本稿は、メディアが急成長を遂げた大正期の親鸞をめぐる言説を、山中峯太郎(一八八五―一九六六)の執筆活動から検討した。多様な読者層に個人的な信仰告白が消費された彼の活動は、近代の仏教とメディアの関係を考える上で注目に値する。
山中は、収入を得ることと宗教的救済を宣伝することを目的に、親鸞やイエスについての文章を量産していった。彼の信仰遍歴は紆余曲折しており、その文章は読みやすいとは言えない。しかしむしろ、そうした大量の親鸞論が流通したこと自体に意味があるのではないだろうか。量産された親鸞論は、その存在と量とが人々を半ば無意識的に親鸞と関わらせる役割を担ったと考えることができ、山中の親鸞論は、宗教的でないメディアで展開された親鸞論という点でも注目できる。彼の信仰告白は、信仰が商品化されるという点において、メディアと作家の位置付けが変化した近代の親鸞との新しい関わり方と言える。