農林業問題研究
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個別報告論文
処理水放出後における日本産水産物の購買意向の規定要因
―中国上海市消費者を対象とした構造方程式モデリングの適用―
李 冠軍 , 八木 浩平
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2026 年 62 巻 3 号 p. 160-167

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Abstract

This study examines the determinants of Chinese consumers’ purchase intentions for Japanese seafood following China’s import ban after the release of ALPS-treated water in August 2023. Using structural equation modeling based on dual-process theory, we analyze the effects of radiation anxiety, radiation knowledge, and trust in Japan. Results show that radiation anxiety significantly weakens purchase intentions, while trust in Japan both directly and indirectly strengthens them by reducing anxiety. Radiation knowledge also has a positive but weaker effect. Multi-group analysis indicates that prior purchase and promotional experience enhance the role of trust. These findings suggest that addressing emotional concerns through strategic communication is essential, beyond providing scientific safety information, to restore consumer confidence.

1. はじめに

2023年8月23日,日本政府の決定に基づき,東京電力はトリチウムを含むALPS処理水の海洋放出を開始した.これを受けて翌24日には,中国政府が処理水放出を理由に日本産水産物の全面輸入停止を発表した.中国は日本産水産物の重要な輸出先の一つであり,この輸入措置は日本の水産業界に深刻な経済的影響を与えたと考えられる.実際,処理水放出前に日本産水産物を購入していた中国の消費者においても,放出後には購買意向の低下が確認されている(李・八木,2025).日本産水産物の輸出再開や海外市場における信頼回復を図るには,処理水放出が海外消費者の購買行動とどのように関連しているかを把握することが重要である.特に,単なる購買意向の変化だけでなく,その背後にある意思決定のメカニズムを把握する必要がある.

本稿では,放射線に対する不安,放射線に関する知識,日本への信頼という3つの要因に着目し,これらが日本産水産物の購買意向とどのような関係を持つのかを検討することを目的とする.更に,性別や所得,訪日経験などの消費者属性による効果の差異も検討する.これらの目的のもと,先行研究を踏まえて構造モデルや仮説を設定し,アンケートデータを用いて実証分析を行う.

これまでの先行研究は,主に原発事故や放射線リスクに対する日本国内の消費者による回避行動の分析に焦点を当ててきた(工藤・中谷内,2014;三浦他,2016;観山・馬奈木,2021).一方,海外の消費者を対象に,感情的要因・認知的要因を統合的に分析した研究は限られている.また,ALPS処理水放出に関連する海外消費者の購買行動に着目した先行研究としては,中村他(2023),李・八木(2025)が挙げられる.中村他(2023)はバンコク市民を対象に,処理水放出が福島・宮城県沖水産物の購買意向に与える影響を検討した.李・八木(2025)は日本産農水産物・食品を購入した経験を有する中国人消費者を対象に,購買意向の変化を分析した.しかし,これらの研究は購買意向の形成メカニズムを明示的に扱っていない.

これに対して本稿は,二重過程理論(Dual Process Theory)に基づき,感情的要因(放射線に対する不安)と認知的要因(放射線に関する知識・日本への信頼)を理論的に区別した上で,それぞれの関連を整理し,構造方程式モデリング(SEM)により要因間の関係を検証する点に新規性がある.

2. 研究の枠組み

(1)理論概念の概要

本稿の理論的背景として,二重過程理論を援用する.二重過程理論は,消費者の意思決定や推論といった認知プロセスを,「System 1」と「System 2」という2つのシステムによって説明する理論的枠組みである(Evans, 2003).System 1は,感情的・直感的・自動的な処理を担う一方,System 2は,論理的・理性的・意識的な処理を担うとされている(図1).以下では,星野・竹内(2019)を参照し,二重過程理論の概要を記述する.

図1.

二重過程理論の概念図

資料:星野・竹内(2019)を参照し筆者が作成.

まず,System 1は日常的な意思決定や問題解決の多くを担う自動的な処理であり,意識的な努力をほとんど必要とせず,瞬時に直感的判断を下す.この判断は,過去の経験や学習によって形成されたルールや感情的な反応に依存している.例えば,SNS上の評判をざっと見るだけで,ある食品に対する印象が即座に形成されることがある.また,不安や恐怖,好意や嫌悪感といった情緒的要素も意思決定に影響を及ぼす.処理水放出に関連すると,「処理水」や「放射線」といったキーワードそのものに対する不安感がSystem 1によって喚起されることが考えられる.

