農林業問題研究
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書評
浅見淳之著『農村の新制度経済学―アジアと日本』
〈日本評論社・2015年3月30日発行〉
厳 善平
著者情報
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2015 年 51 巻 3 号 p. 239-241

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1. 本書の構成

農村は都市と対の関係をなす用語であるが,前者は人類の歴史と共に古くから存続しているのに対し,都市は商業の発達,特に機械工業を中心とした近代的産業の発達に伴って生成し拡大してきている.農村を構成する伝統的な村落は血縁・地縁関係の上に成り立つ,農業を生業とする生活共同体であり,村落を構成する農家も,農家を構成する世帯員も助け合いを基本的な行動原理とする.対照的に,都市を構成する近代的な企業は利潤の最大化,企業で働く個人は効用の最大化を追求する経済合理的な主体であり,互いの行動を律するものは義務と権利の明文化された契約である.また,経済発展が進むにつれ,一国の人口や国内総生産に占める農村の割合が低下し,代わって都市の割合が上昇する,という統計的関係も観測される.以上は農村,都市,および両者関係に関する新古典派経済学の一般的な理解であり,その中に農村における人々の行動が必ずとも経済合理的でないという暗黙の前提が置かれているように思われる.

ところが,新制度派経済学の視点から現実の農村社会経済をみると,様々なインフォーマルな制度としての慣行,またはフォーマルな制度としての政治経済組織や法の中に,取引に関連した効率性が普遍的に組み込まれていると本書の著者が主張する.そうした考えの下,発展段階の異なるアジアの国々と日本の農村を対象に,文化,政治,法,統御組織などに内包されている普遍的な効率性を理論的かつ実証的に分析したのが本書である.下記は本書の構成である.

序章 農村経済と新制度経済学

第Ⅰ部 インフォーマルな農村制度―文化

第1章 中国農村の贈与と関係の文化に埋め込まれた経済取引

第2章 ジャワ農村の労働コモンズ慣行からの所有権確立

第3章 日本農村における相互扶助慣行の経済デザイン

第Ⅱ部 フォーマルな農村制度―政治,法,統御機構

第4章 中国農村の双層経営体制に関する組織デザイン

第5章 中国の双層経営体制下の農家と村の経営能力

第5章補章 中国の農地財産権の配分制度と平等性

第6章 中国における農地の財産権と収用に関する法の効率

第7章 トルコにおける草地破壊と法の失敗と効率

第8章 日本の地域農業組織のガバナンス・メカニズム

第9章 日本の農業金融制度におけるエージェンシー関係

第Ⅲ部 農村からのフードシステム制度―取引デザイン,農協組織

第10章 国際比較に見る青果物の売買方法

第11章 北海道の原料用バレイショの取引様式と機会主義

第12章 日本の加工用青果取引の交渉関係と取引デザイン

第13章 日本の農業と食品産業の間の垂直的調整

第14章 日本の農協共販での垂直的組織のデザイン

第15章 中国の農民専業合作社の垂直的組織デザイン

終章 農村制度の本質

2. 本書の概要

情報の完全性や対称性を前提とする新古典派経済学では,様々な家計や企業を主役とする市場の仕組みと機能が分析され,市場に対する政府の補完機能が強調されるが,家計も企業も1つの質点としか扱われず,企業が組織として存続する理由や,市場と共に経済システムを構成する様々な制度,法,行政組織のような統御機構への関心もほとんど払われていない.しかし実際,各国の経済システムの中に個性豊かな制度が存在し,農村にも土地制度,農業組織,労働慣行などで相違する形態が見られる.また,そうした制度はインフォーマルかフォーマルかにかかわらず,それぞれの経済システムの中で取引に関する効率性の達成に寄与していると著者は考える.こうした考えを実証分析するのが本書の主な狙いであり,それに先立ち,著者は,市場と制度の関係,新制度派経済学の系譜を展望した上で,取引,所有権および組織の経済学のエッセンスをまとめ,本書の各章で援用される分析枠組みを提示した(序章).

本書は3つのパートから構成される.第Ⅰ部でインフォーマルな農村制度としての「文化」,第Ⅱ部でフォーマルな農村制度である政治,法,統御機構,第Ⅲ部で取引そのものを制御する農産物のフードシステム制度に焦点が当てられ,取引に関連する効率性の達成という普遍性がいずれの制度の中にも組み込まれている仮説について理論的実証的に分析されている.

