農林業問題研究
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大会講演
地域に根ざした農林水産業論のために
―その理論的チャレンジ―
玉 真之介
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2017 年 53 巻 1 号 p. 8-14

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1. 地方創生と農学系学部の新設

(1) 脱グローバル化の時代

2016年は,おそらく2008年のリーマンショックに始まる「脱グローバル化」の流れが顕著となった年として歴史に刻まれるだろう.6月の英国の国民投票によるEUからの離脱があり,またアメリカ大統領選挙における共和党候補としてのトランプ候補の選出があった.この両者は,グローバル化という1990年代から顕著となる歴史の趨勢に反する出来事と受け取られた.その極めつきは,11月8日のアメリカ大統領選挙における大方の予想に反するトランプ候補の当選であった.

トランプ候補の選挙公約がアメリカとメキシコの国境に壁を築くというものであったことが象徴するように,それはまさしく国家の壁の再構築,「国家の復権」を目指すものである.したがって,それは国境を越えて人・もの・金・情報が自由に移動する世界を目指してきたグローバル化のイデオロギーに逆らう動きと言うことができる.では,この脱グローバル化が人々を動かす大義はいったい何だろうか.

その旗印は「雇用Job」と言える.難民や移民の問題は,直接的に雇用問題と結びついて争点化した.同時に,グローバル化による製造業の国境を越えた立地移動が,雇用減少に直面する地域を世界中に拡大した.トランプ候補がTPPを拒絶する主な理由もそこにあった.この雇用を奪われた人たちの受け皿が無いままにセフティーネットまでも突き崩され,貧困の拡大という社会的なストレスの増大につながってきた.

これに対し,グローバル化の大義は「成長Growth」だった.国境を越えて経済圏が大きくなることで,人・もの・金・情報の移動が活発となり,競争も活発となって効率化が促進され,生産と消費,移動が拡大して,企業利益の増大がもたらされ,その結果が「成長率」という数字となった.ここから「成長」が錦の御旗となり,規制の緩和・自由化による「小さな政府」が政策指針となって,グローバル化が推進されてきた.

しかし,今やグローバル化と「成長」というお題目が幻でしかないことがはっきりしてきた.成長によって恩恵を受ける人たちは極一部であり,そこからしたたり落ちる利益など幻想そのものであることが経済格差,地域格差の深刻化によって実証され,トリクルダウンセオリーの破綻は明白となった.

それに加えて,見逃せないのがグローバル化がもたらした人間性の毀損といえる腐敗の蔓延である.グローバル化の恩恵を受けて経済成長をひた走ってきた中国の汚職まみれは,その象徴である.日本を代表する企業といえる東芝の不正経理,ドイツを代表する企業といえるフォルクスワーゲンの排ガス不正など,グローバルな競争に負けられないという脅迫観念がいかに企業モラルや経営者の人間性を破壊したかを白日の下に曝した.

規制緩和と競争がヒューマンパワーを基本とするサービス業にまで及んだ結果,ブラック企業は言うに及ばず多くの企業で労働者がもの扱いされ,長時間労働によって心身共に破壊される事態が広がった.しかも,そうした企業の経営者が時代の寵児としてもてはやされ,政府の規制改革会議の中心メンバーとしてわがもの顔にグローバル化の旗振りをしてきたのである.

こうしてみれば,グローバル化の動きがいつまでも続くはずがないことは明らかだろう.言い換えるならば,脱グローバル化の動きは一時的なものではなく,今後ますます強まると考えるべきだろう.そして,近年の大学に対する国の政策も,この脱グローバル化の動きの中で考えてみる必要がある.

(2) 地方創生という政策の中身

2016年4月に農学系の新学部である生物資源産業学部が徳島大学に開設された.この出来事を理解するためには,2014年9月の第2次安倍内閣発足時に提起された地方創生という政策を見てみる必要がある.実は,「徳島大学に農学部を」という要望は,徳島県知事が早くから提起していたものだった.中国・四国地方の9県で大学に農学部がないのが徳島県だけだったからである.しかし,この要望は文科省をはじめとする政府に伝えられても,2014年以前は,まったく実現性のないものとして一蹴されてきていた.それが地方創生の政策提起を受けて一転して実現することになったのである.

