農林業問題研究
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『水稲の飼料利用の展開構造』
〈日本評論社・2017年7月25日〉評者:千田雅之(第54巻・第2号)
小川 真如
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2018 年 54 巻 4 号 p. 186-189

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拙著『水稲の飼料利用の展開構造』について,『農林業問題研究』第54巻第2号においてご書評いただきましたこと,誠にありがたく,評者の千田雅之先生,編集部の皆様に,まずもって御礼申し上げます.とくに,千田先生にはご書評において,拙著の構成についてポイントを押さえながら簡潔に示していただくとともに,大変有益なコメントをいただきました.拙著はページ数が多く,かつ,本文中に注釈が多いため,ご書評いただくに当たり,多大の時間と労力を割いていただいたことを想像するに感謝の念が堪えません.

他方,編集部の皆様には,書評の掲載に加えて,書評リプライのご提案もしていただきました.本稿は,この機会を活用させていただき,千田先生からいただきましたコメントに対してリプライするものです.

千田雅之先生の書評に応える

千田先生の論難は,大別して3点であろう.すなわち,①「著者の表現で言う『共通了解すべき点』は何か.(中略)明瞭に伝わってこない」,②「水稲の飼料化の議論に入る前に,共通了解の得られている問題を整理する必要があるのではなかろうか」,③「水稲の飼料利用を飼料用米とWCS用稲と固定的に考えている」——である.このうち③のコメントは,拙著に対するご批判としてか,それとも拙著が批判している点の一つをご紹介いただいたのか,どちらか判然としなかった.前後の文脈から推察するに,おそらく前者,すなわち,拙著自体が「水稲の飼料利用を飼料用米とWCS用稲と固定的に考えている」とのご批判であろう.

以上の論難は,第Ⅱ部「分析編」(pp. 151–394)中に記した地域分析や個別農家経営等の事例分析の結果に対する問いかけである,というよりも,拙著全体を通しての分析視座や著者がこの著書の中でどのような立場であるのか,ということに対する問いかけである,と受け止めるのが妥当と思われる.

したがって本稿では,①拙著の論理構成,②拙著のいう「共通了解」という言葉——の2点を中心に,紙幅の許す範囲ではあるが,自著を解説するような形で紹介するによって,千田先生の論難に応えたい.

まず,拙著は学問という普遍性ある真理を探究する活動によって,1論文1テーマの原則に基づき,「水稲の飼料利用の展開構造」(タイトル)の解明に迫った.この際,とくに注意したことは,社会の構造を分析するに当たり,「~である」という事実判断から「~すべき」という価値判断を当然には導き出せないという立場を保ちつつ論述を進めるということであった.拙著は,水稲の飼料利用の展開構造の解明として事実判断の切り口の一つを提示したものなのである.

具体的にいえば,従来の研究は,「推進派か反対派か,あるいは政策に迎合的な立場を,明示的,あるいは暗示的にあらかじめ提示するものが多いよう」(はしがき)であるが,拙著では「飼料用米や稲WCSの存在からくみ取られる社会構造や課題にこそ,重要な価値があり,本質的に議論すべき対象がある」(はしがき)という立場をとった.

「本書の結論」(第11章第1節)と「現行施策の課題」(第12章第1節)とを別章で扱うことは,この立場であればこその構成である.とくに後者の冒頭で著者は,「本書では,(中略)水稲の飼料利用について具体的な〈理想の姿〉を提示する立場ではなく,あるいは,本論文の各章で得られた知見を止揚すれば〈理想の姿〉に至るという立場でもなく,(以下略)」(第12章冒頭)と,慎重な論述に努めたつもりであった.

それでは,なぜこのような立場をとったかといえば,飼料用米や稲WCS(拙著のいう「飼料用水稲」)について,事実と価値の関係性が極めて密接であり,なおかつ,その関係性は,飼料用米や稲WCSの存在自体を規定し返すほどの大きな役割を演じる特徴(拙著のいう「飼料用水稲がある社会がもつ自己準拠的性格」)があるからにほかならない.そして,これまで十分に注目されてこなかったこの特徴を指摘し,新たな分析枠組みを提示した.

この際,ルーマンの自己準拠的社会システムという参考例や,農政学者にとっての客観性確保の問題を取り上げた既往研究等から「農業経済学的アプローチの困難さ」(第1章第2節第2項)を整理した.整理された学問的課題は,フッサールをはじめ,柏祐賢(1962)『農学原論』やシュトラッサー(1962)『人間科学の理念』等が指摘した課題と類似しており,その課題の克服方法として彼らが提示した,研究上の視線の変更という手法から,「現象学的視座を手掛かりとしたアプローチ」(第1章第3節第1項1)を提示した.

