農林業問題研究
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大会報告
AIを活用した政策提言と分散型社会の構想
広井 良典福田 幸二
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2021 年 57 巻 1 号 p. 8-14

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Abstract

We made an AI-based model consisting of about 150 social elements such as population, GDP, aging interacting with each other. And we conducted 20,000 simulations regarding the future states of Japan towards 2050 and assessed them from the perspective of various dimensions of sustainability and various social conditions including employment, inequality, health and well-being. As a result, AI-based simulations and analysis showed the following things. 1) A fundamental divergence between “Localization” model and “Centralization” model is likely to occur in 8 to 10 years from now. 2) the “Localization” model based on local community and local economic circulations will be more desirable from the perspectives of demographic and local sustainability, health, equality and well-being of people. 3) AI-based simulations also showed that, in order to realize the “Localization” model, various policy measures are necessary and effective, such as developments of local renewable energy, strengthening of local public transportations, culture and ethics supporting local community, social policy for the formation of local assets etc.

1. はじめに

新型コロナウイルスの災禍で日本と世界の状況が一変したことは言うまでもない.昨年初めの時点で,誰がこうした事態の勃発と世界の変化を予想しただろうか.

状況はなお予断を許さないが,ここでは「コロナ後」の社会をどのように構想すべきかについて,特に以下のような点に焦点をあてながら,中長期的な視野で考えてみよう.

1)「都市集中型」から「分散型システム」への転換

2)「ポスト・グローバル化」の世界の構想

3)「ポスト情報化」と「生命」の時代

2. 「都市集中型」から「分散型システム」への転換

(1) AIを活用したシミュレーション

まず1.1)についてであるが,今回のパンデミックが勃発した際,私が驚いたことがある.それは,そこで示された状況や課題が,私たちの研究グループが2017年に公表した,日本社会の未来に関するAIを活用したシミュレーションの内容と大きく重なるものだったからである.

そのポイントは,「都市集中型」社会の脆弱性という点に関わっている.すなわち私たちの上記研究では,日本社会の現在そして未来にとって重要と思われる約150の社会的要因からなる因果連関モデルを作成し,AIを使って2050年に向けての2万通りの未来シミュレーションを行った.すると,日本社会の未来の持続可能性にとって,東京一極集中に示されるような「都市集中型」か「地方分散型」かという分岐がもっとも本質的であり,しかも人口,地域の持続可能性や格差,健康,幸福といった観点からは,「地方分散型」のほうが望ましいというシミュレーション結果が出たのである.加えて,そうした後戻りできない分岐が2025年から2027年頃に生じる可能性が高いという内容だった(広井,2019).

そのような時に,今回の新型コロナ・パンデミックは生じた.あらためて言うまでもなく,感染症の災禍が特に大きいのはニューヨーク,パリ,ロンドンそして東京など,人口の集中度が高い数百万人規模の大都市圏である.これらの極端な「都市集中型」地域は,他でもなく“3密”が常態化し,感染症の拡大が容易に生じやすく,現にそうしたことが起こったのだ.

まるで,AIが今回の新型コロナ禍をめぐる状況や課題を“予言”していたかのような一致が見られたことになる.

一方,ドイツにおいて今回のコロナによる死者数が相対的に少ない点は注目すべき事実であると私は考えている.ドイツの場合,国全体が「分散型」システムとしての性格を強くもっており,ベルリンやハンブルクのような人口規模の大きい都市も存在するものの,全体として中小規模の都市や町村が広く散在しており,「多極」的な空間構造となっている.

以上のような点を踏まえると,私は「都市集中から地方分散へ」という方向こそが,ポスト・コロナの社会を考えていく上でもっとも重要な軸になると考える.

日本の状況についてさらに踏み込んで考えると,しばしば誤解されている点だが,実は日本において現在進みつつあるのは“東京一極集中”ではない.すなわち,札幌,仙台,広島,福岡等の人口増加率は首都圏並みに大きく,また令和2年地価公示でも同様の傾向が示され,上記4都市の地下上昇率は平均で7.4%となっており,東京圏の2.3%を大きく上回っている.

つまり現在の日本において進みつつあるのは“東京一極集中”ではなく,むしろ「少極集中」と呼ぶべき事態であり,しかしこれは感染症の伝播という点ではかなりリスクの大きい構造であって,現にこれらの“密”地域において感染が拡大した.

