2018 年 54 巻 1 号 p. 15-23
途上国の農村研究では,多くのフィールド実験が実施されてきたが,国内の農村研究へのフィールド実験の応用は萌芽段階にあり,今後の活用が期待されている.フィールド実験とは,実験を用いて,政策の介入効果や,実験参加者の意識や選好(社会規範やリスクへの態度など)の指標を測定する手法である1.実験室で行うラボ実験と異なり,現実のフィールドにおける主体を対象とし,経済取引や社会的な行動に関するデータも収集する点に特徴がある.また,ラボ実験と同様に,randomized controlled trial(RCT,無作為比較対照法)を使うことが可能であり,自己選抜バイアスや内生性の問題といった,実証分析上の問題を克服できるという利点がある.
途上国では,特に開発経済学の分野でこれまで多くのフィールド実験が実施されてきた.その多くは,プログラム評価を目的とし,貧困削減等の開発政策プログラムの効果を測定するために実施された.また,経済学理論の現実妥当性の検証や,特定のグループの行動選択の決定要因,規範意識やリスク選好等の影響について,フィールド実験に基づく知見が蓄積されてきた.
本稿は,途上国農村研究におけるフィールド実験の課題を整理し,国内の地域農林業問題への応用に向けた含意を導くことを目的とする.その際,政策プログラムの効果を測定し評価する実験を「政策評価型」,個人的な選好指標を測定する実験を「選好測定型」と呼び,大別して論じ,フィールド実験の動機と概要,実際の手順について述べる.
本稿に関連する展望論文として,de Janvry et al.(2017)は,途上国の農業問題について,政策がどのように生産性や農家の生活水準を向上するかという観点から,主に政策評価型のフィールド実験研究の役割を論じている.また,Gneezy and Imas(2017)は,選好指標測定型の実験がフィールドでどのように活用されるかという視点から,途上国だけでなく先進国も含めた実験研究を整理している.これらの展望論文は,細分化した各分野の詳細を論じているため,実験を専門とする研究者が関連研究を展望する上で有用だが,これからフィールド実験を援用しようとする研究者が概要や活用方法を理解するには適さない.また,実験研究に取り組む手順や実践的な課題については述べておらず,国内の地域農林業問題への応用に向けた含意を得るのは難しい.フィールド実験に関する和文の総説は少なく,高野(2007)は貴重な例外だが,地域農林業問題への応用を念頭においた整理ではない.
そこで,本稿では,フィールド実験の枠組みに関する理解を深め,国内農村への応用に向けた含意を示すという視点から,フィールド実験を用いた研究を整理する.さらに,筆者が実際に参加した調査研究事例を通じて,実験を運営する上での実践的な課題について述べ,今後の国内農村地域におけるフィールド実験の活用に向けた含意を示す.
本稿の構成は以下の通りである.まず,次節では,途上国研究においてフィールド実験がなぜ関心を持たれてきたかという位置づけを確認する.3節では,途上国農村におけるフィールド実験の応用事例を上述の分類に基づき整理する.その上で,4節では,報告者が実際に参加した調査研究事例を通して,フィールド実験を実施する上での課題を提示し,5節で国内農村研究への含意を述べる.
以下では,なぜ途上国農村においてフィールド実験が関心を持たれてきたか,政策評価型,選好指標型それぞれについて整理する.
政策評価型のフィールド実験が開発経済学の文脈で行われてきた要因には,途上国農村における経済行動に関する因果関係の特定の難しさと,開発政策プログラムと連携した研究が行い易い環境であった点が挙げられる.開発経済学が主な研究対象とする低所得国では農業の占める重要度が高い.そのため,途上国の農村を対象とした社会経済研究は多く蓄積されてきたが,途上国農村は,市場や法的制度が整った先進国と比較すると,情報の非対称性や,市場の不完全性の影響で,因果関係の特定が困難という特徴がある.そのため,実証分析上の問題を克服できるフィールド実験を援用する必要性が高かったと言える.さらに,途上国農村では,国際機関やNGOの開発政策プログラムが多く実施され,そのプログラム評価が必要とされていた.そのため,実践面からも,アクションリサーチとしてフィールド実験を用いたプログラム評価への高い需要があり,開発政策プログラムと連携した大型研究プロジェクトが行われてきた.
