農林業問題研究
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個別報告論文
近隣での縫製工場の稼働が家計厚生にもたらす影響
―カンボジア農村を事例として―
三輪 加奈
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2021 年 57 巻 2 号 p. 53-60

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Abstract

In Cambodia, manufacturing is the leading sector, and the garment and shoe industries are particularly important as they continue to expand. Nowadays, they operate not just around Phnom Penh, the capital city, but also in the provinces. Newly built factories create non-agricultural job opportunities for people in rural areas, which may affect their income and/or lifestyle. The objective of this study is to explore the effect of building and operating garment factories near rural villages on household well-being in Cambodia. The estimation results of a panel data analysis revealed that the existence of a garment factory is positively associated with work opportunities for women in the non-agricultural sector and the health status of household members. However, factory operation is likely to have an adverse effect on girls’ education.

1. はじめに

開発途上国のひとつであるカンボジアは,製造業(特に縫製・製靴業)を牽引役として,2000年以降高い経済成長率を維持している.縫製・製靴工場(以下,縫製工場)の多くは,首都プノンペンとその周辺,特にプノンペン都を取り囲むように位置するカンダール州に立地している.しかし,2010年代以降,縫製品の輸出拡大を背景として,工場の郊外への進出が進んでおり,カンダール州に隣接するコンポンスプー州やタケオ州など,他の州でも工場の建設・稼働がみられるようになっている.

農村部に居住し,農業を主な生業としている人びと・家計にとって,縫製工場が居住地の近くに建設され,稼働することは,非農業部門への就業機会の拡大(工場への就職のみならず,工場労働者への飲食サービスの提供や,工場建設の作業員など)を意味する.それは,より安定的な所得を年間を通じて得られる可能性を高め,また地域経済が活性化することで,ひいては家計の厚生にも影響を与えると考えられる.

厚生への影響については,製造業をはじめとした工業部門での仕事,特に企業での雇用労働に従事する労働者(特に女性)と,その家計の厚生に関する研究が多い.

Nicita and Razzaz(2003)は,マダガスカルの繊維・アパレル産業の拡大が,家計所得の上昇と貧困の減少をもたらすなど,家計の厚生に影響を与えるとしている.また,Abebe et al.(2020)は,エチオピアの工業団地での工場労働の仕事に就くことの短期的な影響を検証し,それがより多くの所得をもたらすことを指摘している.他方で,労働者の健康に対しては負の影響を示唆している.

縫製品と同じく,労働集約的で輸出向けの産業として,エチオピアでは花(切り花)産業が盛んであるが,Getahun and Villanger(2018)は,女性が当該産業の雇用労働に就くことが,家計と個人レベルの所得と消費,貧困に対して大きな正の影響を与え,また,女性が交渉力を向上させることで,家計消費に対して追加的な正の効果をもたらすことも指摘している.Suzuki et al.(2018)は,同じくエチオピアの切り花産業に従事する労働者が,他の産業の労働者よりも多くの所得を得ていること,そしてより多くの割合を貯蓄に回していることを示している.

Atkin(2009)は,メキシコで近隣に新たな工場ができたことで,繊維産業などの輸出品製造業に従事した女性の子どもは,そうでない女性の子どもよりも身長が高い(より健康状態がよい)ことを示し,これは家計所得の向上だけでなく,女性の家計内での交渉力の高まりも影響していると結論付けている.なお,Atkin(2009)では,地域に工場が新たにできることの効果(公害が発生する可能性や,新たなサービスやインフラがもたらす影響)も検証されているが,子どもの健康への有意な影響はみられないと指摘している.

縫製工場が居住地の近くにできることの影響については,Heath and Mobarak(2015)がバングラデシュを事例に検証しており,縫製工場が居住地の近く(村から通勤可能な距離圏内)にある場合とそうでない場合とを比較し,縫製工場の近くに住んでいることが,女性の家庭外就労を増加させ,女性の結婚年齢と初産年齢を遅らせること,そして女児の教育年数を高め,また特に5~9歳の女児の就学を促すことを指摘している.なお,17・18歳の少女については,工場があることが退学の可能性を高める(学校をやめて工場で働く)としている.

