データ分析の理論と応用
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論文
k 近傍法を用いたリチウムイオン電池の微小内部短絡検出
志村 重輔林 沙織岡安 悟志板垣 昌幸林 賢一
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2023 年 12 巻 1 号 p. 1-15

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要旨

リチウムイオン電池の内部で生じる短絡は,発火原因の一つとして知られている.微小な内部短絡を検出できることは早期な異常の発見に繋がり,リチウムイオン電池を使用する際の安全性向上に資する.本研究の目的は,高い安全性が求められる電動航空機への適用を視野に,リチウムイオン電池の微小内部短絡を検出するための統計的解析の枠組みを検討することである.本研究ではまず,新品のリチウムイオン電池(正常電池)と,意図的に劣化させて内部短絡を生じさせやすくした同型リチウムイオン電池(異常電池)とを用意した.次に,内部短絡が生じた際に特有の電圧の時系列変化を捉える4つの特徴量を設計した.劣化電池からは大きな特徴量の値が得られ,一方で新品電池からはそのような値は得られなかった.このことから,新品電池を正常な標本とし,劣化電池の異常をk近傍法により検出することを試みた.その結果,本研究で提案する方法により,微小内部短絡に由来する異常な電圧の振る舞いを記述する特徴量に基づいてリチウムイオン電池の微小内部短絡を検出できる可能性が示された.

Abstract

Internal short circuit that occurs inside lithium-ion batteries is known as one of the causes of thermal runaway. If micro-internal short circuits can be detected, the anomalies at very early stage can be known, and it will contribute to improved safety when using lithium-ion batteries. The purpose of this study is to fabricate a software architecture that can detect micro-internal short circuits of lithium-ion batteries during flight with a view to application to electric aircraft that require high safety. In this research, we first prepared a new lithium-ion battery and another lithium-ion battery of the same model that was intentionally deteriorated to make it easy to cause an internal short circuit. Next, we designed four features which denote a characteristic voltage behavior when the micro-internal short circuit occurs. A large feature value was obtained from the deteriorated battery, while such a value could not be obtained from the new battery. Therefore, we considered new batteries to be normal specimens, and tried to detect the abnormality of the deteriorated battery by k nearest neighborhood method. As a result, it was shown that micro-internal short circuits of lithium-ion batteries can be detected based on the features describing the behavior of the abnormal voltage change by the micro-internal short circuit.

1. 研究の背景と問題意識

近年航空業界において,航空機の電動化率を高める取り組みが行われている.その背景は,今後輸送需要が増加すると見込まれる中でCO2排出量を削減することにより,持続可能な社会を目指すといった社会的要請によるものである(JAXA 航空機電動化コンソーシアム, 2018).電動化のためには電池が必要であり,これまで鉛蓄電池,ニッケルカドミウム電池,リチウムイオン電池などの蓄電池について,それらの重量エネルギー密度や出力特性,低温特性などが議論されてきた(Tariq, Maswood,&Gajanayake, 2017).航空機にはまず軽量性が求められるため,電動化率の高い大容量電池を搭載する航空機に対しては重量エネルギー密度の高いリチウムイオン電池への期待が大きいが,一方で,リチウムイオン電池は温度上昇により熱暴走を引き起こして発火し,その炎が隣の電池を加熱して連鎖的に燃え広がることが知られており,これが,特段の安全性が求められる航空機をリチウムイオン電池によって電動化する際の,安全上の重要な懸念となっている(Sripad, Bills,&Viswanathan, 2021).

