生物物理
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海外だより
海外だより
~比較神経解剖学者による日仏米比較~
山本 渓
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2024 年 64 巻 6 号 p. 334-335

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自己紹介(略歴)

私の専門はニューロサイエンスで,特に,脳の進化に関する研究を専門としています.現在は生物学者を名乗っていますが,もとは文学部心理学出身です.生物物理とは縁遠い私がこうして『海外だより』を書く機会をいただけたのも,海外研究生活で得たご縁のおかげです.

私は慶應義塾大学文学部心理学専攻(生物心理学)を卒業後,テネシー大学大学院(University of Tennessee Health Science Center)でニューロサイエンス(神経生物学)を学び,博士号を取得しました.その後,フランスCNRS(国立科学研究センター)で長いポスドク期間を経て,現在はパリ郊外のParis-Saclay Institute of Neuroscience(NeuroPSI)で,「脳と認知機能の収斂進化」をテーマに研究をしています.神経解剖学と行動実験を用い,現存する動物の比較研究を通して,「認知機能を生み出す脳はどのような条件下で進化し得るのか」という本質を探る研究です.遅咲きですが,ようやく正式にチームリーダーとして独立できるようになったところです.

アメリカ大学院留学

私がアメリカ留学をすることになった理由はいくつかありますが,特に大きかったのは以下の二つです.まず,アメリカの(理系の)大学院生では多くの場合,給料が支払われることを知ったのが一つ目の理由です.私の両親は「女の子は大学院なんて行かず早く結婚して欲しい」という考えの持ち主でしたので,彼らの賛同がなくても大学院に進学できるのは大きな魅力でした.後で知ったことですが,フランスの状況は日本とアメリカの中間のようなもので,給料は支払われるものの,それだけでは生活はかなり厳しいです.そのため,経済的な余裕がある家庭の方が大学院に進学しやすい点は,フランスも日本と似ています.

アメリカ進学のもう一つの理由は,(少なくとも一部の大学では)入学試験で専門的な生物学の知識が求められなかったことです.このおかげで,いわゆる理転が大学院の時点で可能だったのです.私の同期には,数学やコンピューターサイエンスを学んだ後にニューロサイエンスの博士課程に進んだ人もいましたし,学部で心理学を学んでからニューロサイエンスに進む人もアメリカでは珍しくないと思います.一方,日本やフランスでは,心理学はあくまで「文系」とされており,そこから生物学に進むケースは少ないです.今にして思えば,もし私が日本やフランスでニューロサイエンス系の大学院に進学しようとしても,そもそも院試に合格していなかったのではないかと思います.

アメリカでは入学のハードルが低い反面,卒業までにやめる学生も少なくありません.その理由は様々で,落第する学生もいれば,「ニューロサイエンスが想像していた学問と違う」というような理由で別の道に移行する人もいます.私の同期4人のうち,最終的に博士号を取得したのは私1人でした.一方フランスでは,一度博士課程に入学させた学生を途中でやめさせるのは非常に大変です.大学にとっても学生にとっても汚点となるという感覚が大きいのでしょうか……入学すればとりあえず卒業するのが前提とされています.

教育システムは国によって様々で一長一短ありますが,個人的には,研究者としての私を育ててくれたのは,アメリカの大学院システムだと思っています.

博士号取得者の社会的地位

アメリカと比較すると,日本とフランスには共通点があると感じることが多々あります.その一つの例として,アメリカが「学歴社会」であるのに対し,日本とフランスは,「学閥社会」であると言えるでしょう.アメリカでは,博士号(Ph.D.)を取得すれば,学士号をどこで取ったかなどはほとんど問題になりません.

Ph.D.の重みは日常でも感じられ,修士までは敬称が「Mr.」や「Ms.」ですが,博士号取得者は「Dr.」と呼ばれます.基本的に,若い頃に何をしていようと,博士号を取れば,「Dr.」と呼ばれ,それに見合った給与が支払われます.私が院生時代ルームシェアしていたインド人の友人も,今では昔とは比べものにならないほど豊かな生活を送っています.いわゆるアメリカンドリームですね.