では,地方創生という政策は,いかなるものか.この政策の登場に大きな役割を担ったといわれるのが,『中央公論』2013年12月号に掲載された増田寛也編著の「地方消滅」というレポートである.このレポートは,2008年をピークに日本が人口減少時代へ突入したという事実の上に立って,人口の東京一極集中によって全国896もの市町村が消滅するという衝撃的な予測を提起したものである.中でもこのレポートが着目したのが,若年層の東京への集中であり,その最大の理由は地方に若者の働き先が無いという現実であった.

これを受けるかのように,地方創生政策の下で策定された国家戦略(まち・ひと・しごと創生総合戦略)では,第1に地方の若者の雇用数を5年間で30万人増やすことが数値目標とされた.さらに地方から東京圏への人口転入の6万人減や,地方での安定した雇用の創出と地方への人口流入が政策目標として打ち出されたのである.

この政策が持つ時代的な特徴を挙げるならば,その第一は「雇用創出」を主目的としたことである.それも地方の雇用である.言い換えると雇用の偏在,若者の雇用の東京一極集中の是正である.第二に,地方分権改革の放棄である.グローバル化の時代は,「小さな政府」と新自由主義の時代でもあり,その副産物として登場したのが地方分権改革であった.地方分権は,住民参加を必要十分条件とした住民自治へ向けた重要な政治改革であった.しかし,地方創生政策では,地方分権という観点はなく,国家主導で推進する姿勢,言い換えると上意下達の性格が鮮明に出されている.

第三に,それが多分に選挙対策のアドバルーンでしかなく,政策の中身は希薄ということである.一番の狙いは,2015年4月の統一地方選挙で勝利するためのポーズであり,「ぶれない自民党,TPP断固反対」と同じである.実際,政府が地方創生に熱意を示したのは2015年の間であり,その後の重点は集団的自衛権と「成長戦略」の柱と位置づけられたTPPの合意であった.

このように,地方創生という政策には脱グローバル化の要素,すなわち「雇用創出」という大義,そして「国家の復権」の特徴が確かに見いだせるが,実際の中身は希薄なものでしかないと言える.しかし,国立大学はちょうど2015年に法人化第2期の終わりを迎え,第3期に向けて全学的な改革を文科省から迫られている状況にあった.この結果,国立大学に地方に関わる学部が多数生まれ,徳島大学においても新学部設置へ向けた準備が驚くほど短期間に急速に進んだのである.その創設の理念は,当然のように,地方経済の重要部分である農林水産業のイノベーションによる若者の雇用創出であった.

同じように,2015年に文部科学省が総務省と連携して募集した事業が「地(知)の拠点事業」,いわゆるCOC+事業である.これは地方の国立大学が中心となって他の私立大学や自治体,企業と連携して卒業生の地元就職率を5年間で10%引き上げるものである.これは,本来,国が地方創生政策として行政的に取り組むべき仕事である.そもそも東京一極集中の是正は,第4次全国総合開発計画の時から国が重要政策として掲げながら,まったく成果を出せない課題である.その反省も責任の明確化もまったくないままに,大学に課題を押しつたわけである.

安倍政権は,異次元の金融緩和で円安を導いたが,第二の柱とした財政支出は財務省の抵抗でできず,第3の柱はグローバル化時代とまったく同じTPPと規制緩和であり,脱グローバル化時代を切り開くビジョンを持つとは思えない.こうした中で,農林水産業の活性化と雇用拡大を使命とした新学部の行く先は,建物の予算がつかないことが象徴するようにかなりの困難が予想される.

しかし,そうではあっても,それはCOC+を含めて,大学人が新しい時代を意識した様々な挑戦を行うチャンスなのかもしれない.

2. 生物資源産業学部の特質

(1) 経済・経営の重視

新学部の第一の特徴は,経済・経営教育の重視である.これは,大学側の当初案には無く,文部科学省との事前協議の中で加わった特徴である.

地方創生という時代の要請を受けて,新学部は生物工学をベースとした農林水産業のイノベーションと六次産業化を目玉として構想されていた.学部名称は「産業」を加えたことが評価された.それは学部の性格がサイエンス志向よりも実学志向を示すと捉えられたからである.実学を目指すならば,技術開発を担う専門知識人の養成には市場経済のメカニズムの理解や消費者オリエンテッドな発想の教育は不可欠ではないか,という指摘がなされた.