連鎖的な延焼の最初のトリガーとなる熱暴走は,一つの要因としては,電池内に析出したデンドライトと呼ばれる導電性の樹状結晶による内部短絡によって引き起こされる(Lai, Jin,&Yi,2021).またこのデンドライトは,電池の原材料に含まれる不純物や,低温下での急速充電などによって生じることが知られている(Lai et al., 2021).本問題の解決の方法として,予防の観点と検出の観点とがある.予防の観点では,デンドライト発生を防ぐため不純物の極めて少ない原材料を使用することはコストの点から難しく,また低温下での急速充電はユーザーのユースケースに依存するため,やはり難しい.一方検出の観点では,林・志村(2022)により,リチウムイオン電池の内部に意図的にデンドライトを析出させ,サンプリングレート1MHz という高速な電圧計測を行った場合に,内部短絡が発生したタイミングで特徴的な電圧波形が観察されることが報告された.この電圧波形は,発火に至らない微小な内部短絡においても観察される.そのため,もしリチウムイオン電池の管理システム(Battery Management System,以降BMSと呼ぶ)がこの特徴的な電圧波形を検出できた場合,熱暴走に繋がる異常を早期に発見できることに繋がり,リチウムイオン電池を航空機に搭載する際の安全性向上に資すると考えられる.

ところで,この特徴的な電圧波形を観察するにあたり,オペランド検出が可能であることが重要である.オペランド検出とは,実際の使用条件や環境の下で検出することであるが(雨宮・石井,2021),すなわち,飛行中の航空機の中の電池の,時々刻々変化する電圧波形の中に紛れたその特徴的な波形を感度よく検出できるようにすることが重要である.なぜなら,航空機での使用において安全性向上が特に求められるのが,まさに飛行中であるためである.

本研究の目的は,上記の電圧波形を検出するための統計的データ解析の枠組みについて検討することである.具体的には,航空機に搭載するBMSへの実装を想定し,飛行中であっても微小内部短絡の検出できるよう,変動するベースラインの中に紛れた特徴的な電圧波形を検出することが可能で,かつ簡素なBMSにも搭載することが可能なソフトウェアアーキテクチャとしての実装を想定したものである.

なお,この特徴的な電圧波形を検出する際の問題は,次の2点である.1つ目は,特徴的な電圧波形がベースラインの変動と比較して小さい点である.これが,電圧のデータを直接的に既存の異常検知の手法に適用することを困難にする.この問題の詳細は,次節で説明する.2つ目は,近年発展の著しい機械学習の方法が適用できない点である.例えば,深層学習による異常検知法などは多くの分野で高い性能を発揮する(梅津・杉江・長瀬, 2019).一方で,「なぜそのような結果が得られたのか」の根拠の明確化が困難である.生命の安全に関わるような分野においては,所謂この「ブラックボックス性」が問題となる.例えば,本技術の応用先の一つである航空機分野では,航空機装備品のソフトウェアがDO-178Cと呼ばれる規格に準拠する必要がある.この規格は,ソフトウェアアーキテクチャに正確性,完全性,検証可能性を要求する(Radio TechnicalCommission for Aeronautics, Inc., 2012).特に検証可能性の達成には,ブラックボックス性を伴う手法は適用が難しい.

本研究では,以上の問題を克服した特徴的な電圧波形のオペランド検出のソフトウェアアーキテクチャを構築した.我々の目的は,リチウムイオン電池の発火の原因となりうる微小内部短絡を早期に検出できるようにするための,統計的解析の枠組みを検討することである.本研究では,意図的1に劣化させて内部短絡を生じさせやすくしたリチウムイオン電池を用いた実験を行い,微小内部短絡に由来すると考えられる高い異常値を検出できる可能性を示した.

2. 提案手法

2.1. データ

微小内部短絡の発生に基づく電池の特徴的な電圧波形は,1MHzという高速な電圧計測でなければ検出できないが,このような高速測定をBMS上で行うことはコストの観点から難しい.そこで微小内部短絡の電圧波形の特徴を含みつつ,かつ安価に実現できる高速ピークホールド回路を設計した.この回路からは,時点t−1 から時点t(時間としてはt±50msからTms)間の最大電圧値をUt,最小電圧値をLtとし(以降,それぞれ上限電圧,下限電圧と呼ぶ),これらが50 ms毎に得られる(図1).内部短絡の発生は,Utに上側スパイクが現れ,同時にLtに下側スパイクが現れることで検知することができる(図2).

