生物物理
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脂質膜のマルチフォーカル計測
渡邉 望美馬越 大
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2025 年 65 巻 5 号 p. 258-261

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Abstract

溶媒緩和特性を持つ3種の蛍光分子を用い,脂質膜内での位置に応じた特性解析を実施した.時間分解蛍光測定におけるDecay-associated spectra解析にデコンボリューションを組み合わせることで,系中に存在する蛍光成分を分割することに成功した.本手法は溶媒モデルに基づく帰属により,脂質膜中の異なる深さ位置での特性の違いを明らかにできる.

1.  脂質膜の階層性

細胞膜を構成する脂質二分子膜は,細胞内の様々な生物学的プロセスを促進する.金属イオンや,アミノ酸,ペプチド,核酸などのイオンや分子は,脂質膜に吸着したり,部分的に挿入されたりして,膜の流動性の変化や細孔形成など,膜の摂動を引き起こす.膜の柔軟性や分子の分配を決定する重要な因子として,膜の親水性/疎水性界面周辺の特性が挙げられる.

脂質膜は,深さが異なる3つの領域に分類できる(図1).アシル鎖領域(内部),脂質ヘッドグループ-アシル鎖界面(界面),および脂質ヘッドグループ-水界面(表層)である.脂質膜における相互作用は,脂質膜の異なる深さにおける特性によって制御されるため,これらの細分化された領域における膜特性を適切に理解することが不可欠である.

図1

脂質膜を構成する脂質分子(DOPC, DPPC, Cholesterol)とDAN型蛍光プローブ.色分けは膜の階層性を示す.図は文献5より許可を得て掲載.

2.  膜内に存在する蛍光分子の特性

脂質膜に配向する蛍光プローブは膜内の所定の深さに特異的に分配し環境に応じた蛍光を発する,脂質膜の「階層性」を特徴付けるための最も有用なセンシングツールの1つである.特に,2-(dimethylamino)-6-acylnaphthalene(DAN)をベースにした蛍光色素は複数の誘導体が存在し,脂質膜の特性解析に多用される.中でも3つの誘導体(Laurdan, Prodan, Acdan)は,脂質膜内の異なる深さにおける極性の評価に最適である1)図1).

DAN型蛍光プローブは,ナフタレン環を挟んで電子供与性基と電子受容体基を持つように設計されており,励起状態で大きな電気双極子を有する.これにより,蛍光分子周囲に存在する溶媒からの緩和を受け,大きなストークスシフトを示す(ソルバトクロミック特性).最も長いアシル鎖を持つLaurdanは,類似のプローブの中で最も疎水性が高く,膜の内側領域(リン脂質のカルボニル基[C = O]の近く)に存在する傾向がある.Prodan,AcdanはLaurdanと比較してアシル鎖が短いため,脂質膜内への分配係数(Kp)が低く,Kp値はAcdan < Prodan << Laurdanの順となる2).Prodanは界面付近の浅い領域(リン脂質のリン酸基[PO]の近く),Acdanはよりバルクに近い表面領域に分配し,周辺の環境を検知できる(図1).しかし,脂質膜はやわらかく動的な環境で,急激な誘電率の変化を伴う複雑系であるため,その極性を正しく理解することは困難である.そこで筆者らはこの課題を解決するための,新規解析手法を提案した.本トピックス記事では,時間分解蛍光解析に基づいた,脂質膜内に存在する蛍光プローブ周辺の環境を帰属するためのモデルを提案した研究3)-5)を中心に紹介する.

3.  DAS解析とτ-λ plot

時間分解蛍光スペクトル(Time resolved emission spectrum: TRES)は,各波長での蛍光減衰曲線を取得し,励起後の時間経過のスペクトル遷移を追跡できる.ある波長における蛍光強度Iλ(t)の時間遷移は,単一指数関数型の蛍光減衰として表される.

Iλ(t) = Iλ0 exp (–t/τ)

ここで,Iλ0は,t = 0における蛍光強度である.蛍光寿命τは,蛍光強度が1/eすなわち36.8%まで減衰するのに要する時間と定義される.

DAN型蛍光プローブは,溶媒緩和により様々な減衰過程を持つため,スペクトルの波長に依存して異なる複数個の寿命成分を示す.特に脂質膜内部においては,様々な溶媒緩和過程が存在し,複数の蛍光種が存在する.こうした異なる蛍光種の寄与を簡単に可視化するため,Decay-associated spectra(DAS)解析を取り入れた.DAS解析とは,TRESにおける寿命成分数を任意に決定し,グローバルフィッティング(複数応答の非線形回帰)から寿命成分ごとのスペクトルを取得する方法である(図2).ここで,各成分のスペクトル強度はTRESに対する寄与度である.この手法は各蛍光波長での寿命成分の寄与を分割するのに効果的である.

図2

(上段)DAS解析の概念図.(下段)DAS解析で得られる寿命ごとのスペクトルをさらにデコンボリューションし,τ-λプロットを得る3),4)

筆者らは脂質膜中のLaurdan,ProdanにおいてDAS解析を行い,得られたスペクトルをさらにデコンボリューションして得られた成分の蛍光寿命(τ)と発光ピーク位置(λ)をプロットし(τ-λプロット),視覚化する方法を提案した3),4).プロット点の大きさは,その成分の寄与度を示す.τ-λプロットに現れる分布は系に存在する蛍光成分とその寄与を反映する.筆者らは,τ-λプロットに現れる成分の特性を明らかにすべく,本解析手法を用いて様々な極性・粘性を示す溶媒中で解析を行い,その帰属に取り組んだ.