第Ⅰ部を構成する第1~3章では,中国農村における贈与によって結ばれた人間関係(guanxi,コネクションまたは縁故)の果たす経済的効率性,インドネシアのジャワ農村における伝統的な労働コモンズ慣行からの制度変化と効率性の達成,村落共同体を支えたユイ,テツダイおよびムラシゴトといった日本農村の相互扶助制度の変容と新たな市場環境への適用について精緻な分析が行われ,インフォーマルな制度としての「文化」に効率性の達成という普遍性が埋め込まれていることを明らかにしたとしている.

第Ⅱ部を構成する7つの章では,主に中国農村における基本的な経済制度としての「双層経営体制」,中国特有の農地制度,日本農村の地域農業組織と農業金融制度が分析の俎上に載せられ,性質の異なる個々の制度に経済的効率性が組み込まれていることを論じた.フォーマルな制度の効率性に関する分析から興味深い結論が引き出されている.例えば,中国に関しては以下の2点を挙げたい.第1に,農家と集団(村)から構成される双層経営体制は,両者間で業務と所有が割り当てられ,双方のモチベーションが高まるような組織としての効率性を内包し,また,この制度を担う主体としての村と農家が十分な経営能力を持ってこそ,双層経営体制は組織としての効率性を発揮できたのである.第2に,村が土地を所有する下,農家が村から土地を請け負う権利=請負権を付与され,その請負権を有償で第三者に譲渡したりすることもできる,という「3権分立」の制度化により農地に対する農家の過少投資が克服され,農地の流動化による大規模経営が促進されている.

第Ⅲ部の6章はフードシステム制度から日本の青果物取引や農協組織の構造と機能を扱っており,原料用バレイショ,加工用青果物,食品産業との間の垂直的調整などについて分析している.農協は,法に基づいて組織された農業者による協同組合であり,組合員に対しては営農支援などのサービスを提供するが,対外的には効率性を追求する普通の企業と同じような経済組織の性質をも併せ持つ.著者は,様々な取引が農協組織による制御の下にあり,その中に関連した効率性が組み込まれていると読み解いた.

3. 本書へのコメント

本書は,1989年から2013年にかけての四半世紀にわたった既刊論文を新制度派経済学の枠組みで体系化したハイレベルの学術書である.本書のカバーする対象国(中国,日本,トルコ,インドネシア,イギリス,オランダ)が多く,分析の対象期間(1980年代以降の20~30年間,日本に関しては一部が戦前期まで遡る)も長いが,序章で本書の立ち位置,各章の要約および相互関係,終章で分析結果に対する総括も分かりやすく提示されていて,全体として完成度の高い書物となっているといえる.新制度派経済学を農村経済の制度分析に応用し,農業組織や農業関連の法だけでなく,分析対象として捉えられにくい,農家の意識や行動を規定する社会的慣行または「文化」についても,理論的実証的分析が行われ,しかも有益な結論が導かれたところに大きな特徴があり,農業経済学あるいは新制度派経済学の学問的発展に対する本書の貢献が大きいと思われる.

若干の問題もあるように思われる.例えば,中国農村に関する分析では,以下のような疑問が残る.第1に,「双層経営体制」という制度設計は1980年代半ばまで日本の農協組織と地方行政を参考に作られたものであり,中国の農業法や憲法ではそれが農村経済の基本的な制度と規定されているが,1990年代以降の市場化に伴い,同制度に付与された機能の多くが失われ,大部分の村では同制度の形骸化が進行している.第2に,村社会における贈与と関係に関する著者の認識は必ずしも正しいとはいえない.村内の人情的付き合いに関してはともかく,村外贈与を都市民との打算的な付き合いと理解するのが現実を反映していないように思われる.「村外」とは都市民ではなく,他の村に居住する親戚すなわち「他の村民」の可能性が高い.様々な調査からも分かっていることだが,出稼ぎ労働者の職探しは基本的に親戚や同村人といった血縁・地縁関係を利用しており,都市民との関係ではない.第3に,利潤関数を計測し土地,労働などの生産要素に還元できない残差を村,農家の経営能力と解釈する考えに違和感を覚える.

本書の持つ雄大な構想からすれば,これらの点はいうに及ばないささやかなものであろう.新制度派経済学の考えを農村経済の制度分析に持ちこみ,発展段階の異なる国々の様々な制度や慣行を理論と実証の両面から分析し,その結果から普遍性の高い結論を導き出そうとする著者のスタンスから深い感銘を受けたのが評者だけではあるまい.地域研究者でありながら,地域研究の枠を超えなければならないと本書を読みながら改めて思わせられたのである.

 
© 2015 地域農林経済学会
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