農林業問題研究
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書評
並松信久著『農の科学史―イギリス「所領知」の革新と制度化―』
〈名古屋大学出版会・2016年11月30日発行〉
片倉 和人
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2017 年 53 巻 3 号 p. 201-202

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著者の並松さんとは,学部と大学院で農学原論という同じ講座に席を置いた.評者の先輩にあたる.大学を出て一度も会う機会がなかったので,書評を通して対話ができると思った.

実際に本を手にとって,その分量もさることながら,本書に費やした時間の長さにたじろいだ.10年の空白を含め25年かけている.加えて,その間に私が重ねた経験が,ほとんど役に立たないと直観した.援軍をたのむ思いで,書架から,40年前に読んだ『農学原論』(柏,1962)を探しだした.はたせるかな,三章構成の最後は「科学としての農学」で,本書の題名と直接つながっている.『農学原論』の問いかけは,農学はいかに形成され,その対象の農業にはどんな特徴があり,農学はどんな方法をもつ科学なのか,である.それを確認して本書を開いた.

言葉は明瞭,飾りのない文体に好感を覚えた.が,イギリスの農業現場を知らない私には読み進めるのが難しい.一旦ページを閉じ,手元にあった小説『黒ヶ丘の上で』(Chatwin, 1982)を先に読んだ.それが助けとなった.ウェールズ国境の所領を舞台に,19世紀末から1980年まで一つの農場で一生を過ごした双子とその両親の物語.農場を切り盛りする借地農の姿が描かれていて,所領と農場,地主と土地管理人,借地農どうしの関係など,本書の農学者たちが生きた時代と地域のイメージがつかめた.

イギリスでも関心をもつ人は少ないだろう.そんな資料を,大学,研究所,農業試験場,農業カレッジなどの図書館に足を運んでコピーを持ち帰り,それを素材に糸を紡ぎ,手織りで横糸を一本一本織っていくようにして書かれた本だと思った.農学の形成にかかわった組織と人物を紡ぎ出し,時代を追って織り込んでいく.18世紀末期から20世紀前半まで13章の論文を5つの時代にまとめている.

明示されていないが,縦糸に張られているのは,もちろん農学である.縦糸が一種類なら,わかりやすい.しかし,広い意味での農学である.縦糸には,たとえば,農業化学,植物学,昆虫学,植物病理学,動物学,菌学,酪農細菌学,獣医学,経済学,草地学といった分野が並ぶ.しかも,多重織の織物に似て,表にあらわれる縦糸(専門分野)は時代によって異なり一様でない.こうして織られた布には錯綜した紋様があらわれる.

残念ながら,イギリスも歴史学も詳しくない.馴染みのある名は,著名な科学者,『農学原論』に登場する人,それに有名な大学くらい.私には,紡ぎ方(資料解読)や織り方(歴史分析)を評する資格がない.だから,ここでは浮かび上がる模様をながめ,大きな図柄(農学の特徴)を取り上げるほかない.

『農学原論』によれば,独立の科学として農学を体系化したのは19世紀初めドイツのテーヤである.その前史の一つとしてイギリスの企業学派にふれている.本書は,この企業学派と呼ばれるイギリスの農業論者たちが活躍した時代から始まる.

(Ⅰ)18世紀末期の農業改良の高まりのなかで,博物学から,スコットランドの大学で初めて農業講座の教授職が生まれ,イングランドでは改良地主の農業改良調査会により大部の調査報告書が作成される.この農業情報の収集の背景には,地主所領での農業改良があり,それを実質的に担ったのが「土地管理人」である.彼らは地主に代わって地代徴収と借地農の選定を行うだけでなく,借地契約と新農法の導入や改良投資に関わり,さらに所領内の森林や建築,排水工事などに精通する必要があった.ヤングなど農業論者とは,こうした所領経営の専門家たちだったのである.

(Ⅱ)19世紀前中期,そうした地主所領の一つに民間の農業試験場が設立される.現在までつづくロザムステッド試験場である.専門分野でみると,まずリービッヒの化学実験の成果が農業に応用される.土壌や肥料の分析で農業協会の化学コンサルタントが活躍する.しかし,植物の栄養素や作物と肥料の関係をめぐって,農業試験場の研究者との間で論争が起きている.観察とも実験ともちがう圃場試験という,農学に特有の科学の方法がここで確立される.

