1. はじめに
中国の農産物輸入動向は,国際市場において,農産物価格の大幅な変動など極めて甚大なインパクトを与える.このことから,中国農業の動向は日本をはじめ世界的に重要な含意を有する.言うまでもなく,中国国内の膨大な農産物需要を満たすためには,中国の農業生産性を向上させ,中国国内における農産物の供給増大を図ることが必要となる.このため,中国農業を対象とした生産性分析は,中国農業の展開を見通して行く上で,極めて重要な研究課題と考える1.
ところで,農業生産性の分析においては個票データの利用が望ましいものの,一般的に多数の観測値を含む個票データは未公表で,容易には入手できない場合が多い.そのため,政府など公的機関から公表され,容易に入手可能な一国あるいは一地域に関する農業生産費の平均値データのみで生産性を計測する場合も少なくない.
しかしながら,中国の公的機関から公表されている農業生産費データでは,土地に関して自作地と借入地の地代は記載されているが,作付面積が記載されていないなど,生産性の分析に必要な情報が十分に得られないというデータ上の制約に,しばしば直面する.こうしたデータ制約のため,中国農業の生産性分析を断念する場合が少なくないと思われる.
こうしたデータ制約が少ない中国の統計年鑑などを利用し,中国農業全体または穀物2の生産性(効率性や技術変化を含む)を分析した既存研究は極めて多い(Fan, 1991;Lin, 1992;Kalirajan et al., 1996;Mao and Koo, 1997;Lambert and Parker, 1998;沈,1999;Tian and Wan, 2000;Wu et al., 2001;Fan and Zhang, 2002;喬,2004;亢・劉,2005;陳・鄭,2006;Ito, 2008;範他,2008;Ito, 2010;黄・周,2010;魏他,2010;閔,2012;閔・李,2012;肖・王,2012;高・王,2012;姜他,2012;Ito and Ni, 2013;伊藤,2013;Deininger et al., 2014;陳・譚,2017など).一方,中国の米や綿花など,個別の農畜産物を対象にした生産性分析は,中国農業全体または穀物の生産性を分析した既存研究と比較して,必ずしも多くないが(Fan, 2000;彭,2000;Jin et al., 2002;豊田他,2005;Rae et al., 2006;Ke and Nagaki, 2009;Jin et al., 2010;稲田・山本,2012;張他,2018)3,これはデータ制約が一因と推察される.中国生産費データの制約を解消できる生産性分析の方法提示などが望まれるところであるが,こうした方法提示を試みた既存研究例を見出すことが出来なかった.
そこで本稿では,中国農業生産費データを用いた生産性分析の際に,しばしば直面するデータ制約の代表事例として,作付面積当り生産量と作付面積当り要素投入量のデータは利用可能であるが,作付面積データが利用できない場合を対象とし,総合生産性(以下,TFPと言う)を簡便に計測できる方法を提示することを課題とする.さらに,本稿で提示できた計測方法の有用性を示すため,提示できた計測方法を,実際に上記のデータ制約を有する中国綿花の生産費データに適用し,中国綿花作のTFP計測例も示すことにしたい4.
2. 計測方法
本稿ではサンプルサイズが小さい場合でも,TFPの計測が可能であり,ノンパラメトリック・アプローチの一つであるインデックス・ナンバー・アプローチを用いる.具体的には,Törnkvist生産性指数を適用する5.
ただし,Törnkvist生産性指数で農業のTFPを計測する場合,生産物は1戸当り生産量,生産要素は1戸当りの労働,資本,土地,経常財がすべて揃っていることが前提となる.しかしながら,分析に利用できるデータが作付面積当りの生産量と要素投入量で,作付面積そのものが利用できない場合,Törnkvist生産性指数をそのまま適用することはできない.その場合,Törnkvist生産性指数のモデルにおいて生産量と要素投入量の変数をすべて土地投入量の変数で除した形に新たに定式化する必要がある.本稿では,新たに定式化したTörnkvist生産性指数を用いて,中国綿花作のTFPを計測する.
具体的には,以下のようにTörnkvist生産性指数を定式化する6.
