2016 年 52 巻 1 号 p. 17-18
2010年3月に始まったTPP(環太平洋パートナーシップ協定)交渉は,5年半の歳月をかけて2015年10月に大筋合意がなされた.一部メディアでは,輸入農産物への関税引き下げに伴う食料品の値下がりやバター不足の緩和など,消費者への恩恵を取り上げるものも少なくない.しかし,「聖域」として位置付けられていた米,乳製品,甘味資源作物では特別輸入枠が設けられたほか,麦,牛・豚肉でも関税が大幅に削減されることからも分かるように,かつてない高い水準で農産物市場の開放を迫られることになる.農業生産への影響だけでなく,加工・販売を含めた関連産業への打撃を抑えきれるかは,極めて不透明だ.
一方,評者に関わりのある地域農業の担い手からは,経営に直結する現段階での問題として,米価下落と経営所得安定対策における米の直接支払交付金削減・廃止が話題に挙がることが多い.特に,直接支払交付金は平成26年産米から支給単価が半減しているが,機械更新を含めた運転資金や雇用就農者の待遇改善等に活用してきた集落営農組織を中心に,極めて大きな影響が出始めている.集落営農組織を含め水稲を経営の柱に位置付けてきた経営体にとって,本交付金が廃止される平成30年までに,どのような対処策を検討し実践できるかが求められているといえる.
本書は,これら交付金を含めた農政の転換点を米価下落と併せて捉え,①水田農業の構造変動をもたらす要因と,②構造変動が担い手の形成と展開に及ぼす影響,という2つの課題に対して,各種データの詳細な解析と茨城県筑西市での調査結果をもとにアプローチしたものである.
ここでは,まず,本書の概要を説明するために,その構成を紹介させて頂く.
序章 課題の設定と分析視角
第1章 日本農政における価格支持政策から直接支払政策への転換過程
第2章 消費者の低価格志向と米流通
第3章 田谷川地区における構造変動のメカニズム
第4章 「政策対応的」集落営農の展開
第5章 担い手経営の生産力構造と米生産者直販
終章 総括―「政策転換」と水田農業の担い手―
まず,序章で本書が捉える課題設定と分析視角,本書の構成が示されたのち,第1章で直接支払政策の「日本的特徴」が形成されるプロセスが整理され,第2章では米価下落の規定要因が日本経済の停滞と労働市場の変遷に注目して検討されている.第3章では茨城県筑西市田谷川地区における農業構造の変化が,本書の重要なキーワードである「政策転換」と米価下落という2つの視点から分析されている.第4章では同地区で集落営農組織が設立された意義と「政策対応的」であるが故の限界点が指摘され,第5章では構造変化によって出現した大規模水田作経営体と「政策転換」との関係性が検討されている.終章は,本書の要約と筆者の政策に対する期待が述べられている.
本書は極めて詳細なデータに裏付けられた分析結果に基づき,大変示唆に富む指摘がなされているが,以下では,政策転換と農外情勢から捉えた農業問題,政策転換と構造変動,「政策対応的」集落営農組織の意義と限界点,担い手の経営と政策転換の関係,の5点について紹介する.
政策転換と農外情勢から捉えた農業問題(第1・2章)
筆者は政策転換を農業保護政策の「価格支持政策から直接支払政策への転換」としたうえで,農業政策の変遷や政策としての不十分性・不安定性を指摘しながら直接支払政策の日本的特徴を,低水準な損失補償と政策対象の限定,という2点に集約している.また,筆者は農業構造の変動を農外からの経済的圧力に注目して捉えることの必要性を述べているが,本書では,直接支払政策導入の引き金となる米価下落を消費者の低価格志向の深化によるものとした分析を加え,経済情勢の不安定下で進んだ低所得者層への雇用調整の集中が,米価の引き下げ圧力を強めたことを指摘している.
政策転換と構造変動(第3章)
筆者が長年携わってきた筑西市田谷川地区での調査結果から,当地区での農地流動化(作業受委託段階から賃貸借段階)が,転作奨励金の配分方法によるものだけでなく,米価下落によって決定づけられていることを中小零細農家における管理作業労働報酬という切り口から明らかにしている.そして,放出された農地の担い手への集積の成否に入作が関係しており,入作地割合が多く集落内で担い手が成長していない集落(草刈場)を中心に,「政策対応的」集落営農組織の設立が見られる点を次の4章で指摘している.
「政策対応的」集落営農組織の意義と限界点(第4章)
筆者は,田谷川地区の事例分析から「政策対応的」集落営農組織の意義を,貸しはがしを通じた担い手への農地・作業集積と団地的な土地利用の可能性を得た点としている.しかし,一方で,設立に至る合意形成の不十分さや,地域或いは組織としての経営理念の不透明さが,効率的で一体的な営農活動の主体としての成長を妨げていることを指摘しており,「政策対応的」集落営農組織が抱える2面性を説いている.
担い手の経営と政策転換の関係(第5章)
田谷川地区の担い手(15経営体)の直販活動実態から,現況の米価条件下では,直販による収益性改善効果は極めて限定されることを示すとともに,「政策転換」によってもたらされる交付金の機能が担い手経営の収益性を下支えする段階から,経営を保証する段階に移行していることを指摘している.
以上,内容を紹介してきたが,本書は構造変動の要因を損失補償の不十分性と政策対象の限定という日本的特徴を形成した直接支払政策の転換とし,それによって設立・展開している担い手の限界点,経営体としての危うさを,筑西市田谷川地区の事例から取りまとめている.そして,これらを裏付けるための詳細なデータ解析や経済動向と政策転換との関係性分析,田谷川地区における各経営体への詳細調査等は,「政策転換」と担い手との関係を理解するための有益な内容となっている.
評者のような駆け出しの研究者や学生だけでなく,集落営農組織の支援に携わる普及指導員にも広く読まれることを期待したい好著であり,事実,そのような内容・構成になっている.
ただし,評者が気になった点をあえて挙げるとするならば,以下の2点である.
第一に,米価下落の規定要因を消費者の低価格志向として分析を進めているが,評者はデータの分析と結論との間にやや違和感を覚えた.確かに,筆者は雇用調整の実態や低所得者層における家計費の硬直状況,米飯的中食の頻度と単価の推移等を示し,評者の理解を深めてくれたのだが,もう少し広い視角からアプローチしたうえで,焦点を絞り込む作業を組み込んでも良かったのではないかと考える.
第2に,本書の後半は筑西市田谷川地区を対象とした分析がなされているが,集落営農組織の設立と運営における「政策転換」の功罪をより明確にするために,同様の条件下にある地域・組織や地理的条件の厳しい地域との比較・分析が欲しかった.タイトルにもあるように,本書は地域を限定した分析で構成されるため,本指摘は今後の課題に該当すると考えるが,「政策対応的」に設立された集落営農組織は,やはり田谷川地区と同様の結末を迎えるのか,また,田谷川地区では難しかったとの指摘がなされた集落を越えた範囲での合意形成と土地利用調整を図るために,担い手,集落住民,行政等の関係機関が果たすべき役割とは何か,等が明らかにされることを期待したい.理由は,農業経営研究者の顧客である農業者やその支援機関等からの期待は,上述した点で極めて大きいためである.
最後に,本書の内容は,平易な言葉で分かり易くまとめられており,極めて有意義なものである.農業経営・経済学会に属する研究者・学生,農政担当者まで,多くの方々に一読をお勧めする次第である.