アラスカ州の歴史のなかでも,本稿で検証する1980年代は特別な時期である.それは,アラスカ史上初めて先住民のひとびとが土地を所有することになり,ひとびとがその土地(森林)において,自分たちが組織した株式会社による企業活動を行う,という経験を持つことになった,という点にある.
「1971年アラスカ先住民の請求にもとづく継承的不動産設定法(Alaska Native Claims Settlement Act: ANCSA)」の成立過程については,すでに報告した.この法律にもとづいて設立されることになった株式会社corporationには,地域会社regional corporationとコミュニティ会社village corporation(コミュニティ(村)単位の会社)とがあるが,本稿ではこれらを合わせて先住民企業native corporationsと呼ぶ.地域会社に対しては地上および地下の資源を含め,土地に関するすべての権利が配分されたが,コミュニティ会社には地上部分の権利だけが配分された(この詳細については,奥田(2012)参照).
1971年以前に先住民のひとびとが有していた,アラスカにおけるすべての権益と引き替えに,ひとびとは,この法律にもとづいて森林などの土地の配分および補償金を受けることになった.しかしながら,実際にその土地が配分されるまでには,ANCSA成立後なお10年ほどの期間を要した(奥田,2014).
先住民のひとびとは,多くの場合に,このような経過を経て得ることになった森林を開発することによって企業的な利益をあげようとした.それは,ANCSA が「先住民のひとびとの経済的自立」を目的としたことの結果でもあった.
しかしながら,持続可能な森林管理を展望したとき,木材生産の周期の長さ(たとえば,南東アラスカでは数10年から100年以上という)は,1980年代以降の先住民企業の経営に大きな影響をおよぼした,と考えられる.
本報告では,以上の点について,南東アラスカの森林面積規模の大きな地域会社(シーラスカ株式会社;以下,シーラスカ)と小規模なコミュニティ会社(フーナ・トーテム会社;以下,フーナ・トーテム)を事例として,1980年代の経験を比較検討し,南東アラスカにおいて持続可能な森林管理を実現しうる森林面積の規模などについて考察する.
ANCSA中に,株式会社による経済的自立を図る,という原案を検討した際に参照されたと考えられるメリアム・レポート(Meriam, 1928)の執筆者たちは,当時旧48州で進められていた居留地における個々人への森林の配分allotment of timber landには反対であった.なぜならば,森林の管理には,長期的な視点と大きな投資(額)が必要になるからであった.長期にわたる持続可能な森林管理は,政府が対応すべきこと,と考えられた.また,株式会社方式による森林管理についても,ただちにこれを是とすることもなかった.
結局,南東アラスカにおけるANCSA および1980年アラスカ・ナショナル・インタレスト・ランズ保全法(Alaska National Interest Lands Conservation Act: ANILCA )によって,アメリカ合衆国史上初めて,先住民のひとびとによって組織された株式会社方式による森林管理の実験がおこなわれることになった(Meriam, 1928: p. 466).
ANCSAにおいて先住民企業は,「先住民のひとびとの経済的自立」を達成するための組織,と位置づけられた.ただし,アラスカ先住民のひとびとにとって企業活動の目的は,ときに企業活動による雇用の創出であったし,その収益を活用した子供たちへの教育投資などであった.すなわち,より長期的にみた地域経済の基盤強化もまた,株式会社が担うべき課題だ,と考えられていた(Colt , 1991: p. 21).このような長期的な課題を株式会社であるコミュニティ会社が担わざるをえなかったことがその経営をより困難なものとした.
かくして1980年代には,多くのコミュニティ会社は,木材生産についてみるかぎり経営に失敗することになった.その原因は,木材生産業における初期投資額の大きさを十分に考慮することができなかった点にあった.詳細については,以下(2)で述べる1.
(2) コミュニティ会社の1980年代ANCSAにもとづく土地の配分は,1979年から本格的に始まった(Knapp, 1992: p. 9 Table-3).そして,当初の配分予定面積は,シーラスカに対しておよそ26万7,250 acre,また,各コミュニティ会社には,それぞれ2万3,040 acreであった.