次に,選好測定型のフィールド実験が,途上国で実施されてきた動機を整理すると,経済行動と関連性の深い主体を対象として理論の検証を行うことと,選好指標の地域・文化間比較を行うことに大別できる2.実験経済学では,大学などで主に学生を対象として行われるラボ実験が多く実施されてきた.ラボ実験では,参加者全員が同じ映像・音声による説明を受けられる会場や,個別のブースで仕切られた実験室を使用することが多い.このような,実験に必要となる厳密な環境統制は,ラボ実験の利点であるが,多くの場合,被験者は学生であり,社会における経験が浅く現実の経済行動と実験における選択行動の関連性が疑わしいという欠点もある.そのため,実際の経済行動と関連性の高い被験者による実験を行うという動機から,途上国の農村における農家等を対象としたフィールド実験が実施された.これにより,途上国農村の経済理論の検証や,個人的な選好が,技術選択や金融取引など,実際の経済行動に反映されているかといった,現実妥当性の検証が可能となった.また,利他性や信頼度,リスク回避度などの選好の決定要因について,多様な文化や環境の影響があるかといった問題への関心も,途上国農村でフィールド実験を実施することにより検証が可能となった.
以下では,フィールド実験の先行研究について,de Janvry et al.(2017)および,Gneezy and Imas(2017)を参考としながら,途上国農村で実施された応用事例を中心に整理する.その際,前述の分類に従って,政策プログラムの効果を測定し評価する実験を「政策評価型」と呼び,政策課題ごとに先行研究を整理する.また,個人的な選好指標を測定する実験を「選好測定型」と呼び,実験と指標の種類ごとに整理する.取り上げる事例については,実験の枠組みの理解と,地域農林業問題への応用への有用性が高いと思われる事例を選定する.なお,研究によっては,「調査研究全体としては政策評価を目的とするが,個人の選好の経済行動への影響を分析に取り入れる必要があるため選好測定型実験を行う研究」や,「第1段階で選好測定型,第2段階で政策評価型の実験を行い,両実験を組み合わせて分析を行う調査研究(逆の順番も同様)」など,上述の2つの分類の混合型と呼ぶべき調査研究も存在する(例えば,Ashraf et al., 2006; Jack, 2013; Jakiela et al., 2015など).本稿では,地域農林業問題への応用について検討するための整理という観点から,理解の簡便性を優先し,混合型の調査研究は,実験を単位として,いずれかに分類し,該当する項目で実験の概要を述べる.分類は,実験実施方法に基づき,各項の冒頭で基準を述べる.そのため,選好測定型と政策評価型を組み合わせる調査研究については,各段階の実験ごとにいずれかに分類して整理する.
(2) 政策評価型表1は,政策評価型のフィールド実験を用いた研究例を示している.ここでは,政策評価型として,RCTを用いて,長期に渡るなんらかの施策を実施し,その影響を検証する実験を分類している.RCTを用いた実験では,実験参加者を「操作群」,「対照群」と呼ばれるグループに分け,グループごとに違った条件下で実験を実施し,その差異が参加者の選択や行動にどのような影響を与えるかを検証する.
論文 | 政策課題 | 内容 | 国名 |
---|---|---|---|
Duflo et al.(2008) | 技術普及 | 適切な施肥情報と収益 | ケニア |
Hanna et al.(2014) | 技術普及 | 養殖方法の情報と収益 | インドネシア |
Beaman et al.(2016) | 技術普及 | 「普及農家」選定方法と普及度 | マラウイ |
Emerick et al.(2016) | 技術普及 | 耐水性の稲の配布と農家行動 | インド |
Glennerster and Suri(2015) | 種子補助 | 種子補助とNERICA採用 | シエラレオネ |
Mitra et al.(2015) | 価格情報 | 価格情報とトレーダーの利益 | インド |
Mobarak and Rosenzweig(2012) | 保険 | 天候保険と作物選択 | インド |
Karlan et al.(2014) | 保険 | 天候保険と投資 | ガーナ |
Banerjee et al.(2015) | 小規模融資 | 金融プログラムの比較 | ボスニア等,6か国 |
Ashraf et al.(2006) | 小規模貯蓄 | 積立貯蓄への参加行動 | フィリピン |
資料:de Janvry et al.(2017)および,Gneezy and Imas(2017)を参考に筆者作成.
