日本物理学会誌
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最近の研究から
格子ゲージ理論におけるエネルギー・運動量テンソルの構成:Gradient flowの方法
鈴木 博
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2018 年 73 巻 3 号 p. 148-153

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抄録

自然は階層性を持った法則によって理解される.例えば,素粒子を支配する微視的な階層の物理法則の詳細は,流体を記述するナビエ–ストークス方程式の2つのパラメターに“くりこまれて”しまう.この,長距離スケールでの法則が短距離スケールの法則に“鈍感”である事実を普遍性(universality)と呼ぶが,もし普遍性がなければ,そもそも物理学は成立しないであろう.

本稿の対象である場の量子論では,無限に短い長さスケール,もしくは無限に高いエネルギースケールまでの力学変数が関与する.我々は,無限に高いエネルギースケールまでの物理法則の知識はないので,まず紫外切断と呼ばれるエネルギースケールを人為的に導入し,力学変数をこのエネルギースケール以下のものに制限する(この操作を正則化と呼ぶ).この紫外切断を無限大に飛ばすことが,より高エネルギースケールの法則に対する我々の無知を無視することに対応するが,この極限で有限に留まる“普遍的な”ものが,場の量子論の予言として意味を持つ.こうした有限の極限を持つ量をくりこまれた量,これを構成する作業をくりこみ,これが可能な理論をくりこみ可能と呼ぶ.

正則化の方法は原理的には自由であるが,正則化が系の自由度と対称性を保つとき,くりこみの作業はシンプルになる.現在の素粒子理論がその基礎を置くゲージ理論において基本的な対称性はいわゆるゲージ対称性であり,正則化はこれを保つものが望ましい.標題にある格子ゲージ理論とは,ゲージ対称性を厳密に保つ,今のところ唯一の,非摂動論的正則化である.このユニークな特徴のため,格子ゲージ理論は,素粒子理論の強い相互作用に関係した非摂動論的物理,例えば,ハドロンの質量・行列要素・散乱振幅,カイラル対称性の自発的破れ,ゲージ場のトポロジカルな性質などの第一原理からの研究を可能にする.格子ゲージ理論の予言と現実の世界との驚くべき一致を見るに,ゲージ理論が真にくりこみ可能な理論であることが納得されるのである.

格子ゲージ理論は,本来連続的な時間と空間を格子目で近似することで,正則化を行う(これを格子正則化と呼ぶ.格子定数aの逆数が紫外切断にあたる).一方,この格子構造は並進対称性や回転対称性といった連続的時空に付随した対称性を破るため,これらに付随したネーターカレント,エネルギー・運動量テンソルの構成が自明ではない.エネルギー・運動量テンソルは,エネルギー,運動量,角運動量,スケール次元といった物理量と関連し,その相関関数が粘性係数などの情報を与える.また,一般相対論においては重力の源でもある.このように基本的な物理量であるエネルギー・運動量テンソルであるが,格子ゲージ理論ではその構成が非自明なのである.

最近,gradient flowという手法を用いてエネルギー・運動量テンソルを構成する全く新しい方法が提案され,活発に研究されている.gradient flowとは,一種の拡散方程式に従ってゲージ場を変形するものであるが,くりこまれた複合演算子を自動的に与えるという驚くべき性質を持つ.この性質を利用することで,エネルギー・運動量テンソルの,正則化によらない表式を得ることができる.これは,くりこみ可能な理論における上記の普遍性の考え方をまさに具体化したものになっている.現在,このエネルギー・運動量テンソルの表式の数値シミュレーションへの応用が本格化しつつあり,量子色力学の熱力学量が計算されている.

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