これらの先行研究の結果をまとめると,(縫製業に限らないが)製造業の拡大,製造業の工場の稼働や当該産業で雇用労働に従事することは,所得や消費などで測った家計厚生の向上や,女性の交渉力の向上などの女性のエンパワーメントを推進し,さらには子どもの教育や健康に対しても影響を与えるといえる.

カンボジアを対象とした研究では,三輪(2019)が母親の非農業部門への就業,特に縫製工場で働くことがその子どもの健康状態の改善をもたらすことを指摘している.しかし,家計厚生への影響や,縫製工場が近隣に出来ること自体がもたらす影響については検証されていない.

そこで本研究では,カンボジアのコンポンスプー州およびタケオ州の農村での家計調査により収集した独自の(2期間の)パネルデータを用いて,家計が居住する村の近隣に縫製工場が建設され,稼働することが家計厚生に与える影響について検証する.先行研究では,製造業に従事することによる家計厚生への影響が主に検証されているが,本研究ではそのような直接的な影響だけではなく,工場の近隣に居住する家計の厚生への効果という,雇用に関わらず工場ができること自体の波及効果(間接的な効果)を考慮した分析を試みている.Heath and Mobarak(2015)も同様のアプローチではあるものの,女性のみに焦点をあてており家計厚生は考慮されていないこと,パネルデータを用いた異時点間での違いを検証した分析ではないという点で本研究とは異なる.

既述のように,カンボジアでは縫製工場の地方での建設・稼働が増加しており,農村に居住する家計の厚生への影響を考察することは,縫製業を中心とした経済成長の推進とそれによる人びとの厚生変化を捉える上での基礎的な情報としても重要な意味をもつと考える.

2. データ

本研究の調査は,第1回目は2012年9月と2013年2月に,第2回目は2014年8月にプノンペンから南西に車で1時間半~2時間ほどに位置するコンポンスプー州およびタケオ州の12ヵ村において筆者自身が実施した1.調査地の選定理由は,カンボジアの典型的な農村地域であることに加え,1990年代から貧困削減プロジェクトが実施されてきており,住民が家計調査に慣れているためである.調査対象は,各村の住民台帳よりランダムに抽出した447家計(各回で同一の家計)である.

調査対象の12ヵ村は,ともにカンボジアの平野部に位置し,主な生業は稲作中心の農業で,その主な形態は天水農業である(家長の主な職業が農業である標本家計は64%).ただし,村落により水資源に違いがあるようで,雨季の稲作とあわせて,乾季に野菜や果物を栽培し二毛作を行っている家計(村)もあれば,水資源に乏しい(他より降水量が少なく,ため池なども存在しない)村落では,雨季でも干ばつなどの被害を受けやすく,また乾季に作物を栽培することが困難である.特に水資源の乏しい村では,農業以外の所得創出手段として「ほうき」の生産・売買が盛んであったり,アイスクリームの移動販売や資源回収,建築作業員など,非農業部門で生計を立てている家計も多くみられる.

2014年調査時の平均家計所得は,1年間で約2,513ドル,これを1人あたりにすると約572ドルとなっている.その家計所得の7割強を非農業所得が占めている2.調査地周辺の一部の村では2011年頃から,村から通勤可能な近隣での縫製工場の建設・稼働がみられ,縫製工場に従事する家計員も増えたことが非農業所得の割合が高まっている要因の一つと考えられる.また,非農業所得の増加や,プノンペン周辺での縫製工場やサービス業に従事する出稼ぎ家計員からの仕送りなどによる家計所得の向上を背景として,調査村落では家の新築・増改築をする家計が多くみられ,それが村落内・村落周辺での(建設・土木作業員や大工などとしての)非農業部門の就業機会の拡大と所得増大をもたらしているようである.

本稿では,パネルデータ分析により,家計が居住する村の近隣に縫製工場ができることが,家計厚生にどのような影響をもたらすのかを考察する.「村の近隣」とは具体的に,家計が居住する村が属するコミューン内か,隣接するコミューンとする(コミューンは,郡の下に置かれる行政区で,複数の村からなる).コンポンスプー州とタケオ州は,カンボジアの主要港の一つであるシアヌークビル港とプノンペンをつなぐ主要国道などが通っているため,近年の工場建設・稼働が特に多い地域に含まれている.