まず,通常のTörnkvist生産性指数は(2)式の制約のもと,(1)式のように与えられる.
|
=
V
L,t+1
+
V
L,t
2
⋅(ln
L
t+1
−ln
L
t
)
|
|
+
V
K,t+1
+
V
K,t
2
⋅(ln
K
t+1
−ln
K
t
)
|
|
+
V
S,t+1
+
V
S,t
2
⋅(ln
S
t+1
−ln
S
t
)
|
|
+
V
M,t+1
+
V
M,t
2
⋅(ln
M
t+1
−ln
M
t
)
|
|
V
L,t+1
+
V
K,t+1
+
V
S,t+1
+
V
M,t+1
=1,
|
|
V
L,t
+
V
K,t
+
V
S,t
+
V
M,t
=1
| (2) |
ただし,Ytはt年の生産量,Lt,Kt,St,Mtは同年の労働,資本,土地,経常財の投入量,Vi,t (i=L, K, S, M)は同年のコスト・シェア,T (L, K, S, M, t)はTFP変化を表す.
ここで,土地投入量(作付面積)のデータが利用できず,生産量と土地以外の要素投入量はすべて作付面積当りのデータとなっている場合,このようなデータの制約に対応するため,(1)式の両辺を土地投入量の差ln St+1–lnStで減じ,(3)式を得る.
|
ln
Y
t+1
S
t+1
−ln
Y
t
S
t
|
|
=
V
L,t+1
+
V
L,t
2
⋅(
ln
L
t+1
S
t+1
−ln
L
t
S
t
)
|
|
+
V
K,t+1
+
V
K,t
2
⋅(
ln
K
t+1
S
t+1
−ln
K
t
S
t
)
|
|
+
V
M,t+1
+
V
M,t
2
⋅(
ln
M
t+1
S
t+1
−ln
M
t
S
t
)
|
(3)式をT (L, K, S, M, t)について変形すると,(4)式が得られる.
|
T(L,K,S,M,t)=ln
Y
t+1
S
t+1
−ln
Y
t
S
t
|
|
−{
V
L,t+1
+
V
L,t
2
⋅(
ln
L
t+1
S
t+1
−ln
L
t
S
t
)
|
|
+
V
K,t+1
+
V
K,t
2
⋅(
ln
K
t+1
S
t+1
−ln
K
t
S
t
)
|
|
+
V
M,t+1
+
V
M,t
2
⋅(
ln
M
t+1
S
t+1
−ln
M
t
S
t
)
}
| (4) |
(4)式は左辺がt年とt+1年におけるTFP変化,右辺は第1項が土地生産性(以下,単収と言う)変化,中括弧で括られた第2項は作付面積当り労働投入量の変化,作付面積当り資本投入量の変化,作付面積当り経常財投入量の変化をそれぞれ表す.
以上の通り,作付面積が利用できない場合の制約を解消したTörnkvist生産性指数の新たな定式化によって,(4)式において右辺の第1項(単収変化)から第2項(3つの作付面積当り要素投入量変化の合計)を引いた残差としてTFP変化が計測されることが示された7.
3. データ
本稿では,中国の綿花生産費が掲載されている国家発展和改革委員会価格司編(2006–2016)の「綿花費用収益状況」と「綿花費用と労働状況」を用いる.分析期間は2005年から2015年の11年間であり8,全国平均値データを用いる.
生産物は綿花であり,生産要素は労働,資本,土地,経常財の4種類とする9.ただし,綿花生産費が記載されている国家発展和改革委員会価格司編(2006–2016)には作付面積当りの生産量と要素投入量が記載されているのみで,作付面積は公表されていない.そのため,計測に用いるデータは綿花の作付面積当りの生産量(単位:kg/畝)10と労働,資本,経常財の投入量とする.具体的に要素投入量のデータに関して,労働11は家族労働日数と雇用労働日数である(単位:日/畝).資本は固定資産減耗,修理維持費,工具材料費,機械作業費,灌漑費(水費を除く)12,畜力費である(単位:元/畝).経常財は種子費,化学肥料費,自給肥料費,農薬費,農業用ビニール費,光熱動力費,水費である(単位:元/畝).
