日本物理学会誌
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光合成による水分解 : 生命の巧みな光エネルギー変換のしくみ(<シリーズ>国際光年IYL2015に寄せて,交流)
野口 巧
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2015 年 70 巻 10 号 p. 742-751

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抄録

地球上における今日のような生命の繁栄は,いかにしてもたらされたのか?それは,その進化の過程において,精密な光エネルギー変換システム「光合成」を創り上げ,太陽光エネルギーという無限のエネルギー源の確保に成功したことによる.光合成の光エネルギー変換は,光誘起電荷分離と,それに続く電子移動を基本として行われる.その過程で,光エネルギーは,還元物質の酸化還元電位差としてのギブズ自由エネルギーと,生体膜間のプロトン濃度差による電気化学ポテンシャルの2種類のエネルギー形態に変換され,最終的に,二酸化炭素を還元して蓄積可能な化学エネルギーとしての糖を合成する.このような光誘起電子移動を基礎原理とする光エネルギー変換系を構築する際のボトルネックは何だろうか?それは,二酸化炭素を還元するための電子の供給源として何を選ぶかである.始原的な光合成生物である光合成細菌は,硫化水素H_2Sを電子源として選び,地球上に偏在して棲息するのを余儀なくされた.一方,約25億年前に登場したシアノバクテリアは,地球上により普遍的に存在する「水」H_2Oを電子源に用いることに成功し,光合成系を完成させて植物へと進化した.水分解反応の獲得は,光合成生物の繁栄をもたらしただけではなく,その後の地球環境と生命の進化を大きく変えた.水分解の副産物として放出された酸素は,地球大気中の酸素濃度を上昇させ(現在の地球大気の酸素濃度は21%),酸素呼吸生命の進化を促した.水分解反応を担う酵素である光化学系IIでは,光誘起電荷分離により反応中心クロロフィル上にラジカルカチオンが形成され,それが水分解の触媒部位であるマンガンクラスターから電子を引き抜く.マンガンクラスターはMn_4CaO_5で表される「歪んだ椅子」型構造を持つことが,最近報告されたX線結晶解析により明らかにされている.そこでは,5つの中間状態の光駆動サイクルとして水分解が行われる.1回の光反応により1個の電子が引き抜かれると次の中間状態へと遷移し,計4回の電子移動により,2分子の水が酸素とプロトンとに分解する.電子移動反応はドナー分子とアクセプター分子の酸化還元電位差によって制御される.そこで,マンガンクラスターの各中間状態遷移において迅速な電子移動を実現するため,電子移動を水分子のプロトン放出と共役させて,マンガンクラスター上の電荷を一定に保ち,その酸化還元電位を制御するしくみが存在する.時間分解分光や量子化学計算などにより,電子移動とプロトン移動の時間挙動や水素結合ネットワークの再構築によるプロトン経路の形成などの情報が得られてきている.このように,光合成の光エネルギー変換の鍵となる水分解の分子機構は,プロトン共役電子移動を利用した極めて巧妙なものであり,未だその全貌は明らかになっていない.X線結晶解析からの構造情報と,種々の分光学的手法,および,近年飛躍的な進歩を遂げる量子化学計算により,近い将来,生命にとって極めて重要な光合成水分解の機構が解き明かされることが期待される.

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© 2015 一般社団法人 日本物理学会
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