第1回目調査の前年時点で,村が属するコミューン内に工場があった村は,皆無であった3.また,隣接するコミューンに工場があったのは1ヵ村のみである.その1ヵ村を含め,第2回目の調査前年にコミューン内または隣接するコミューンで工場が稼働していたのは6ヵ村(209家計)であり,残りの6ヵ村(238家計)の属するコミューン・隣接のコミューンに工場はなかった.

調査時点でコンポンスプー州とタケオ州にあった工場のほとんどが,輸送などの面で有利と考えられる主要国道沿いのコミューン内に立地している.本研究の調査村についてみると,近隣で工場が稼働していた6ヵ村のうち,4ヵ村は属するコミューンが国道沿いであったが,2ヵ村については国道沿いではないコミューンに属している.したがって,調査村に限っては,必ずしも立地条件がよい(この場合は国道に面している)コミューンに属する村やその近隣に工場があるわけではないといえる.

3. 実証分析

(1) 実証モデル

本稿では,居住地の近隣に縫製工場ができることが,家計厚生にもたらす影響について,次のようなモデルにパネルデータの手法を適用する.

  

Yijt=β1GMjt+β2Y14+β3Xijt+fi+εit (1)

ここで,iは各家計,jはコミューン,tは調査年(第1回目:2012年または2013年,第2回目:2014年)を示し,被説明変数であるYijtは家計iの厚生を測るアウトカム変数を示す.本稿では家計の厚生を測る変数として,(A)「家計が保有する家屋・耐久消費財の価額」(資産の代理変数),(B)「女性の非農業部門への就労比率」,(C)「家計構成員の健康状態」,(D)「子どもの就学状況」の4つについて考察する.

(A)について,Getahun and Villanger(2018)などの先行研究では,家計の厚生を家計所得と消費で測っている.しかしながら,本研究のデータではそれらが整っていないこと,また,家計所得の上昇は資産の蓄積(購入)につながり,それにより家計厚生も向上すると考えられることから,資産価額を用いることとする.

(B)は就労している家計構成員のうち,非農業部門に就労している女性の割合で,女性のエンパワーメントの代理変数とする.カンボジアでは女性の就労は珍しいことではなく,調査地においても18~64歳の成人女性の92%が何らかの仕事に従事している.しかし,第1回目調査時点ではその約7割が,農業部門への就労となっている.調査地での非農業部門での仕事としては,縫製工場への就労,家内工業(ほうきの生産など),飲食業,小売業,恒常的賃金労働(教員,看護師など)などがある.(C)は大人の構成員の自己評価による健康状態(1=とても悪い~5=とても良い)の平均値を用いる.

(D)は家計内の学齢期の子ども(第1回目の調査時に6~15歳の子ども338人4)を選び,その子どもが(どの程度)年齢に即した学年に在籍しているかを,現在の学年/(年齢−E)×100で求め,就学状況を測る変数とする5.この指標は,子どもが就学していない場合には0,学年の遅れなく就学している場合には100をとることから,その値が低いほど就学(学年の進行)が遅れているか,通学をやめたことを意味する.Eは正規の初等教育の入学年齢を示し,カンボジアでは6歳がそれにあたるが,そのままでは6歳児について計算ができないため,E=5としている.また,すでに学校に通っていない者については,最終学年を現在の学年に代入して算出している.なお,(D)については,家計レベルではなく,子ども個人レベルでの分析とする.

家計が居住するコミューン内または隣接のコミューンで縫製工場ができることの影響については,(各調査の前年に)近隣に縫製工場がある場合には1をとるダミー変数のGMjtを用いて検証する.その他の説明変数であるY14は第2回目の調査を表すダミー変数,説明変数ベクトルのXijtは家計の属性,fiは家計(または子ども)の固定効果,εitは誤差項をそれぞれ示している.なお,(D)子どもの就学状況の推計時には,子どもの年齢(とその2乗項),および男女での影響の違いを考察するためにGMitと女児ダミーの交差項もXijtに含めることとする.実際の推計に用いた変数の定義は,表1の通りである.