このうち,金額データである資本と経常財に関しては,国家統計局農村社会経済調査司編(2006–2016)の「地域別農業生産資材価格分類指数」における各種価格指数(全国平均値)を用いて,以下のように実質化した.資本に含めた上記の固定資産減耗から畜力費までの合計額を農業機械に該当する価格指数13でデフレートした.経常財に該当する価格指数は種子,農薬,燃料,その他物財の価格指数が利用できるため14,経常財における各費目のシェアを算出し,上記の価格指数などを用いて経常財のTörnkvist要素価格指数を作成した.その上で,経常財に含まれる上記費目の合計額を経常財のTörnkvist要素価格指数でデフレートした.
また,各生産要素のコスト・シェアを年次ごとに算出するためのデータとして,労働は家族労働費と雇用労働費,資本は前述した固定資産減耗,修理維持費,工具材料費,機械作業費,灌漑費(水費を除く),畜力費,土地は自作地と借入地の地代,経常財は種子費,化学肥料費,自給肥料費,農薬費,農業用ビニール費,光熱動力費,水費を用いた.
4. 計測結果
図1には,単収と3つの作付面積当り要素投入量の各年次における水準の推移を示した.まず単収は2005年=1に対し,2015年は1.24となり,11年間で1.24倍に上昇した.資本と経常財は2005年=1に対し,2015年はどちらも1.08と微増である.一方,労働は2005年=1に対し,2015年は0.81と11年間で20%近く投入量を減らしていた.
表1の上段には,中国綿花作のTFPとその構成,すなわち単収と作付面積当り要素投入量(以下,要素投入量と略す)に関する年平均変化率を示した.まず,単収は2.18%の増加である.要素投入量に関しては,労働が2.11%減少,資本は0.78%増加,経常財は0.77%増加である.単収の変化率から3つの要素投入量変化率の合計(–0.59%)を引いた残差であるTFP変化率は,年平均2.79%の上昇となった.つまり,2005年から2015年の間,中国綿花作の生産性は向上していた点が明らかとなった.
表1.
中国綿花作のTFPとその構成に関する年平均変化率および貢献度:2005年~2015年(単位:%)
|
TFP ① |
単収 ② |
労働 ③ |
資本 ④ |
経常財 ⑤ |
要素投入量の合計 ⑥=③+④+⑤ |
| 年平均変化率 |
2.79 |
2.18 |
–2.11 |
0.78 |
0.77 |
–0.59 |
| TFP変化率に対する貢献度 |
100.00 |
78.21 |
75.67 |
–27.96 |
–27.47 |
20.24 |
1)TFPの年平均変化率は,①=②–⑥で算出される.ただし,数値を丸めているため,誤差が生じている.
2)TFP変化率に対する貢献度は,①=②+…+⑤となる.ただし,数値を丸めているため,①=②+…+⑤に誤差が生じている.
表1の下段には,中国綿花作のTFP変化率に対する単収および各要素投入量変化の貢献度を示した.TFP変化率に対する貢献度の中で,単収の増加が78.21%と最大である.要素投入量の貢献度では,労働投入量の減少が75.67%と最大で,資本投入量の増加が–27.96%,経常財投入量の増加が–27.47%であった.単収の貢献度は,これら3つの要素投入量貢献度の合計(20.24%)よりも大きい.
以上の結果から,2005年から2015年までの中国綿花作のTFP向上には,単収の増加と労働投入量の減少が大きく影響していた点も明らかにすることができた.
5. おわりに
本稿では,中国農業生産費データを用いた生産性分析の際に,しばしば直面するデータ制約の代表事例として,作付面積当り生産量と作付面積当り要素投入量のデータは利用可能であるが,作付面積データが利用できない場合を対象とし,総合生産性(TFP)を簡便に計測できる方法を提示できた.
さらに,本稿で提示できた計測方法の有用性を示すため,提示できた計測方法を,上記データ制約がある中国綿花の生産費データに適用した.その結果,2005年から2015年までの間に中国綿花作のTFPは,単収の増加と労働投入量の減少を主因として年平均2.79%向上していた点などのTFP計測例も示すことができた.