これを受けて,新学部は当初ゼロであった経済・経営系の専任スタッフを2名体制として,学部の特色の第1に産業化に必要な経済学,経営学,生物資源産業に関する基礎教育を掲げた.そして,経済・経営の共通教育科目として「経済学基礎」「経営学入門」「地域資源経済学」「フードシステム論」「知的財産の基礎と活用」「アグリビジネス起業論」「食品マーケティング論」「起業体験実習」「商品開発プロジェクト演習」の9科目を入学者全員の必修科目とした.さらに,選択科目としても「国際農業論」「ブランド戦略論」を開講することとした.

私自身も,この中の3科目を担当するが,その教育の中では現代の社会経済の出来事が持つ意味や農林水産業の経済的に見た特色を学生に伝えたいと考えている.

(2) 専門横断的な特色

新学部は,1学部1学科で,「応用生命」「食料科学」「生物生産」の3コース制をとり,コースへの配属は2年目に行う.3学科とせず,3コースとしたのはコース間の壁を低くするためである.1年次にはフィールド実習を必修としているが,それは農業だけでなく,林業も漁業も体験する.全学生が船に乗るのである.物理,数学,化学の基礎教育も必修化しており,新入生は相当に苦労している.その基盤の上にバイオテクノロジーの研究開発に関する基本知識も全員に付与する.一言で言えば,基礎教育をしっかりやった上で,専門については薄くではあるが専門横断的に幅広く学ぶようにカリキュラムが構成されている.

かつて帝国大学にあった農学部は,農学といってもさらに専門化された高度な専門知識人を養成することを目的としていた.すなわち,作物学や畜産学,林学,農業土木学,農業機械学,農業経済学等々の専門家であり,卒業生は研究者や高級官僚となることが想定されていた.こうした帝国大学の教育カリキュラムが多くの農学部に影響を与え,教育カリキュラムは専門性が強く,専門間の垣根も高かった.この傾向は,農学部が大講座制に移行して生命科学と環境科学にウイングを広げた後も根強く残ったように思われる.それはそれぞれの分野が学会という高度に専門的な学術組織と不可分に結びついているからでもあった.

新学部は,入学定員が100名,教員スタッフが45名,その内,教授が13名というコンパクトな組織である.そこでは,専門分野の壁をなるべく低くして,学生にできるだけ専門横断的な学びによる幅広い知識と視野を与えることを共通理解としている.

これは現代社会が求めている人材は,複雑化した問題を多様な観点から見ることができる能力ではないかと考えるからである.専門的な掘り下げは大学院でよく,あるいは問題解決の糸口が見つかってから,自分自身で取り組むので構わない.重要なのは多くの分野を多少でもかじって糸口を持っていることと考えたのである.

複雑な現実社会で特定の専門知識が持っている限界を知ることも重要であり,新学部は3週間のインターンシップを必修としている.このことも,専門横断的な特色と関連していると言えるだろう.

(3) ヘルス分野の重視

先も述べたように,農学は1980年代に「農学部不要論」が唱えられる中で,生命科学と環境科学にウイングを広げることで新たな存在意義を示して生き残ってきた.この両分野がいずれも安全性やリスク管理というテーマと結びついていく中で,社会的にはそれが「健康の維持と増進」というテーマへと発展している.つまり,これまでは医学,薬学の分野とされてきたヘルスが農学にとってもカバーすべき重要な分野となってきた.

徳島大学の新学部は,構想の段階からこの動向を重視して,医学部,薬学部からもスタッフの配置転換を行い,創薬,機能食品開発等も教育研究分野として位置づけている.この点が,新学部の第三の特徴といえる.新学部のキャッチは,アグリ,フード,ヘルスとバイオの融合である.

今日の世相を反映して,当然のように,入学希望者の多くがこの専門分野への進むことを希望している.しかし,この専門講座には定員があるので,その選考は入学後の成績によらねばならず,そのことが入学後の学生の学習意欲にも影響を及ぼしている.

以上のカリキュラム上の特徴とは別に,新学部のもう一つ大きな特徴に入試方法がある.基礎学力は重視しつつも,現実社会に貢献する姿勢を問題意識として持つことを重視して,定員の8割(推薦+前期試験)の入学試験に面接を導入して,自らの考えを的確に表現できる能力を評価対象としている.この実施にあたっては教員総動員の体制が必要で,教員の入試に関わる時間数は他学部よりも格段に多いが,多くの教員が入ってきた学生の資質に満足し,面接を行ったことを評価している.また,地元徳島県との関係を重視して,県内農業高校からの推薦枠も4名もうけている.