表1. 実証分析に用いる変数の定義
変数名 定義
縫製工場就労 就労している家計構成員のうち,縫製工場で働く家計員の割合(%)
家屋・消費財 家屋と耐久消費財の価額(現在価値,百万リエル)
女性非農業就労 就労している家計構成員のうち,非農業部門に就労している女性の割合(%)
家計員の健康 大人(18歳以上)の家計員の自己評価による健康状態の平均値(1=とても悪い~5=とても良い)
就学状況 年齢に応じた相対的な学年への在籍状況(現在の学年/(年齢−E)×100)
GM 1=家計が居住するコミューン内または隣接のコミューンでの縫製工場あり,0=なし
Y14 1=2014年(第2回目調査),0=それ以外
家長性別 家長の性別(女性=1,男性=0)
家長年齢 家長の年齢(歳)
家長教育 家長の教育年数(年)
農地所有面積 家計の農地所有面積(対数値1))【農地所有面積2:農地所有面積の2乗項】
乳幼児 5歳未満の家計構成員の割合(%)
高齢家計員 60歳以上の家計構成員の割合(%)
子年齢 子どもの年齢(歳)【子年齢2:子年齢の2乗項】
GM×女児 GMと子どもの性別(1=女児)の交差項

出所:筆者作成.

1)農地所有面積がゼロの家計も含まれることから,数値に0.5を足したものを対数値に変換している.

2では,各変数について,第2回目の調査前年時点での近隣での縫製工場の稼働の有無により家計(または子ども)をグループ分けし,調査ごとにその平均値を示している.(1)−(2)は,近隣に工場があるグループとないグループとの平均値の差であり,P値はその差のt検定による結果である.

表2. 調査年別での工場稼働の有無による平均値と差の検定
家計数 第1回目調査 第2回目調査
工場あり 工場なし1) 工場あり 工場なし
239 209 239 209
(1) (2) (1)−(2) P値 (1) (2) (1)−(2) P値
縫製工場就労 0.090 0.072 0.017 0.321 0.214 0.163 0.051 0.048**
家屋・消費財 14.638 13.702 0.936 0.463 31.183 22.236 8.947 0.030**
女性非農業就労 0.170 0.126 0.044 0.052* 0.258 0.188 0.070 0.007***
家計員の健康 3.535 3.513 0.022 0.723 3.630 3.470 0.160 0.001***
家長性別 0.211 0.185 0.026 0.497 0.234 0.193 0.041 0.289
家長年齢 49.407 49.798 −0.382 0.752 49.876 50.130 −0.255 0.835
家長教育 4.737 5.160 −0.423 0.158 4.947 5.223 −0.275 0.406
農地所有面積 7.943 7.971 0.028 0.887 7.622 7.731 −0.110 0.664
乳幼児 0.072 0.072 0.001 0.950 0.061 0.063 −0.002 0.848
高齢家計員 0.134 0.159 −0.025 0.274 0.122 0.162 −0.040 0.073*
子ども数 177 161 177 161
就学状況 72.715 79.018 −6.217 0.072* 71.206 78.695 −7.489 0.010***
子年齢 10.451 10.522 −0.070 0.985 12.158 12.261 −0.103 0.731

出所:農村聞き取り調査より,筆者作成.

1)近隣での縫製工場の有無は,第2期目のGMの値により分類している.

2)*は10%,**は5%,***は1%で工場稼働の有無による平均値の差が統計的に有意(t検定).

これより,第1回目の調査時において,「女性非農業就労」と「就学状況」について,2グループの平均値の差が10%水準ではあるものの有意となっている.これは,工場ありの村に,水資源が乏しく非農業部門に従事している住民の割合が元々高い村が含まれているため,そして同じ理由により子どもが親の仕事や家事の手伝いに時間がとられやすいなどのために,有意な差となっている可能性が考えられる.

なお(表にはないが),子どもの就学率(学校に通っているかどうか)については,第1回目での有意な差はみられない.

(2) 推定結果

家計厚生の推計に先立ち,居住地の近隣に工場ができることで,縫製工場への就労が増加するかどうかを「縫製工場で働く家計員の割合」を被説明変数として推計した.その結果,表3のように,GMの係数が正に有意となり,近隣での工場の稼働は確かに工員として就労する可能性を高めるようである.

表3. 縫製工場への就労に工場の有無がもたらす影響(パネルデータ:固定効果モデル)
被説明変数 縫製工場就労
係数
GM 0.058(0.028)**
Y14 0.075(0.016)***
標本数 894

1)**は5%,***は1%で統計的に有意.推計には切片と表4・(A)~(C)の推計と同様の説明変数も含み,括弧内は家計クラスター頑健標準誤差を示す.