図1 高速ピークホールド回路によって計測されるデータ(波形はイメージ)
図2 正常な電池(a)と,意図的に劣化させた電池(b)の上下限電圧のデータの例

▼は微小内部短絡が発生した箇所

2.2. 特徴量の作成

上下の電圧スパイクの対を異常値として検出する上で,観測値に基づいて異常度を反映するような関数を定義する必要がある(井手, 2015).素朴には,電圧スパイクは上下限電圧の差UtLtが近傍の時点と比べて大きくなることで検出できるように期待される.しかし,飛行中の航空機の電池電圧のベースラインは,実際には図2に示すようなフラットな形状ではない.航空機の動翼の駆動に供される(姿勢制御のための)電池を想定すると,動翼が空気に対して仕事をする時は電池が放電し,空気の力で動翼が押し戻される時は電池が充電される.動翼の動きは一般に秒のオーダーであることから(Tariq, Maswood,&Gajanayake, 2018),これを簡略化させ,本研究では,電池に対して,3s毎に15Aの放電と15Aの充電とが繰り返される矩形波形を模擬電流波形として使用した.しかしこのような充放電が伴っている状況ではUtLtによる判断は困難であり,かつ単純な修正も機能しなかった.そこで本研究では,特徴的な電圧変化を捉えるための特徴量を設計した.異なる観点から4種類の特徴量を設計し,時点tにおける特徴量ベクトルを

とした.各特徴量 については,以下で詳細を述べる.

(i)  :電圧スパイクの形状・埋もれ・マスキングを考慮した特徴量

内部短絡起因の電圧スパイクには,3つの特徴がある.それらは(a)上限電圧Utは上がってから下がり,かつ,下限電圧Ltは下がってから上がる,という挙動となる点,(b)電圧スパイクがない状態でUtLtが定常的に大きい箇所では,電圧スパイクが生じてもその前後との差が相対的に小さく検出しづらい点,(c)前述の通り,電圧スパイクによる差UtLtの変化が,ベースラインの電圧変化(上昇または下降)が大きい箇所での変化より小さくマスクされやすい点である.これらの特徴を,それぞれ次のように定量化した.

Stは時点t−1からt,時点tからt+1における上限・下限電圧の挙動をそれぞれ(UtUt+1)−(Ut−1Ut ) と(Lt+1Lt)−(LtLt−1)に基づいて定量化したものである.また,上限電圧よりも下限電圧の方が大きなスパイクが出るため,後者に対する重みは前者の3倍とした.Btは,上限電圧と下限電圧の差が大きい時点では,電圧スパイクがベースラインの変動に対して小さく評価される影響を考慮する.Btは,時点tにおける上限・下限電圧の差を,時点t −1とt+1の値で相対的に評価するための量である.以上がすべて大きい時に1に近い値をとるように,次のような特徴量を定めた.

特徴量の値域を[0, 1] としたのは,他の特徴量と尺度を統一するためである.また,この切片と係数は経験的に指定した.

(ii)  :特徴(a) に着目した特徴量

電圧スパイクの挙動として,最も特徴的なものは前述(i) の(a) である.この特徴は

• 時点t の上限電圧は,時点t − 1 の上限電圧より大きい,

• 時点t + 1 の上限電圧は,時点t の上限電圧より小さい,

• 時点t の下限電圧は,時点t − 1 の下限電圧より小さい,

• 時点t + 1 の下限電圧は,時点t の下限電圧より大きい,

と4 つの事象に分解できる. として,これらをそれぞれ次のように定量化する.

ここで,

は特徴(b) と(c) の問題を相対化するために導入した.以上を用いて,上記の4 つに分解した特徴をすべてもつ場合に1 に近い値を出力する特徴量として

を定義した.