こうした構造を,より「分散型」のシステムに転換していくこと,具体的には上記のドイツのような「多極集中」1と呼べる国土構造に転換していくことが重要であり,それはコロナのようなパンデミックへの対応においてもきわめて重要な意味をもつだろう.

(2) 「分散型」の意味

ところで,いま述べている「分散型」という方向性は,東京一極集中の是正といった,国土の空間的構造のみに関わるものではない.

つまりここで「分散」という時,それは上記にとどまらず,

①リモート・ワークないしテレワーク等を通じて,自宅などで従来よりも自由で弾力的な働き方ができ,仕事と家庭,子育てなどが両立しやすい社会のありようや,

②地方にいても様々な形で大都市圏とのコミュニケーションや協働,連携が行いやすく,オフィスや仕事場などの地域的配置も分散的であるような社会の姿を広く指している.

いわば,個人の生き方や人生のデザイン全体を含む,包括的な意味での「分散型」社会だ.

実は,私たちの研究グループは「ポスト・コロナの日本社会」に関する,AIを活用した新たなシミュレーションを進めているが,そこでも以上の内容に関わる結果が示されつつある.

ちなみに,コロナ後の社会について最近「ニューノーマル(新常態)」という表現が使わることがある.では,これまでが果たして「ノーマル」だったのかと言うと,たとえば首都圏の朝の通勤ラッシュを思い浮かべると,それはどう見ても「アブノーマル」と言わざるをえない姿だろう.こうした点を含め,ある意味で日本社会全体が過度な“3密”だったと言えるのではないだろうか.

以上のように考えていくと,“密”から“散”,あるいは「集中から分散」という方向は,個人が従来よりも自由度の高い形で働き方や住まい方,生き方を設計していくことを可能にするとともに,それは結果として経済や人口にとってもプラスに働き,社会の持続可能性を高めていくだろう.

そしてこれらは全体として,“東京に向かってすべてが流れる”とともに,いわば“集団で一本の道を上る時代”であった(昭和・平成の)時代の価値観や社会構造からの根本的な転換を意味する.

“危機をチャンスに”という表現があるが,「コロナ後」の社会構想の中心にあるのは,こうした包括的な意味での「分散型社会」への移行ではないだろうか.

3. 「ポスト・グローバル化」の世界の構想

(1) パンデミックの歴史から見えるもの

次に,冒頭に2)として挙げた「ポスト・グローバル化」の世界の構想という話題について考えてみたい.

まず前提的な確認となるが,すでに様々に論じられているように,今回の新型コロナウイルスのような感染症の爆発的な拡大,あるいはパンデミックは,決して今に始まったことではなく,遡れば人類の歴史の中で繰り返し生じているという事実に目を向ける必要がある.

特に今回の新型コロナをめぐる問題を考えるにあたり,やはり起点としてとらえるべきは14世紀ヨーロッパにおけるペストの大流行だろう.

この時ヨーロッパ全体の人口の4分の1から3分の1,実数にして2,000万人から3,000万人程度が死亡したとされる.この場合,ペスト菌はチンギス・ハーン後のモンゴル軍のヨーロッパ遠征を契機に中国方面からユーラシア大陸経由で伝わったとする説が有力である.そしてこのペスト大流行は,ヨーロッパの中世世界を揺るがし,やがて近世そして近代を準備する遠因となった.

その後の歴史を駆け足で追うと,続く16世紀にはヨーロッパで梅毒が大流行したが,これはコロンブスの一団がアメリカ大陸から持ち帰ったとされている.また同世紀から17世紀にかけては,逆にスペインからの征服者が中南米に天然痘を持ち込み,これによってアステカ文明が滅んだと言われる.さらに19世紀にはインド発のコレラがヨーロッパなど世界で大流行したが,これは産業革命以降の工業化による都市の衛生状態の劣化や,労働者の貧困に伴う生活環境の悪化等も関与していた.また,今回のコロナの関連でよく引き合いに出される1918~20年のスペイン・インフルエンザ(スペイン風邪)の大流行は,言うまでもなく第一次大戦における,大量の兵士の国境を越えたグローバルな移動(及びその置かれた環境の劣悪さ)が背景だった.

