年の一年間で巡航ミサイルなどを含め37回,少なくとも73発のミサイルを発射しており,これらに関連する報道が繰り返されるなかでは,ある意味当然な傾向とも言える。しかし「国際関係のなかの朝鮮」という視点を意識すれば,問題関心の幅はさらに広がっていく。

本書は扱う射程を外交・安全保障に限定せず,多角的なアプローチから朝鮮の対外関係の多様な側面を考察しようとする意欲的な試みとして注目に値する。構成する論文が依拠する方法論も多岐にわたる。

本書は編者の一人である中戸による序章(「北朝鮮の対外関係をどう研究するか」)を除き,全9章から構成されている。第Ⅰ部では朝鮮の「対外政策と国際認識」,第Ⅱ部ではその「文化外交・ソフトパワー」に関する論考が収録されている。本書の構成は以下のとおりである。

  • 第Ⅰ部 対外政策と国際認識
  •  第1章 1950年代の北朝鮮における「平和共存」言説――ソ連の「平和共存」路線の受容と軍縮の努力――(金泰敬)
  •  第2章 文在寅―金正恩時代の南北関係――短かった雪解け,再び凍結――(曺燦鉉)
  •  第3章 ウラン濃縮をめぐる北朝鮮の対米核交渉――宣言―証明―合意――(張瑛周)
  •  第4章 国際社会の人権圧力に対する北朝鮮の外交(李敬和)
  •  第5章 北朝鮮と台湾の関係――海外派遣労働者を巡る問題を中心に――(宮塚寿美子)
  • 第Ⅱ部 文化外交・ソフトパワー
  •  第6章 メディアを活用した中朝関係研究(許在喆)
  •  第7章 北朝鮮における体制維持のためのスポーツ活用の特徴について――金日成・金正日・金正恩体制期を中心に――(宋基栄)
  •  第8章 金日成唯一支配体制期の学術定期刊行物と『1965年体制』批判――『日米韓帝国主義』批判と歴史学・考古学研究――(長澤裕子)
  •  第9章 万寿台芸術団の対日文化外交――芸術と宣伝扇動の相克――(森類臣)

序章では,韓国における「北韓」(朝鮮)研究で採用される二つのアプローチ,すなわち内在的接近法(朝鮮の体制が設定する理念や論理を基準としてその社会現象を分析しなければならないとみる方法論)と外在的接近法(朝鮮という研究対象を客観的・外部的な視角から分析する認識の方法論)について紹介し,国際関係の諸理論を用いて朝鮮を研究する可能性と意義が記されている。

本書の特徴として,第一に,朝鮮の対外関係について多様な観点から議論しようとしていること,第二に,研究者個人の選好する多様な方法論を用いて論じていることを挙げ,副題の「多角的な視角とその接近方法」について説明している。

第1章では,1950年代のソ連の「平和共存」路線に対する朝鮮の対応について述べられている。「平和維持」を「平和統一」の前提条件とする朝鮮の「平和政策」に対する考察である。とくにソ連の「平和共存」路線の延長線上にある軍縮措置に沿って8万人の朝鮮人民軍兵力を削減した事例と,この措置が北ベトナムと東ドイツの兵力削減を伴った点について言及しながら,当時の国際的な流れに沿った朝鮮の行動について言及している。

第2章は,2018年の南北和解と協力の基調が敵対と葛藤の関係へと変化した原因を究明し,持続可能な南北関係の発展のための条件を提示することを目的としている。朝鮮は南北対話の先に米朝対話を見据えていて,核問題の解決が米国の東アジアにおける戦略的利益に合致するまでは,米国は今後も対朝鮮交渉に乗り出さないであろうと述べており,かつ韓国の対米自立性の欠如に対する落胆が朝鮮の対韓信頼を失墜させたと指摘する。

