農林業問題研究
Online ISSN : 2185-9973
Print ISSN : 0388-8525
ISSN-L : 0388-8525
大会講演
オーガニック研究にむけたパラダイム転換
秋津 元輝
著者情報
ジャーナル フリー HTML

2025 年 61 巻 1 号 p. 1-3

詳細

私はこの大会で会長の職を離れますし,2025年春には現在の職も定年により離れることになりますが,近年ますます感じているのは,社会の大きな転換がないと未来が危ういという焦燥感であり,それは私たちの学問的な対象である農林業や農村についても当てはまると同時に,私たち研究者の研究姿勢についても大きな転換が必要ということです.

これまで,劣勢となってきた質的研究の意義を問うて社会に働きかける社会実装型の研究を提唱し(秋津,2020),前回の会長講演では未来の持続可能性に直結する研究課題の選択と設定を促しました(秋津,2024).今回はそれらを引き継いで,もう少し深層レベルから研究の問い直しを図ることを検討したいと思います.その問いは,農林業経済・社会を対象とする私たちの研究分野だけでなく,私たちもその一員として所属する農学という広域の研究分野とも関わるもので,科学哲学的な思考からの農学研究への問いかけでもあります.

*     *     *

何が有意義な研究として認められるかについて根本的な視座を与えたのはT・クーンであり,その著書『科学革命の構造』(1962=1971)のなかで,パラダイムという概念を導入しました.クーンは,通常科学を「特定の科学者集団が一定期間,一定の過去の科学的業績を受入れ,それを基礎として進行させる研究」(p. 12)としたうえで,その通常科学の業績の「規範となっている例―法則,理論,応用,装置を含めた―があって,それが一連の科学研究の伝統をつくるモデルとなるようなもの」(p. 13)をパラダイムと呼びました.

パラダイムとはつまり,特定の時代と分野において,科学的発見の支配的な規範となる物の見方や捉え方を与えるものです.この存在は新しい論文や発見が,同業の研究者たちの相互チェック,すなわちpeer reviewによって学術雑誌の論文として公表されることと連動しています.同業の研究者によって共有される科学的認識の基盤のうえに,新しい研究が認められるという構造があります.

しかしクーンは,そのパラダイムが変化することも科学史的事例を参照しつつ論じました.革新的な発見と理論が提出されることによって,研究上の問いと説明の基礎となる理論が変化し,研究が積み上がるべき土台がそっくりそのまま別のものに移行することをパラダイム転換と呼びました.

気候変動や生物多様性の低下,人工合成化学物質の蔓延,過剰な窒素・リンの環境放出など,20世紀型社会によって引き起こされた多くの問題に対処するには,私たちにも研究上のパラダイム転換が必要ではないかと言いたいのです.これらの問題はシステムとして相互に関連しているので,個別の問題への対処療法では解決しそうにありません.私たち研究者は,この課題に対して研究上の問い自体を考え直すことによって対応する必要があると思うのです.これは,クーンが述べたような新しい理論や発見によって起きるパラダイム転換というよりも,研究者の意思や価値による転換といえるでしょう.それが可能となるのは社会科学の特質でもあると考えています.

では,地域農林業研究の現行のパラダイムとは何でしょうか.計量的な経済研究においては,統計学に基づく推論の正しさが研究の基礎になっているように見えます.時事的な研究課題が設定されていても,結論に至る推論プロセスがいかに論理的で不偏であるかが研究関心の中心にあるように思います.この前提には,人間社会における客観的法則を発見しようとする社会科学に共通した研究パラダイムが存在しています.経験主義的な研究方法に基づくこのパラダイムは,質的で定性的な研究においても共有されています.個別事例を扱っていても一般化できるような結論を導き出すことが論文執筆に求められます.こうしたパラダイムを現実の課題により即したかたち転換する手がかりはどこにあるでしょうか.

*     *     *

本学会では2年連続で有機農業を大会テーマとしました.そのなかで有機農業研究の確立という目標においては,社会科学的課題に加えて,とくに従来の農学研究のパラダイム転換という課題があることに気づかされます.

