農林業問題研究
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大会報告
実験・行動経済学による地域農林業研究の革新
栗山 浩一
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2018 年 54 巻 1 号 p. 1-2

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1. なぜ実験・行動経済学が注目されるのか

これまで地域農林業研究では,農家や消費者の経済行動に対して市場データなどの観測データを用いた計量分析が行われてきた.こうした計量分析は,地域農林業政策の評価などで多くの貢献を行ってきたものの,観測データによる因果関係の分析には限界が存在する.

たとえば,環境支払制度の効果を測定する場合を考えてみよう.制度導入前後で農家の利潤がどれだけ変化したかを見ることで制度導入の効果を評価しようとしても,経済状況などその他の要因の影響を受けてしまうため,制度導入の効果を正しく検出できないだろう.また,近年は,排出量取引,環境認証,入山料など新たな制度導入が注目を集めているが,こうした新たな制度を導入する場合は,制度が予想通りに正しく機能するかどうかを事前に確認することが重要である.しかし,市場データを観測するだけでは,新たな制度の効果を正しく予測することは困難である.

そこで,実験・行動経済学のアプローチが注目されている.たとえば,環境支払制度の効果を経済実験で測定する場合,農家をランダムに二つのグループAとBに分けて,グループAのみに環境支払制度を導入し,グループBには導入しないとする.その他の要因はすべて共通なので,二つのグループの差を見ることで制度導入の効果を正しく検出できる.同様に新たな制度を実施する場合も,事前に経済実験を行うことで制度の効果を予測することが可能である.

海外では,農業・開発・環境経済学で実験・行動経済学アプローチが注目を集めており,2016年にはアメリカ環境資源経済学会(AERE),2017年にはアメリカ農業応用経済学会(AAEA)にて大会ワークショップのテーマとして実験経済学が採用された.また大会においても実験・行動経済学アプローチのセッションが設けられ,多数の報告が行われている.

2. 実験研究の分類

実験・行動経済学研究では,様々な経済実験が実施されている(柘植他,2011).実験研究で最も重要な要素は「ランダマイズ」である.被験者をランダムに操作を行う「操作群」と行わない「対照群」に振り分けることで,操作の影響を検出できるからである.また,経済実験では,実験の成果が謝金に連動する成果報酬を用いることで,実験に対するインセンティブを実現している.

農業経済学で使われることの多い「選択型実験」は大規模なアンケート調査を用いて母集団を反映することが可能であり,また被験者に示すプロファイルをランダムに提示することで属性単位の推定が可能である.しかし,あくまでもアンケートのため実際にお金を支払うわけではないため,インセンティブが欠けるという欠点がある.

「ラボ実験」は実験室内で学生の被験者を対象に実験を行うものである.ラボ実験の被験者は比較的少人数であり,多くの場合は学生を用いるため,母集団の反映は困難である.しかし,成果報酬を用いることでインセンティブを与えることが可能であり,また実験室内でコントロールされた環境のもとで実験を行うことができるため,ランダマイズも可能である.ラボ実験は理論研究が多いが,排出量取引制度などの応用経済でも多数の実験研究が存在する.

「フィールド実験」は,農家や消費者など経済問題の当事者を対象に実験を行うものである.フィールド実験には,実験室内で当事者を被験者として抽象的な実験をおこなう人工的フィールド実験(AFE),当事者を被験者として農作物などの現場に関するコンテクストのもとで具体的な実験を行うフレームド・フィールド実験(FFE),当事者が実験を認知することなく自然な環境下で実験を行うナチュラル・フィールド実験(NFE)が存在する.応用経済学では,多数のフィールド実験が行われている.

「疑似実験」は,観測データを実験データと解釈することで因果関係を分析するものである.観測データではランダマイズが行われていないことから,厳密には実験とは呼べないものであるが,制度が導入されなかった状況を統計的に推定することで,制度導入の効果を計測するものである.

3. シンポジウム構成とディスカッション

第1報告の佐々木俊一郎氏(実験経済学,近畿大学・経済)は,実験経済学におけるラボ実験研究の現状と課題について報告した.ラボ実験のこれまでの研究成果を展望するとともに,ラボ実験の実際の様子を紹介した.そして,ラボ実験の農業・環境・開発経済分野への応用可能性と今後の課題について検討した.

第2報告の三谷羊平氏(環境経済学,京都大学・農)は,環境経済学における実験研究の現状と課題について報告した.環境経済学ではラボ実験やフィールド実験の研究が活発に行われているが,これまでの研究成果を展望するとともに,環境経済学分野における実験・行動経済学研究の今後の可能性と課題について示した.

第3報告の高篠仁奈氏(開発経済学,東北大学・農)は,開発経済学における実験研究の現状と課題について報告した.開発経済学ではフィールド実験やサーベイ研究が行われているが,そうした実験研究の実際を示すとともに,開発経済学分野において実験・行動経済学アプローチの今後の可能性と課題について検討した.

コメンテーターの中塚雅也氏(神戸大学・農)および駄田井久氏(岡山大学・農)には,フィールド研究の立場から実験・行動経済学研究に何を期待するのかについて問題提起をお願いした.

総合討論では,地域農林経済学における実験研究の可能性について皆さんと議論した.フィールド実験による農業・環境・開発政策の評価,農山村の利他的行動や協調行動の分析など様々な実験研究が地域農林経済学でも可能だと思われる.一方で,農山村でのフィールド実験を行うことの難点,とりわけランダマイズの倫理的問題についても考える必要があるだろう.地域農林経済学は,これまで農山村でのフィールド研究の膨大な蓄積を持っており,こうしたフィールド研究の成果を活用した実験研究も可能ではないだろうか.実験研究に対する地域農林経済学の意義・貢献は決して小さなものではないだろう.ディスカッションの中で,地域農林経済学における実験・行動経済学研究の今後の課題について一定の方向性を示すことができたのではなかろうか.

引用文献
  • 柘植隆宏・栗山浩一・三谷羊平編(2011)『環境評価の最新テクニック:表明選好法・顕示選好法・実験経済学』勁草書房.
 
© 2017 地域農林経済学会
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