政策評価型のフィールド実験では,特定の情報や物品を操作群のみに提供することで,対照群との比較を容易に行うことが可能となる.例えば,Duflo et al.(2008)は,ケニアの技術普及について,適切な施肥情報を提供する施策が農家の収益に与える影響を検証している.実験では,耕地面積等の条件を同一とした上で,操作群は適切な量の肥料を用いた耕作をし,対照群は過少な量の肥料で耕作を行う.その結果,条件の違いが収量や収益にどのような影響を与えるか示した.
同様の研究として,技術普及等における情報の役割や補助キットの付与が農家行動に与える影響に関する研究がある.Hanna et al.(2014)は,インドネシアの海藻養殖について,養殖技術に関する知識の提供方法を参加者群ごとにコントロールし,技術の習得度に効果のある方法を特定した.Beaman et al.(2016)は,普及情報を伝える経路に着目し,各地域を代表して技術に関する情報を習得し,地域内に伝達・普及させる「普及農家」の選定方法(ランダムな選出か,特定の基準で選ぶか)がその普及度に与える影響を検証した.Emerick et al.(2016)は,インド農村で,リスクに強い耐水性の稲を配布し,農家の収量リスク低減への効果と,さらに,既存の金融機関からの借り入れ,投資に影響することを示した.Glennerster and Suri(2015)は,シエラレオネにおける技術選択について,種子補助キットを配布することで,種子補助政策がNERICA米の採用に与える影響を明らかにした.Mitra et al.(2015)は,携帯電話を用いて農家に価格情報を提供し,農家および取引相手であるトレーダーの利益に影響を与えるかを検証した.
RCTを用いた実験では,上述のように情報や物品を付与する操作の他に,操作群のみが何らかの支援プログラムに参加し,プログラムに参加していない対照群と比較を行うことも可能となる.代表的な例として,リスク低減のための保険プログラムや貯蓄・融資の機会を提供する金融プログラムに関する研究の蓄積がある.
Mobarak and Rosenzweig(2012)は,天候保険と作物選択に着目し,実際に天候保険プログラムに加入した農家とそうでない農家を比較し,保険加入がリスクの高い商品作物の選択につながることを示した.Karlan et al.(2014)は,ガーナの天候保険加入者と現金支給プログラム参加者を比較し,天候保険によりリスクを低減できれば,農家は既存の金融機関からの借入が可能となり,投資額が増加することを示した.
金融プログラムの実施と連携した研究の例として,Banerjee et al.(2015)は,ボスニア,エチオピア,インド,メキシコ,モロッコ,モンゴルで実施された6種類の金融プログラムを比較し,プログラムの効果を検証した.また,Ashraf et al.(2006)は,積立貯蓄への参加行動について,積立貯蓄へ勧誘する方法ごとにグループを分け,加入行動への影響を検証した.
(3) 選好指標測定型次に,選好指標型のフィールド実験について述べる.Gneezy and Imas(2017)は,“lab-in-the-field”(フィールドで行うラボ実験)を,「理論に関連する人を対象とし,標準化されたラボ実験の枠組みを使用し,自然な環境で実施する実験」と定義している3.本稿ではこの定義に従い,該当する先行研究を選好指標測定型と呼び整理する.表2は,選好指標測定型のフィールド実験を活用した研究例を示す.
論文 | 実験の種類 | 内容 | 国名 |
---|---|---|---|
Binzel and Fehr(2013) | 独裁者ゲーム | 社会関係と利他性 | エジプト |
Jakiela et al.(2015) | 独裁者ゲーム | 奨学金受給経験と利他行動 | ケニア |
Ligon and Schechter(2012) | 独裁者ゲーム | 利他性と贈与行動 | パラグアイ |
Bchir and Willinger(2013) | リスク実験 | 災害リスク環境とリスク選好 | ペルー |
Voors et al.(2012) | リスク実験 | 暴力とリスク選好 | ブルンジ |
Ward and Singh(2015) | リスク実験 | リスク選好と技術の採用 | インド |
Ashraf et al.(2006) | 時間選好実験 | 時間割引率と積立貯蓄への参加 | フィリピン |
Jack(2013) | オークション | 植林補助の活用意思額 | マラウイ |
Gneezy et al.(2009) | 競争ゲーム | 父系・母系社会,競争意欲の男女差 | 2か国 |
Hoffman et al.(2011) | 空間ゲーム | 父系・母系社会,空間能力の男女差 | インド |
資料:de Janvry et al.(2017)および,Gneezy and Imas(2017)を参考に筆者作成.