具体的には,飼料用水稲の存在をめぐって間主観の共通了解をどこまで取り出せて,どこからが取り出せないか,という点に着目した.ここでいう「共通了解」への着目とは,人によって見方・評価が異なり〈信念対立〉が少なからずある飼料用水稲の客観性がいかにして確信されているか,その構造を明らかにするための切り口である.この切り口を導入するに当たり,「どこかに正しい飼料用米・稲WCS像が存在するという想定をいったん判断停止〈エポケー〉して,確信の構造を取り出す」(第1章第3節第2項)方法を用いた.

この点は,コメント②「水稲の飼料化の議論に入る前に,共通了解の得られている問題を整理する必要があるのではなかろうか」と同様な態度であると思われる.ただし,千田先生が共通了解として例示された8項目はいずれも,研究を進める上での共通認識という性格のものであり,かつ,日本農業の問題として対象を限定したものではないかと思われる.

他方,拙著では飼料用水稲の存在をめぐる認識の構造に着目しており,自然科学・社会科学・人文科学に横断的に深い関連をもち,研究の切り口が多様である飼料用水稲に対して,その多様さを丸ごと受け止めて分析する方法に挑戦した.著者にとってこうした挑戦が可能であったのは,ひとえに指導教官である柏雅之先生のご指導・ご鞭撻を賜ることができたためである.そして縁に随って好運にも人間科学という学問分野・研究環境に身を置けたためでもある.この場をお借りして改めて御礼申し上げる次第である.

さて,著者の既往研究の整理を踏まえると,「(飼料用水稲に関する研究に)多様な切り口があることは,(中略)飼料用水稲が多様な側面をもっているためであるというよりも,多様な視座から飼料用水稲が語られる余地があるという仮初めの像としての存在と捉えた方が,より妥当な理解の方法である」(第2章第3節4)(拙著のいう「飼料用水稲の仮初め的性格」).その上で,飼料用水稲の存在をめぐって「研究手法としての農業経済学研究の有効性について共通了解がなされている」(第2章4)ためこれを活用するという分析枠組みのステップを踏んだ.つまり,拙著では農業経済学・農業経営学を単なる学問領域・分析手法として位置づけているわけではないのである(第2章「既往研究の整理」は,第1章第2節「水稲の飼料利用に対する農業経済学的研究の困難さ」および第1章第3節「水稲の飼料利用の分析視座の検討」と,第3章「本研究の分析枠組み」とをむすぶ位置に配している点に留意いただきたい).

このような視座から既往研究を整理した結果には,先達の方々に対して,幾分,挑発的とも捉えられかねないような内容もあるかもしれない(第2章第3節4「研究対象としての飼料用水稲がもつ仮初め的性格」).これはなにも感情論で指摘しているわけではなく,無用な誤解を避けるためにも論理式として整理し,⇒(ならば),∨(または),¬(否定)を用い,複合命題P(p,q,r,……)について構成命題p,q,r,……,の真偽に関わらず「P⇒P」,「P∨¬P」が恒真命題〈トートロジー〉であることを踏まえて,「飼料用水稲そのものがいかに構成されているのかが研究対象として十分に着目されていない」と補足説明した(第2章註81).

この〈トートロジー〉は,研究者のみならず,政策立案過程や現場実態等にとっても同様であり,総じて入れ子構造の様相を呈している.稲作農家と畜産農家との対立・協調を例にすれば,飼料用水稲は米価下落対策の作物であると主張する稲作農家と,飼料用水稲は飼料価格高騰対策の作物であると主張する畜産農家との農家間交渉によるコミュニケーションは,飼料用水稲の像についての〈信念対立〉をめぐって「共通了解の形成を図」(第11章第1節)るものであると解釈できるのである.

このような分析の視座や枠組みは,コメント③「水稲の飼料利用を飼料用米とWCS用稲と固定的に考えている」態度とは真逆の態度を徹底するためのものでもある.飼料用米と稲WCSを共通した議論の俎上に載せるためにも,「水稲の飼料利用」(タイトル)を研究対象としたほか,ソシュールの所説を参考に「語られ方」に着目するという,従来なかった既往研究の整理手法を用いたのも,この態度をとったがゆえである.ほかにも,国内問題に視野が閉ざされがちな水稲の飼料利用について,第Ⅱ部「分析編」の冒頭で国際比較したのは,この態度ゆえの問題意識が背景にあった.