第3章では,2009年5月に行われた朝鮮の二度目の核実験に対する国連制裁決議(1874)に反発した朝鮮が,初めて公式にウラン濃縮計画に言及(宣言)し,翌年11月には訪朝した米科学者たちにそれをみせ(証明),2012年2月29日にウラン濃縮計画の一時停止に関する合意が達成(合意)した事例から,対価獲得としての核保有という前提にもとづき,「宣言―証明―合意」のプロセスが,核能力を用いて譲歩を得ようとする朝鮮の交渉スタイルであると述べている。

第4章は,朝鮮の人権問題を取り巻く外交に関する考察である。人権改善の圧力を政治的意図が内包された圧力とみなす朝鮮の外交的対応方式について述べられている。1980年代以降の人権に関連する朝鮮の外交的対応について整理し,そこで確認される融和的な対応を外交的孤立から脱却するための努力であると指摘する。また朝鮮は,米国が核と人権をセットで自国を圧迫しているとみなしていることから頑なな姿勢を見せていると述べており,また国際人権機関の審査を受け入れる際は強く反発しながらも人権状況の改善に向けた努力も払ってきたことについて言及している。

第5章は,朝鮮と台湾の関係に対する研究である。朝鮮と国交を有さない台湾への海外派遣労働者について,現地でのフィールドワークにもとづく実態調査の結果について,また1940年代にソ連への派遣から始まった朝鮮の海外労働者派遣に対する調査結果について整理している。

第6章では,メディアをとおした中朝関係に関する先行研究を整理し,ネットワーク分析とテキストマイニング技術を活用し,メディアに現れた中朝関係について考察している。中朝関係の推移は双方のメディアをとおして確認することができると述べており,中国のインターネット管理の姿勢もそれを反映していることが提示されている。

第7章では,朝鮮建国後,各体制期のスポーツの目的を分析しその役割を比較検討している。ソ連の社会主義スポーツ文化を基礎にして始まった朝鮮のスポーツは南北体制競争の影響下におかれ,1960年代は労働と国防のための手段として普及したことや,新生独立国家との友好進展と対米対抗的なスポーツ外交を推進したことなどについて述べられている。

第8章は,植民地支配からの解放後,日本の植民統治を正当化する「植民史観」を是正するための調査研究として出発し,朝鮮総督府の方針から離れ多くの成果を上げた分野である朝鮮半島の考古学,歴史学についての研究である。とくに科学院の機関紙『歴史科学』に着目し,権力と研究機関の関係を分析している。

第9章は1970年代初頭に至りグローバルな国際政治構造が変化するなか,1973年8月から9月にかけて日本の各地で巡回公演を行った朝鮮の万寿台芸術団に関する考察である。同芸術団が世界と日本で行った公演日程およびその評価について,とくに,同芸術団日本公演の背景と過程,公演内容と評価,その対日文化外交がもつ意味について述べられている。

Ⅱ 本書の意義

以上に挙げたように,外交政策や南北関係,メディアやスポーツ,学術,文化と,扱われているトピックと採用されているアプローチは多岐にわたっており,今後,朝鮮の対外関係に関する研究の裾野の広がりが期待される。

とくに,朝鮮研究が「国際関係史」のアプローチから行われている点が興味深い。第8章の長澤論文は,考察対象とする雑誌の科学性と進歩性に対する検証を行った上で,同時代の日本の学会誌と対比しながら,それが反植民地,反帝国主義,民族解放を唱えていることについて,東アジアの同時代的な現象であると指摘している(199ページ)。また当時の日本の地域研究との類似性(国際関係史というアプローチ)についても指摘しており,アジアの被抑圧民と連帯する朝鮮という視点を意識した研究となっている。これについて評者は朝鮮の体制が設定する理念や論理を国際関係史のアプローチから内在的に理解する試みとして注目している。

