年報カルチュラル・スタディーズ
Online ISSN : 2434-6268
Print ISSN : 2187-9222
〈社会的な死〉を刻印された者たちへ
桐野夏生『グロテスク』における追悼のゴシップ
駒居 幸
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キーワード: 桐野夏生, ゴシップ, 売春婦
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2018 年 6 巻 p. 81-101

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抄録
1997 年に発生した東電OL 殺人事件は、東京電力で総合職を勤める被害者が夜には売春婦 として客引きをしていたことが明らかになると、一気に報道が過熱した。週刊誌を中心に 行われた被害者の私生活を暴くような報道は、売春婦が規範的な市民から疎外され、それ 故にその死が嘆かれえないことを示している。本論では、こうした売春婦の死を悲嘆し追 悼する作品として、桐野夏生『グロテスク』(2003)を取り上げる。 東電OL 殺人事件をモチーフに書かれた本作では、二人の売春婦が殺害される。本論では、 二人の姉であり、同級生である語り手の「わたし」の語りに着目をする。「わたし」は売春 婦の悪口=ゴシップを言いながらも、最終的には彼女たちの「弔い合戦」を行う。こうし た弔いはどのようにして可能になるのか。本作には、客観的なゴシップの「語り手」であ ろうとしていた「わたし」が、徐々に「語られる対象」としての「わたし」に一致して行 く過程が描かれている。本論は、この過程の中に「わたし」のメランコリーを読み込み、「わ たし」のゴシップが彼女たちの喪失を回避し、自らの内側に引き込むための儀式として機 能していること、そして、そうした儀式こそが売春婦の死の追悼を可能にしていることを 指摘する。
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© 2018 カルチュラル・スタディーズ学会
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