一方,System 2は,意識的に情報を収集・分析し,論理的に判断を下す役割を担う.例えば,処理水中の放射性物質濃度が安全基準を下回っているという知識を知り,安全であると論理的に判断して商品を購入する行動がSystem 2によるものである.

更に,二重過程理論では,System 2はSystem 1の判断に介入し,それを監視・統制する役割も担っているとされる(Stanovich and Toplak, 2012).つまり,理性的な認知によって,不安などの感情的反応を抑制することが可能になる(中谷内,2010).

(2)仮説の設定

本稿では,処理水放出後における日本産水産物に対する海外消費者の購買意向の規定要因を明らかにするため,二重過程理論に基づいた構造モデルを構築し,表1に示す5つの仮説を設定した.モデルの構築にあたっては,二重過程理論を用いた先行研究(工藤・中谷内,2014;法理他,2017)を参照している.具体的な仮説は以下の通りである.

表1.

仮説の設定内容

仮説 内容
H1 放射線不安→購買意向
H2 放射線の知識→購買意向
H3 放射線の知識→放射線不安→購買意向
H4 日本への信頼→購買意向
H5 日本への信頼→放射線不安→購買意向

まず,System 1に関連する要因として,放射線不安に注目する.放射線災害地域で生産された食品はスティグマの対象となりやすく,消費者による迅速かつ感情的な判断によって忌避される傾向があると指摘されている(工藤・中谷内,2014;三浦他,2016).このため,処理水放出によって日本産水産物に対する放射線汚染の不安が高まり,購買意向が低下すると仮定される(H1).

一方,System 2は理性的・論理的な思考に基づく意思決定プロセスであり,本稿では以下の2つの要因が関与すると想定する.第1に,放射線に関する知識である.放射線について正確な知識を持つことにより,科学的根拠に基づいた判断が可能となる(工藤・中谷内,2014;半杭,2016).このことから,放射線に関する知識が豊富な消費者は,日本産水産物を回避する合理的な根拠は希薄となり,購買意向が高まると仮定される(H2).加えて,正確な知識は放射線不安を軽減することが報告されており(法理他,2017),知識が不安を抑制し,それを通じて購買意向に間接的な影響を与えると仮定される(H3).

第2に,日本への信頼である1.これは,日本の政府や公的機関が発信する情報を信頼する態度を指す.例えば,日本政府は処理水の放出や日本産食品の安全性に関する情報を,英語や中国語など複数の言語で発信し,YouTubeなどのメディアを通じて広報を行っている(消費者庁,2024).こうした情報を信頼する消費者は,日本産水産物に対する購買意向が高いと仮定される(H4).更に,三浦他(2016)は情報源の信頼性が放射線不安の強さに影響することを指摘している.この点から,日本への信頼は放射線不安を軽減し,間接的に購買意向を高めると仮定される(H5).

(3)用いたデータと分析手法

アンケート収集は中国系調査会社(51調査網)に依頼し,インターネットを通じて実施した.調査期間は2025年4月10日から25日までであり,対象は中国上海市在住の20~60代の男女である2.調査は,上海市の性別及び年代別の人口構成比に基づき,360名を抽出した.このうち,過去1年間に少なくとも1回以上水産物を自ら購入したと回答した354名を分析対象とした.

表2は回答者の属性を示したものである.性別では男性が52.0%であり,年齢層では30代が最も多く26.6%を占めた.学歴は大卒以上が全体の56.2%である.なお,本調査は上海市の消費者を対象としており,中国全体を代表する標本ではない点に留意が必要である.上海市は経済水準や教育水準が比較的高く,日本食品の流通や日系外食産業の展開も進んでいる都市である(八木他,2023).そのため,日本への関心や日本産食品への接触機会が比較的多い可能性がある.実際,本稿の標本には訪日経験者(35.3%),日本産食品のプロモーション活動への参加経験者(33.3%),ALPS処理水の放出以前に日本産水産物の購入経験を有する者(26.8%)が含まれている.

表2.