3. 農林水産業とは何か―その歴史と理論

(1) 地域経済という観点

以上のように,新学部は地元徳島県をはじめとする農林水産業の活性化という課題を明確に持って発足している.その意味で,ディシプリンオリエンテッドであるよりも,問題解決オリエンテッドと言えるかもしれない.こうした観点から足下の徳島県農業を見渡したとき,方や長い海岸線と方や西日本で二番目に高い2,000メートル級の剣山がそびえる地形により,県土の76%が森林で,耕地面積中,田の割合は67%,畑が33%となっている.

こうした耕地条件の下で,もっとも農業産出額が多いのが野菜で,次ぎに畜産,そして水稲,果樹というように,地形に合わせた多彩な農業が展開されている.林業については,民有林比率が94%と圧倒的で,人工林の比率が61%と高く,その大半がスギとヒノキとなっており,林業産出額では全国10位,生シイタケは全国1位,竹炭,タケノコの生産量も全国上位をしめる.漁業は,沿岸漁業層が9割を占め,大規模漁業層は存在しない.沿岸漁業層の多くは小型の動力船を使用する経営体とワカメ,ノリの養殖を行う海面漁業経営体である.

こうした農林水産業の経済規模は農業県と言える徳島県であっても小さく,県内総生産に占める割合はわずか2.1%でしかない.しかし,農林水産業の就業人口は減少したと言っても就業者人口の8.5%になる.しかも,一つ一つの経営体は県土に広く分散して立地し,県土の生物資源を利活用することで生計をたて,それが県土の保全と深く関わっている.また,農林水産業は,観光業と深い関係にありお遍路など観光地の多くが農山村に立地し,飲食にあたっては地元食材を使った料理が期待されている.土産物の中心となる菓子類の原料やホテル,飲食業,病院,介護施設が使用する食材も県内産が多く使用されており,県民の日々の食卓に上がる食料品にも県内の農産物,水産物は欠かせない.

このように,農業生産額だけを取り出せば小さな規模でしかない農林水産業だが,地域経済という点から見れば,それは依然として無視できない位置を占めている.伝統芸能など歴史や文化という面にまで観点を広げると,その意味はさらに大きくなる.徳島県の場合で言えば,藩政期における藍作の隆盛が残した遺産は大きく,今日の地域活性化の際にも,藍作の伝統・文化を活用しようという動きもある.

(2) 生物資源の利用という観点

このように地域経済という観点を踏まえて,徳島大学の新しい学部が農業経済学の研究面に与えるインプリケーションについて考えてみると,第一に専門化,細分化している研究の現状への反省が思い浮かぶ.すでに19世紀に農学,林学,水産学へ分離し,農学部と水産学部は分離され,農学部の中でも農学と林学は分離された.さらに,農業経済学一つをとっても課題毎に研究分野は様々に細分化してきている.それは専門研究の深化の必然的なプロセスであり,研究の発展と見ることもできる.

しかし,ここ数年来,研究者養成がきわめて限定された課題の論文を学会誌等の査読付きジャーナルに発表することが必至となる中で,研究者の再生産が細分化した専門分野の枠内で進められる結果,研究の関心が一段と微細な論点に向けられるようになっている.そのために,現実の問題が持つ広がりや関連性についての問題関心が見失われ,全体として問題を俯瞰する議論が十分になされなくなっているように思われる.

研究の細分化,たこつぼ化の問題は,繰り返し問題とされてきたことであり,今さら取り立てて問題にするまでもないかもしれない.その意味で,徳島大学の新学部が農業経済学研究に与えるもう一つのインプリケーションは,「生物資源産業」という言葉の持つ含意である.すなわち,「農林水産業」という従来の言葉を,「生物資源を活用する」という産業的な共通性から表現した点で,この言葉は従来,別々に論じられてきた農林水産業を一体的に論ずる可能性をもたらすかもしれない1

生物資源を活用するという点は,従来も農業と製造業の違いとして議論されてきた点である.また,生物資源といっても,相当に人為的要素が組み込まれている農業と生産過程が長期にわたる林業,養殖を含めて資源管理が重要な水産業とでは,かなり内容が異なることも間違いない.とはいえ,近年の地球温暖化や異常気象による自然災害の影響を大きく受けるという特質は共通のものであり,生物資源産業という観点からの研究は必要性を増していると言えるのではないか.