(iii)  :回帰直線に基づく特徴量

特徴量はともに,ノイズ由来の電圧の変動であっても1に近い値を与える事があった2.これらの欠点を補う特徴量として,回帰直線に基づいた特徴量を設計した.各時点tにおいて,Utを含まない前後3時点とその上限電圧の組(s,Us), s ∈ {t ± 1, t ± 2, t ± 3} を標本とした[t − 3, t + 3] 上への回帰直線を求める.次に,得られた回帰直線による時点tにおけるUtの予測値 と標準偏差の推定値 を求める.同様にして,下限電圧に対しても予測値 と標準偏差の推定値 を求める.これらを用いて,時点tの観測値がノイズであるかの程度を定量化する.すなわち,規格化された2 つの回帰直線の残差の差を

により

とした.ここで,resdiftの分母は数値的な安定性を考慮するための対処であり,切片の値は経験的に設定した.

(iv)  :最近傍三角形に着目する特徴量

事前の検討により,特徴量 はともに,ベースラインの電圧の変化が激しい箇所の値が小さくなることがわかった.この欠点を補う特徴量として,ベースラインの電圧の変化の影響を受けにくい特徴量を設計した.具体的には,上限電圧Ut−1UtUt+1を頂点とする三角形を頂点UtからUt−1Ut+1を結ぶ辺までの垂線の符号付き距離を求める.これを とし,下限電圧についても同様に求めた垂線の符号付き距離を とする.すなわち,

である.これらの符号付き距離は,電圧軸と時間軸の関係性を記述した量

を用いて規格化した.この符号付き距離の和に基づき,特徴量を

とした.ここで,切片と係数の値は経験的に設定した.

2.3. k 近傍法に基づく異常検知法

本研究では,前章で述べたような「ブラックボックス性」を回避して異常検知を実施することが前提条件となる.近年発展の著しいカーネル法や深層学習など,機械学習の分野で発展している多くの手法は,入力に対して本質的に非線形な出力を実現することにより課題の達成精度の向上を可能にしている.しかし,これらの非線形性は一般に明示的に与えられず,なぜそのような出力が得られたかという問いに答えることは難しい.出力の根拠を明示するための解釈可能性に関する研究も発展しているが(Kamath,&John, 2021),本研究の要求を満たすことは依然として難しい.また,上限・下限電圧のデータは時系列データであるため,時系列データに対する異常検知法を採用するのが自然と考えられる.しかし,より一般的な状況では通常の電圧の上昇・下降が不規則に発生することが想定されるため,それらの素朴な適用は結果の一般化可能性を損う恐れがある.さらに,前節の特徴量 がすでに前後時点の電圧の観測値に基づいて設計されており,これらを比較的単純かつ解釈可能な時系列モデルとして表現することは困難である.

以上の理由から,本研究ではk近傍法による異常検知法(井手, 2015)を採用した.異常検知法は,大多数が正常な観測値と信じられる標本に基づき,新たな観測値x′が異常値であるかどうか判定するための規則(x′の関数)を構築するための方法論の総称である.この規則を構築するための標本には,各観測値が正常値か異常値であるかのラベルがあらかじめ付与されていない.そのため,異常検知の方法は判別分析などと設定が異なることに注意されたい.異常検知のためのk近傍法は,標本 に基づき,新たな観測値 に対してユークリッド距離

などの距離に基づいて異常値を同定する方法である.具体的には,観測値x′に対し,di = d(x′, xt)の順序統計量をd(1)d(2) ≤ · · · ≤ d(n)とするとき,k近傍の距離d(k)について

が成立する場合を異常値と判定する.ここで,aは閾値であり,自然数kとともに解析者によって設定される.本研究で開発する検出システムにおいては,p = 4,時点の総数をn = 36001 として である.各特徴量は[0, 1]上に存在するため,d(xt, x′)の上限は2であることに注意されたい.

正常な電池ではほとんど内部短絡は生じず,内部短絡に起因する電圧スパイクが生じることはほとんどない.そのため本研究では正常値の標本として正常な電池から取得したデータを用い,劣化した電池の電圧スパイクを検出する.