選好指標測定型の研究は,個人的選好の指標を計測し,その決定要因分析や,計測した選好の現実妥当性を検証することができる.例えば,独裁者ゲーム実験では,実験参加者(独裁者)は,ゲーム開始時に実験実施者から与えられた金銭を,パートナーとなる相手(受益者)に分け与えるか否か,どの程度与えるかを選択する.合理的な経済人であれば,理論上,分け与える移転額はゼロとなるが,実際には正の移転額を選ぶ参加者も多い.利他的傾向が高いほど,移転額が大きいと想定し,移転額を利他性の指標として分析に用いる.これを用いて,利他性はどのように決まるか,環境や地域差が影響するか,といった決定要因分析や,利他性は現実の経済取引にどのような影響を与えるか,ゲーム内の行動と現実の経済行動は整合的かといった現実妥当性を検証することができる.
利他性の決定要因に着目した研究の例として,Binzel and Fehr(2013)は,エジプトで独裁者ゲーム実施し,利他性の決定要因を分析し,現実社会での関係性が実験における利他行動に与える影響を検証した.同様に,Jakiela et al.(2015)は,奨学金支給を行う政策評価型実験と独裁者ゲーム実験を組み合わせ,奨学金受給者の方が利他的になるということを示した.また,現実妥当性を検討する研究として,Ligon and Schechter(2012)は,パラグアイにおいて,実験で計測される利他性が実際の贈与行動に反映されているかを検証した.
リスク実験も代表的な選好指標型の実験であり,リスクが重要な変数となる農村での活用可能性が高い.この実験では,さまざまな当選確率と報酬の組み合わせで構成されるくじ群から最適なくじを選択する方法や,ギャンブルを模したゲームで賭け額を選択する方法がある.実験方法が簡便であるため,途上国や新興国においても研究蓄積が豊富である.
リスク選好指標の決定要因分析例として,Bchir and Willinger(2013)は,ペルーの火山地帯でリスク実験を行い,居住する地域の災害リスク環境が個人のリスク選好に影響を与えるかを検証し,低所得者について火山リスクが高い地域ほどリスク愛好的であることを明らかにした.また,Voors et al.(2012)は,ブルンジの暴力的な紛争にさらされた地域とそうでない地域を比較し,暴力的な紛争にさらされた参加者の方がリスク愛好的な選択を行うことを示した.また,リスク実験も用いた現実妥当性の検証例として,Ward and Singh(2015)は,実験で計測されたリスク選好が,実際にリスク軽減のための農業技術の採用行動に影響を与えるかを検証した.
時間に関する選好は,農業を含むあらゆる経済行動に重要であり,その指標を計測する実験は,様々なフィールドで実施されている.時間選好実験では,参加者は,現時点に一定の報酬を受け取るか,それよりも多い額を数日後や数週間後といった将来に受け取るかという選択を,様々な期間・額の組み合わせについて回答する.これらの回答結果から,参加者の時間割引率を計測することができるように実験が設計されている.リスク実験の活用例として,Ashraf et al.(2006)は,フィリピンの貯蓄積立への参加行動について,時間割引率が与える影響を分析し,将来の割引率が低く慎重であるほど積立貯蓄に参加しているということを示した.
実験オークションについても,農林業問題と関連して多様な活用方法がある.この実験では,財やサービスに関するオークションを実際に行い,参加者の支払意思額を測定する.Jack(2013)は,マラウイにおいて,植林補助の活用意思額を実験オークションにより計測した.この調査研究では,オークションにより,少ない補助額であっても植林を行おうとする活用意思の高い参加者を選別し,実際に植林補助を実施するという政策評価型のRCT実験を行っている.RCT実験を組み合わせ,ランダムに選ばれた植林補助受給者と植林の残存率を比較することにより,植林補助の活用意思が残存率に与える効果を示した.
