かつて私は,当学会さらには農林業の社会科学的研究全体に関わる問題として,質的研究手法の停滞を取り上げ,その方法論の再確認と研究手法としての復権について提案しました.そのとき,質的研究手法の復権をこれからの世代に託すという意味で,「ひとつの遺言である」と表現しました(秋津,2020:p. 5).この度,会長として皆さまにメッセージを伝えるにあたり,再びこの遺言という表現を使わせていただきます.私が長い未来のある研究者であれば進んで行こうとする道を次世代の皆さまに共有して欲しいからです.今回,その遺言内容は,研究方法論ではなく研究課題に関するものであり,より根本的な内容となります.
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私は1980年代から農林業や農山村に関する研究を続けてきましたが,その長い研究従事期間を経験した特権として,まず1961年農業基本法以来の農業のおかれた立場をやや独断的に概略として振り返りたいと思います.
大きく1980年代まで,農業は工業化される社会のなかで縮小を余儀なくされる存在とされながら,一方では国内での食料確保という使命も帯びた産業活動とみなされてきました.1961年の農業基本法では,他産業並みの所得を農業によって得ることが目標とされ,構造政策という離農と規模拡大をセットにした政策が実施されました.もちろん,それは目論見どおりには進まずに,結果として農家の戦略としての兼業農家が大量に出現することになったことは周知の通りです.ともあれ,農業は必要とされながらも他産業の発展に追いつけないという産業界の端役だったといえます.
その傾向は,1980年代後半から始まる円高基調によってさらに増進され,輸入を前提とした食料確保に政策は傾斜していきます.都市農村格差の拡大や若年層の流出に伴う農山村社会の疲弊がしだいに顕著となる一方で,社会では環境問題への関心が高まります.農山村を単に農業生産の場としてのみ捉えるのではなく,その環境をツーリズムの対象として積極的に利用する動きが始まるとともに,経済的機会の創出としてその必要にも迫られてきます.
そうした流れに沿って,農業への新規参入が注目され始めるのもこの頃です.農山村環境への注目が高まっても,農業を職業として選択することへの関心は高まらず,1990年には戦後最低の新規就農者数となります.社会の総体としては人気のない農業に,あえて「飛び込もう」とする参入農業者には,その後の時代のトレンドを予測するような動機が見られました.たとえば,環境と調和して生きるライフスタイルのひとつとして農業を選択し,農山村で暮らすという志向などです.集落営農の設立などでそれまでの農業を支えた社会システムをどのように維持するかという課題の他に,従来とは異なる発想で農業を眼差す芽が成長してきた時代でした.
2000年代に入ると,BSEを始めとする食の安全問題が浮上するとともに,リーマンショックによる景気後退や2011年の東日本大震災などが起こります.食の質の問題は,すでに1960年代の公害や農薬汚染の時代から始まっていましたが,1980年代からの環境問題への注目をへて,BSEによって体制的にも一般化されたといえます.景気後退時において,農業セクターが余剰労働力の一時的なバッファーとなったり,震災を契機に都市生活の脆弱性に気づいて,若年層を始めとする人びとの関心が地方や農山村に向かうということもありました.
そして,2020年代になります.地球全体に及ぶ環境問題の深化に伴い,農業に対する新しい評価が生まれてきました.それは,環境の持続可能性を考えるとき,農業は基本的に悪であるという考えです.食料や素材生産を担当するので,農業は人間の生存に欠かせない活動です.その農業が悪であるということは,つまるところ私たち人間存在自体の見直しにつながることを意味しています.私たち農業に関係する研究者は,その意味で二律背反する困難な課題を背負うことになりました.しかしそれは同時に,極めてやり甲斐のある研究領域であることを示しており,私たちは農学者として誇りを持って研究に臨むべきなのです.研究成果が世界を占うという点で,私たちの研究領域のプレゼンスを高める千載一遇のチャンスといえます.
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その誇りを持つべき状況について,私たちはどこまで自覚しているでしょうか.あるいは,環境の持続可能性にとって農業は悪であるということについて,どのくらい切迫感を抱いているでしょうか.