以上は感染症をめぐる歴史の一端の確認に過ぎないが,こうした概観だけからでも気づくこととして,以下の点があるだろう.それは,感染症の勃発は何らかの意味の「グローバル化」と関係しているという点である.感染症のもととなる細菌やウイルスは,もともと存在する地域においてはその場所の風土に適応する形でいわば“大人しく”人間ないし動物と共存している面があるが,遠距離あるいは大規模な人の移動に伴ってそれが全く別の場所に移されると,その場所にいる人間には当該細菌ないしウイルスへの免疫がないこともあって,爆発的に広がる可能性がある.

実際,現在に続くパンデミックの歴史の起点をなすのが14世紀のペスト大流行であり,これは先ほど見たように,モンゴル軍のユーラシア大陸横断と関わっており,後の近世(スペインのアメリカ進出),近代(イギリス・フランス等のアフリカ,アジア進出)への“プレリュード”ないし「幕開け」のような位置にあるとも言える.そして,こうした「グローバル化」の進展の流れの極に今回のコロナ・パンデミックがあるという把握が可能だろう.

(2) 「ポスト・グローバル化」の二つの道

ただし誤解のないよう述べると,私はここで,“今回コロナ・パンデミックが生じ,その背景にはグローバル化があるので,よってグローバル化を即刻停止すべきだ”といった単純な主張をしようとしているのではない.状況はある意味でもっと根本的であり,つまりコロナの発生の有無とは独立に,現在の世界では「ポスト・グローバル化の世界」を構想すべき時期になっている.コロナ・パンデミックはそうした構造的変化を明るみに出した事象の一つと言うべきである.

こうした「グローバル化の先の“ローカル化”」という主張を,私は一連の拙著の中で展開してきたが(広井,20152019),そのポイントとなる事柄をここでごく簡潔に述べてみたい.

イギリスのEU離脱(いわゆる“Brexit”)と“トランプ現象”と呼ばれる動きを見てみよう.あらためて言うまでもなく,私たちが現在言うような意味での「グローバル化」を明示的に本格化させたのはイギリスである.つまり同国において16世紀頃から資本主義が勃興する中で,たとえば1600年創設の東インド会社に象徴されるように,イギリスは国際貿易の拡大を牽引し,さらに産業革命が起こって以降の19世紀には,“世界の工場”と呼ばれた工業生産力とともに植民地支配に乗り出していった.その後の歴史的経緯は省くが,そうした“最初にグローバル化を始めた国”であるイギリスが,経済の不振や移民問題等の中で,今度は逆にグローバル化に最初に「NO」を発信する国となったのが今回のEU離脱の基本的意味と言うべきである.

アメリカのトランプ現象も似た面を持っている.20世紀はイギリスに代わってアメリカが世界の経済・政治の中心となり(パクス・アメリカーナ),強大な軍事力とともに「世界市場」から大きな富を獲得してきた.しかし新興国が台頭し,国内経済にも多くの問題が生じ始める中,TPP離脱や移民規制など,まさに「グローバル化」に背を向ける政策を本格化させようとしている(バイデン政権ではこうした方向が多少緩和されることが予想されるが).

イギリスを含め,ある意味でこうした政策転換は“都合のよい”自国中心主義であり,グローバル化で“得”をしている間は「自由貿易」を高らかにうたって他国にも求め,やがて他国の経済が発展して自らが“損”をするようになると保護主義的になるという,身勝手な行動という以外ない面をもっているだろう.

しかし他方で,私は以上とは別の意味で「グローバル化の終わりの始まり」が様々に見え始めているのが現在の世界であり,今後はむしろ「ローカル化(ローカライゼーション)」が進んでいく時代を迎えると考えている.

すなわち,環境問題などへの関心が高まる中で,「地産地消」ということを含め,まずは地域の中で食糧やエネルギー(特に自然エネルギー)をできるだけ調達し,かつヒト・モノ・カネが地域内で循環するような経済をつくっていくことが,地球資源の有限性という観点からも望ましいという考え方が徐々に広がり始めている.

言い換えれば,およそ「グローバルな問題」とされていることの実質は,結局のところ資源をめぐる紛争やエネルギーの争奪戦なのであり,だとすれば,できる限り「ローカル」なレベルで食料やエネルギー等を自給できるようにすることが,「グローバル」な問題の解決につながるという発想である.

私が見るところ,こうした方向がかなり浸透しているのはドイツや北欧などの国々であり,これらの地域では,「グローバル経済から出発してナショナル,ローカルへ」という方向で物事を考えるのではなく,むしろ「ローカルな地域経済から出発し,ナショナル,グローバルと積み上げていく」という社会の姿が志向され,実現されつつある.