上述の研究は,代表的なラボ実験をフィールドに援用した例であるが,研究課題によっては,既存の枠組みでは計測不可能な選好もあり,その場合は,新たな実験を考案する必要性が生じる.例えば,Gneezy et al.(2009)は,競争意欲の男女差の決定要因を検証するために,独自の実験を考案している.この実験の参加者は,ボールを離れたバケツに入れる競争ゲームを行うが,報酬額を,勝負の結果に関わらず自分のボールが上手く入った数のみに依存する報酬(成功数×一定額)とするか,自分の競争相手との勝ち負けに応じて異なる報酬(成功数×勝った場合の額,あるいは,負けた場合の額)とするか,いずれかを選択する.この実験を,タンザニアの父系社会と,インドの母系社会において実施し,競争意欲の男女差には後天的な社会環境の影響があることを示した.同様に,Hoffman et al.(2011)は,インドにおける父系社会と母系社会で,空間能力を計測する実験ゲームを設計し,空間能力の男女差には後天的な環境の影響があることを示した.
以下では,筆者が参加した調査事例を通して,フィールド実験を実施する際の実践的な課題を述べる.
表3は,筆者が参加したフィールド実験研究を示す4.これまで,代表的な指標測定型の実験である,独裁者ゲームや信頼ゲーム,リスク実験,時間選好ゲーム,実験オークション,時間選好実験を実施してきた.連帯ゲームは,代表的な実験形式ではないが,保険の状況を模した1時間程度で実施可能なゲームであり,実際の政策プログラムではないので,指標測定型の一つと分類される.すなわち,全て指標測定型の実験であり,政策評価型の実験の経験はない.この要因には,政策評価型実験の運営上の難しさが挙げられる.
時期 | 実験の種類 | 経済行動 | 実施国 |
---|---|---|---|
2006 ~2007 |
独裁者ゲーム 信頼ゲーム |
農村金融 | インドネシア |
2008 ~2014 |
リスク実験 時間選好実験 |
農村金融 | インド |
2015 | 連帯ゲーム | 小規模保険 | インド |
2016 | オークション | 米の消費 | カメルーン |
2017 | リスク実験 時間選好実験 |
健康保険 | カンボジア |
資料:筆者作成.
表4は,政策評価型実験と選好測定型実験の実施を,調査運営の面から比較している.政策評価型の例として貧困層向けの保険事業をNGOに委託し,その効果を測定するRCT実験を考える.この場合,事前調査(参加者の社会経済状況や健康状態等に関する聞き取り調査)から実施後の効果に関する調査まで,調査期間は長期にわたる.正確なデータを収集するためには,実験としての保険事業が滞りなく運営される必要があるが,その成否は委託先との信頼関係や,モニタリングの頻度が影響する.実施能力も問われるため,過去に類似の事業経験を持つNGOとの緊密な連携が求められる.また,費用面での制約は大きく,保険事業であれば,NGO職員の人件費や保険加入費を賄う実験参加者報酬など,多額の事業費用がかかる.そのため,実施の可能性は資金に高く依存し,調査対象地域に適切なカウンターパートがいなければ実施は困難である.
政策評価型 | 選好測定型 | |
---|---|---|
実験例 | 保険事業を実施し 効果を評価 |
リスクゲーム |
期間 | 長期 | 短期 |
運営 | 委託先との関係, モニタリング次第 |
環境統制に 細心の注意が必要 |
費用 | 人件費,加入費等 事業費用(多額) |
ゲームの結果に応じた 報酬(比較的少額) |
難易度 | 資金に高く依存 | 容易 |
資料:筆者作成
これに対して,選好測定型としてリスク実験を例とすると,実験自体にかかる時間は30分から1時間程度と短く,通常の家計調査に付随して行うことも可能である.調査の運営は,通常の家計調査と比較すれば,実験手順の正確な理解や,参加者間のコミュニケーションの禁止等の環境統制に細心の注意が必要となる.費用面は,実験内の行動に応じた報酬を与えるため,通常の家計調査の費用に加え,実験報酬が必要となる.しかし,政策評価型実験と比較すれば少なく,途上国の場合,対象地域の日当程度,日本であれば拘束時間に応じた時給と同じ程度での実施例がある.そのため,科研費等の研究費で実施可能であり,比較的容易に調査研究に取り入れやすいという特徴がある.
(2) 実験実施の課題次に,2017年にカンボジアで実施した調査を事例に,実験を実施の課題を述べる.この調査では,掛け金とサイコロの目に応じた報酬を支払うリスク実験と,受け取り時期と額が異なる報酬の組み合わせから望ましいものを選ぶ時間選好実験を実施した.この調査研究全体としては,保険加入行動の決定要因分析を目的としており,分析に使用するためリスク選好と時間選好の指標を実験で計測している.
