学校教育研究
Online ISSN : 2424-1504
Print ISSN : 0913-9427
ISSN-L : 0913-9427
第1部 学校教育における「実践知」の現在
実践知と政治教育のリアリティ
生澤 繁樹
著者情報
ジャーナル オープンアクセス

2017 年 32 巻 p. 21-

詳細
抄録
 分析哲学者J・O・アームソンがアリストテレスの『ニコマコス倫理学』を読み解き明快に説明したように,「真理」を求める「知性」には「理論的なもの」と「実践的なもの」がある(Urmson 1988:79-80=2004:140)。アリストテレスは「必然」や「永遠」として「それ以外の仕方においてあることのできないもの」(アリストテレス1971a:220)を対象とするのが「理 論的知性(theoretical reasoning)」であり,ひるがえって「実践的知性(practical reasoning)」は「真理を求めるという点では同じだが行動の役に立つような真理を求める」ものであると考えた(Urmson 1988:80=2004:141)。こうした理解を踏まえて「理論的知性に優れていることを『理智(wisdom)』とよび,実践的知性に優れていることを『思慮分別(practicalwisdom)』とよぶ」ならば,この実践的知性における「思慮分別」──アリストテレスの言葉でいえば「フロネーシス(phronēsis)」といい「実践知」とも訳される──は「理想的な人生を組み立てる能力」によって示されるとアームソンは述べている(Urmson 1988:80-81=2004:141-142)。  本特集のなかで検討し,掬いとるべき「実践知」が意味する内容は,もちろん多様な拡がりをもつ。だがここでは,急速な社会変動や変化の激しい未来における行為や行動の「役に立つ」真理を求める知性とそれにかんする知識や能力という意味でいくらか緩やかに理解しておきたい。この意味では学校における学びもまた,私たちを(理論知が求める対象とは反対に)「それ以外の仕方においてあることのできるもの4 4 4 4 4 」(アリストテレス1971a:220,傍点は引用者による)とますます関わらせるような社会変化に対応し,具体的行為に役立てられる「実践知」を身につけるための資質や能力──いわば「理想的な人生を組み立てる能力」──を求めるものとして強く要請されているといえる。けれども,そのような学校の学びは,はたして現実の行為や行動としての実践を導くものとして,どこまでリアリティがあるのだろうか。  ここでは新しい学習指導要領(平成29年3月告示)とそれに先立つ18歳選挙権の時代に向けて編まれた『私たちが拓く日本の未来──有権者として求められる力を身に付けるために』(総務省・文部科学省,平成27年9月)をいくらか念頭におきながら,それらのなかで強調された主権者教育としての政治教育に照明を当てて,この問いについて考えてみたい。問うてみるべき問題は,一言でいえば,いったい実践知を育てる政治教育のリアリティはどこにあるのだろうかということである。変動する社会や容易には予測しがたい未来に向けて学校の学びが大きく変化しようとしているが,こうした社会や政治の領域と積極的にかかわるような実践知を育むものとして学校の学びが大きく改革や転換を迫られることにより,私たちの社会の現実それ自体もまたどのように変わるのだろうかということをいま一度考えてみなければならない(生澤2014)。そのような社会的変化を生みだす学びへと学校における政治教育は向かうことができるのだろうか。
著者関連情報
前の記事 次の記事
feedback
Top