したがってやや単純化して対比すると,「グローバル化の先の世界」には大きく異なる二つの姿があると言える.

一つは強い「拡大・成長」志向や利潤極大化,ナショナリズム等とセットでのものであり,そこでは格差や貧困,環境劣化は大きく,トランプ現象はある意味でその典型だった.

もう一つは環境あるいは「持続可能性」,そしてローカルな経済循環や共生等を志向し,そこからナショナル,グローバルへと積み上げていくような社会の姿―これまで私が「持続可能な福祉社会」と呼んできた,環境・福祉・経済の調和がとれた社会システムのありよう―であり,上記のようにドイツ以北のヨーロッパに特徴的である.

昨今,SDGsやESG投資など,「持続可能性」をめぐるテーマへの関心が企業あるいは経済界においても大きく高まっているが,この後者の道こそが今後一層広がっていくだろうし,また地球社会の未来のためにはこの道以外はないと私は考えている.

4. 「ポスト情報化」と「生命」の時代

(1) 「デジタル化」の先にあるもの

さて,「ポスト・コロナ」の社会構想について論じている本稿の最後に述べたいのが,冒頭で1.3)として挙げた[「ポスト情報化」と「生命」の時代]というテーマである.

つまり今回のパンデミックは,これから私たちが生きていく21世紀の時代が,「ポスト情報化」そして「生命」を基本コンセプトにする時代になっていくことを象徴的に示しているという点だ.

最初に,昨今ますます活発化しているように見える「デジタル」をめぐる議論との関係についてふれておこう.あらためて言うまでもなく,新政権において政策の筆頭に挙げられているのも「デジタル」に関する様々な取り組みである.「デジタル庁」の設置構想はもちろんのこと,“地方のデジタル化”を徹底して進め,それを通じて地方創生を図るというプランも議論されている.

こうした「デジタル化」を前面に打ち出した政策の推進ということについて,たしかにそれは重要なことだが,しかし私自身を含め,そうした方向について次のような疑問を感じている人も実は多いのではないだろうか.

それは,デジタル化はたしかに重要だが,突き詰めればそれは「手段」であって,その内容(コンテンツ)となる産業分野,あるいはもっと広く言えば人間の営みが今後どうなっていくかという点についての,より積極的なビジョンが必要なのではないかという疑問である.

むろん,「手段」というのは言い換えれば一種の「社会インフラ」であり,デジタル化の基盤整備や推進が,様々な経済活動の土台となる重要な「インフラ」として機能するという点は確かなことだろう.

しかしながら,たとえば道路などの社会インフラを大量に建設しても,そこを通る車や人がいなければ意味がないように―実際日本各地にはそうした道路も多い―,インフラはそれを土台として展開される経済活動ないし生産・消費に関するビジョンなしには,空疎なものになってしまうだろう.

こうした問題意識を踏まえて,ここで私自身が「デジタル」の先に展望されるもの,あるいはその「内容(コンテンツ)」としても本質的な意味をもつものとして提案したいのが,以下に述べる「生命関連産業」あるいは「生命経済」というコンセプトである.

(2) 「生命関連産業」ないし「生命経済」というビジョン

まず一般的に,ポスト・コロナの時代においては,「生命」というコンセプトが社会の中心的な概念として重要になると私は考えている.

あらためて言うまでもなく,新型コロナそれ自体がすなわち感染症であり,人の生命や健康に直接関わる現象である.また,今回のような世界規模のパンデミックが発生した背景には,同じく近年顕著な異常気象ないし気候変動もそうであるように,人間と自然あるいは生態系の間のバランスが根本的なレベルで揺らいでいるという状況が背景にあるだろう.

こうして自ずと「生命」というコンセプトが浮かび上がってくるのだが,重要な点として,この場合の「生命」とは,生命科学といった狭い意味にとどまらず,英語の「ライフ」がそうであるように,「生活,人生」といった意味を含み,また生態系や地球の生物多様性といったマクロの意味も含んでいる.

そしてこのように,これからの時代の基本コンセプトとして「生命」が重要になると言うとき,それには経済社会に関する側面と,科学技術に関する側面の二者がある.ここでまず前者について述べてみよう.