2.4. ルックアップテーブルによる計算量の削減

k 近傍法では,新しい観測値x′が得られるたびに順序統計量d(k) を求める必要がある.このためには,基本的に正常データの各観測値とx′の距離を求める必要があり,一般に計算量が大きくなる.また,正常データのサイズに比例して必要なメモリの容量も大きくなる.

本研究のソフトウェアアーキテクチャでは,50ms毎に特徴量 が得られる.オペランド検出を実現するには,次の時点の値が得られる前までに,異常値の判定を完了しなければならない.我々が想定するBMS には,この要求を満足する計算環境を設置することは,コストの面から困難と考えられる.電池が搭載される機器の多くは,可搬性が求められる機器である.例えば,電動自動車のように可搬性がその機器の本質であったり,少なくともその機器の価値を高める上で重要であったりする.そのため,電力系統からの有線接続ではなく,敢えて電池を電力源としている機器が多い.これらの機器では,本研究が目的とする微小内部短絡の検出を,その電池自身のエネルギーを使って実行せざるを得ない点に注意をしなければならない.すなわち,仮に異常値の検出に大きな消費電力が必要であった場合,これを賄うための電池を搭載しなければならなくなる.これは機器の可搬性に影響を与える重大な問題である.以上のことより,本研究では計算量の小ささが本質的に重要となる.

以上の問題を解消するために,本研究ではルックアップテーブルを利用した計算量の削減を行う.この文脈でのルックアップテーブルは,予め定めた特徴量の空間上の格子点についてk近傍の距離d(k)を保管した表である.これを用いて,与えられた任意の点 に対し,格子点上のk近傍距離に基づく4次元空間内の線形内挿(quadrilinear interpolation)によりk近傍距離の近似値を求める.これはx′を含む最小の立方体の,24 = 16個の頂点(格子点)に基づく線形補完であり,正常標本から直接k 近傍距離を求めるより大幅に計算量が少なく済む.また,ルックアップテーブルをシステム内に保管することにより,メモリが節約されるという利点も得られる.本研究では,特徴量の各次元を10等分割して(すなわち,{0.0, 0.1, 0.2, · · · , 1.0})格子点を設け,各点に対する正常データに対するk近傍距離をルックアップテーブルとして用意した.

3. リチウムイオン電池を用いた実験

本章では,本研究で作成したソフトウェアアーキテクチャの挙動を確認するために行った実験について報告する.まず,新品のリチウムイオン電池(村田製作所製US18650VTC5,容量2.5 Ah)(以降,正常電池と呼ぶ)と,リチウムイオン電池を満充電状態のまま高温保存することによって劣化反応を加速させ,内部短絡が生じやすくなった同型のリチウムイオン電池(以降,異常電池と呼ぶ)を用意した.正常電池では内部短絡は発生せず,内部短絡に起因する電圧スパイクが生じることはない.そのため,正常電池からのデータを異常値が含まれない標本とし,k近傍法にて異常電池からの電圧スパイクの検出を試みた.なお,正常電池も異常電池も,30 分間に相当する36001 時点の上下限電圧値を計測した.

3.1. 特徴量の挙動

異常電池から得られた特徴量 に対して,各特徴量の関係を図3に示した.特徴量 を導入したのは, とは異なる観点に着目し,互いに相補的な役割を求めてのことであった.スピアマンの順位相関係数から,上記の狙いが達成できているかどうかを確認することは難しいが, の散布図以外を見ると「一方の値が低いときに他方が大きな値をとる場合がある」ことや「2つの集団が混在しているような挙動」が観察される.特に後者は の関係に顕著であり,傾きが大きい傾向の集団と小さい傾向の集団が見てとれる(図3の点線で囲まれた領域).