本大会の国際シンポでもお話しいただく村本穣司氏は『季刊 農業と経済』の座談会において,有機農業を進めるには土や作物などを含む農業システム全体の再編成が必要と述べられており,それを実現している有機農業者に農学者が学ぶべきであることを強調されています.米国では農務省の有機農業関連研究助成を申請するにあたって,プロジェクトの全体にわたって有機農業者が参加することが条件となっているということも紹介されています(秋山ほか,2024).

食物生産を対象とする農学の多くは自然科学を基礎としています.しかし,私が所属する研究分野の創設者でもある柏祐賢は,農学の独自性を認めて,自然科学とは異なる農学の応用科学としての特質を強調しました(柏,1962).自然科学は経験と観察によって,因果関係を構想して仮説をつくり,それを実験によって確証して法則や定理を導き出すという手順をとります.それに対して,応用科学は現実的な問題から始まりそれを診断して目標設定をおこない,問題解決のための計画を設計します.その後,圃場などでの試験を実施して実効性を確認し,モデルや準則を策定します.応用科学である農学は,実際の現場における試験をクリアしてこそ,意義ある結果となるのです.

現代の自然科学はますます微細となる要素に還元された自然現象を要素間の因果関係として明らかにする方向に向かっています.そこで解明された因果関係が農学に活かされると普遍的かつ汎用性のある知識となり,学術的にも高く評価されます.20世紀の農学でいうと,農薬と化学肥料,除草剤の組み合わせによる農法は汎用的で世界中に拡大しました.しかし,現場の試験を重視する立場にたつと,汎用性よりもその場での有効性が重要となります.しかも,最初に述べたように環境面での持続可能性を考えたとき,その場所の生態系に寄りそった農業が今後はますます重要視されるべきであり,必ずしも最小の要素に還元された因果関係でなくても,応用に有効な知識であれば積極的に学術的成果として応用科学としての農学において認めていくという方向性が考えられます.本大会の国際シンポでコメントをお願いしている金子信博氏は,前者の汎用的な技術を「絶対的技術」,後者の局地的な技術を「場に応じた技術」と呼んで,土壌保全の原則を考えるとき後者の「場に応じた技術」の深化を提唱しています(金子,2024).これは,応用科学としての農学のパラダム転換といえるでしょう.

*     *     *

地域農林業の社会科学研究者である私たちも,有機農業の社会への浸透を本気で研究課題として据えるとき,以上のような農学におけるパラダイム転換と呼応した問いと研究法を採用することが要請されます.

その方向性が今大会のシンポジウムにおいて議論されるとよいのですが,想定しうる着目点を述べると,まず,「場に応じた技術」に対応する農業生産システムの全体像を明らかにするような研究が考えられます.この局地的知識の科学化という課題は,「地域」を名称に冠する私たちの学会が本来目指すべき方向であり,私たちには明らかに優位性があるといえます.このことは地域農林業における「地域」をまた別の意味から捉えなおすことにつながります.

私たちの学会は,地域を対象とするメゾエコノミクスとして特徴づけられます.前会長の浅見淳之氏によると,地域においては,経済,社会,政治,法,組織,倫理,文化のような複合的な領域が総合された制度となって,人びとの間の関係を規定しており,それらの相互作用を多様な測定と観察によって把握することがメゾエコノミクスの課題となります(浅見,2022).その人間社会を中心とする方法論的特徴に,有機農業につながる農法的な局所性を付加したときに,どのような研究像が生まれるのか.地域の個性をより強調するような社会像を基礎とした農林業研究が描けるかもしれません.

それと関連して,持続可能な農林業と地域社会に向けた社会システム像を経験的科学という軛を超えて構想する必要があり,そのときに地域の固有性をどのように考慮するかという方向もあると思います.この意思を持つ人間の創る社会という発想は,研究法としては参加型アクションリサーチなどと関連すると思われますが,これについてはすでに昨年までの「遺言集」で触れてきたので,最近に公表した研究成果をお伝えするに留めておきます(田村・秋津,2023).

*     *     *

今回の大会シンポジウムでは,政府・自治体系研究機関に所属する研究者の皆さんに多数,ご登壇いただきます.より政策に近いところから,地域農林業研究のパラダイム転換にむけた発信がなされればそれほど有意義なことはありません.私も一参加者として,見守らせていただきます.

引用文献
 
© 2025 地域農林経済学会
feedback
Top