端的に言えば,これからの時代には,いわば「生命関連産業」あるいは「生命経済」と呼ぶべき領域が,社会の中で大きな比重を占めるようになっていくと考えられる.

ここでいう「生命関連産業」とは,具体的には少なくとも次の5つの分野を指している.すなわち,①健康・医療,②環境(再生可能エネルギーを含む),③生活・福祉,④農業,⑤文化であり,これらはいずれも先ほど述べた広い意味での「生命」に深く関連している.最後の「文化」はやや意外に聞こえるかもしれないが,これはドイツのメルケル首相が,新型コロナが広がっている状況にあっても「文化」に関する活動は絶やしてはいけないとし,“文化は生命の維持に不可欠”という印象的な言葉を残したことと関わっている.

ここでポイントになるのは,以上のような「生命関連産業」は,いずれも概して比較的小規模で,「地域」に密着した“ローカル”な性格が強いという点だ.したがって,こうした分野を発展させていくことは,昨今の「地域再生」あるいは地方創生の流れとも呼応すると同時に,ローカルな経済循環や地域コミュニティの再生に寄与するだろう.

加えて,それは冒頭で述べたAIシミュレーションが示し,またコロナ後の社会のありようの基本的方向として議論されてきている「分散型」社会という方向ともまさに共鳴するのである.

もちろん,経済の各分野は相互にすべて連関しており,こうした「生命関連産業」だけが他と切り離されて展開していくわけではないので,これらと他の様々な経済分野―製造業や各種のサービス業,観光そしてもちろん「デジタル」関連等々―とのネットワーク的連携も重要となる.

また,「生命関連産業」として挙げた領域は,単純な“利潤極大化”とは異なる側面,つまり相互扶助とか循環,持続可能性といったコンセプトと親和性が高い領域であり,通常の意味での「産業」という概念に収まり切らない性格をもっているだろう.

それゆえに,「生命関連産業」という言葉と並べて先ほど「生命経済」という表現を使ったのであるが,大きく言えば,それは「資本主義」の今後のありようというテーマともつながるし,また昨今議論が活発なSDGs(持続可能な開発目標)やいわゆる「ESG投資」などをめぐる話題とも接続するのである.

(3) 「情報」から「生命」へ―科学の基本コンセプトの進化

以上が,ポスト・コロナ社会における基本コンセプトとして「生命」が重要になると言う際の,その経済社会に関する次元の概要であり,後ほどさらに掘り下げたいが,もう一つの側面として挙げた,科学技術に関する側面についてはどうか.

重要なポイントは,科学の基本コンセプトの進化という点にある.

すなわち,歴史を大きな視点でとらえ返すと,17世紀にヨーロッパで「科学革命」が生じて以降,科学の基本コンセプトは,大きく「物質」→「エネルギー」→「情報」という形で展開し,現在はその次の「生命」に移行しつつある時代であるととらえることができる.

すなわち,17世紀の科学革命を象徴する体系としてのニュートンの古典力学は,基本的に物質ないし物体(matter)とその運動法則に関するものだった.やがて,ニュートン力学では十分扱われていなかった熱現象や電磁気などが科学的探究の対象になり,それを説明する新たな概念としての「エネルギー」が(ドイツのヘルムホルツらによって)19世紀半ばに考案された.これは工業化の急速な進展につながるとともに,石油や電力エネルギーの大規模な使用という経済社会の変化を導いていったのである.

そして20世紀になると,二度の世界大戦における暗号解読や「通信」技術の重要性とも並行して,「情報」が科学の基本コンセプトとして登場するに至る.具体的には,アメリカの科学者クロード・シャノンが情報量の最少単位である「ビット」の概念を体系化し,情報理論の基礎を作ったのが1950年頃のことだった.

重要な点だが,およそ科学・技術の革新は,「原理の発見・確立→技術的応用→社会的普及」という流れで展開していく.そして一見すると,「情報」に関するテクノロジーは現在爆発的に拡大しているように見えるが,その原理は上記のように20世紀半ばに確立したものであり,それは既に技術的応用と社会的普及の成熟期に入ろうとしている.

つまり中長期的な時間軸の中で見るならば,「情報」やその関連産業は“S字カーブ”の成熟段階に移行しつつあるのである.