(Ⅲ)19世紀後期,試験場につづき,サイレンセスタに農業カレッジが設立される.やはり民間のため,教育の対象や資金の問題をかかえながらである.植物学の分野で,メンデル遺伝学の農業への応用が進み,サビ病耐性や硬質小麦の研究成果をみる.しかし,農業現場では収量や環境にあった技術も重視され,伝統的な育種技術もすたれていない.法則化と制度化にむけて模索の時代である.

(Ⅳ)そして20世紀初頭,ドイツやアメリカに遅れながらも,国家資金と科学行政との関わりを強め,ワイのカレッジをはじめ,各地に農業カレッジや大学農学部が設立される.レディング大学酪農研究所など,専門分野ごとの研究所も置かれ,研究・教育体制が確立する.実用性重視の行政と科学教育を担う大学との間に軋轢はあるが,農学は独立した科学と認識されるようになる.

(Ⅴ)20世紀前期に登場する農業経済学は,各地の農業センターに配属された十数名の「農業経済アドバイザー」が担った.センターは大学やカレッジに併設され,学内での地位向上を目指して学会を組織,時を経ずに米国留学者を中心に国際学会も起ち上がる.学会員は農業従事者や官僚なども含む.プロフェッションの養成は,オックスフォード大学農業経済研究所が担ったが,農業経済学の創始者たちは農業経験があり,この学問が農業の現場から出自し,大学の経済学の一部門でないことを示している.

イギリス農学の特徴として各時代に通底するのは,「農業現場から得られた所領知(経験知)と諸科学との緊張関係」という.読後の評者の関心は,イギリスを離れ日本の近代農学にも向かう.農学は「所領」や「農場」という欧米の農業現場で形成された.その日本への導入は,いわば苔むす庭に芝を移植して育てる困難なものではなかったか.たとえば農業の実態把握は,欧米なら農場統計を取ればすむが,日本では農家経済調査を考案し,農家分類はいまなお試行錯誤を続けている.そこには日本庭園と英国式ガーデンくらいの違いがある.著者は別の書で,江戸期の家と村と田畑の関係がいかなるものだったのか,いわば日本庭園の美しさを描写した後,そこから自生の芝ともいえる二宮尊徳の「復興仕法」を描き出している(並松,2016).新渡戸稲造や石黒忠篤など近代日本の農学や農政の形成に深くかかわった人たちが,欧米の農学だけでなく,報徳思想の影響も受けていた事実も明らかにする(並松,2012).芝を育てるには在来種と交配する必要もあったのである.

専門科学分化がすすむなかで『農学原論』は書かれた.農業生産の発展のために,農学という統一的な知の体系化が必要だと説かれている.専門はさらに細分化され,全体を統一的にとらえることは至難である.イギリスでは,1986年農業経済研究所解体,2000年ワイの農業カレッジの解体再編,さらに農務省の再編へと進む.そして「農学」にかわる枠組みは今や「地域」ないし「環境」だという.しかし科学の要件が「観察→試験→法則化」だとすれば「地域や環境は,科学としての枠組みにはなりえない」ともいう.新たな枠組も,20世紀の農学のように,やはり現場の経験知と,研究の一貫性と蓄積を重視する科学との間で,葛藤がつづくということか.それは「実利」と「学理」という二つの異なる目的をあわせもつ実学の宿命なのかもしれない.

この書評は,関西農業史研究会第361回例会に呼ばれて,著者の並松さんと交わした30年ぶりの議論も取り込んでいる.対話の場を用意してくれた同会と,書評の機会を与えてくれた方々に感謝したい.

引用文献
  • 柏 祐賢(1962)『農学原論』養賢堂.
  • Chatwin, B. (1982) On the Black Hill(栩木伸明訳『黒ヶ丘の上で』みすず書房,2014).
  • 並松信久(2012)『近代日本の農業政策論』昭和堂.
  • 並松信久(2016)「二宮尊徳の現代的意義」並松信久・王秀文・三浦忠司『現代に生きる日本の農業思想』ミネルヴァ書房,77–147.
 
© 2017 地域農林経済学会
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