ちなみに,私は新学部で「生物資源経済学」を担当することになるが,他大学を見ると名称は同じでも中身はまったくの農業経済学である場合が多く,上記のような問題意識の講義はあまり見いだせない.

(3) 家族経営という共通項

生物資源を活用する産業は多様性を持って存在するが,歴史貫通的に見ても,世界的な広がりから見ても,世帯単位の家族経営が広範な部分を担ってきた.また,担っており,さらに担っていくだろう.しかし,経済学は,家族経営は前近代の存在であって近代の市場経済社会の下では消滅するという結論を出してきた.

この結論に対して,「ファーム・ファミリー・ビジネス」という概念を提起したガッソン&エリントンは,家族経営が従来考えられていた以上に柔軟な対応力を持ち,時代の環境変化に適応して行く存在であると論じた.また,ただ減少していくのではなく,新たな参入に「門戸を開けておく」ことも主張していた(ガッソン&エリントン,2000: p. 179).同様に,家族経営が消滅するというビジョンについてウォーラーステインは,「本来,相対立するはずの自由主義とマルクス主義の二つの思想によって完全に共有されて」(ウォーラースティン,1993: p. 403)いたとして,「自由主義的・マルクス主義的合意」と呼び,それが「進歩の不可逆性」を信じる19世紀の啓蒙思想に由来するとしている.

いずれにしろポイントは,家族という紐帯で結ばれた“世帯を単位とする”経営という点である.他出した子供などは家族ではあっても経営の担い手ではなく,逆に農業に一切関わらなくても,ともに生活をしている世帯員は経営に含めて考えなければならない.すなわち,兼業農家である.だから英語に直せば,Farm Household(農業世帯)である.

これに関して,小倉武一氏や梶井功氏は,「農家」を「特殊日本的な概念」であるとして,農業経済学者は使用すべきではないと主張したが,私はそれが世界的概念であると批判した(玉,1994).そして,今日でも多くの研究者が,どの程度自覚的かどうかは別にして「農家」という概念を使い続けている.

同じように使われているのが,「林家」と「漁家」である2.英語にすれば,Forestry Household,Fishery Householdとなるだろう.こうした「農家」「林家」「漁家」を一体で捉える概念として,私は「小経営」及び「小経営的生産様式」という概念を提起した(玉,2005, 2006, 2013).ただし,「小経営」は,「中経営」,「大経営」を連想させるなど,単に経営規模だけで性格づけるもののようにも受け取られてしまう問題がある.

その点では,「ファーム・ファミリー・ビジネス」を発展させて,「バイオ・ファミリー・ビジネス」という新たな概念を使用することもあり得るだろう.その場合でも,ビジネスは生計(subsistence)を含む経営という意味で捉える必要がある.また,世帯員の兼業も含めて捉えなければならない.

農業,林業,漁業は,いずれも生物資源を活用するという共通性において生産過程が季節性を免れることはできない.その結果,労働力利用や資金循環にも季節的な変動が生じ,また,自然災害とも常に背中合わせである.その点において,兼業は農業所得の持つ変動リスクを補う意味で有効であって,日本でも藩政期から兼業農家は存在した.さらに,今日,ヨーロッパでもアジアでも世界的な現象である.

また,農業と兼業の中間に位置するのが副業である.農業の異種部門を導入したり,農産加工をしたり,農産物の販売をしたり様々であるが,六次産業化もその一つである.要するに,“世帯を単位とする”経営体においては,副業も兼業も世帯が市場経済に適応するための「世帯戦略」(Eder, 1999)の一つということである3

(4) 協同組合という妖怪

繰り返しとなるが,地域資源経済学は農業経済学であってはならず,林業,水産業を包括した生物資源を活用する産業の経済学でなければならない.そこには,歴史的に巨大な資本が参入し,資本主義的な経営を展開してきているが,その一方で家族経営は依然として広範に存在し続けてきた.それは生物資源を利用する場合,よほどの条件が整わない限り,投資に見合う利益を上げることは難しく,同じ利益を上げるのであれば,他の分野に投資した方が容易だからである.だから,19世紀まで農業の主要な投資主体であった地主も投資対象を農業以外へと変えていったのである.

