口頭構成法によらない口承文芸において、リテラシーには見られないオラリティ特有のものが見られるのか、またオラリティとリテラシーの間に不可逆的な断層が存在するかを、モノローグで語られる英雄叙事詩と同様に古い歴史を持つと考えられる口頭構成法によらないダイアローグ型の口承文芸である、壮族の掛け合いうたにおいて検討した。
壮族の掛け合いうたを書き起こした「春の歌」における失敗作は、非識字者によってうたわれたものであり、その要因は上下のうたの「つながり」に失敗したことによる。一方、識字者は「つながり」に失敗することはなかった。このことは、壮族の掛け合いうたにおいて、オラリティにおいては脆弱であるが、リテラシーにおいては強靭となる思考や表現のかたちがあることを示唆している。また「つながり」を重要視する他の文芸においても、同様なことがみられる可能性があることを、日本の連歌が示しているといえよう。