図4, 5はそれぞれ,経過時間510~525s,経過時間72~87sの部分のみを抽出したグラフであり,それぞれ,5近傍距離が第1位の観測点,第4位と第8位の観測点を含む部分である.図4の518.6s の箇所に,上限電圧が上側に突出し,下限電圧が下側に突出する波形が観察された.これは内部短絡によってもたらされる電圧スパイクと考えられる(林他, 2022).また,この時点ですべての特徴量が大きな値を示しており,一方でその他の場所では概して小さな値を示している.このことから,本研究で構築した異常検知システムによって,内部短絡によってもたらされると考えられる電圧スパイク波形を高感度に検出できる可能性が示唆された.なお図5に示す通り,4つすべての特徴量にスパイクが現れるわけではなく, が大きく が小さい場合や, が小さく が大きい場合など,各特徴量が異なる挙動を見せる場合も観察された.

図3 異常電池から得られた各特徴量 の関係とスピアマンの順位相関係数

点線で囲まれた領域は, および の一方が低いときに他方が大きな値をとる領域

図4 経過時間510~525 s のグラフ

(A) 異常電池に印加した電流,(B)上下限電圧,(C)~(F)特徴量,(G)5近傍距離研

図5 経過時間72~87 s のグラフ

(A) 異常電池に印加した電流,(B)上下限電圧,(C)~(F)特徴量,(G)5近傍距離

3.2. k近傍法による異常検知とルックアップテーブルによる近似の精度

正常電池から得られた時点 s の4次元特徴量ベクトルを とする.これに基づく正常標本 に対し,異常電池 から得られた時点tの特徴量ベクトルCtのユークリッド距離

に基づき,Ctに対する正常標本とのk近傍距離d(k)を求める.kの値に関する挙動の変化は,k ≥ 5 ではk近傍距離の順序関係がほとんど変化しないことが確認された.以上のことから,以降ではk = 5の結果について言及する.図6は正常標本との5近傍距離が大きい異常標本の観測点(とその前後の挙動)を示したものである.5近傍距離が1–3番目に大きい観測点は,図2で観察されたものと似通った挙動のため電圧スパイクであることが疑われ,また,電圧スパイクと断定することが難しい第4位以降とは十分距離に差があることが見てとれる.以上のことから,本研究で構築した異常検知システムによって,電圧スパイクと認められる電圧の挙動を検出できることが示された.また,これらの結果から,電圧スパイクを判定するための5近傍距離の閾値として,0.560(第4位の値)から0.700(第3位の値)までの値が候補となることも示唆された.

図6 正常標本との5 近傍距離が大きい異常標本の上位12 位の観測点とその前後の挙動(図中の数値は5 近傍 距離)

今回の実験において,異常電池の全時点におけるk近傍距離を求めるには,素朴には 億回の距離の計算を要する.この計算量を削減するため,ルックアップテーブルには,特徴空間の各軸を10 等分した点{0.0, 0.1, 0.2, · · · , 1.0} に対し,114 = 14641 個の格子点についてのk近傍距離を格納した.この表を基に,異常電池の特徴量ベクトルCtに対する異常度として,格子点からk近傍距離を線形内挿により近似した.

図7に,正確に求めた5近傍距離(以下,混乱を招かない限り単に距離という)とルックアップテーブルにより近似した距離を併せて示した.電圧スパイクと認められない程度の小さい距離の場合には,近似による距離が過大評価される傾向にあるが,相関係数は0.914(95%信頼区間[0.912–0.916])と十分高く,全体としては線形な傾向を保っていると判断できる.以上より,近似.した距離を用いても安定的な電圧スパイクの検出が可能であると考えられる.

図7 正確に求めた距離とルックアップテーブルにより近似した距離との関係(括弧の数字は図6と対応する)

4. 結論

本研究では,リチウムイオン電池の発火リスクに関係すると考えられる,微小内部短絡をオペランド検出するソフトウェアアーキテクチャを構築し,その挙動を検証した.本研究で想定するBMSの特性に鑑み,k近傍法による異常検知法を適用した.本研究の特筆すべき点は,内部短絡の起因を電圧スパイクによりリアルタイムに検出すること(オペランド検知),そのために4種類の特徴量を設計したことである.構築したシステムを用いて異常電池から得られたデータを解析した結果,正常電池には見られない異常な波形としての電圧スパイクを高感度に検出できた.さらに,メモリ容量と計算量を削減してk近傍法を実施するため,ルックアップテーブルを用いた線形内挿による近傍距離の近似を採用した.ルックアップテーブルを用いた距離の近似誤差は異常値としての電圧スパイクを検出するには十分な精度であり,かつ,演算能力が非力なマイコンなどを用いても十分に機能する見通しを得た.