実験する際の課題として,実験参加者の十分な理解と適切な実験環境の統制が挙げられる.実験参加者には仮想状況の理解が困難である場合もあるが,そのような場合も繰り返して十分に理解した上で実験を実施する必要がある.また,報酬をともなう実験の場合,不正が行われると正確なデータを得られないため,不正防止も重要となる.例えば,リスク実験の報酬はサイコロの目に依存するが,ある参加者が6の目が出やすい偏った振り方をして高い報酬を獲得し,それを他の実験参加予定者に伝えた場合には,以降の参加者のリスク愛好度(掛け金)が過大となる危険性がある.さらに,正確な指標を得るためには,実験参加者間の距離や会話をコントロールし,報酬支払を確実に実施する必要がある.このような環境統制を厳密に行うためには,調査補助者(聞き取りを行う調査員とそのとりまとめを行うカウンターパート)の深い理解も求められる.
このように,フィールド実験では,調査対象と調査員,カウンターパートの深い理解が課題となる.この克服には,調査員への説明会が有用である.通常の家計調査でも説明会は重要だが,実験を伴う場合はより一層配慮が必要となる.説明会では,趣旨説明を英語と現地語で確認し,調査票を確認した上で,調査員同士で模擬実験を行うなど,綿密なトレーニングを実施し,実験実施場所の距離を十分にとる必要性や,サイコロの振り方をランダムとなるようにすることの重要性を丁寧に説明している.
また,信頼できるカウンターパートを選定することは極めて重要である.カウンターパートは,調査村の選定や事前説明,参加者への説明,記入済み調査票の確認といった通常の調査で求められる役割に加え,実験結果の確認や実験報酬の支払いも必要となる.例えば,リスク実験のサイコロはランダムか,時間選好の実験の枠組みを参加者が十分に理解し選択が整合的となっているか,などを丁寧に確認する必要がある.また,時間選好実験では,実験報酬を数日後,数か月後に渡す場合もあり,確実に受け渡しを行わなければならない.そのため,通常の調査よりもカウンターパートの選定が重要といえる.
本稿は,国内の農村研究への応用に向けた含意を示すという視点から,フィールド実験を用いた先行研究を整理し,実際の調査研究事例を通じて,実験を運営する上での実践的な課題を述べた.
国内農村における地域農林業問題への応用に向けた含意として,選好測定型の実験は,比較的取り入れやすく,特に,被験者の教育水準が高く言語の壁がない日本では活用しやすい.利他性やリスクへの態度を計測する代表的な実験を用いて,その決定要因や現実妥当性の検証が国内農村で実施されることが期待される.
政策評価型について,途上国の事例からは,予算面での制約が示された.この点を克服するためには,途上国研究であれば,JICA等の国内援助機関との連携や,関心を共有する現地大学や現地関連機関との連携の可能性が挙げられる5国内農村の場合,農村に強いネットワークを持つ研究者には,委託先との連携やモニタリングを容易に行う可能性がある.
具体的な含意を示すため,ため池等の地域資源の管理に関する研究を例として,フィールド実験を活用する方法を述べる.選好測定型の実験を取り入れれば,個人的,もしくは,共同体としての選好指標が,資源管理の成否に与える影響を検証することが可能である.例えば,共同体を単位として構成員間の信頼関係を測定する実験(信頼ゲームや公共財ゲーム等)を実施し,資源管理のパフォーマンス指標との因果関係を統計的に検証することができる.
政策評価型の実験を取り入れる場合は,まず,いくつかの共同体を操作群とし,残りの共同体を対象群と設定する.その上で,操作群にのみ,資源管理活動に住民が参加するような施策・補助を付与し,その効果を計測することで補助の費用対効果を論じることが可能となる.
選好測定型,政策評価型,いずれにおいても,農村での協力機関が実験実施に重要な役割を果たす.例えば各県の自治体や農協,土地改良区などが考えられるが,農村問題に精通する研究者は,これらの機関と緊密な関係にあり,フィールド実験を実施する強みを持つため,独自性の高い研究が期待される.
本研究は科研費16H05703(代表,京都大学 福井清一教授),17H05036(代表,筆者)の助成を受けたものである.ここに記して感謝の意を表する.