また森による第9章は,1970年代初頭のデタントを背景に展開された朝鮮の文化外交に対する研究という点で非常に興味深い。南北双方は国際政治のグローバルな構造変化により生じた緊張緩和に後押しされながら,芸術分野においては海外に芸術団を派遣し南北間体制競争を繰り広げた。しかしそれを決して「外交史」の文脈でのみ捉えるのではなく,同時代の文化人による万寿台芸術団に対する力量評価を提示しながら,文化交流が当時もたらしたインパクトについても言及している。森が指摘するとおり,あくまでも基礎研究の段階にすぎないが,「冷戦構造と日朝関係」という視点から今後さらなる発展が期待される。もちろん「冷戦構造」を権力の分布としてのみ一面的に捉えると日朝関係に対する視点も限定されてしまうであろう。冷戦構造の多層性や冷戦以前から植民地支配という関係が規定する日朝関係,また1970年代中葉から活発化した朝鮮の第三世界外交等を考慮に入れた,深みのある研究へと発展することを期待したい。また1978年,83年,86年の3回にわたる平壌学生少年芸術団の日本公演も含め,在日コリアンコミュニティーと朝鮮の対外文化活動の関係に関する研究も期待される。

Ⅲ 朝鮮の国際関係を研究する上での課題

本書が提示するように,朝鮮の対外関係といってもその研究対象の幅は非常に広い。歴史的にも1948年の建国から今日に至るまで朝鮮は国際政治の影響から逃れられたことはなく,東西冷戦体制下から現在の国際環境に至るまで政治的背景は時期ごとに異なる。そのため朝鮮の対外関係全般を一冊の書籍で十分に議論することは困難であるが,本書をとおして見受けられるいくつかの特徴的な課題について指摘してみたい。

第一に,国際政治の大局的な状況全般に対する理解である。第1章が扱う朝鮮戦争後の米ソ関係は,米国の大量報復戦略とそれに対応するソ連の軍拡の時代であり,ソ連のいう「平和共存」は軍事力の均衡を前提とするものであった。1956年4月30日の『労働新聞』に掲載されたフルシチョフの演説を確認しても,ソ連は軍備管理への意思を表明しているわけではない。むしろ通商の制限はソ連の技術発展を抑制することはできず,西側はソ連を対等な地位を有する国家として認めるべきだと主張している。そのような状況下で朝鮮は東側陣営からの援助の下で戦後復興事業を進めながらも,引き続き外部勢力の排除という「民族的課題」が未達成の状態であったとも言える。このような観点に立った場合,冷戦史の研究動向をフォローした上で,朝鮮が言う「平和維持」が何を意味するものであったのかについても,内在的に定義づける作業が求められる。

第二に,朝鮮の対外政策全般のなかでの位置づけに関する問題である。第5章の宮塚論文は朝鮮と台湾関係という希少な事例を扱っているが,その経済関係について「非公式に歪な形で継続されてきている」(128ページ)と記している。しかしその歪さがどのように生み出されているのかについては述べられていない。希少な事例に着目することが,朝鮮に対する理解を広げるだけでなく,深める上で有益となる。そのためには,朝鮮の対外政策全般のなかでの位置づけ作業が求められる。本文では,朝鮮中央年鑑には正式な国交がない日本の国旗があるものの,台湾の国旗はなく,国連への加盟が認められていないパレスチナの国旗があることについて述べられているが,パレスチナに対する朝鮮の立場は,朝鮮の政治地図を見ればわかり,そこには「パレスチナ(イスラエル強占)」と記してある。朝鮮の外交原則を理解する上で考慮に入れるべき視点は,第三世界との連帯である。とくに台湾との関係は戦略的な性格が強い。2017年に台湾が朝鮮との貿易を禁止し,労働者派遣の動きが止まったのはトランプ政権による圧力の強化によるものであり,関係性は相互的と言える。上記の点に加え,今後,制裁が強化されるなかで朝鮮の人々がどのような暮らしを営んでいるのかに対する踏み込んだ調査も期待したい。