そして,先述のように「情報」の次なる基本コンセプトは明らかに「生命」であり,それはこの世界におけるもっとも複雑かつ根源的な現象であると同時に,先ほどすでに述べた点だが,英語の「ライフ」がそうであるように,「生活,人生」という意味を含み,しかもそれは(生命科学といった)ミクロレベルのみならず,生態系(エコシステム),地球の生物多様性,その持続可能性といったマクロの意味も含んでいる.

このように,先ほど述べた経済社会に関する側面と同様に,科学技術の側面においても「生命」というコンセプトが中心的なテーマになっていくと考えられるのであり(広井,19962015),こうした点からも,私たちは「ポスト情報化」の時代の構想を行っていくべき時期に入っているのだ.

そして,今回の新型コロナ・パンデミックは,ある意味でそれをきわめて逆説的な形で提起したと言えるだろう.

(4) “重厚長大型の経済発展モデル”からの脱却

以上,「ポスト・コロナ」時代の構想を進めていくにあたっての「生命」の重要性について述べたが,ここで再び先ほど論じた経済社会における側面,つまり「生命関連産業」ないし「生命経済」というテーマに立ち戻り,それがこれからの社会にとってどのような意味をもつかを考えてみよう.

振り返れば戦後の日本においては,高度成長期を中心に“工業化を通じた経済成長”という発想が圧倒的に強く,しかもそれが相当な成果を収めたため,その「成功体験」にとらわれ,いわゆる“重厚長大型の経済発展モデル”から抜け出せないまま現在に至ったのではないか.そして,そのことが平成を中心とする「失われた○○年」を帰結させてしまったのではないか.

それはクリステンセンのいう「イノベーションのジレンマ」の“国家版”のようなものと言えるかもしれない.

そうした思考の枠組みから脱却し,以上のような比較的小規模かつローカルな性格をもつ「生命」中心の経済ないし産業構造への転換を進めていくことが,「ポスト・コロナ」時代の主要な課題になるだろう.

この場合,「デジタル」ないし情報化はたしかに“ポスト工業化”の重要なステップになる領域であるが,実はAIやITなどの議論でもしばしば出てくるように,それは「効率的」であるがゆえに“少ない労働力ですむ”ことが特徴なのであり,つまり「デジタル化」の推進は,最終的にはかえって「雇用」を減らす方向に働くことがしばしば生じるのだ.

それに対し,上記のような「生命関連産業」は,ある意味で「労働集約的」,つまり「人」が重要な意味をもつ分野であり,したがって雇用という面に関しては“雇用創出的”な性格ないし効果が実は大きいのである2

そして,こうした生命関連産業を発展させていくことは,「デジタル化」の重視ということと“対立”するものではなく,次のような意味でむしろ相互補完的なものと言えるだろう.つまり先ほど指摘したように,「デジタル」は突き詰めれば「手段」であって,その内容(コンテンツ)となる産業分野が重要であるわけだが,その主要な領域がまさに今述べている「生命関連産業」なのである.

具体的には,先ほど示した「生命」関連の5つの領域それぞれと「デジタル」の組み合わせが様々に考えられる.すなわち,①健康・医療→デジタルヘルスなど,②環境→スマートグリッドなど,③生活・福祉→介護ロボットなど,④農業→スマート農業など,⑤文化→メディアアート等々という具合であり,これらはいずれも今後大いに発展性のあるものと言える.

5. おわりに

本稿では,「コロナ後の世界」の構想というテーマを,

1)「都市集中型」から「分散型システム」への転換

2)「ポスト・グローバル化」の世界の構想

3)「ポスト情報化」と「生命」の時代

という3つの柱にそくして述べてきた.

現下の対応と並行しながら,「ポスト・コロナの社会構想」を新しい発想のもとで議論していくことが今求められているのではないだろうか.

1  ここでいう「多極集中」の具体的なイメージについては,広井(2019)を参照されたい.

2  これは根本的には「生産性」という概念をどうとらえるかというテーマと関連しており,これからの時代に重要となるのは「労働生産性」以上に「環境効率性(ないし資源生産性)」であると考えられるが,この点については,広井(2015)を参照されたい.

引用文献
  • 広井良典(1996)『遺伝子の技術,遺伝子の思想―医療の変容と高齢化社会』中央公論新社.
  • 広井良典(2015)『ポスト資本主義 科学・人間・社会の未来』岩波書店.
  • 広井良典(2019)『人口減少社会のデザイン』東洋経済新報社.
 
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