2025 年 65 巻 2 号 p. 78-80
キャリアのターニングポイントの8割は,偶然の産物によって左右される.これは,スタンフォード大学クランボルツ教授(1928-2019)が提唱したキャリア,心理学用語の一つで,計画的偶発性理論というのだそうです1),2).この理論は,キャリアは計画通りに進むとは限らず,予測不可能な要素が大きく影響することを示唆しています.私自身も例外なく不測の事態に何度も翻弄されながら,最終的に研究者として専門性を活かせる職に落ち着きました.本稿では,ポスドクから企業へ就職する方法にフォーカスして記事を書きましたので,皆さんの参考になれば嬉しいです.
私は,名古屋大学大学院で細胞内のタンパク質の構造変化の研究を行い,博士号を取得しました.その後,将来はアカデミアに残ることを夢見て,アメリカのテキサスA&M大学でのポスドクとしての道を選びました.高名な教授のもとで質の高い研究に携わることができ,毎日が私にとって非常に貴重な経験でした.しかし,研究成果を上げ論文作成に取り掛かったころ,高齢だったはずの私のボスが再婚し(当時62歳?),双子を授かり,彼のパートナーの就職先があるアメリカ東海岸へ引っ越すことになり,あれよあれよとラボの閉鎖が決まりました.怒涛の展開に戸惑いつつも論文はアクセプトされたし,面白い研究テーマだったので,オクラホマ大の共同研究者が「うちに来るといい.研究を継続しよう」と誘ってくれていたので,次のステップを冷静に考えることができました.しかし,今度はその共同研究者から「研究費の計算ミスがあった.君を受け入れできなくなった,ごめん」という連絡がきました.
この追い打ちの出来事による精神的打撃は大きかったのですが,日本のアカデミアのポストへの応募も同時進行で進めており,落ち込む間もなく気力を振り絞って,日本へ書類を送り続けました.その中で,母校に募集が出ている話を聞き,面接まで漕ぎ着け発表準備していたところで,今度は受け入れ先のラボが他大学へ移動することが面接前日に決定し,直前でこの話もなくなってしまいました(一応,面接は形だけ実施されました).A&M大でのポスドクの継続も選択肢にあったのですが,年齢や家族を養うことを考え,ここまで不測なことが連続するのは運命なんだと納得し(ある意味,とどめを刺されましたw),アカデミアを離れて企業への就職に振り切ることにしました.
10年ほど前はまだ博士号取得者の就職は厳しい時代でした.さらに,基礎研究しか経験してこなかったので,応募職種に合致するものが少なく就職活動の手応えも最初はありませんでした(もちろん,私の能力や業績不足のせいでもあります).大手の就職サイトに登録してみたものの,エージェントと電話で話しただけで面接に呼ばれることはありませんでした.
一方で,バイオ系企業を顧客とする小さな就職斡旋会社は私にとって大きな助けになりました.大手から独立された経験豊かな方が,親身に相談にのってくださり,就活の方法や業界の動向を教えてくれました.海外では相談相手が少なかったので,精神的にも支えになりました.すでに多くの研究者が所属する大企業では,特定分野の即戦力を求めているのに対し,中小企業は研究開発の部署は小さく,院卒の応募が少ないため採用の対象を広げている.そのため,中小やベンチャー企業まで視野に入れて応募した方がよいことや,中途採用は研究分野だけでなく企業側の事業立ち上げのタイミングと合わないと採用されないため,不採用でも落ち込まずに就活を継続することだ,とアドバイスを受けました.現在は,各大学にキャリアセンターがあると思います.カウンセラーが面談や応募資料へのアドバイスをしてくれるので,ポスドクの方も客観的な意見を得るために積極的に活用しましょう.
就職斡旋会社の方から特許検索サイトを使ったリサーチも勧められたので,自分の経歴を活かせるタンパク質に関する特許を持つ会社を探して応募したところ,複数の企業から面接に呼ばれるようになり,タンパク質素材によって持続可能な社会構築を目指すSpiber株式会社に採用が決まりました.特許調査は,企業の公開していない技術動向や方向性を把握する手段として有効です.自分の専門分野に近い研究を行っている企業を見極める助けになるでしょう.