資本による農業への投資や参入は,一概に否定すべきではなく,農林水産業の活性化に向けた様々な方策の一つと考えて構わないだろう.しかし,歴史的な経過を踏まえれば,それに過大な期待を持つこともできないだろう.もちろん,生命科学の分野では技術革新が驚異的に進展しており,植物工場も散見されるようになっている.といっても,未だその程度である.

その意味で,地域資源経済学の柱としてしっかりと位置づけなければいけないのは協同組合である.19世紀末農業恐慌において,家族経営が生き残って行く上で協同組合が果たした役割は大きい.同様に,日本の昭和農業恐慌においても国家的な政策支援の下であるとはいえ,産業組合は困窮農家への低利資金の供給において重要な役割を果たした.すなわち,小規模・孤立分散という家族経営の弱点を補う上で協同組合というシステムは一定の有効性を持っていると言うことである.

そして,今日の農政改革の中で主要なトピックとなっているのが農協改革という名の農協攻撃である.マスコミによる農協攻撃もすさまじいものがあり,農協は諸悪の根源のように扱われている.しかし,それは安倍政権がなんとしても推進したいTPPにとって農協が最大の抵抗勢力だからである.今もなおグローバル化の推進を考える規制改革会議などが,もっとも嫌がっているのも協同組合である.TPP推進の主要勢力とも言える米の保険業界が嫌がっているのも協同組合保険(共済)である.

それは今日,協同組合というシステムが資本主義システムにとって一つの脅威になりつつあるからだろう.冒頭でも述べたように,グローバルな資本主義経済の本尊である株式会社システムは,経済格差や貧困化とは共犯関係にあり,腐敗や犯罪とは兄弟とでも言えそうである.パナマ文書しかり.三菱自動車しかり.電通しかり.

かつて賀川豊彦は,社会主義か,資本主義か,というイデオロギー対立の中で,協同組合主義を唱えた.協同組合は農林水産業の将来のみならず,脱グローバル化の時代の社会ビジョンに関わる重要な論点を含んで,地域資源経済学の重要なテーマとなるのである.

1  生物資源産業の英訳はbioindustryであって,これまで「アグリビジネス」の表記で使われてきた言葉と少し重なるが,生物資源産業は,アグリビジネスを含む農林水産業全体を表現する言葉として使用されていくことになるだろう.

2  「林家」については佐藤宣子他編(2014)を,「漁家」については井元康裕(1999)を参照.

3  しかるに,わが国では,農業は専業でなければいけない,という観念が学者や行政に深く浸透してきた.その起源は,総力戦体制下の日満農政研究会における適正規模論(自作・専業・大規模)にある,というのが私の見解である(玉,2016).

引用文献
  • Eder, J. (1999) “A Generation Later: Household strategies and Economic Change in the Rural Philippines.” University of Hawaii Press.
  • 井元康裕(1999)『漁家らしい漁家とは何か』農林統計協会.
  • Wallerstein, I. (1991) Unthinking social science: the limits of nineteenth-century paradigms.(本多健吉・高橋章翻訳『脱=社会科学』藤原書店,1993).
  • Gasson, Ruth M. and Errington, A. J. (1993) The farm family business.(カーペンター,ビクター L.・神田健策・玉真之介監訳『ファーム・ファミリー・ビジネス:家族農業の過去・現在・未来』筑波書房,2000).
  • 佐藤宣子・興梠克久,・家中茂編著(2014)『林業新時代:「自伐」がひらく農林家の未来』農文協.
  • 玉真之介(1994)『農家と農地の経済学』農文協.
  •  玉 真之介(2005)「農家概念の再検討」『村落社会研究』12(1),1–13.
  • 玉真之介(2006)『グローバリゼーションと日本農業の基層構造』筑波書房.
  • 玉真之介(2013)「小経営的生産様式と農業市場」美土路和之・玉真之介・泉谷眞実編『食料・農業・市場研究の到達点と展望』筑波書房.
  • 玉真之介(2016)『総力戦体制下の満洲農業移民』吉川弘文館.
 
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