農林業問題研究
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書評
神井弘之著『食の信頼問題の実践解―フードシステムにおける協働のデザイン―』
〈農林統計出版・2016年9月28日〉
山口 道利
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2018 年 54 巻 4 号 p. 190-191

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本書の著者は,これまで農林水産省や出向先の地方自治体において,行政官として実際にフードシステムを構成する様々な主体が参加する政策の企画・実施過程にかかわった経験を持っている.本書は,いわば当事者である著者が,とくに食の信頼問題にかかわる政策過程について,その理論的根拠を整理し,その整理の下でケーススタディ分析を展開するという構成をとっている.食へのニーズの多様化とその背後で進むフードシステムの複雑化は,食品にかかわる情報の専門化・高度化とそれを受け取る側のリテラシーの低下を招かざるを得ない.そこから生じる諸問題を緩和するための一方策として,フードシステムにおける食の信頼の形成が位置づけられる.食の信頼形成に政策当局がどのようにかかわることができるのか.フードシステムの構成主体が実践的な「解」を見出していく過程はどのようなものか.政策に携わる行政官のみならず,食品事業者などすべてのフードシステム構成主体にとって,関心の高い時宜を得たテーマといえるだろう.

本書はその内容が高く評価され,2017年度フードシステム学会学術賞を受賞している.すでに評価を得た学術書に対して時宜を逸した書評をおこなうこととなったのは,ひとえに評者の力不足と怠慢によるものである.

本書は,大きく分ければ第3章までの分析枠組みを検討する部分と,第4章および第5章で展開されるケーススタディによって成り立っている.以下ではこの前半部分と後半部分に分けて,本書の内容を概観する.

本書前半部分では,食の信頼問題への対処として,まずフードシステムをそのサブシステムに分化させ,複雑性を縮減することを提示している.食の信頼問題の解決のためには,このサブシステムが非排除性を持つこと,すなわち当該サブシステムの潜在的なステークホルダーがそのサブシステムから排除されないことが必要であると著者は論じている.その場合,サブシステムが軌道に乗って自律的に発展する見込みが得られるまでは様子見を決め込むといった,いわゆるフリーライダー問題の発生が危惧される.著者は,無秩序な政策介入によるサブシステムの濫立を戒めつつも,この種の公共財ジレンマが顕在化しているケース(著者の言葉を借りれば,「多くのステークホルダーがその構築を求めているにも関わらずステークホルダー間の創発に委ねるのみではサブシステムの形成がうまく進まない」ようなケース)では,政策介入の必要性があるとする.著者はここで社会的ジレンマの解決に関する先行研究を整理し,食の信頼問題解決のためにフードシステム内にサブシステムが形成されるよう促す政策介入の分析枠組みとして,サブシステム参加者の利得構造自体を変更する構造的解決と,参加者の認知や価値基準に働きかける個人的解決のそれぞれの評価項目を類型化して示した.

本書後半部分では,みえ地物一番の日キャンペーンとフード・コミュニケーション・プロジェクトという2つの事例について,前半部分で提示された枠組みに沿ってその政策過程の分析・評価がおこなわれている.著者は前者の事例では三重県庁の担当行政官として,また後者の事例では農林水産省の担当行政官として,それぞれ政策の企画から実施に至るまでの一定期間を担当しており,細部にわたる情報と経験を有している.その立場を活用して,類型化された評価項目がどのようにデザインされたかを当事者である著者の立場から整理したうえで,その結果公共財ジレンマが克服されてミクロの行為者(サブシステム参加者)レベルで協力行動が成立し,政策目標であるサブシステム構築が達成されるというミクロ・マクロ図式に沿った各段階の評価を,主に参加者へのアンケート調査結果の分析によって示している.

前者の事例は地産地消マーケットの創出というフードシステムの環節的分化に位置づけられるのに対して,後者の事例は共通の評価枠組みの創出というフードシステムの機能的分化に位置づけられるが,それぞれの事例を公共財ジレンマの発生とその克服という視点から相対化し,共通の評価項目を通してそのサブシステム構築の達成度を評価するという試みに,本書は成功しているといえるだろう.

他方で,地域農林経済学会員であり,かつ食の安全・安心について学生に講義する立場にある評者の目からは,いくつか著者の見解を伺いたい点も見受けられた.以下評者の理解不足と不勉強を顧みず,列挙することを許されたい.

食の信頼問題を公共財ジレンマの解決という操作可能な政策課題に置き換え,具体的な評価項目を明らかにしてその有用性を示した点は,行政官にとって役立つだけでなく,学術的にも価値のあるものと思われる.しかし,サブシステムの構築をもってその評価の出口とすることは妥当だろうか.操作可能なまでに置き換えられた課題を再び変換して,最終的には複雑性の縮約による食の信頼の形成に寄与したかどうかを評価する必要はないのだろうか.例えばみえ地物一番の事例では,地産地消マーケットの創出によって地元消費者からの「新鮮で安心できる食料品(p. 28)」という評価が高まるという効果や,生産者と消費者が「お互いを尊重(p. 29)」する意識が高まるという効果などが,食の信頼を直接・間接に測るための指標として考えられるかもしれない.

また関連して,地産地消マーケットの創出が,ともすると食の安全性に関する科学的なリテラシーを高めることなしに,生産者と消費者との距離の縮小によって安心を得ることに繋がっているという指摘(p. 30)が紹介されているが,これに関して著者はどのような見解をお持ちだろうか.信頼が形成されたとしても情報の受け手側のリテラシーが低下したままであったならば,事故やヒューマンエラーが生じた際に信頼はより容易に失われてしまうのではないだろうか.この点についても,サブシステムの構築を終着点とするのではなく,それによって情報の出し手・受け手の相互理解とリテラシー向上が促進されているかどうかを評価する必要があるのではないだろうか.

繰り返しになるが,本書の著者はケーススタディとしてとりあげられた2つの事例に深く関わっており,そのことが本書の価値を一層高めている.一方で著者は研究の客観性を保つ目的からか,著者を含む政策過程参加者の属人的な特性がサブシステム構築にどのように影響したかについては必ずしも詳述していない.政策過程の客観的な分析・評価に加えて,食の信頼形成のために行政官や実務家にどのような特性や技能が求められるかについてもあわせて議論されれば,さらに本書の価値は高まったのではないかと思われる.加えて評者の立場からは,この種の政策過程において農業経済分野の研究者に期待される/果たしうる役割があるのか,あるとすればそれは何かといったことについても,著者の経験からの提言をぜひ拝聴したいと感じた.

 
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