抄録
本シリーズでは、放送100年を契機に、新たに見いだした史料などにもとづいて放送の歴史を多角的に検証する。第2回は、戦前に日本放送協会の大阪中央放送局(JOBK、以下、BK)が創設した合唱団「BKコドモ唱歌隊」(以下、唱歌隊)に焦点を当てる。
唱歌隊は、大阪の小学生30人で1937年に誕生し、多いときには100人前後のメンバーが在籍していた。本稿では、大正期に始まる「児童文化運動」や大阪におけるその展開も確認したうえで、当時の局史編纂資料や卒業生からの聞き取りなどによりつつ、埋もれていた唱歌隊の活動についてたどった。
大正期、「児童の芸術を鑑賞する力と実践する力を育む」ことを目指した児童文化運動は当初、雑誌を通じた広がりを見せ、やがて音楽や演劇といった分野で実演や鑑賞ができる新たな活動の場を求めるようになった。大阪では大阪朝日新聞、大阪毎日新聞が子供向け事業を展開し、BKは子供向け番組に取り組み始める。各社には児童文化に長く携わった人々がそろい、その存在と豊かな関係が大阪の児童文化を牽引した。1930年前後には大阪朝日会館での文化事業やBKの番組『子供の時間』が、音楽や演劇における児童文化の新たな場として機能し始めていた。
大阪でのこうした子供をめぐる文化状況のなかで、唱歌隊が生まれた。唱歌隊の目的は、ラジオを聴く子供たちが唱歌を自ら歌う(実践する)うえでの模範を示す放送を行うことにあった。1936年に竣工されたBK 新会館を舞台とし、指導者である番組出演者と児童文化に通じた制作者、そして唱歌隊の子供たちがその役割を担った。唱歌隊は放送局という場が生み出した活動であり、放送を通じた文化教室と称することができるかもしれない。
唱歌隊は、ラジオで放送された『子供の時間』に定期的に出演したほか、さまざまなイベント中継でも歌唱を披露した。さらに慰問などの放送外の活動も盛んに行った。唱歌隊の卒業式は音楽会として催され、メンバーに贈られた記念品にも配慮が尽くされていたことが当時の資料から浮かび上がる。
唱歌隊は、戦争が激化し、曲目がラジオを聴く子供たちの戦意を高揚するようなものに変化していくなか、終焉を迎えることになったが、その活動は、戦前の児童文化の豊かさを示すものとして記録にとどめられるべきものといえるだろう。