4は,近隣での縫製工場の稼働が家計厚生に与える影響の有無についての推定結果を示している.

表4. 縫製工場の有無が家計厚生にもたらす影響(パネルデータ:固定効果モデル)
被説明変数 (A)家屋・消費財 (B)女性非農業就労 (C)家計員の健康1) (D)就学状況2)
係数 係数 係数 係数
GM 5.089(4.632) 0.064(0.028)** 0.154(0.070)** 6.268(3.370)*
Y14 10.724(1.819)*** 0.037(0.017)** −0.033(0.045) 12.141(3.175)***
家長性別 −4.157(4.816) 0.013(0.046) −0.087(0.115) −3.218(4.003)
家長年齢 0.104(0.311) 0.001(0.002) −0.011(0.005)** 0.105(0.246)
家長教育 −0.775(0.897) 0.014(0.005)*** 0.002(0.011) −0.291(0.508)
農地所有面積 2.244(2.051) −0.047(0.016)*** −0.036(0.039) −5.783(2.211)*
農地所有面積2 −0.201(0.282) 0.005(0.002)*** 0.005(0.004) 0.304(0.206)
乳幼児 −2.869(25.18) −0.364(0.122)*** 0.171(0.278) −8.198(20.56)
高齢家計員 −0.126(8.852) −0.363(0.074)*** −0.217(0.300) 34.423(29.55)
子年齢 −13.968(5.040)***
子年齢2 0.287(0.178)
GM×女児 −12.628(4.616)***
標本数 894 894 882 676
R2: Within 0.089 0.150 0.030 0.126
Between 0.009 0.027 0.188 0.000
Overall 0.019 0.054 0.124 0.001
F test(all ui=0) 8.51(p=0.00) 8.64(p=0.00) 1.95(p=0.04) 3.27(p=0.00)

1)「家計員の健康」については,健康に関するデータがない家計は除く.

2)「就学状況」は家計内の子どもの個人レベルの分析である.

3)*は10%,**は5%,***は1%で統計的に有意.推計には切片も含み,括弧内は家計クラスター頑健標準誤差を示す.

はじめに,表4・パネルAより,工場の有無を表すGMの係数は正ではあるものの有意ではないことから,近隣での工場の稼働自体は家計資産の増加をもたらさないようである.他方で,Y14の係数は1%水準で有意であり,カンボジア経済の順調な成長に呼応するように,調査地域においても家計の所得が上昇したり,地域の景気が上向くことで,オートバイなどの耐久消費財の購入・買い替えや家屋の増改築などが起こり,家計資産の増加につながっているのではないかと考えられる.

女性のエンパワーメントについては,工場が近隣にできることにより,女性の非農業部門への就労割合が高まるという結果を示している(パネルB).これは,縫製工場において女性,特に若い女性の就業が多いことから,工場ができることで女性の非農業部門での雇用労働の機会が増加するためであると考えられ,これが女性のエンパワーメントの推進に寄与しうることが示唆される.

また,女性の非農業部門への就労に対して,家長の教育年数の長さが正に有意な影響を与える一方,家計構成員に占める乳幼児と高齢者の割合の高さが負の影響を与えている.これは,幼い子どもや高齢の家計員のケアなどを女性が担うことが多く,外で働くことが難しくなるためではないかと解釈できる.農地所有面積については,面積が大きくなるにつれて農業労働に従事する必要性などから非農業部門への女性の就労は減少するものの,ある程度の大きさを超えると再び上昇している(概ね1.22haを超えると女性の非農業労働に対して正の影響がみられる).これは面積が大きい家計は比較的裕福な家計と考えられ,裕福な家計では農業労働者の雇用が可能であり,またより高い教育水準を有するなどの理由から,恒常的に賃金労働などの仕事につきやすいためではないかと考えられる.

家計員の健康状態についても,工場ができることが正の影響を持つという結果が示されている(パネルC).これは,工場の稼働による非農業部門での雇用機会の拡大とその活用が,所得の向上・消費水準の上昇をもたらし,健康状態の改善につながっているのではないかと推測される6

学齢期の子どもの就学状況については,(全体としては)近隣での工場の稼働が,子どもの年齢に即した学年への在籍をより促すことがわかる(パネルD).ただし,「GM×女児」の係数が1%水準で負で有意となっていることから,特に女児については,工場の稼働が進級や学修などに支障をきたす可能性が示唆され,他の家計厚生に工場の有無が与える影響とは異なる結果となっている.