人間活動の地球環境への影響については,多様な局面について多様な角度から指摘されています.人間活動の結果が地球全体に影響を与える時代になったことを包括的に表す用語として人新世があります.なかでも,CO2などの人間活動に由来する温室効果ガス濃度の上昇が地球規模の気候変動をもたらすと考えられ,炭素排出の収支をゼロにするというカーボン・ニュートラルの課題もあります.また,人間の生息数と範囲が拡大して環境を優先使用することにより,その他の生物の多様性が失われています.
そうした人間による地球環境への負荷を包括的に研究した最近の成果として,Planetary boundariesの議論があります.この研究は,地球規模の環境領域を9つに分けて,それぞれについて持続可能な境界を越えているかどうかを計測したものです.その2023年度版の結果によると,とくに顕著に境界を越えている領域として,「新規化学物質」,「生物圏の一体性」,「窒素とリンの流れ」が指摘されています(Richardson et al., 2023).この3領域において,「新規化学物質」については農薬や農業資材としてのプラスチック利用が,「生物圏の一体性」においては農地開発や単作化による生物多様性の破壊が農業と深く関連しており,「窒素とリンの流れ」では肥料として窒素とリンを多投してきた農業活動そのものによる環境負荷が問題視されています.
つまり,農薬や石油由来の農業資材,その場所の生態系を無視した単作化,化学肥料の多投など,すなわちこれまで近代農法を支えてきた技術体系が見直しを迫られているわけです.これに対する日本の反応を見てみると,2021年5月に農水省発表の「みどりの食料システム戦略」は本来,こうした世界的潮流に応答すべきものでしたが,少なくとも発表段階では切迫感を感じさせるものになっていません.島国で世界情勢に疎いという地政学的な事情もあるかと思いますが,地球規模の課題を論じているわけなので,極東にあるからといってそこから逃れることはできません.環境問題について,知識はあれども行動しないという比率が日本で高いということもすでに常識となっていますが,行動への意識を高めるためには,自らの行動が社会や世界に影響を与えるという実感の持てる体制と経験を準備することも必要と思います.このことは,先の「みどりの食料システム戦略」に大きく欠けている市民参加という論点とも重なります(秋津,2021).
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近代農業の反省の上に立った,持続可能な未来に貢献する農業とはどのような農業でしょうか.先ほどのPlanetary boundariesの論点に沿って考えると,化学合成資材に頼らない,単作を避けてその場所の生態系を前提とした複合作とする,化学合成による窒素やリンを多用しない,になるかと思いますが,そのためにはこれまでの農学とはさまざまな面において異なる発想が求められます.農法的には,多投入によって多収量を確保するみどりの革命型の農法を乗り越える農法の確立が必要となります.また,単作を前提とした経済効率性追求ではなく,複合作(混作や間作)の場合の経済性研究も求められるでしょう.あるいは,従来の人間中心的な経済性という概念自体の再考も迫られることになります.
より具体的には,「みどりの食料システム戦略」で発信された有機農業の推進を支えるような科学的根拠を積み上げていくことが課題といえます.ここでいう有機農業はJAS認証の有機農業だけでなく,より生態系に配慮した自然栽培などの農法も含みます.農法に直結する自然科学的な研究だけでなく,社会科学の研究においても今後の蓄積が期待されます(胡,2023).そのときに,今後の技術開発に過剰に期待することなく,現在実践されている有機・自然栽培の科学的解明や過去に遡った農法の再評価も求められるでしょう.
合成化学肥料を投入しない有機・自然栽培は収量が低減するので,それが拡大することは未来の食料需給を考えるとき現実的でないという議論を国際的かつ国内的によく耳にします.しかし,そう言い切ってしまえるほどに科学的な努力を有機・自然栽培やそれに関連する農法に注いできたでしょうか.21世紀のこれからの農学では,近代農業システムを支えてきた技術開発と経済の関係を転換して,人間と環境との持続可能な関係を最優先した技術開発の思考が必要と思われます.
これは若い世代への遺言です.もはや近代農業にどっぷりと浸かってしまった世代にそれほど期待はできません.若い世代の皆さんにおいては,自分たちの時代を無事に生き延びるために,また,さらに次の世代に社会をバトンタッチしていくために,どのような前提認識と研究課題を持つべきかをじっくりと考えていただきたいと思います.私たち去りゆく者はその新鮮で前向きな発想を押さえつけることなく育む体制を整備していくことが残された使命であると考えております.