回答者の属性

変数 定義 人数 割合
性別 男性 184 52.0
年齢 20代 68 19.2
30代 94 26.6
40代 66 18.6
50代 64 18.1
60代 62 17.5
教育水準(大卒以上) 199 56.2
世帯当たりの月収 1.0万元未満 90 25.4
1.0~1.5万元 87 24.6
1.5~2.0万元 80 22.6
2.0万元以上 97 27.4
訪日経験あり 125 35.3
プロモーションの参加経験あり 118 33.3
処理水放出前に日本産水産物の購入経験あり 95 26.8

資料:アンケート調査より筆者作成.

1)訪日経験とは,過去10年間(2014~2024年)に1回以上日本を訪れた経験を指す.

2)プロモーションの参加経験とは,日本産農林水産物・食品に関するプロモーション活動への参加経験を指す.日本産品の輸出拡大を目的として,日本貿易振興機構や日本食品海外プロモーションセンターは,海外市場において広告宣伝,イベント・見本市・展示会への出展など,様々なマーケティング戦略を展開している.

これまでに述べた理論的枠組み及び仮説に基づき,本稿では購買意向,放射線不安,日本への信頼及び放射線の知識の4つの潜在変数を設定した.これらの潜在変数を測定するため,対応する複数の設問(観測変数)を作成した(表3).表3に示す通り,購買意向及び日本への信頼に関する項目の平均値は相対的に高く,日本産水産物の購買意向や日本政府の情報への信頼は低い傾向がみられる.一方,放射線不安に関する項目の平均値は相対的に低く,放射線リスクや健康影響への不安は比較的強い水準にあることが示唆される.放射線の知識に関する項目の平均値は3.65~4.22の範囲にあり,6件法の中間点(3.5)を上回っている.これは,回答者の放射線に関する知識水準がやや低いことを示唆する.また,各変数の標準偏差はいずれも1前後と小さく,回答のばらつきは限定的である.このことは,回答者が比較的安定した評価を示していることを意味する.本稿ではこうした回答傾向を前提に,SEMを用いて変数間の関係を検証する.

表3.

各変数の内容

潜在変数 変数 設問内容 平均値 標準偏差
購買意向 x1 日本産水産物を試しに買ってみようと思う. 4.96 1.16
x2 日本産水産物をこれからも購入したいと思う. 5.16 1.05
x3 日本産水産物を見かけたら,購入を検討したいと思う. 4.96 1.19
x4 日本産水産物を他国産よりも優先的に選びたいと思う. 5.26 1.01
放射線不安 r1 日本産水産物には,放射性物質による汚染のリスクがあると感じる. 1.73 0.94
r2 日本産と聞くと,漠然とした不安を感じることがある. 2.08 1.03
r3 日本産の水産物を食べることで,被ばくするのではないかと不安に感じる. 1.79 0.97
r4 日本の処理水放出について,健康への影響が心配である. 1.67 0.97
日本への信頼 j1 日本政府が提供する処理水の安全性に関する情報は信頼できると思う. 4.96 1.08
j2 日本政府が発信する日本産食品の安全性の説明は信頼できると思う. 5.00 1.03
j3 日本政府の処理水放出に関する説明は,科学的根拠に基づいていると思う. 4.97 1.03
j4 日本政府が公開する水産物の安全に関する情報は,正確で透明性があると思う. 4.94 1.06
放射線の知識 k1 日本では,放射性物質を含む水を,トリチウム以外の放射性物質が規制基準を満たすまで浄化してから,海に放出している. 3.65 1.28
k2 トリチウムは体に取り込まれても水と一緒に排出され,体内に蓄積しない. 4.05 1.24
k3 日本は海洋放出後,海水や水産物中のトリチウムをモニタリングし,その結果を公開している. 3.97 1.27
k4 日本における処理水放出後の放射性物質の検査結果では,規制値を超えた日本産水産物は確認されていない. 4.20 1.28
k5 国際原子力機関(IAEA)は日本政府の処理水放出計画を認めている. 4.12 1.29
k6 処理水に含まれるトリチウムの量は,他国の原子力発電所でも許容されている水準である. 4.22 1.24

資料:アンケート調査より筆者作成.

1)購買意向及び放射線不安に関する設問は工藤・中谷内(2014),法理他(2017)を,放射線の知識に関する設問は消費庁(2024)を参考に作成した.

2)各設問は6件法で回答を求め,「聞いたことがある」「自分の考えに近い」ほど小さい値(最小値は1),「全く聞いたことがない」「自分の考えと異なる」ほど大きい値(最大値は6)を取る尺度とした.そのため,平均値が低いほど同意度が高く,平均値が高いほど同意度が低いことを意味する.

