人類學雜誌
Online ISSN : 1884-765X
Print ISSN : 0003-5505
ISSN-L : 0003-5505
古墳時代人と先史•原史時代アジア人集団との類縁関係
溝口 優司
著者情報
ジャーナル フリー

1988 年 96 巻 1 号 p. 71-109

詳細
抄録

最近,大陸系渡来民の現代日本人成立に対する遺伝的寄与が従来考えられていたよりも多かったのではないかという考えが強く打ち出されるようになってきた.古墳時代以後の日本への大量移民の例は歴史的には知られていないので,現代日本人の起源の問題は,古墳時代人の先祖が繩文時代人であったのか,あるいは大陸系の集団であったのか,という問題に置きかえられうるであろう.本研究ではその古墳時代人の起源を探るために,繩文時代から古墳時代までの期間の,アジア大陸と日本の先史•原史時代人をできるだけ体系的に比較しようと試みた.文献調査により,まず男では295遺跡,女では190遺跡から出土した頭蓋の計測値を集めた.計測項目は,予め計測誤差が比較的小さいことが確認されている7項目を選んだ.これらを繩文時代の前半,後半,弥生時代,古墳時代の前半,後半の5時代区分および,東日本,西日本,中国東北部,華北,華南,朝鮮,北アジア,中央アジア,南アジア,西アジア,北米の11地理区分に従って分類し,各地域各時代に対応する混合標本を作った.これらの標本間の比較は,種々の仮定の下に,マハラノビスのD2距離を使用して行なった.結果として,東日本の古墳時代人は男女とも,他のアジアの原史•先史時代人集団よりも東日本の繩文時代人と西日本の弥生時代人に同程度に類似していることが示された.西日本の古墳時代人の場合は,男女とも,西日本繩文時代人よりもはるかに西日本弥生時代人に類似していることが確認された.次に,これら東西古墳時代人の双方に,程度の差こそあれ相当類似している西日本弥生時代人が,その時代以前の集団と比較された.その結果,男の西日本弥生時代人は西日本の繩文時代人よりも,繩文•弥生時代に相当する時期の中央アジアや北方アジアの人びとと極めて類似していることが明らかになった.しかしながら,女の場合は男とは若干異なり,最も類似している集団は同地域の繩文時代人であった.
以上の分析結果は,日本列島の環境が繩文時代のそれから弥生•古墳時代に至って突然北方アジア的環境に変化したというのでなければ,または,偶然による環境要因の偏った影響が多大であったというのでなければ,次のように解釈されるかもしれない.すなわち,繩文時代には,繩文時代人が日本列島全域に住んでいた.他方,バイカル湖からアルタイ山脈付近に発する北方アジア系の遊牧民はその頃中央アジアへと拡散していったが,同様に,東南方向へも移動した.そして弥生時代頃には,その子孫と考えられる人びとが満州や朝鮮半島にも分布するようになった.そのような人びとが弥生時代から古墳時代にかけて日本西部へも相当数渡来してきた結果,古墳時代までには特に西日本で強く,そして東日本でも相当に,北方アジア人的特徴が認められるようになった.すなわち,繩文時代人由来の人びとと渡来民の共存もしくは混血が相当あったと考える訳である.女の西日本弥生時代人がより繩文時代人的であったという結果も,渡来してきた人びとが主に男で,かつ,渡来が連続的であったとするならば,必ずしもこの解釈と矛盾しない.しかし,この問題はさらに将来検討を要する.
最後に注意すべきことは,西日本弥生時代人男性が似ているのは,現代日本人との類似性が指摘されている農民的な華北新石器時代人ではなくて,もっと北方の遊牧民的なモンゴロイドであるということである.これも今後さらに検討すべき点である.

著者関連情報
© 日本人類学会
前の記事 次の記事
feedback
Top