約20年前,渡米した時に思い描いていた理想とは異なるものの,高校時代に漫然と抱いていた「社会に役立つ研究をする」という夢が,形を変えながらも実現したと感じています.めまぐるしい変化や目の前の状況を受け入れて前向きに行動できた結果だと思います.キャリアは予期しない出来事から形成されるものであり,オープンマインドになって自分の行動から生まれる偶然を活かしていく,まさに「偶発性学習理論」に沿った行動だったと3),今振り返ってみて思わず納得している次第です.
私が入社した当時のSpiberは総勢50人の小さな会社で,山形県鶴岡市のインキュベーション施設を借りて,小さな実験室で培養も紡糸も行っていましたが,社屋を建設し,タイに工場を設立し,2024年9月に創立17年を迎え,今や280名を越す企業へと成長しています4).順調に成長していますが,今はまだアパレル向けの小ロットの製品を中心としており,広く世の中に行き渡るほどの生産を実現できていません.将来はさらに生産規模を拡大し,コストを抑えることで私たちのタンパク質素材がより多くの人々に届くようにし,環境や社会に配慮した持続可能な素材を通じて,社会に貢献していきます5).
Spiberが生産しているBrewed Protein™素材は,クモの牽引糸を基にデザインされたアミノ酸配列を持ち,生産性や商品としての機能性を向上した人工タンパク質素材です.しかしながら,構造タンパク質は繰り返し配列からなる高分子量ブロックコポリマーで,水溶液中では凝集しやすい性質があり,これを高濃度溶液に調整して機能性のある成形体へ加工するプロセスは,タンパク質科学にとって未踏の領域です.この分野の研究は挑戦の連続で,失敗と発見の繰り返しですが,だからこそ厳しくもあり,非常にやりがいを感じます.この成果をいずれ論文として発表することで,新たな分野の発展にも貢献したいと考えています.
Spiberでは多くの新卒や大学院卒,ポスドクを迎え入れ,会社の規模が急激に拡大していきました.その際の採用方法を紹介します.
月並みですが求人媒体には,大手人材紹介会社や自社サイトやJREC-in,大学就活イベントなどを利用していました.他社も同様だと思いますが,中途採用は,春入社に縛られることがなくスピード感が求められるため,各社ホームページで最新情報を得るのがよいでしょう.しかし,当社は知名度が低く一般的な募集方法では成果が得られなかったため,社員のリファーラル採用を積極的に進め,多くの人材を迎え入れることに成功しました.リファーラル採用とは,社員や関係者が信頼できる知人を推薦する採用方法のことです.企業文化や職務内容を理解した社員や関係者が,就職希望者との間に入るためミスマッチが少なく,結果として定着率の向上につながっていると言われています.ネットだけでなく,先輩や教員など知り合いを通じた就職活動も是非ご検討ください.
地域を限定した就活をする場合には,現地の就職斡旋会社をお勧めします.自治体と連携した支援を行っている場合も多く,会社内部や現地の詳細情報だけでなく,引越しの補助金など有益な情報も得られます.
ポスドクは専門性が重視されるため,職務内容を事前に確認し,ミスマッチを避けることが重要です.一方で,異なる分野への応募は,柔軟性をアピールできるとよいでしょう.その際,過去の経験を交えたエピソードを話す面接スキルが求められますが,一般の就職活動と同様に複数の面接を経験することで慣れていきましょう.また,面接時には研究発表のスキルや論理的思考力を示せる資料を準備するとともに,汎用的な実験スキルを強調できると好印象です.ただ,就職のマッチングには相性だけでなく運の要素も大きく影響します.企業の文化や雰囲気,就業条件が合わない場合は,気持ちを切り替えて次のステップに進む姿勢も大切です.
最近,大谷選手の連日の大活躍を見ていると,「目標に向かって将来の計画を立て日々精進し,運を引き寄せるためには,日々善行を重ねること」の大切さには,ただ頷くばかりです.でも,計画通りに進まず思いがけない出来事が人生の転機となることも少なくないですよね.社会変化の激しい昨今,クランボルツ先生の言葉を胸に,オープンマインドで偶然の機会を楽しみ,好奇心を持ってキャリアを広げてみませんか.
佐藤健大(さとう たけひろ)
Spiber株式会社Quality Management部門研究員・プロジェクトリーダー