第三に,南北関係を一般的な外交関係ではなくむしろ民族間問題として,そのおもな課題を分断の解消として捉える視点である。第2章では最近の南北関係が破綻した経緯について論じているが,朝鮮は文在寅政権が「仲裁者」としての役割を担えないからではなく,朝鮮半島情勢の不安定性を生み出し続ける戦争体制を解体する上で文在寅政権が応分の役割を担えなかったことに対して,同族として落胆したと言える。対南関係は外交関係とは異なる対外関係である点をふまえる必要がある。

Ⅳ 研究アプローチに関する問題提起

さらに研究アプローチに着目すれば,朝鮮の国際関係を観察・分析する上で,本書をとおしていくつか問題点も見えてくる。

第一に,比較の視点が欠如している側面である。第7章の宋論文はスポーツの政治的活用の特徴に関する論考であるが,スポーツが政治性を帯びることは朝鮮に限定される現象ではない。また特徴とは他と異なって目立つ点であるため,比較の視点が採り入れられなければ,特異性の強調が目的化されてしまう。さらにタイトル中に「体制維持のためのスポーツ活用の特徴」とあるが,これは東西冷戦終結後,東欧諸国との類推にもとづき「崩壊に直面する朝鮮」という主観的な朝鮮像から出発する発想と言える。

第二に,研究対象を自らが設定した理論的な枠組みに当てはめて説明を試みようとする姿勢である。第3章の張論文は朝鮮の外交交渉から一定のパターンを導き出すための試論であるが,核交渉に臨む米朝双方の目的の相違を脇におき,米側の視点から観察対象の行動パターンを規定している。米朝関係は相互不信とパワーの非対称性を前提とする軍事的対立関係である。圧倒的な対朝鮮(過剰)抑止力を維持しようとする米側に対し,そこから発生する過剰な脅威から逃れようとする朝鮮という対立構図を前提とすれば,対価獲得のための核能力の獲得という仮説から導き出される「宣言―証明―合意」のプロセスは,朝鮮の外交交渉の一側面しか説明し得ないどころか,現存秩序を保持し交渉における正当性を確保しようとする米側の論理を補強する立場から朝鮮を観察する傾向を是認する。経験的理論には説明力が求められ,説明の目的は一般的に因果関係の生起を論証することである。しかし説明する対象や現象を設定する際,そこに反映される政治的な立場について自覚的でなければならず,さもなければ政策志向の傾向に陥る。

これらと関連して第三に,観察者の「立場性」に関する問題についても指摘したい。現代朝鮮研究の学術的発展にとって国際関係の諸理論の適応は有効であろう。そしてもちろんそれは中戸が序章で指摘するとおり「学術的な分析および説明能力に関する問題であり,政治的な立場を表明する議論とは異なる問い」(4ページ)であるかもしれない。しかし朝鮮を取り巻く昨今の言説(学術的なそれを含む)は安全保障と関連するものが圧倒的に多く,朝鮮を軍事的に対峙する敵国としてだけではなく,忌み嫌う対象としてみなす,明白な「立場性」を帯びている。朝鮮の対外関係を構成する多様なトピックに対し,多様な方法論を採用することにより,外交・安全保障問題や,統一政策に焦点が集まる朝鮮の対外政策の射程を広げることは意義のある作業であるが,扱うトピックの多様性が「立場性」を相対化するわけではない。したがって朝鮮の対外政策について考察する際,何が問題で何を理解しようとするのか,もしくは何を問題視するのかについて設定するのは非常に重要な作業となるであろうし,これは考察の対象である朝鮮の人々が何を求め,何を問題視し解決しようとしているのかについて想像力を動員すること,もしくは直接的に確認することなしには達成し難いであろう。

編者は「それぞれの議論において北朝鮮の内的論理を踏まえて議論を展開している」(5ページ)と指摘するが,朝鮮の内的論理を朝鮮の人々の理解をふまえて議論を展開しているのかという点に関しては,課題が残る。むしろこの点こそ今日の日本における朝鮮研究に求められていると言えるのではないか。

今後,朝鮮研究の裾野を広げていくようなさらなる研究成果や,朝鮮研究のあり方を問うような研究が発展することを強く期待したい。

 
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