農林業問題研究
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大会報告
環境経済学における実験研究の動向
三谷 羊平
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2018 年 54 巻 1 号 p. 11-14

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1. はじめに

今日,実験は経済学における主要な一分析手法として,広く認知されている.この実験経済学を研究手法として用いる傾向は,政策効果の予測や評価を取り扱う環境経済学分野においても顕著に見られる.環境経済学の中でもとりわけ非市場財を分析の対象とする環境評価分野と排出権取引市場の制度設計など環境政策分野では,実験手法が比較的早い時期から頻繁に用いられてきた.近年ではエネルギー問題を含む環境経済学の全領域において実験アプローチは一般的な分析手法の一つとなっており,ラボ実験からフィールド実験,さらには疑似実験や自然実験までさまざまなタイプの実験研究が広くなされている.包括的な解説論文としては,Sturm and Weimann(2005)List and Price(2016)柘植他(2011)三谷・伊藤(2013)などがある.本稿では,まず実験手法について簡潔に説明した上で,環境政策とたたき台実験,環境評価とラボ実験,環境保全行動とフィールド実験について簡潔に紹介する.

2. 何故実験を用いるのか

実験手法を用いる理由は主に二つある.

第一に,実験は科学的な方法である.すなわち,予測を立てることを目的とし,分析結果の信頼性の検証を担保する上で必要不可欠となる再現性を有する.測定すべきものを正しく測定している程度を示す信頼性は,研究の反復によって検証される.つまり,ある研究の再現が容易にできるかどうかという再現性は,科学的方法が有するべき極めて基礎的な性質と言える.

第二に,実験はある結果に対する原因を示す因果関係を特定することを得意とする手法である.例えば,ある環境政策の効果を予測・評価するには,政策(すなわち原因)が帰結(すなわち結果)に与える・与えた影響,つまり因果関係を特定することが必要となる.この因果関係を明らかにするには,独立変数(関心のある原因)の実験操作と他の要因を制御するランダム化が必須となる.外的要因を制御しやすい実験室において,比較的同質な学生を実験参加者として実施するラボ実験は,因果関係の特定に適した内的妥当性の高い実験手法といえる.

一方で,学生を対象として,利得関数などを統制したラボ実験で明らかになったことが,実験室の外で起きる現実の問題を説明しうるのか,あるいは実際の制度設計に応用できるのか,といった実験結果の外的妥当性が問われることもある.そこで,現実的な要素をラボ実験に取り込むフィールド実験,条件の実験操作はなされるが,参加者が各条件に割り当てられるプロセスは無作為になされない疑似実験,あるいは自然に生じた事象を比較グループと対比させる自然実験などが用いられることもある.しかし,外的妥当性を高めようとするゆえに,内的妥当性の担保がより困難になるというトレードオフが存在する.例えば,現実的な要素を取り込むことで,被験者が多様になり,制御できない特性が増加することで,観察したい行動の分散が大きくなり,検出力が弱くなる.擬似実験や自然実験では,自己選択バイアスを最小化するという仮定の上で,因果関係の特定が可能となるが,そのような仮定を満たす理想的な事例やデータを見つけるのは容易ではない.

ラボ実験は観測データを用いる実証研究と比べて,理論研究に近く,一般性や普遍性のある法則の発見や検証に向いた手法と言える.一方で,自然フィールド実験(NFE)や疑似実験,自然実験は因果関係の特定を目的とするが,比較的,実証研究に近く,個々の政策効果の評価などに適した手法と言える.このように実験手法にも限界があることをよく理解し,研究の目的に応じて,研究手法の選択や評価を行うことが寛容である.