4.  各種溶液中でのDAS解析

脂質膜は,アシル鎖が充填された内部(比誘電率εr ~ 2)から,水が豊富に存在する表層(εr ~ 80)まで,わずか約2.5 nmの範囲で誘電率が大幅に異なる環境を有する.そこで,膜中に存在する誘電環境を再現するため,いくつかの溶媒種を選択した.脂質膜のアシル鎖が豊富な領域をヘキサン(εr = 1.89),界面のグリセロール骨格付近を非プロトン性極性溶媒であるアセトン(εr = 20.7),界面付近の低誘電率環境におけるプロトン性を再現するためのエタノール(εr = 24.5),膜表層に豊富に存在する水(εr = 80.1),の4種を選択し,各溶液を所定の割合で混合していくことで,膜中に存在する異なる溶媒環境の勾配を再現した.

LaurdanのDASデコンボリューション解析によって得られたτ-λプロットを図3に示す.プロットにおける分布は溶媒の混合により遷移する様子が確認された.比誘電率の増加によりプロット位置の波長が大きくなる傾向があり,寿命は比誘電率が20付近で最大となる様子が確認された.この傾向は他のDAN型プローブであるProdan,Acdanでも同様に見られた.発光位置の長波長化は溶媒緩和による影響と考えられる.一方,蛍光寿命に関しては,蛍光分子の安定状態に依存し,極端に誘電率が低いもしくは高い環境においては,励起種の安定性の低さや励起後の失活が有意に影響するためと考えられる.興味深いことに,ゲル相の脂質膜中で見られる7 ns以上の長い蛍光寿命を有する成分は溶媒中では検出できず,脂質膜内部の粘性環境による影響も考慮するため次の検討を行った.

図3

各溶媒中におけるLaurdanのτ-λプロット.(a)ヘキサン-アセトン系,(b)アセトン-エタノール系,(c)アセトン-水系,(d)エタノール-水系.図は文献4より許可を得て掲載.

非極性粘性溶媒である液体パラフィン(Liquid Paraffin, LP),極性粘性溶媒であるグリセロールを用い,τ-λプロットの挙動を確認した(図4).誘電率に従い同様の分布を示したが,ヘキサン-液体パラフィンや水-グリセロールなど,同様の極性を示す溶媒同士で混合すると,粘度の増加に伴い寿命が長くなる傾向が示された.しかし,脂質膜で見られるような7 ns以上の長寿命成分は検出されず,本検討で試した粘度域(~1000 mPa·s)では再現できないことが明らかとなった.

図4

各溶媒中におけるAcdanのτ-λプロット.(a)ヘキサン-液体パラフィン(LP)系,(b)エタノール-グリセロール系,(c)グリセロール-水系,(d)(a-c)のまとめ.図は文献5より許可を得て掲載.

5.  異方性との相関

最後に,異なる相状態の脂質膜や溶液条件において異方性を測定した.蛍光分子の配向性を測定し,異方性が高いほど分子の回転が遅く偏光性を示す.蛍光寿命と異方性(r)の相関を調べると,蛍光寿命が4 ns以下では異方性の低い等方的な環境,4 ns以上では異方性の高い環境であることが明らかになった.以上の結果より,τ-λプロットにおける極性・粘性・異方性の影響を反映したモデルを作成した5)図5).

図5

τ-λプロットにおける帰属モデル.図は文献5より許可を得て掲載.

このモデルに基づき,脂質膜で測定したDASデコンボリューション解析から得られるτ-λプロットの分布を帰属することで,各成分の誘電環境・異方性などを評価できる(図6).さらに,異なる深さに分配するDAN型蛍光分子を用いることで,膜の表層・界面・内部に存在する溶媒環境の評価が可能となった.

図6

6種類の異なる脂質膜におけるτ-λプロットから帰属した蛍光分布の寄与.A(DPPC: 100 mol%),B(DPPC: 60 mol%, Cholesterol (Chol): 40 mol%),C(DOPC: 100 mol%),D(DOPC: 60 mol%, Chol: 40 mol%),E(DPPC: 50 mol%, DOPC: 50 mol%),F(DPPC: 40 mol%, DOPC: 40 mol%, Chol: 20 mol%).図は文献5より許可を得て掲載.

6.  終わりに

時間分解蛍光解析においてDASデコンボリューションを用いた新規解析手法を導入することで,脂質膜内部に存在する様々な溶媒環境を階層的に可視化・分類化することに成功した.本研究はすべてモデル細胞膜であるリポソームで実施したが,細胞骨格や膜タンパク質が多様に存在する細胞膜系や細胞膜由来小胞など,生体内に存在する脂質膜の環境評価に適用することで,これまで評価されることのなかった細胞膜の特性を明らかにし,機能解明に繋げていきたい.最後に,多大なるエフォートで本研究を一緒に押し進めてくれた博士学生の伊藤夏海氏へ,感謝の意をここで述べさせていただきます.

文献
Biographies

渡邉望美(わたなべ のぞみ)

大阪大学大学院基礎工学研究科物質創成専攻化学工学領域助教

馬越 大(うまこし ひろし)

大阪大学大学院基礎工学研究科物質創成専攻化学工学領域教授

 
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