一方,日本やフランスでは,「学士か修士か博士か」というよりは,「どこの学校を出たか」が重要です.日本での「東大出身」と同様に,フランスでは,ポリテクニックやENS(Ecôle Normale Supérieure)といったGrandes Ecôles出身者が,博士号取得者以上にエリートとして扱われます.一般的に「Dr.」と呼ばれるのは,医者だけです.前述のように,大学院入学時点で既に専門知識が求められる点を考えても,日本やフランスの方が,アメリカよりも比較的早い段階(高校卒業直後)で,人生の選択が決まります.それは言い換えると,セカンドチャンスが少ない社会とも言えます.

フランス生活を通して

私がフランスに来た理由は,実は研究とは無関係で,アレクサンドル・デュマの『三銃士』が好きだったという一点に尽きます.それだけの理由で永住してしまったわけですから,私のフランス観はある意味でバイアスがかかっているかもしれませんが,それでも今後留学を考えている方への何かしらのアドバイスとなることを期待して,フランス生活の長所と短所を少し述べようと思います.

日本と共通する問題点としては,フランスでも多くの人が英語で苦労しているということです.早くからフランスに憧れていた私がアメリカの大学院を選んだのは,「フランス語で授業は無理」と思ったことも理由の一つですが,結果的にその判断は自分にとって正しかったと思っています.当時,低い英語力のままフランスに来ていたら,英語もフランス語も中途半端になっていたと思うからです.英語をある程度習得した状態でフランスに来たため,ポスドク以降はフランス語の上達に集中できました.ヨーロッパの中でも北欧やドイツと比べて,フランスでの英語普及率は低いと思います.フランス語ができないということで苦労しないためには,かなり国際色豊かなラボを選ぶことをお勧めします.

個人的には,女性にとっては,フランスの方が日本よりはるかに生きやすい環境だと思っていて,年を重ねるにつれてさらにそれを強く感じます.仕事をする上でもそうですし,人々の考え方にも性別や年齢に対する固定観念が少なくなっているのではないかと感じます.私は男性と一緒にサッカーをしているので,余計にそれを実感するのかもしれません.フランスは良くも悪くも個人主義的な側面が強く,とにかく,「自分がどうしたいか」を一番に尊重してくれる空気があります.また,フランスの有給休暇が多いことはよく知られていますが,ワークライフバランスが充実しており,その意味でも仕事がしやすい環境だと言えます.

ただ,長くフランスで仕事をしていると,ラテンな(?)いい加減さに苛立ちを覚えることもしばしばあります.日常生活でも同様で,たまに日本に帰国すると,清潔なトイレ,店員さんの丁寧な対応,時間通りに来る電車,等々には感動させられます.日本では当然のように享受していたことが,海外では(フランスのような先進国でも!)当たり前ではないのです.フランスの寛容さと大雑把さは,コインの裏表なのかもしれません.日本の教授陣が「最近の若者は海外に出たがらなくて困る」とぼやくのを耳にしたことがありますが,ある意味それも無理はないかもしれないと思うこともあります.今の日本では多くの分野で最先端の機器や技術が整っており,わざわざ苦労して留学しなくても高度なレベルの研究ができると言えます.

ですから,日本の生活に満足している方が留学する際には,『これだけは手に入れて帰る』という明確な目標を持つことが,後悔しないための鍵になるのではないでしょうか.また,『自分はどのような苦労なら我慢できるのか』を考えてみることも大事だと思います.一方で,日本で生きづらさを感じている方には,ぜひ一度海外に出てみることをお勧めします.海外生活を通して,新たな視点から日本の良さを実感する機会もあるかもしれません.

市民向けに科学を紹介するフランスのFête de la Science(科学祭)で,実態顕微鏡で子供に試料を見せる筆者(右).

 
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