全サンプルにおける各潜在変数のクロンバックα信頼係数は購買意向が0.92,放射線不安が0.93,日本への信頼が0.93,放射線の知識が0.88であり,いずれも十分な信頼性が確認された.分析にはR(version 4.4.1)を用い,SEMの推定にはlavaanパッケージを使用し,ロバスト標準誤差に対応した最尤推定法(MLR)を採用した3.

3. 分析結果及び考察

(1)構造方程式モデリングの推定結果

図2はSEMの推定結果を示している.モデル全体の適合度の評価には,CFI,TLI,RMSEAの3指標を用いた.推定結果によれば,CFIは0.992,TLIは0.990であり,いずれも0.9を上回っており,高い適合度を示している(豊田,2014).また,RMSEAは0.030であり,良好な適合度とされる0.05以下の基準を満たしている(豊田,2014).一方,カイ二乗適合度検定は標本サイズが大きい場合に棄却されやすいという性質があるため(朝野他,2005),本稿では用いない.参考として,カイ二乗適合度の統計量は170.2(p=0.009)であった.測定モデルでは,すべての潜在変数で因子負荷量が0.60以上で有意であり,構成概念の妥当性と信頼性が確認された.

図2.

構造方程式モデリングの推定結果

資料:アンケート調査より筆者作成.

1)図に示したパス係数は標準化推定値である.誤差項は省略して作図した.

2)**,*,+はそれぞれ係数が 1%,5%,10%水準で有意であることを意味する.

モデルの推定結果に基づく主な知見は以下の通りである.第1に,放射線不安は購買意向と統計的に有意な負の関係(−0.42)を示しており,不安が高まるほど購買意向が低下する傾向が確認された(H1の支持).この結果は,放射線への不安や恐怖といった感情が,日本産水産物の選好を抑制している可能性を示している.この傾向は先行研究とも整合的であり,例えば三浦他(2016)は福島原発事故後の食品に対する態度形成において,放射線への不安が消費者行動に影響を及ぼすことを指摘している.

第2に,日本への信頼は購買意向に正の直接効果(0.50)を示した(H4の支持).更に,日本への信頼は放射線不安に対して負の関係(−0.85)を示しており,放射線不安と購買意向の関係(−0.42)を通じた間接効果(0.36=0.85×0.42)も確認された(H5の支持).加えて,本稿ではSEMの推定結果に基づき,直接効果と間接効果を合わせた総効果を推定し,デルタ法により標準誤差と有意性を算出した.その結果,日本への信頼による購買意向への総効果は0.87であり,統計的に有意であった(p=0.000).これらの結果から,日本への信頼が購買意向と強く関連していることが明らかとなった.すなわち,日本への信頼は日本産水産物の評価に直接関連するとともに,放射線不安を媒介することによって購買意向と結びついている可能性が示唆される.従って,日本の政府や企業が海外市場において信頼の醸成に取り組むことは,日本産品の受容を高める上で重要であると考えられる.

第3に,放射線の知識は購買意向に対して正の直接効果(0.07)を持ち,知識水準が高い回答者ほど購買意向が高い傾向が示された(H2の支持).この結果は観山・馬奈木(2021)や法理他(2017)の指摘とも整合的である.また,放射線の知識は放射線不安と負の関係(−0.06)を示しており,不安を緩和する可能性が示唆された.ただし,この関係の大きさは,日本への信頼と放射線不安との関係(−0.85)と比較して小さく,感情的側面への影響は限定的であることが示された.なお,放射線の知識が放射線不安を介入して購買意向と関連する間接効果(0.02)は統計的に有意ではなかった(H3の部分的支持)4.一方,放射線の知識による購買意向への総効果は0.09であり(p=0.007),その大きさは日本への信頼の効果と比べて小さいことが確認された.

これらの結果は,放射線の知識が消費者の不安やスティグマ的反応を直接的に低減する効果は限定的であることを示す先行研究(工藤・中谷内,2014)と一致している.すなわち,「ALPS処理水が科学的に安全である」といった情報提供だけでは,「なんとなく不安」や「被ばくの懸念」といった感情的な反応を十分に解消することは難しい.従って,科学的知識の提供に加えて,消費者の情緒的側面に配慮した情報伝達や,日本への信頼関係の構築が,放射線不安の緩和と購買意向の向上において重要である.