土地の配分を受けて,1980年代に入ると各コミュニティ会社の木材生産が本格化する.表1にコミュニティ会社12社全体の木材伐採総量と地域会社であるシーラスカの伐採量の推移を示した.
| 財政年 | シーラスカ | 全コミュニティ会社 | 合計 | 森林局 |
|---|---|---|---|---|
| 1979 | — | 19 | 19 | — |
| 1980 | 16 | 55 | 70 | 480 |
| 1981 | 45 | 77 | 122 | 387 |
| 1982 | 55 | 155 | 209 | 370 |
| 1983 | 25 | 207 | 232 | 250 |
| 1984 | 22 | 180 | 202 | 261 |
| 1985 | 50 | 214 | 203 | 232 |
| 1986 | 56 | 243 | 299 | 291 |
| 1987 | 101 | 234 | 411 | 336 |
| 1988 | 110 | 298 | 408 | 396 |
| 1989 | 80 | 533 | 613 | 445 |
| 合計 | 560 | 2,243 | 2,848 | 3,448 |
資料;Gunnar(1992)p. 2 Table-1およびp. 31 Table-11により作成.
コミュニティ会社の木材収穫量は,1982年から1986年にかけて劇的に増加した.しかし,この間,木材市場は不況であった.これとは対照的に,同期間,シーラスカの収穫量は1981年と同程度か,それ以下の水準にとどまった.そして,1987年に市場が好転すると急激に増加した(Knapp, 1992: p. 29).
また,表1をみると,コミュニティ会社の動向は,トンガス国有林における伐採量の推移と比べても,特異なものであったことが分かる.この1980年代に「ほとんどの先住民企業は,土地を担保として,伐採業に参入するための設備や労働者雇用のために大きな借入金をした」.しかしながら,この借入金は会社の経営を圧迫する場合が少なくなかった.フーナ・トーテムもそのような会社であった(Durbin, 1999: p. 145).
ANCSAによってシーラスカに配分された補償金は,9,300万ドル(名目額)であった.この数字を用いて,フーナ・トーテムに配分された補償金の総額を推計すると,およそ245万ドルであった(別途,ほぼ同額が株主である先住民のひとびとに個人宛配分された).これが,フーナ・トーテムの資金の一部となった(Arnold, 1976: p. 194 and p. 218):フーナ・トーテムへの配分総額は,総額を株主数比率で配分した.当時,シーラスカの株主が16,500人で,フーナ・トーテムは868人であった.この補償金だけでは,木材生産に新規参入するには十分ではなかった,ということである(Colt, 1991: p. 7 Figure 3).
そして,実際には,この借入金の返済のために,1982年から86年にかけて,木材不況期にもかかわらず,フーナ・トーテムのようなコミュニティ会社は,伐採量を増やさざるをえなかった.当時のフーナ・トーテムのようすを,もう少し詳しくみてみたい.
たとえば,「1982年以来理事会の役員であったオジー・シークリーOzzie Sheakleyは,困難な当時のことをよく覚えている.彼は『フーナ・トーテムにあったものは木材だけだった.会社の経費を支払うためにちょうど十分なだけの木材を伐った.理事会の役員は役員報酬をあきらめ,最高経営責任者CEOは理事会に対して破産手続きに入ることを勧めた.…(中略)…もちろん,わたしたちは破産手続きはしなかった.しかしながら,破産の瀬戸際から抜け出すことは骨の折れることだった』と語った」(Huna Totem Corporation, 2009: p. 4).
フーナ・コミュニティ(村)におけるフーナ・トーテムによる伐採は,1980年代に始まり,2000年まで続いた.フーナ・トーテムは,1985年までにフーナ・コミュニティ周辺の土地において,1,200 ha(およそ3,000 acre)以上伐採した.破産に直面して,1994年にはフーナ・トーテムは,彼らの土地の立木伐採権をシーラスカ木材会社Sealaska Timber Corporation(シーラスカの100%子会社)に売却した2.
