ここ数年でしょうか,「会長挨拶」ではなく,「会長講演」として何か内容のあることを話さないといけなくなったようで,何をお話ししたものかと夏頃から思案しておりました.そうしたところ,今年2025年は第2次世界大戦終戦から80年,そして昭和100年に当たるということで,昭和や戦後を振り返る特集をメディアでもよく目にしました.また,今年の大会は第75回という節目にも当たります.そこで,まず本学会の過去に遡り,地域の農林業の直面する課題について,本学会が地域農林経済学会に名称を変更した当時と現在を比較し,そこから将来を展望してみることにしました.
本学会の源流は,およそ100年前の1927年に設立された(近畿)農業経済集談会にあります.1951年には関西農業経済学会が発足し,そこから数えての第75回が今年の大会となります.この間,1989年には地域農林経済学会へと名称が変更され,現在に至っています.このあたりの本学会のあゆみについては,第70回大会で当時の北川会長がお話をされていますので,そちらを参照いただければと思います.
1990年に地域農林経済学会としての1回目となる第40回大会が開催されていますが,この大会シンポでは「地域農林業研究の基本課題」という共通課題が設定され,その解題として座長の頼平先生は,「地域農林業の展開を規定する主体的・環境的諸条件が21世紀に向けて激烈に変化すると予想されるなかで,地域農林業研究の基本課題をどのように把握すべきか…」と述べておられます(頼,1990).では21世紀の4分の1が過ぎた今,地域農林業の展開を規定するものがどのように変わったのか,これからどのようになっていくのかについて,あらためて考えてみる必要があるのではないかと考え,今回の会長講演のタイトルとしました.
まずはこの1990年を起点に,いくつかの数値について現在と比較してみたいと思います.農林業センサスによると,1990年に全国の販売農家数は297.1万戸でしたが,2020年には102.8万戸に減少しています.基幹的農業従事者数は,1990年には292.7万人,うち65歳以上の割合は26.8%であったものが,2024年の推計値(令和6年度『食料・農業・農村白書』)では111.4万人,65歳以上の割合は71.7%になっています.さらに,作付延べ面積は1990年の535万haから,2023年の数値では391万haにまで減少しています(同上).農業の担い手の減少や高齢化は,1990年当時からも問題となっていました.しかし,あらためて数値を見ると,この35年の間に予想をはるかに超える変化が起きたといえるのではないでしょうか.
それでは,これからの農林業あるいは農山村がどうなっていくのか,どうあるべきなのか.私は,これからの地域農林業を規定する大きな要因は2つ,「人口減少・高齢化」と「気候変動」と考えています.
まず「人口減少・高齢化」についてここで強調しておきたいのは,これは農山村・地方だけの問題ではなく,東京圏を含めた日本のあらゆるところで直面する問題であるということ,そして世界全体で見ると人口増加が依然として大きな問題ではあるものの,人口の減少と高齢化は特に日本以外の東アジア諸国でもこれから大きな問題になるということです.
次に「気候変動」についてですが,環境問題の地域農林業への影響は,高度成長期の公害問題から,バブル経済期のリゾート開発に至るまで,さまざまな事例があり,議論もされてきました.しかし,それらはいわばローカルな,そして農林業が一方的に害を被るという形の問題でした.これに対して,気候変動問題は,グローバルな環境問題が地域に影響を与えるという問題であり,また地域の農林業自体もグローバルな環境問題の原因者として対応を迫られるという点が特徴です.
「気候変動」は1990年代から,「人口減少・高齢化」はそれ以前から懸念されてきたことではありました.しかし,ここに来て,これらはともに予想以上に深刻化・現実化しており,将来にわたって避けがたいことが確実になってきているといえるでしょう.そして,これからの地域農林業のあり方に大きく影響する要因であることは間違いありません.
ここでは,この2つの要因のうち,「人口減少・高齢化」についてさらに詳しく考えてみたいと思います.国立社会保障・人口問題研究所の「日本の将来推計人口 令和5年推計」によると,2025年以降,南関東を含む日本の全地域で人口が減少します.2050年代には日本の人口は1億人を下回り,65歳以上の人口の割合は,2025年の29.6%から2050年には37.1%になります.また,農林水産政策研究所は,農業地域の人口が2025年の2133万人から2045年には1482万人になると予測しています(令和元年度『食料・農業・農村白書』).近年の出生数を踏まえると,こうした人口推計は下方に振れることはあっても上方に外れることはないと思われます.
「人口減少・高齢化」は,今後,地域の農林業という生産面に影響するだけでなく,地域社会自体の持続可能性に対して課題を突きつけることになるのは確実です.10年ほど前に亡くなられた経済学者の宇沢弘文先生は,社会的共通資本という概念を提唱されていました.宇沢(1994:p. 15)などによると,社会的共通資本は,自然資本(環境),社会的インフラ(道路,電力網・水道など),制度資本(教育,医療制度,司法,金融制度など)から成っています.
今後の「人口減少・高齢化」社会において,こうした社会的共通資本をどう維持していくかが大きな課題であり,それは特に人口の減少と高齢化が先んじて進む地方の農山村においては,喫緊の課題といえます.すでに過疎地域では,交通や医療が危機的な状況になっていますし,同様の問題はこれから都市部でも深刻化していくでしょう.
社会的共通資本は,公共財および公共財的な性質持つ私的財で構成されます.そのため,市場メカニズムだけでは最適な供給量を決めることができません.人口が減った地域では,交通・医療だけでなく,小売店も採算が取れずに撤退していきます.その地域での市場が縮小するわけですから,経済原理からするとやむを得ない面もあります.そして,それらすべてを必要だからと公費で維持し続けることも財政面から困難です.それゆえ単なる「維持」ではなく,「適正量の維持」が重要となりますが,何をもって「適正量」とするのか,それをどうやって維持していくのかは,前例のない大きな課題といえます.宇沢(2000:p. 63)は,農業・農村も社会的共通資本のひとつとしてあげていますが,その適正規模については,社会的合意に基づいて事前的に決められるべき性格のものとしています.
今年度の大会シンポジウムは,「食料を人々に届ける」がテーマになっていますが,農業・農村からさらに広く,良質な食料を合理的な価格で届けるためのフードシステムも,社会的共通資本を構成するものとして考えられます.これらを含めた「地域の社会的共通資本」を,都市農村を問わず人口減少社会の中でどう維持するか,将来に向けて考えていく必要があります.社会的共通資本が適正に維持されない地域社会は持続不可能ですし,それは同時に地域の農林業が持続不可能になること,そして日本のフードシステム全体が不安定になることにつながるのではないでしょうか.今回は以上のような問題提起をし,会長講演とさせていただきます.