日本物理学会誌
Online ISSN : 2423-8872
Print ISSN : 0029-0181
ISSN-L : 0029-0181
交流
結び目で世界はどこまで描けるのか―幾何と物理の交差点―
伊藤 昇
著者情報
ジャーナル フリー

2018 年 73 巻 2 号 p. 76-84

詳細
抄録

3次元空間において1本の閉じた紐を結び目と呼び,その一般化,互いに交わらない有限個の結び目の和集合を絡み目と呼ぶ.

かつて19世紀にはガウスが絡み目の絡まり具合を記述する(後にマクスウェルにより再発見された)公式を電磁気学から導き出し,また平面曲線を文字列で考察していた.それは「ガウスによるガウスのための結び目研究」であったろう.その後,ケルヴィン卿が渦原子論,いうなれば「世界は結び目でできている」と提唱し,テイト,マクスウェル等も参画したとされる結び目研究は「物理学者による物理のための結び目研究」だったと考えられる.

テイトは「結び目の表」を作成した.テイトの時代には,「与えられた結び目がほどけるかほどけないか」,「2つの結び目が移り合うか否か」を判定することに役立つ写像(結び目不変量と呼ばれる)はなかったはずなので,リストアップは困難を極めたことであろう.結び目を何らかの方法ですべてリストアップすることは現代数学においても重要課題の1つである.それを完遂するため「2つの結び目が移り合うか否か」を完全判定する結び目不変量の発見も重要課題となっている.テイトはこの数学の根本問題に関して,予想を提唱している.ジョーンズ多項式(1984年)が現れるころまで長い間解決せず,テイト予想と呼ばれた.しかし,その後ケルヴィンの渦原子論の否定があった.そのためだろうか,結び目の物理研究は依然続いたはずだが,ケルヴィンらの「物理のための結び目理論」はいつしかトポロジーの一分野「結び目理論」として「数学者による数学のための結び目研究」として引き継がれたようである.

1927年のライデマイスターの定理は1つの結び目が2つの平面投影図をもつとき,それらが移り合う必要十分条件を与え,1928年には結び目に関するアレクサンダー多項式という写像が発見された.テイト予想はライデマイスターの平面投影図による結び目の理解に深く関わるものであり,アレクサンダー多項式は結び目の構造を映し出すことは現在明らかになっている.

ジョーンズ多項式がウィッテンによってチャーン–サイモンズ理論のウィルソンループの期待値として解釈され,物理学の結び目理論は脚光を浴びた.数学においてもジョーンズ多項式はコンツェビッチ不変量の理論,リー環に対応するコード図を用いた積分理論が広く展開された.この時期の結び目理論研究は物理学による刺激により,爆発的なものとなった.その後,ガウスの平面曲線論のアイデアを広く一般化したトゥラエフによるナノワード理論によってコード図の概念は精密に研究され,ジョーンズ多項式は結び目の情報をすべて使っているわけでないことが証明された.

2000年代に入り,ホモロジー論を使ってジョーンズ多項式は新たな物理パラメーターを獲得することになる.このパラメーターを解釈しようとする物理研究が盛んに行われ,引き続いている.またDNAにおける生物研究,高分子化合物や材料といった化学研究,飛行機の揚力や量子渦糸の物理量を計算する物性物理,あるいは統計物理や場の理論の研究において結び目理論は陰日向に顔を出している.結び目の数学が分野問わず「世界を理解する1つの手段」として捉えられ,物理研究を積極的に発展させる時代に再びなったのかもしれない.

著者関連情報
© 2018 日本物理学会
前の記事 次の記事
feedback
Top