日本物理学会誌
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キタエフ量子スピン液体の"気液"相転移(最近の研究から)
那須 譲治宇田川 将文求 幸年
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2015 年 70 巻 10 号 p. 776-781

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抄録

2006年,A. Kitaevによって興味深い量子多体模型が提案された.キタエフ模型と呼ばれるこの模型は,スピン1/2をもつ量子スピンが2次元蜂の巣格子上でイジング的な相互作用をしたシンプルなものである.しかしその見かけからは想像し難い豊富な物理を含んでいることから,物性物理のみならず,統計基礎論や量子情報など物理学の様々な分野で大きな注目を集めている.この模型の最大の特徴は,基底状態が厳密に求まることである.2次元以上の量子多体模型で可解なものは非常に限られているため,この特質は様々な新しい知見をもたらしてくれる.とりわけ驚くべきことは,その基底状態が,物質中の新しい量子状態のひとつとされる量子スピン液体となっていることである.さらに,相互作用が異方的な極限では,基底状態がトポロジカルな秩序で特徴付けられる.これは,従来の対称性の破れに基づく分類に収まらない新しい秩序状態である.また,この特異な基底状態を反映して,励起状態も興味深い性質を示す.例えば,フェルミ統計にもボース統計にも従わない非可換エニオンが現れる.この特異な粒子は,トポロジカル量子計算の演算要素として有望視されるものである.別の興味深い側面として,キタエフ模型がイリジウム酸化物などのスピン軌道相互作用が強い強相関電子系で実現する可能性が指摘され,実験・理論の両面から精力的な研究が行われていることも挙げられる.こうした多彩で興味深い性質のうち,我々は物性物理の視点からキタエフ模型が示す量子スピン液体状態に着目し,その熱力学的性質を解明した.これまで,量子スピン液体の理論的研究は,主に三角格子などの幾何学的フラストレーションを有する格子上の強相関電子模型に対して行われてきたが,そこでは負符号問題のために従来の量子モンテカルロ法が適用できず,系統的な研究は困難であった.こうした事情は幾何学的なフラストレーションのないキタエフ模型の場合にも現れる.そこで我々は,マヨラナフェルミオン表示に基づいた新しい量子モンテカルロ法を開発し,それを適用することで,一切近似のない数値的な解析を行うことに成功した.本稿では,キタエフ模型を3次元に拡張した模型に対して得られた計算結果を紹介する.この模型は,最近合成された新規イリジウム酸化物において見出されたものと同等な格子構造の上で定義され,2次元の場合と同様に基底状態は量子スピン液体である.我々は,この3次元キタエフ模型において,低温の量子スピン液体から高温の常磁性状態への相転移が有限温度で生じることを見出した.これは,量子スピン系の"気液"相転移に相当する.通常の流体では,同じ対称性を有する気体と液体は,1次転移の終点である臨界点を回り込むことで連続的に接続しうる.しかしここで我々が見出した相転移は,相互作用パラメータの全領域において常に存在する.この結果は,量子スピン液体と常磁性状態が相転移によって常に明確に区別されることを意味しており,この相転移が通常の気液相転移とは異なる全く新しいタイプのものであることを示唆している.また,この相転移は励起状態がもつトポロジカルな性質の変化によって特徴付けられる.こうしたトポロジーの変化は,量子色力学における閉じ込め・非閉じ込め転移などでも議論されており,分野をまたいだ共通概念の存在を期待させるものである.

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© 2015 一般社団法人 日本物理学会
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