それでもなお,日進月歩で進展する技術開発を理由として,拙著で取り上げた飼料用水稲のあり方について,技術発展の過渡的段階の一時点を切り取ったに過ぎない,あるいは技術開発の現状と照らしてみて古い考えである等というような反論は想定される.ただ,拙著で著者は,わずか数年ばかりの状況の分析を企図したわけではなく,「本書の目標は,各主観から肯定的に議論をするために,研究上の基礎づけとなりうる最も底にある共通了解の確信の構造を明らかにすること」(第3章第1節)であり,上述のような批判・反論が想定されるとして,「それでもなお将来にわたって指摘できるのが,本章第1節に示した水稲の飼料利用の展開構造である」(第11章第2節)として,分析枠組みと結論部とを対応させたつもりであった.

以上に示したように,拙著における著者の主眼は構造の分析であり,一段跳躍した「共通了解すべき」という記述表現は,拙著における著者の態度,分析手法と相容れないため,具体的な執筆箇所は皆無に等しい.

したがって,「著者の表現で言う『共通了解すべき点』は何か(以下略)」(コメント①)との論難と拙著との間には,「共通了解」という言葉の使い方をめぐって大きな差異があるように思われる.紙幅の都合上省略するが,この差異は,引用いただいた「水稲の飼料利用をわれわれの社会に生かす」について,拙著が含意・射程とするものと,評者が解釈・評価された内容との大きな隔たりにとくに影響を与えていると思われる.

最後に,千田先生のご書評と拙著との観点が共通し,かつ,研究上留意すべき点として見解が一致していると思われる点を指摘したい.それは,「日本社会あるいは日本農業に対する憂慮」と「水稲の飼料利用」との距離感や論理的つながりをしっかりと意識しながら研究を進める,ということである.これは,これら2つのつながりについて,必ずしも確固としたコタエには至っていなくとも,コタエの不確かさを理由にこれら2つを無意識に,あるいは特段の疑いなく結びつけてよいことにはならない,と留意する態度である.この留意点を無視することがはらむ危険性について,千田先生のご書評および拙著はともに警鐘を鳴らしているのではなかろうか.

この留意点をめぐり厄介なのは,学問を行う上での社会的立場や空間的・時間的な制約,信念といったプライベートで頗るセンシティブな事柄と非常に密接に関係性をもちやすいことであろう.「日本社会あるいは日本農業に対する憂慮」の解決策の模索としての分析アプローチ,「水稲の飼料利用」に焦点を絞った分析アプローチ,飼料用水稲の生産に絞った分析アプローチ等が,互いの論理性に建設的に批判することも含めて,コミュニケーションを深めることができる場が,現状では強く求められているのではなかろうか.

また,こうした場に,より広い観点からの参画があれば,コミュニューションが興隆すると期待できる.

たとえば,飼料用水稲が存在しないということへの着目である.飼料用水稲の生産がない地域と一言でいっても,担い手が他の収益作物を選択している場合もあれば,一方で,手厚い支援をしてもなお飼料用水稲すら生産されない不作付水田の存在のように,地域によっては「農村の疲弊を浮き彫りとするリトマス紙のような働き」(第12章)をもつこともあるだろう.「イネをエサにするとはどういうことか」を改めて問い直すことを通じて,現代日本の社会や農業の姿を析出するという分析アプローチである.また,人口減・高齢化社会における人と農地,国民と国土との関係性について,学際性の高まりをいとわず再考するアプローチ(第12章第2節)もあるだろう.いろいろな論理や可能性を語りうる強みに対応して,各研究領域によるコミュニケーションの場が強く求められているのが「水稲の飼料利用をめぐる問題の本質構造」(第12章第2節第3項)であると著者は考える.

とくに,「水稲の飼料利用が展開している現局面は,より多分野の研究領域から(中略)検討・議論することが可能な時期で(中略)多分野の研究領域による信念対立の超克が目指されるべき時期としても評価」(第11章第3節)でき,飼料用水稲はそうした議論を行うテーブルを用意しているともいえる(第12章第2節第3項).著者は,有効で建設的な研究のさらなる興隆や,学問の前進に,拙著がほんのわずかでも貢献できればと願う次第である.

拙著全体の論理構成について著者は無駄のない最短コースを目指して各章や各節を配したつもりであるが,かなり回りくどいとの評価もあろう.ただ,その論理構成は,「『水稲の飼料利用』から一歩下がって,現実の(中略)問題に立ち戻ることによって,より有効で建設的な(中略)施策や研究が展望できるのではないか」(千田先生のご書評の最終段落)という考え方に対して全く相容れない考え方ではないと思われる.むしろ,拙著では近視眼的な「水稲の飼料利用」から一歩下がって客観性を疑う作業から取り組み,「水稲の飼料利用」を現実問題として捉えることに挑戦したつもりであった.「水稲の飼料利用」から一歩下がって現実問題に立ち戻ることの重要性,あるいは,「イネをエサにすること」や「エサ用のイネ」に向き合った研究者が研究者として苦闘したり葛藤したりしていることに関して,共感していただける部分はあるのではなかろうか.

 
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