(2)消費者属性ごとの違い

消費者属性ごとにグループを分け,多母集団同時分析によりパス係数の差異を検討した(表4).対象とした属性は,性別,教育水準,月収,訪日経験,処理水放出前の日本産水産物の購買経験及びプロモーションへの参加経験の6つである.各グループで仮定された構造は図2と同様である.

表4.

多母集団同時分析による消費者属性別のパス係数と群間差の検定結果

放射線不安に対する影響 購買意向に対する影響
日本への信頼 放射線の知識 放射線不安 放射線の知識 日本への信頼
性別 男性 −0.825** −0.046 −0.354** 0.017 0.586**
女性 −0.885** −0.047 −0.539** 0.120** 0.364**
有意差の検定 2.357 0.008 0.892 3.210+ 1.780
教育水準 大卒未満 −0.767** −0.134+ −0.559** 0.045 0.389**
大卒以上 −0.890** −0.027 −0.328** 0.078* 0.590**
有意差の検定 1.349 1.575 2.408 0.366 1.114
月収 2万元未満 −0.816** −0.044 −0.419** 0.090* 0.491**
2万元以上 −0.902** −0.063 −0.394* 0.042 0.554**
有意差の検定 2.617 0.177 0.024 0.329 0.186
訪日経験 なし −0.833** −0.026 −0.406** 0.035 0.529**
あり −0.848** −0.110+ −0.478** 0.077+ 0.458**
有意差の検定 0.373 1.827 0.234 0.916 0.070
処理水放出前に日本産水産物の購買経験 なし −0.744** 0.049 −0.365** 0.056 0.532**
あり −0.890** −0.074 −0.274+ 0.017 0.703**
有意差の検定 15.542** 2.292 0.575 0.114 1.565
プロモーションの参加経験 なし −0.726** 0.036 −0.413** 0.020 0.501**
あり −0.907** −0.062 −0.187 0.012 0.788**
有意差の検定 25.409** 2.298 2.306 0.001 5.900*

資料:アンケート調査より筆者作成.

1)係数はすべて標準化推定値を指す.**,*,+はそれぞれ1%,5%,10%水準で有意であることを意味する.有意差の検定はWald検定に基づき,属性間で係数に有意差がある場合は,当該グループの値を太字で示している.

2)多母集団同時分析では,豊田(2014)が提示する5つのモデル(構成概念同一,弱測定不変,強測定不変,厳密測定不変,構造的不変)を比較した.その結果,すべての消費者属性において,最も制約の厳しい強測定不変モデルでも適合度は許容範囲内であったため,本稿では強測定不変モデルを採用した.すなわち,因子負荷量及び観測変数の切片が母集団間で等しいと仮定して検定を行った.

まず,処理水放出前の日本産水産物の購買経験の有無において,「日本への信頼→放射線不安」のパスに有意な群間差が認められた.購買経験あり群(係数=−0.890)は,なし群(係数=−0.744)と比べて,信頼による放射線不安の抑制効果が大きい.更に,購買経験あり群と購買経験なし群の日本への信頼スコアがそれぞれ4.55,5.12である点を踏まえると5,実際の購買経験を通じた接触が日本への信頼の形成を促進し,結果として心理的不安の低減と関連している可能性が示唆される.

また,プロモーションの参加経験の有無による比較において,「日本への信頼→放射線不安」のパスでも有意な群間差が確認された.プロモーション参加経験者(係数=−0.907)は非参加者(係数=−0.726)に比べて,日本への信頼が放射線不安をより強く抑制している.更に,参加経験者と非参加者の日本への信頼スコアがそれぞれ4.64,5.14である点を踏まえ,現地での情報提供・交流・試食などを通じた体験的な接触が,日本への信頼形成を促進し,感情的な反応の緩和と関連している可能性が窺える.

更に,同じプロモーション参加経験の比較において,「日本への信頼→購買意向」のパスにも有意差が確認された.参加経験者では係数が0.788と高く,非参加者(0.501)に比べて,日本への信頼が購買意向に与える影響が顕著に強まっている.このことは,プロモーションへの参加経験が,信頼の効果を高める役割を果たしていることを示しており,不安の抑制のみならず,積極的な購買行動の形成にも繋がっていることを示している.