3. 環境政策とたたき台実験

なぜ政策の制度設計に実験が必要なのか?ここでは,航空機開発における風洞試験の例を用いて,制度設計におけるたたき台実験の役割を説明したい.新しい航空機の開発では,実際の空で試験飛行を行う前に,数多くの実験が行われる.例えば,空力に関して,航空機の一部である主翼などのパーツや実機を模したモデルを試験施設に設置し,そこに人工的に空気を流すことで,空力特性を検証する風洞試験が用いられている.このような試験で理論や想定に過ちがないかを検証することで,実機が試験飛行中に墜落するという事故(想定外の事象)発生のリスクを最小限にしているのである.ラボにおける政策のたたき台実験は,経済理論や経済学者の想定通りに政策インセンティブが働くかどうかを政策導入前に検証する役割があり,航空機開発における風洞試験に似た役割を担っている.制度設計におけるたたき台実験では,実際の制度を構成するインセンティブの一部や,実際の制度や政策を模したモデルの検証を目的としており,実際の制度や政策そのものを検証するものではない点に注意が必要である.

環境経済学では,排出権や水利権の許可証取引市場や非点源汚染への環境税など新しい制度の分析などにたたき台実験が用いられてきた.近年では,私有地保全の制度設計への応用も進んでいる.日本や米国を含む先進国では私有地の割合が高く,その私有地には豊富な生物多様性があり,希少な生物も多く生息している.生態系サービスを安定的に供給するには適切な私有地の保全管理が欠かせないが,私有地の保全や管理は,個々の所有者の意思決定に大きく依存する.そこで近年,土地所有者が自由に参加を選択できる自発的保全政策における最適なインセンティブの制度設計が重要かつ最先端の研究課題となっている.生物多様性保全などを目的とした土地の保全では,生息域が分断されないように保全地域を指定することが重要となる.しかし,各所有者が各々の機会費用や取引費用に応じて保全政策への参加協力を決めるため,隣接した土地をまとめて保全することは容易ではない.そこで,保全地区に面した土地の保全に協力した場合,所有者に隣接ボーナスを与えるという制度が提案されている.この隣接ボーナスという新しい制度のパフォーマンスの検証にラボ実験が用いられており,これまでに実験環境においてコミュニケーションや繰り返しが隣接ボーナスの効率性を高めることが示されている.航空機の開発がそうであるように,制度の設計においても,ラボ実験にて制度のパフォーマンスの検証を繰り返し,制度が生み出すインセンティブが経済主体の行動に与える影響を十分に理解した上で,実際の政策に応用されることが期待される.

4. 環境評価とラボ実験

環境経済学の中でも環境サービスなど非市場財の便益評価を分析の対象とする環境評価の分野では,実験的な手法が比較的早い時期から導入されてきた.環境評価手法はアンケートなどを用いて市場では取引されていない財サービスに対する人々の選好を分析するが,そもそも人々はそのような非市場財に対する選好を形成しているのかという価値形成に関する重大な問題と,仮に人々が選好を形成していたとして,その(多くの場合公共財的性質を有する財への)選好を偽りなく抽出することができるのかという価値抽出の重大な問題に直面している.実験経済学の手法(価値誘発理論)を用いることで,支払意志学と受取補償額の乖離,仮想バイアス,需要顕示(誘引両立性の検証)といった主に価値抽出の問題に関する実験研究が数多く行われてきた.これらの実験研究においては,ラボ実験は理論予測を検証するという役割を担っている.

近年の経済学では,経済的インセンティブが制御されていないアンケートにおける回答を経済行動データとして扱うことはない.金銭的インセンティブの有無が経済行動に与える影響を検証した実験経済学研究は多数存在する.多くの意思決定において平均的な行動は金銭的インセンティブの影響を受けない傾向がある一方で,外れ値が増えるなど行動の分散が上昇することがわかっている.また,需要顕示,独裁者ゲーム,リスク選好などの意思決定においては,金銭的インセンティブの有無が行動に体系的な影響を与えることが示されている.需要顕示では,仮想的状況下での需要表明は真の需要顕示と乖離する傾向があることが知られている.環境経済学ではこれを仮想バイアスという.独裁者ゲームでは,金銭的インセンティブがない時には,ある時と比較して,より多くの被験者が公平な選択をすることが知られている.リスク選好では,金銭的インセンティブのある状況下でくじの金額が大きい場合,金銭的インセンティブのない場合と比較して,被験者はよりリスク回避的になることが知られている.これらの結果は,経済的インセンティブが存在しないアンケートなどにおいては,人々は社会規範に沿った表明をする傾向や経済的損失を過小評価する傾向などがあることを示唆している.