我々が開発したソフトウェアアーキテクチャは,使用状態にある電子機器,特に飛行中の航空機での運用を想定し,電池電圧のベースラインが変動している状態であっても,内部短絡の特徴である電圧スパイクを検出することが可能である.本提案方法を用いることにより,直ちに発火には至らないような,微小な内部短絡を検出することが確認できた.これは言い換えれば,電池内部がデンドライトの生成条件を満たしていることを検出できた,とも言える.デンドライトの成長を放置すると,直ちに発火には至らなくても,後に発火を伴う深刻な内部短絡へと進展する可能性がある.そのため本提案方法は,深刻な内部短絡の一つの前兆を検出する方法と位置づけられる.下記に述べる通り,本研究の提案手法が電子機器の安全性を保障するためには課題が残されているが,実用に向けた理論研究として,安全性向上に対する有益な知見が得られたと考えられる.

今後の課題は,矩形波よりも複雑な波形を電池に印加し,その複雑な波形の中に埋もれたスパイクでも正しく検出できるかどうかの検討である.具体的には,フライトシミュレータ波形にて生成された電動航空機を模擬した電流波形を試行する予定である.さらに,よりデータの特性に適合した異常検知法の開発も重要な課題の一つである.本研究でデータが時系列であるにもかかわらず通常の(時系列情報を考慮しない)k近傍法を用いたのは,時系列データに対するk近傍法や部分空間法の適用も試みたものの,電圧スパイクが検出されなかったという結果に基づくものである.しかし,時系列の情報を十分に活かすことは異常検出の性能向上につながるものと考えられ,長・短期記憶ネットワークなど,より洗練された方法の適用も検討すべきである.これに加えて特徴量のさらなる改善や,利用する特徴量の選択とそのための実験設定の改良は,計算量の削減と異常値の検出精度の評価と向上も資するため,検討に値する.また,ルックアップテーブルによる近似の改善も重要である.3.2節で述べたように,今回の結果は近傍距離が小さい時に過大評価して近似される傾向にある.それゆえ,相関係数は十分高い一方でLinの一致相関係数(Lin, 1989)は0.257(95%信頼区間[0.254–0.261])と十分でない.また,図3の散布図行列から判るとおり,データは特徴空間の中で一様には存在しておらず局在性がある.これらの問題は,ルックアップテーブルの格子点の選択を工夫する余地を示唆する.また,格子点回帰(Garcia, & Gupta, 2009)を用いて,データに基づき近似精度の向上が図れる可能性もある.別の視点から,ランダム射影などによる低次元縮約による計算量削減も試みたが,十分な精度は保たれなかった.そのため,高精度を保った次元縮約によるメモリ・計算量の削減も検討の余地が残されている.

謝辞

本研究は,国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構2020 年度「エネルギー・環境新技術先導研究プログラム」の「高容量バッテリーの異常リスク低減・安全化技術開発」により実施した.関係各位に深謝いたします.

脚注

脚注1 60℃の恒温槽内で満充電電圧(4.2V)まで充電した後,満充電状態のまま400hトリクル充電を行った.これにより,正極中に不純物として遷移金属が含まれていた場合にこれが溶解し,イオンとなり拡散し,卑電位の負極にて再析出し,これが成長して内部短絡を形成し易くなる.

脚注2 例えば図6の第10位目の挙動は,電圧スパイクであると明確には認められないが,特徴量 の値がそれぞれ0.715,0.944であった.

References
 
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