これらに加えて,性別については「放射線の知識→購買意向」のパスにおいて群間差が確認され,女性では放射線の知識が日本産水産物の購買意向に有意に影響する一方,男性では有意な影響は認められなかった.また,教育水準,月収及び訪日経験については,多母集団同時分析の結果,主要なパスに関して属性間で統計的に有意な差は認められなかった.

4. 結論

本稿は,ALPS処理水放出後の中国消費者による日本産水産物の購買意向の規定要因を明らかにするため,放射線不安,放射線の知識,日本への信頼に着目し,二重過程理論に基づくSEMを用いて分析した.

分析の結果,第1に,放射線不安は購買意向と負の関係を示し,消費者の感情的反応が日本産水産物の忌避と関連している傾向が確認された.第2に,日本への信頼は購買意向に正の直接効果を持つとともに,放射線不安を介入した間接効果も確認され,購買意向と強く関連していることが示唆された.第3に,放射線に関する知識も購買意向に正の効果を示したが,日本への信頼と比べるとその影響は限定的であった.

更に,消費者属性による影響の差異を検討した結果,処理水放出前の日本産水産物の購買経験がある者や,日本産食品のプロモーションに参加した経験がある者では,日本への信頼が放射線不安をより強く抑制し,購買意向に対する効果も大きいことが確認された.これは,実際の体験や対面的な情報接触が信頼の形成を促進し,それが感情的リスクの低減と購買促進に関連する可能性を示している.

以上の結果は,日本産水産物の海外市場における受容を回復・拡大するためには,科学的な安全性に関する情報提供だけでは不十分であり,消費者の情緒的側面に配慮した対応の重要性を示唆している.特に,政府や企業による信頼形成に向けた広報活動や体験型プロモーションは,放射線不安の緩和と購買意向の回復につながる有効な方策となり得る.ただし,本調査は上海市の消費者を対象としており,訪日経験者や日本産食品との接触経験を有する者を比較的多く含んでいる.そのため,本稿で確認された日本への信頼の効果やプロモーション経験の有効性は,中国市場全体というよりも,日本との接触機会が比較的多い都市部消費者層の特徴を反映している可能性がある.

最後に,本稿の限界と今後の課題について述べる.本稿の調査は,日本産水産物に対する輸入規制が継続している状況下で実施されたものであり,今後は政策緩和の変化が購買意向に及ぼす影響を検証する必要がある.また,本稿では二重過程理論に基づきSEMを用いて変数間の関係を検証したが,因果関係を確定するものではない.特に,親日的態度や日本に対する好意的価値観などの潜在的要因が,日本への信頼,放射線不安,購買意向に同時に影響する可能性(交絡・内生性)や逆因果の可能性は排除できない.加えて,消費者の購買意向には,中国政府や社会全体への信頼といった外部要因も影響し得るが,本稿ではモデル全体の適合度を考慮して分析対象外とした.今後は,政策環境の変化や消費者属性の違いを考慮した分析に加え,交絡要因を考慮した因果推論手法による検証が課題である.

謝辞

本研究は公益財団法人ヒロセ財団の研究助成を受けたものである.

注
1  本稿では,日本への信頼を日本政府などが公表する情報の評価に基づく認知的判断として捉える.このような信頼は,情報の理解や評価を伴う熟慮的な意思決定過程に基づくため,System 2に位置づけた.

2  上海市在住とは上海戸籍保有者(本地戸籍)と,他地域の戸籍を持つ居住者(外地戸籍)の双方を指す.性別・年代の構成比は2020年上海市人口センサスに基づく.なお,上海市在住者のうち,外地戸籍の居住者は全体の61.7%を占めた.

3  順序尺度が4件以上であれば,連続変数の分布を近似的に表現でき,連続変数として扱っても推定に大きな偏りは生じにくいとされる(豊田,2014).本稿では6件法のデータを用いており,順序変数としてWLSMVによる推定も行ったが,MLRによる連続変数近似の結果と概ね整合的であった.

4  この背景には,「放射線の知識→放射線不安」の効果が10%水準での有意性にとどまり(係数=−0.06,P値=0.10),効果量としても限定的であったことが影響していると考えられる.

5  日本への信頼スコアは,表3に示す日本への信頼に関する4項目(j1~j4)の回答の平均値を指す.

引用文献
 
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