農林業問題研究
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書評
國光洋二著『地域活力の創生と社会的共通資本―知識資本・社会インフラ資本・ソーシャルキャピタルの効果―』
〈農林統計出版・2017年3月30日発行〉
松岡 淳
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2017 年 53 巻 4 号 p. 237-238

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言うまでもない事であるが,わが国の農業・農村は,農地,水利施設,道路等の社会資本,および大気,水等の自然資本によって支えられている.社会資本の中には,知識や情報等,無形のものも含まれよう.これらの社会資本,自然資本は,公共性や非市場性が強く,農業経済学の分野では,「公共財」,「地域資源」,「コモンズ」等の概念を用いて,その利用・管理のあり方が論じられてきた.本書は,知識資本,社会インフラ資本,ソーシャルキャピタルの3つを「社会的共通資本」として位置づけ,その定量化と社会的・経済的効果の分析を行っている.

本書は2部構成となっており,まず第Ⅰ部(第1章~第4章)では,地域活力の指標や社会的共通資本のストック額の定量化を行っている.

第1章では,地域活力の指標である産業別生産額や部門別農業生産額の動向を概観するとともに,社会的共通資本の概念についての説明を行っている.

第2章では,恒久棚卸法により,知識資本としての研究開発投資額の蓄積状況を定量化し,その時系列的動向や地域別特徴を分析している.分析の結果,研究開発投資額の蓄積の増加速度が1990年代以降減速傾向にあること,農林水産部門では蓄積自体が2005年頃から減少していること,などが明らかにされている.

第3章では,社会インフラ資本を農業社会インフラ資本と道路社会インフラ資本の2つに分類し,前章と同様,恒久棚卸法により,それぞれに対する公共投資額の蓄積状況を定量化するとともに,時系列的動向や地域別特徴を分析している.分析の結果,農業社会インフラ資本については,2001年以降ストック額の上昇が止まっていること,および,道路社会インフラ資本についても,2000年代に入りストック額の増加率が低下していること,などが明らかにされている.

第4章では,山口県と山形県の住民へのアンケート調査結果を用いて,主成分分析の適用により,市町村別にソーシャルキャピタルの定量化を試みており,その地域的特徴を分析している.分析の結果,ソーシャルキャピタルの水準は,地域の人口規模や経済的豊かさとは逆相関を示す傾向にあること,社会経済水準とソーシャルキャピタルの両方とも高い地域は,特徴ある地域として事例研究に取り上げられるケースが多いこと,などが明らかにされている.

続いて,第Ⅱ部(第5章~第9章)では,社会的共通資本の社会的・経済的効果の分析を行っている.

第5章~第7章では,共通する手法での分析を行っている.すなわち,稲作(第5章),畑作と畜産(第6章),製造業とサービス業(第7章)を対象に,技術進歩を表す全要素生産性を計測した上で,これを目的変数とする関数を推定し,知識資本と社会インフラ資本がどの程度影響しているのかを分析している.分析結果は,いずれの産業,部門においても,知識資本と社会インフラ資本の整備が,生産性向上の鍵となることを示唆している.

第8章では,動学地域応用一般均衡モデルを用いたシミュレーションにより,知識資本と社会インフラ資本への投資が将来の経済成長にどのような影響を及ぼしているのかを分析している.分析の結果,知識資本と社会インフラ資本への投資水準を現状のまま維持することにより,2035年まではわが国のGDP水準の増加が可能なことなどが明らかにされている.

第9章では,山口県の住民へのアンケート調査結果を用いて,住民満足度に影響する個人的な要因と地域的な要因との相互関係を,とくにソーシャルキャピタルの影響に着目して分析している.分析の結果,ソーシャルキャピタルが住民満足度の向上に対して,正の有意な影響を示していることなどが明らかにされている.

農業・農村に関わる社会資本や自然資本の研究は,永田恵十郎氏による地域資源研究を嚆矢とし,農業経済学での重要な研究領域の一つであるが,これを体系的に扱った著作は必ずしも多くはない.計量経済学的手法を用いて,農業・農村に関わる社会資本の実態と管理の方向性をトータルに論じた著作は,評者の知る限り本書が初めてあり,その学術的価値は大きい.とくに,全要素生産性に対する社会的共通資本の影響を,農業のみならず,製造業やサービス業に至るまで広範に分析した第5章~第7章,および,シミュレーションを通して,社会的共通資本への投資が将来の経済成長にどの程度寄与するのかを予測した第8章は,本書のハイライトといえよう.国や自治体の財政状況が厳しい中,インフラストラクチャーや研究開発への投資に関しては,否定的な意見もあるが,本書の分析結果は,これらへの投資を正当化する強力な根拠となる.

さて,評者は,農地や水利施設等の地域資源管理を研究テーマとしているが,計量経済分析を専門とする者ではない.高度な計量経済学的手法が駆使されている本書の評者として,ふさわしいかどうか心許ないが,「非計量研究者」の立場から,気になった点を3つほど指摘させていただきたい.

1点目は,知識資本と社会インフラ資本の効果が,鮮やかに分析されている一方で,ソーシャルキャピタルの分析に,やや歯切れの悪さを感じた点である.ソーシャルキャピタルは心理的な要素が強く,定量化が難しいことは理解できる.ただ本書の場合,これを市町村単位で集計したことが,歯切れの悪さの一因となっているように思われる.所得等の経済データと照合させる必要があることを,市町村単位で集計を行った理由としているが,著者自身も認めているように,そもそもソーシャルキャピタルは,集落のようなコミュニティにおける人的ネットワークを基礎として形成されるものである.市町村単位で集計を行うことで,コミュニティの個性が埋没しているような気がする.この意味で,所得との照合にこだわらずに,ソーシャルキャピタル指標をコミュニティ単位で集計した上で,地域資源の管理状況やコミュニティ組織の設立状況とソーシャルキャピタル指標との関係をみた方が,クリアな分析結果が得られたのではないだろうか.

2点目は,社会的共通資本の概念規定に曖昧さを感じた点である.例えば,社会的共通資本と公共財との違いや,社会的共通資本が有する公共性の範囲について,本書ではほとんど説明がされていない.非競合性と非排除性を軸に,明確な概念規定がされている公共財と比較した場合,社会的共通資本は,総花的な概念であるように思われ,少々漠とした印象を受ける.

3点目は,2点目とも関連することであるが,著者が社会的共通資本の構成要素としている知識資本,社会インフラ資本,ソーシャルキャピタルの相互関係性について,十分な説明がされていない点である.農村コミュニティでは,住民が共有する暗黙知や経験知が重要なソーシャルキャピタルの1つであり,これらは知識資本でもある.著者も良くご存知であろうが,このような暗黙知や経験知をベースとして,用排水路やため池のような社会インフラ資本が円滑に維持管理されている.こういった知識資本,社会インフラ資本,ソーシャルキャピタルの有機的な繋がりについても,詳しく言及していただきたかった.

とは言え,本書が,緻密な分析に基づいた高水準の研究書であることに,疑いの余地はなく,上記の指摘は所詮,無いものねだりなのかも知れない.最後になるが,本書では,分析手法をわかりやすく解説したコラムの掲載など,広範囲の読者を想定した配慮も随所に施されている.研究者のみならず,地域資源や農村整備に関心のある多くの方々に,一読を勧めたい書である.

 
© 2017 地域農林経済学会
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