紙幅の制約から結果を示すことはしないが,子どもの年齢別で就学状況を推計すると,工場の有無と女児の交差項は,第1期目で6~10歳および15歳の子どもの分析において有意に負の影響を示しており,それらの年齢で学年の遅れが顕著であることが示唆される.低年齢の女児に関しては,近隣で工場が稼働することが,特に母親の就業や長時間の労働につながり,それにより子どもが日常生活や通学・学習に関するケアを十分に受けられず,入学後の学習の遅れや学習意欲の低下などにつながっている可能性が考えられる.また高年齢の女児については,工場の稼働による就労機会の拡大により,高校などに進学せずに就職することを選んでいる可能性が高いことを示唆する結果といえる.

4. おわりに

本稿では,カンボジアの農村部に居住する家計に焦点をあて,近隣に縫製業の工場ができることがその家計の厚生にどのような影響を与えるのかを,独自の家計調査により収集したパネルデータを用いて検証した.推定結果は,居住地の近くに工場が建設・稼働することが,女性の非農業部門への就業の可能性を高め,また家計員の健康状態の改善にも寄与しうることを示している.

カンボジアでは順調な経済成長を背景に,縫製工場のプノンペン郊外での稼働や,それに伴う工場建設やインフラの整備,工場労働者向けの飲食サービスなどで,農村部においてもより多くの(非農業部門での)雇用機会が生まれつつある.これらが,女性の家庭外労働を増加させ,また所得や消費の上昇などを通じて,家計厚生の改善をもたらすのであれば,この状況は歓迎すべきことである.

ただし,学齢期の子どもの教育に対しては,特に女児が学校に通うこと(高校進学などにより学校に通い続けること)に対して,工場ができることがその妨げになりうることを示唆する分析結果となっている.低年齢の女児については,その多くは就学年齢に達すると小学校に入学はするものの,その後の学習(進級)に対して,近隣に工場があることが負の影響をもたらしている可能性がある.

縫製工場では小学校または中学校修了など,非農業部門では一定以上の教育水準が求められる場合が多い.そのため,縫製工場が近くにできることで,子どもを学校に通わせるインセンティブが生まれ7,小学校への遅延ない入学が促されたり,ある程度の年数は学校に通うことが担保される可能性がある.しかしながら,各業種で求められる最低限の教育を受けたら,それ以上の進学はせずに就職を選択することや,他の家計員が工場で働くことで家業の手伝いをするために進学を諦めるケースも出てくるものと考えられる.また,入学はしたものの,親の就労状況などによっては,子どもの学校の出席率や学習意欲に影響を与えている可能性も否定できない.これでは,人的資本としての教育の十分な蓄積が進まず,今後の経済成長に影を落とすことになるかもしれない.

なお,教育については,出席率や学業成績などは本稿の分析では捉えることができない.また,学校に通う(入学する)こと自体については,性別による違いは見られないことから,なぜ工場の有無により女児だけが就学状況に対して大きな影響を受けるのかについても,今後さらなる検証が必要である.

1  本研究の調査は,日本学術振興会の科学研究費・若手研究(B)(課題番号:23780235)および公益財団法人二十一世紀文化記念財団の学術奨励金の助成により実施したものである.なお,調査村落は2州の7郡・12コミューンから選定され,直線距離で東西約20km,南北約40kmの範囲に含まれる.

2  第1回目調査時の非農業所得比率は61.3%であった.

3  工場の有無は,GMAC(Garment Manufacturers Association in Cambodia)のメンバーとして,各調査年の前年のGMAC年次報告書に記載されている工場(企業)の住所より判断している.

4  家計構成員である子どもで,家長の子どもかどうかは問わない.なお,家長の子どもではない場合でも,近親者(孫・甥姪)がほとんどである.

5  この指標はMiwa et al.(2010)を参考にしている.

6  ただし,この点についてはデータ制約上の問題から十分な根拠を示すことができないため,今後さらなる検証が必要である.

7  実際に,本研究の調査地域では,障がいなどの特別な理由がない限り,就学年齢に達すると小学校に入学する子どもがほとんどである.また,就学前教育の拡大も観察されている.

引用文献
 
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