コミュニティのひとびとが景観やサケの生息域が損なわれる,と反対したにもかかわらず,シーラスカ木材会社は,1996年にフーナ・コミュニティ近くの山の斜面を集中的に伐採した.このような伐採は,「自然保護」派のひとびととの間に,生態系の保全をめぐる大きな軋轢を生じさせる結果となった(Cerveny, 2007: p. 18).
フーナ・トーテムは,初期の財政上の厳しい制約から抜け出すために伐採を行った.「われわれは,あまりに大きな負債を抱えていたので,大量の伐採をしなければならなかった」とフーナ・トーテムの会長でもあり,フーナ・コミュニティの長でもあったアルバート・ディックAlbert Dickは言った.「われわれは,土地を担保collateralとした.そして,それはひどい間違いだった.次の2~3年,われわれは再起のために,60~70 MMBF(million board feet)伐採した.…(中略)…しかし,他のひとびとは,(コミュニティ;引用者)周辺での大量の伐採が,先々のシカの生息数に打撃を与えるであろうことを恐れた」(Thomson, 1988: p. 2/3)3.
フーナ・トーテムと同様に,多くのコミュニティ会社が1982年から86年にかけての木材不況(木材価格の低下)に苦しんだ.しかしながら,多くのコミュニティ会社は,以下の3.で述べる「営業純損失」の譲渡によって破産を免れたのであった.
(3) シーラスカの1980年代つぎに地域会社であるシーラスカについても,その木材生産の推移を表1によって確認しておきたい.シーラスカの場合には,不況期とされる1982年から1986年にかけての5年間は生産が抑制され,不況期を抜けると急激に生産が拡張されたことが分かる.
この点について,たとえばシーラスカの1985年報告書は,経営上の長期目標の見通しを,つぎのように語っていた;
「われわれの(ANCSAにもとづく;引用者)土地選択は,当初から,注意深く行われてきた.一般的にわれわれの土地は,木材と鉱物資源の潜在性に着目して選択されてきた.…(中略)…20年から50年後を見通すと,…(中略)…シーラスカは持株会社となっており,初期の木材生産によってえられた資本金によって可能となった投資活動を管理しているだろう.…(中略)…シーラスカはきっと,自分たち自身の森林の再生に取り組み,持続可能な,将来における収穫の計画を立てているにちがいない.そして,その再生の周期は60年~100年となるであろう」(Knapp, 1992: p. 36).
また;
「シーラスカ株主 Sealaska Shareholder」(1988年3月)の中で,シーラスカの資源担当上級副取締役は,かつてつぎのように語った;
「…(略)…南東アラスカのいかなる先住民企業も,経済的に持続可能な生産量をなんとかやりくりできるほどに十分な森林面積は有していない.南東アラスカでは,木々の再生には80年~100年かかる.持続可能な木材収穫を維持するためには,シーラスカは,年間の収穫(面積;引用者)を2,500 acre以下に抑制しなければならない,そして,それぞれのコミュニティ会社は,おのおの年々200 acreよりも少なくしなければならない.」(Knapp, 1992: p. 35).
シーラスカの場合には,ANCSAによって初期配分された,コミュニティ会社に比べればはるかに大きな森林面積と資金,および上記のような長期的な経営方針があったがゆえに,1980年代の木材不況期には減産し,好況になれば増産することが可能であった.
しかしながら,そのようなシーラスカでさえ,1980年代の木材生産にともなう営業損失はまぬかれなかった.以下3.にみるように,その営業純損失の譲渡が可能となったことによって,経営の維持も可能となった4.
コルトColtによれば,1980年代にアラスカ州内先住民企業の林業生産にともなって生じた営業純損失について,それを合衆国内の他社に「譲渡」することができるとする条項が,1986年租税改革法Tax Reform Act of 1986に付加された(Colt, 1991: p. 13).その提案者は,アラスカ州選出の上院議員テッド・スティーヴンスTed Stevensであった(Durbin, 1999: p. 146).
