農林業問題研究
Online ISSN : 2185-9973
Print ISSN : 0388-8525
ISSN-L : 0388-8525
書評リプライ
 『日本農民政策史論』
評者:玉真之介(第50巻・第4号)
伊藤 淳史
著者情報
ジャーナル フリー HTML

2015 年 51 巻 1 号 p. 62-63

詳細

拙著に対して玉真之介氏より3点のコメントをいただいた.コメントするに足る著書として取り上げて下さったことに感謝申し上げたい.玉氏は「誤解や理解不足の点は,著者のご寛恕を乞いたい」とされたが,拙著への評価として看過できない箇所も一部見受けられたため,以下リプライを行いたい.

第1に,「農民政策」の概念について.玉氏は①「人」重視の政策がなぜ登場したのかが検討されていないこと,②「人を直接の対象とする政策」という定義が抽象的で漠然としていることを指摘された.このうち②については次のコメントと関わるため後述する.①については小島庸平氏からも同様の点を指摘された(『歴史と経済』第226号,2015年).拙著は冒頭で研究目的を「農民政策の現在にまでおよぶ史的脈絡を明らかにするとともに,戦時・戦後日本農政について再考を試みる」ことと設定しており(p. 3),具体的な検討は戦時期以降の諸政策に向けられている.それ以前の時期については前史として序章で簡単に言及するにとどまったが,小島氏は「農民の自家労賃意識や人格承認要求に見られるような,「「個」の自立」の進んだところに,農民政策が成立する社会的・現実的な基盤があったのではないか」との示唆を行われた.農業政策において「人」の問題が浮上する要因については,筆者としても今後検討すべき論点として受けとめている.

第2に,日本農政における農民政策の比重について(書評には「農村政策の比重」とあるが改めた).玉氏は①農村中堅人物などリーダー層の重視と,勤労奉仕などの人的動員を農民政策として一括りに扱うことへの疑問を呈した上で,②戦時農政を「農村政策」から「食糧増産・配給政策」へのシフトと捉える視角から,「農村政策」において「人」が重視されたとしても農政全体に占める比重は低下したのではないかと指摘された.まず①について,筆者はまさにこれら性格を異にする諸事業が「人」に対するはたらきかけとして農林(農商)省内の同一部局で実施されたことに着目している.玉氏は「少なくとも,女学生まで「農民政策」に含めることには違和感がある」とされるが,農村中堅人物養成施設(農民道場)も女学生による勤労奉仕も経済更生部総務課によって所管されていた(拙著p. 64注14ならびにp. 140を参照).戦時末期(1945年3月)に農商省要員局として独立することになる,農民訓練から共同作業におよぶ「人を直接の対象とする諸政策」を筆者は農民政策と捉えている.次に②について,戦時期に食糧問題が最重要の農政課題となったこと,また食糧増産のために人的動員の本格的展開がもたらされたことには筆者も異論はない.しかし玉氏が「「あらゆる層の動員」は総力戦体制の基本的特徴であって,「人」の発見が前提条件とは言えない」とされることに対しては見解を異にする.前述の通り,戦時末期に人的資源の動員は要員局という独立の局を擁するにいたる.「人を直接の対象とする諸政策」を一括して所管する局の登場は,日本農政における「人」の発見という前提条件を抜きに考えられないのではないか.さらに,戦時農政において農民政策の比重が低下したのであれば,要員局の設置をいかに説明するのか.また,玉氏は農民政策の比重低下は「戦後になるとさらに進み,戦後開拓や農民道場,農業移民等も農政上に占める比重は,農村人口の都市流出と兼業化の進展に比例してますます小さくなっていった」と述べる.ここで玉氏のいう「戦後」が高度成長期であり(「農村人口の都市流出と兼業化の進展」),敗戦から1950年代にかけての時期が不問に付されている点に注意したい.敗戦直後に要員局は廃止され,同じ日に開拓局が設置された.戦後開拓はGHQ天然資源局長スケンクによる農相宛声明において食糧問題に次いで挙げられた重要課題であり,農林省にはリーダーシップの発揮が強く要求された(拙稿「戦時動員・占領改革と戦後日本農政」『日本史研究』第631号,2015年).農民政策は重要国策たる戦後開拓のなかにあらためて位置付けられて存続する.そして,1950年代になると「二三男問題」への対策として農民政策は再び脚光を浴びることとなった.その後の高度成長期における比重低下について異論はなく,筆者はここに日本農民の保護育成という「石黒農政」の終焉を見出して,1960年代以降の「基本法農政」を「石黒農政」からの農政転換とする把握を提示した(拙著終章).かかる把握に基づいて,拙著では玉氏の所論について「戦時農政と高度成長期の農政を直結させる」議論であるとの批判を行っている(p. 285).玉氏が書評の労をとって下さることから,筆者は戦後日本農政の把握に関する議論を期待したが,拙著における批判に対して応答いただけなかったことは残念であった.

第3に,農業教育論の先行研究について.玉氏は拙著では「農業教育と直接関わる第4章(中略)においても,農業教育論の文献はまったく参照されていない」と断じ,「先行研究がいま少し踏まえられたならば,(中略)終章の石黒忠篤論もまた豊かなものになったのではないか」と述べる.具体的には,①浜田陽太郎や折原俊二郎らによる先行研究の存在を指摘し,個別の論点として②経済更生特別助成に対する『興業意見』の影響,③石黒が「郷土会」のメンバーであったことにふれている.しかし拙著では,①第4章においてまさに浜田・折原両氏の先行研究を挙げた上で「これらはともに新農業大学校発足以前の段階における論稿であり,またいずれにも戦前と戦後,戦時と戦後の断絶・連続といった分析視角はみられない」と筆者の視角との相違点(本研究の新規性)を明示している(p. 162注2).そして行論においては藤岡貞彦や高山昭夫らの農業教育に関する先行研究に対しても論及を行った(拙著第4章ならびに引用文献欄を参照されたい).以上から,玉氏による「農業教育論の文献はまったく参照されていない」とのコメントは,拙著の内容に反し,かつ本研究の新規性を否定した評価であり,同一条件での訂正機会を与えられぬまま(このリプライが掲載される号より本誌の冊子体は原則として刊行されない),かかる評価が学会誌に残ることは筆者として受け入れがたい.なお,②について石黒は,高橋是清蔵相には「なかなか近ごろの言葉では通じない」ために小平権一が『興業意見』を持ち出したと証言していることから(日本農業研究所蔵『石黒忠篤氏談(第六回)』),予算獲得の方便であって影響を額面通りに受け取ることはできないと考えている.また,③郷土会については(玉氏は見落とされたようだが)拙著においても石黒・那須皓ら「内原グループ」と新渡戸稲造や柳田国男との関係を考察する際に終章で取り上げている(pp. 289-290注‍18).

本誌には書評リプライという制度があり,著書への評価を通じた議論の場が設けられている.玉氏のように,書評において対象著書の内容紹介をほぼ割愛されること自体はひとつの方法であろうが(ただし著書を未見の読者は戸惑うだろう),やはり著書の内容を踏まえたコメントでないと生産的な議論は成り立たないのではなかろうか.筆者としては,拙著の内容をより正確に踏まえられた上で,「石黒農政」から「基本法農政」への転換という筆者の示した戦後農政像について(肯定的であれ否定的であれ)玉氏からの評価をいただければ幸いである.

 
© 2015 地域農林経済学会
feedback
Top