以上から,本稿で提示したデータ制約を考慮した簡便なTFPの計測方法は,作付面積データが利用できない綿花以外の中国農業生産費データにも,幅広く適用可能であるとの有用性が示唆された.
付記
本稿の草稿を第67回地域農林経済学会大会(2017年10月29日,高知大学)で報告した際に,座長の沈金虎先生(京都大学)をはじめ,フロアの先生方からは有益なコメントをいただいた.また,改稿にあたっては,編集委員会および2名の査読者からいただいたコメントにより内容を大幅に改善することができた.深く謝意を表する.本稿は,JSPS科研費JP26252036とJP26292118の助成を受けた研究成果の一部である.
注
1 近年中国における農産物の輸入拡大は,国内農産物の超過需要よりも,経済発展に伴い,安心・安全で高品質な農産物への需要が高まり,その結果,外国産農産物輸入が活発になった面も考えられる.一方,
池上(2015)は中国産綿花の生産費が外国産綿花に比べてはるかに高いことを指摘している.こうした点を踏まえると,中国の綿花作を持続させて行くには,中国国内で安全性を含めた品質向上型の技術進歩を推進し,生産性向上による生産費削減を追求することが重要である点が示唆される.
2 穀物生産性を分析した中国語の既存研究に関しては,主として
王他(2017)のサーベイ論文に依拠した.
4 中国は世界の綿花生産量の27%,消費量の34%,輸入量の40%のシェアを占めており(2010年~2014年,
MacDonald et al., 2015),中国の綿花生産の動向は,世界の綿花市場に大きな影響を及ぼすという点で注目される.
5 DEA(Data Envelopment Analysis)などを用いて計測されるMalmquist生産性指数はTFP変化の要因として技術効率変化を考慮できるのに対し(
Coelli et al., 2005),Törnkvist生産性指数はすべての生産者が生産フロンティア上で生産活動していると仮定しているため,TFP変化の要因として技術効率変化を考慮できない.こうしたTörnkvist生産性指数やMalmquist生産性指数など,各種生産性指数の特徴については,
黒田(2005)を参照されたい.
7 (4)式によるTFPの計測は,①パラメトリック・アプローチやDEAと異なり,特定の計量分析ソフトウェアを必ずしも必要とせず表計算ソフトウェアのみで計測可能,②第5節で述べるように稲作や畑作など他の作目にも容易に適用可能,というメリットも有する.
8
稲田・山本(2012)では2004年前後に農業税の廃止,農業補助金の支給開始,食糧価格の上昇など農業生産を促進する政策も打ち出されたことが指摘されており,それ以後,生産構造変化が生じたことが窺われる.こうした実態を踏まえ,本稿で提示した計測方法の有用性を示すため,2005年以降のデータを用いて,実際に個別農畜産物の生産性が向上したか否かを検証することにした.
10 作付面積の単位に関して,1畝(ムー)は1/15haに相当する.
11 労働投入量のデータである労働日数に関しては,家族労働,雇用労働とも男女の区分はなされていない.
12 中国の綿花生産費が記載されている「綿花費用収益状況」では灌漑費の内訳として水費が記載されており,データ上,灌漑費から水費が分離できるようになっている.
13 具体的には,機械化農具と表記されている価格指数を用いた.
14 経常財に含まれる費目と価格指数の対応関係は以下のようにした.種子費は種子の価格指数(以下,「の価格指数」の文言は省略),農薬費は農薬,光熱動力費は燃料,水費はその他物財である.ただし,
国家発展和改革委員会価格司編(2006–2016)には化学肥料と農業用ビニールの投入量データが記載されている.そのため,例えば化学肥料の価格は化学肥料費(元/畝)÷化学肥料投入量(kg/畝)=化学肥料価格(元/kg)で求め,2005年=100とする化学肥料の価格指数を算出した.これを化学肥料費と自給肥料費に対する価格指数とした.農業用ビニールの価格指数も同様の手順で算出した.
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