この営業純損失を譲渡する仕組みはつぎのようなものである.たとえばアラスカ州内のA社が110ドル分の木材を,10ドルで伐採業者Bに販売して,100ドルの赤字を計上した,とする.この赤字分を「営業純損失」と呼ぶ.A社は,この損失を合衆国内のC社に譲渡できる.C社は,連邦政府に,この100ドルを課税対象額taxable incomeから控除してもらうことができる,というものである.
この営業純損失の譲渡によって,アラスカ州内の12の地域会社は総額で4億2,600万ドルを手にすることになった.この数字から純損失の総額が推計でき,それはおよそ15億ドルになる5.
アラスカ州先住民のひとびとに対する,ANCSAによる正式な土地配分は,1979年から本格的に実施された.配分された土地はトンガス国有林内の森林で,農業生産には適さず,木材を販売目的で伐採するか,または,原生林として維持するか,選択肢は限られていた.1980年代に,コミュニティ会社の多くと地域会社のシーラスカは木材生産に乗り出すことになった.
本稿で明らかになったことは,ANCSAによるシーラスカへの初期配分森林面積(26万7,250 acre)と補償金(9,300万ドル)は,経営上の資本蓄積および持続可能な森林管理を視野に入れることを可能とした,ということであった.
しかしながら,小規模なコミュニティ会社にとっては,その所有面積(各コミュニティ2万3,040 acre)は,資本の蓄積を可能にするにはあまりにも小さく,持続可能な森林管理は当初から考慮されるべくもなかった.小規模なコミュニティ会社の中には,木材生産のために借入した資金の返済すらできないようなものもあった.そのようなコミュニティ会社の中には,木材生産の経営がたとえ赤字であっても,コミュニティ内の雇用を優先する,というものもあった.
さらに,そのように初期の資本に恵まれたシーラスカでさえ,営業純損失の譲渡によって,救済を受けたのであった.
コルトはアラスカ州内12の地域会社の経営実態を,1980年代までの財務状況を中心に分析した(Colt, 1991).これに対して,本研究は,南東アラスカの木材生産を主たる対象として,コルトによっては触れられることのなかったコミュニティ会社を地域会社と比較することによって,先住民企業における木材生産の持続可能性の条件を検証したものとなっている.
以上により,南東アラスカにおいて「100年ローテーションにもとづく持続可能な森林管理」に到達できるためには,少なくともシーラスカ程度の森林面積と初期資本が必要だ,と考えられる.
本稿は,2011年度学術研究助成基金助成金(基盤研究(C))(23580307)による成果の一部である.
聞き取り調査および資料収集関係者一覧(ただし,2013年8月現在の所属・職階である.);
Ms. Eva V. Bornstein, Juneau Economic Development Council, Program Officer/
Ms. Chelly Wright, Southeast Conference, Executive Director/
Mr. Kyle Moselle, State of Alaska, Department of Natural Resources, Large Project Coordinator/
Ms. Maeghan Kearney, Alaska State Library, Government Publications Librarian/
以上のかたがたには,お忙しい中,貴重な時間を割いて聞き取り調査や資料収集にご協力いただきました.心からお礼を申し上げます.
ただし,1995年にフーナ・トーテムは,シーラスカ木材会社との間に15年間の立木伐採権の売買協定stumpage saleを結んだ,とする資料もある;Huna Totem Corporation,2009,p. 2(ただし,Knapp(1992),p. 42では,フーナ・トーテムは1987年まで伐採した,とされている).
この4億2,600万ドルは,連邦政府にとっては税収の減少額であった.
また,この「営業純損失」の譲渡は,1986年租税改革法;Public Law 99-514—OCT. 22, 1986: An Act to reform revenue laws of the United States (Tax Reform Act of 1986)の規定による.