5. 環境保全行動とフィールド実験

実験経済学において先進的かつ精力的に実験研究が行われてきた領域として社会的ジレンマがある.特に,公共財ゲームを基礎にした公共財実験は標準化が早くから進んでおり,今日までに多数の実験研究が学術誌に出版され,社会的選好など多くの知見が蓄積されてきた.これらの体系化されつつある知見は,人々の協力行動の解明という基礎的な理解を深めることに留まらず,近年は現実の事例を対象とした様々なタイプのフィールド実験を用いて,実際の寄付行動や環境保全行動の解明に応用されている.本節では,寄付行動の実験研究におけるこれまでの主要な知見を簡潔に紹介する.

生態系サービスなど公共財への寄付行動は,公共財の自発的供給問題として定式化される.すなわち,募金による資金調達努力は,自発的供給メカニズム(voluntary contribution mechanism: VCM)に依存するため,フリーライド問題に直面する.そこで,このフリーライド問題を克服し,寄付を促進するためのメカニズムや行動的ナッジに関して,理論及び実験研究が盛んに行われてきた.これまでに明らかにされてきた主要な知見を以下に三つ紹介する.

(1) 供給に閾値を設定する

寄付総額が一定値(閾値)に達した場合のみ公共財が供給されるというメカニズム(provision point mechanism: PPM)には,非効率なフリーライド均衡に加えて,効率的な均衡が存在する.このため,VCMと比較して,PPMでは平均的な寄付額が上昇することが理論的に期待される.この結果は多くの実験研究で支持されており,募金キャンペーンの設計にあたり,寄付額に目標を設定することの効果は広く認められている.

(2) 出資金を明示する

PPMにおいて,既に出資金があることをアナウンスすることは,非効率なフリーライド均衡を取り除く効果がある.一方で,効率的な均衡を達成する上で必要な総寄付額が出資金分減るので,総寄付額は減少することが理論的に予測される.この出資金に関する実験研究では,出資金の明示は寄付人数を増やす効果があることが示されている.また,事前の寄付額を示すことは,公共財の価値に関するシグナルを送ることにもなり,寄付者の行動を変えうることが示唆されている.さらに,他の人も寄付しているなら私も寄付するといった条件付協力行動や他の人が寄付しているならば私も寄付しないといけないといった規範へ従う行動も広く観察されている行動様式である.よって,募金活動では透明な募金箱を用いるなど,人間の行動様式を理解した上でのキャンペーン設計が求められる.

(3) 寄付者を公表する

公共財の自発的供給において,多くの人は他人の目を考慮した上で寄付額を決定することが知られている.これは一定額を寄付することが社会規範であるときに,その規範に反する行動は,社会に承認されず間接的な費用(心理的に嫌な思いをするなど)が生じるという間接的な社会的承認によって説明される.このように多くの人は評判や社会に承認されるかどうかを考慮して意思決定をするため,寄付額が他人から見られるように工夫する集金方法や高額寄付者を公表するといったキャンペーンが用いられる.このような効果は実験研究により確認されているが,古くは神社や教会における募金方法に採用されている.

以上のように,寄付行動の経済分析に関してこれまで多くの実験研究が行われてきたが,自然環境保全への寄付や生態系サービスへの支払に関する研究は数少ない.今後は,生態系保全の需要サイドとして,寄付行動の役割が一層期待されており,寄付行動の経済分析の自然環境保全への応用が望まれる.

引用文献
 
© 2017 地域農林経済学会
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